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ぼくらの平行世界間戦争  作者: 吉田玉石
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5.まどろみ


 日の入りを告げるカラスの鳴き声。香り立つコーヒーの匂い……。

 薄く開いた目でぼんやりと机を見ながら、まどろみの中で脳の覚醒を待つ。


「休日だからっていつまで寝てんだよ。ほれ、いい加減に目を覚ましやがれ」


 机に散乱した数多の紙は、隅々まで僕の絵で埋め尽くされている。それらを一束にして隅にどかした西川が、コーヒーが注がれたカップを僕の前に置いた。


 ――随分と熱中していた覚えがあるけれど、いつの間に寝てしまったんだろうか。時刻は既に夕方。ベットで寝なかったからだろう、首や腰に凝り固まったような痛みを感じる。

 ……こんな時間に目が覚めるなんて、初めてのことかもしれないな。

 限りある一日の時間を無為にしてしまったようで、いくらか気が沈む。そんな心の内を誤魔化すかのように、彼が持ってきたカップを手に取り、一口含んだ。


「……薄くない?」

「そうか? 悪いな、貧乏性なもんで」


 そんな会話を挟みつつ、湯気が立ち昇るコーヒーを少しづつ飲む。その間西川は僕の描いた絵の一枚一枚を眺めながら時々感嘆の声を漏らしていたが、僕が立ち上がりクローゼットへと向かうと、怪訝そうに首を傾げる。


「あれ? 出かけんの?」

「今日もバイトだよ」


 すると西川は紙の束を机に置いて、呆れたようにため息を吐いく。


「おいおい、ほとんど毎日じゃねえか。せっかくの大学生活、そんなバイト漬けの青春でいいのかよ? もっとこうさぁ、彼女の一人でも作ってさぁ」

「あれ、言ってなかったっけ?」


 その言葉に、西川は紙をめくる手を止めて目を丸くする。


「……え、いんの?」

「うん」

「へぇー……」


 何故だかばつが悪そうに目を逸らす西川。そしてすぐに視線を戻すと、何か都合の悪い事を隠そうとしているかのように「かわいい? なんて名前?」などと矢継ぎ早に質問してくる。


「カンナって覚えてる? ほら、小学校の時に同じクラスだった……」

「おお、懐かしい名前だな。初恋の相手だぜ」

「僕もだよ。だから、大学で再会したときは驚いた」


 そう言うと、西川は少しの間固まっていたが、直に理解が追いついたようで、大層驚いたような表情を浮かべた。


「え、彼女ってあのカンナ?」

「うん」

「マジで?」

「うん」

「へぇー……、こりゃ驚きだ」


 その言葉通り、未だ驚きが収まらない様子の西川は半開きの口と共に呆然と僕を見て、それから思いを馳せるように天井を見上げた。


「……そんな世界もあったんだなぁ」

「君も元の世界に戻ったら、会いに行ってみれば?」

「いやあ、そっちじゃカンナは大学に進まなかったかもしれねえし、そうなったらもうどこにいるか分かんねえよ。それに小学校の頃だって大して仲良くなかったし、会えたとしても忘れられてそうだ」

「そうだっけ? 最後の方は結構喋ってなかった?」

「……あー、そっか。父の下に残ったお前は卒業まで一緒だったんだな」


 西川は机に突っ伏して、今度はげんなりとため息を吐く。


「はあ、やっぱあの時だよなぁ。あの時の選択が……」


 そんな彼の態度に、少し居心地が悪くなって窓の外へと視線を逃がす。

 言うべき言葉を探してみたが、耳障りの良い相槌の他には何も思いつかなかった。

 彼は僕の人生を羨んでいるように見える。でも、それは僕だって同じなんだ。


 ――以前、西川が高校時代の話をしてくれた事がある。

 友人たちとアルバイトに勤しんだ彼は、そうして貯めたお金でバイクの免許を取って、週末になるとその仲間たちと共に、激しい排気音を響かせながら山へ海へと二輪を走らせていたそうだ。

 そのバイクだって先輩から買ったものらしいが、事前にその人物の家に忍び入ってミラーやらの部品をいくつか盗み取っておき、何食わぬ顔で『どうせ修理しないといけないから安くしてくださいよ』と、格安で譲り受けたようだ。


『犯人探しに躍起になってたなぁ、バレたら絶対殺されてたわ』


 西川は懐かしげにそう語り、けらけらと笑っていた。

 憧れるどころか、むしろ蔑如するべき出来事。そのはずなのに、僕は微かな羨望を覚えたのだ。

 僕の人生は満たされているし、不満なんて一切ない。けれども、まるで違う人生を歩んできた自分を目の当たりにしたならば、どうしても考えてしまう。

 人生の節目、幾度の岐路。もしもどこかで違う道へと進んでいたならば、その先にどんな人生が待っていたのだろうか――と。


 ……無意味な事だ。

 そう心の内で吐き捨てて、机のカップを手に取り残りのコーヒーをぐいっと飲み干す。

 地に落ちた果樹はもう木の枝に戻れないように、あるいはこのコーヒーが再び種子の状態に返ることなど無いように、一度過ぎた時間は、二度と元には戻らない。

 未来が可能性によって語られるのなら、過去を定めるのは不可能性だ。

 今ここにいる僕は、やはり今ここにいる僕にしかなれなかったのだろう。

 不変の過去がある以上、選ばなかった道の先にいる、ありもしない自分を夢想するなんて無意味な事じゃないか。後に残るのは遣り切れない無情な思いだけなのだから。


 でも今、その『ありもしない自分』が目の前に現れてしまった。僕らは互いの人生に自己を見出して、異なる過去に思いを馳せた。もし自分がその人生を歩んだなら、どんな風景が見えるのだろうか、と。


「――君は、どうして僕の前に現れたんだ?」


 心に浮かんだ疑問をそのまま問い掛けると、彼はいつになく神妙な面持ちに立ち替わり、それから暫し僕を見澄ます。

 なにやら重苦しい空気が流れ、僕もなんらかの答えを期待したものの、やがて目線を外した彼は「さあな」の一言で返答を済ませた。


「――何か、理由があると思うんだよ」

「……理由?」

「そうだよ。こんな事、普通には起こり得ない。なら、何か特別な理由や意味があると考えるのが自然だ。それを探すことがきっと、君が元の世界に戻る手がかりに――」

「あのなぁ」


 西川は机に頬杖をつきながら、気だるげに僕の言葉を制し、続ける。


「理由も意味も、『在る』もんじゃなくて人が勝手に『作る』もんだよ。理解の及ばない事象や事柄にそれらしい答えを与えて納得した振りをしてんだ。んなことしても現状は何も変わりゃしねえさ」

「……君はもう、諦めたの? 元の世界に戻ることを……」

「いや……」


 西川は小さな声でそう漏らし、それから目を閉じて押し黙ってしまった。

 空間いっぱいに沈黙が伝わり、窓の外から時折聞こえるカラスの鳴き声が部屋の静寂をより一層際立たせる。


「――ねえ」

「……ん」


 不意に西川に呼びかけると、彼は瞼を閉じたまま、半分寝ているような間の抜けた声で返事をする。


「居るのかな。僕と君の他にも、色んな僕らが……」

「居るんじゃねえの……。選択の数だけ枝分かれして……その世界からも選択の度にまた広がって……。それこそ無数にな」


 欠伸交じりに答えた西川にとっては、あまり興味の無い事なのだろうか。

 それでも僕は、どこからか湧き上がる覚えの無い感情を赤裸々に語り掛ける、


「なんだか不思議な気持ちになってくるね。初めて君と対面した時には正直、嫌悪感を抱いたりもしたけれど……。今は色んな僕に会ってみたい思いがあるよ」

「はっ。俺ぁ御免だね。お前が最後であって欲しいぜ」


 その言葉は、先程のものよりも鮮明に発声された。そして、おもむろに体を起こして伸びをした西川が、僕の方へと向き直る。


「よう、今日のバイトも代わってやろうか?」

「いいよ。なんだか眠そうだし……。そもそも、昨日はちゃんとやってくれたの?」

「…………もちろんよ」

「なにかな? 今の間は……」

「まあ、悪気はなかったんだがなぁ」


 彼は腕を交差させストレッチを続けながら、へらへらと軽薄な笑みを浮かべる。……なんだか、無性に嫌な予感がした。


「おい、何かやらかしたなら早く言ってくれ」

「あー……。いや、もしバレたらその時に謝ろう」

「何かやったんだな……」

「あ、ほら旦那、もう時間でっせ」


 ……まったく、この男はこういうときばかりは調子のいいものだ。募る不安に急かされるまま、足早に玄関へと向かう。


「安心しろよ、業務は完璧にこなしたから」

「……じゃ、何をしでかしたのさ」

「いやあ、気まぐれに焦らせてみただけで、案外何もしてねえかもしれねえぜ?」


 背中からの声に振り向いて、眉間に皺を集め睨んでみるが、彼は相変わらずの軽薄さで他人事のように答えた。

 そのおどけるような口ぶりを不快に感じながら、ドアを開ける。それでも僕は、この時には大した危機感を抱いていなかったように思う。


 自分のいないところで人生が進む焦燥を、自分が知らぬところで日常が変化する恐怖を、愚かにも僕は、何一つ理解していなかったんだ――。


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