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ぼくらの平行世界間戦争  作者: 吉田玉石
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4.寂静


 ――日の入りの少し前、バイトまで少し時間があったため一度アパートに戻ってきた。

 鍵を開け中に入ると、玄関に彼の薄汚れたスニーカーを見つける。

 昨日は日付が変わる直前に帰ってきたが、今日は一日中家に居たのか。それとも、出かけたが既に帰宅しているのか。

 部屋に入ると、中央、机の傍に座る西川の姿があった。手元にはB4サイズの紙の束。その一枚一枚をめくりながら熱心に見ている。

 ――――ああ、最悪だ。


「おい、勝手に読まないでくれ」

「あれ? バイトは?」


 苛立ちを隠すことなく西川に近寄り、手元からそれを取り上げると、彼は悪びれる様子も無く、普段通りの気安い調子で返してくる。


「この後だよ。それより、これを見つけたって事は部屋の中を漁ったんだな。見つからない場所に置いておいたのに。まったく、少し信用したらこれだ」

「悪い悪い、真面目に育った『俺』でもエロ本の一つくらいは読むのかなってな。やましい雑誌の類は見つからなかったが、こんなもんが出てきて驚いたよ。お前、漫画家だったのか?」

「……志望だよ。これでも、小さな雑誌の賞を取ったことがあるんだ。担当編集だってついた。……まあ、あまりにも次の作品を書き上げてこないから、もう見限られちゃったけどね」


 あっけらかんとした彼の様子に、なんだか起こるのも馬鹿馬鹿しくなり、取り返した原稿をため息交じりに押し入れの棚へと戻す。


「すげえなぁ。俺ぁ絵はさっぱりなんで、うらやましい限りだぜ」

「そんな大層なものじゃないよ。君にも出来るようになるさ。なにしろ、僕が出来る事なんだから」

「……どうかねぇ」


 どこか辟易した様子でそう呟いた西川が、何やら考え込むような仕草を見せ、いくらかの間が開いた後に再び言葉を発する。


「――分からねえな。お前の通ってる大学ってまあまあいいとこだろ? 普通に卒業して、普通に就職すれば人並以上の暮らしが待ってるだろうに、なんで漫画家なんて目指すんだよ」

「……一応、夢だから。ただ、卒業までに芽が出なかったらきっぱりと諦める」

「なんだ、父親との約束か?」

「いや……。多分父さんは、就職せずに夢を追うことをも応援してくれるだろうね。だから言ってない。これは自分自身との約束なんだ」

「……へえ、立派な事で」

「――あの原稿さ、次の新人賞に出すつもりの作品なんだ。……どうだった?」

「正直に言っていいのか?」

「もちろん」

「よく分からんかった」

「だろうね。なにしろラスト五ページ分が丸々白紙なんだから」


 彼の率直な答えに少し苦笑する。未完結の読み切り作品など、誰に感想を聞いても同じような答えが返ってくるだけだろう。


「……描かないのか? 続き」

「描けないんだ。物語の終わらせ方が、分からなくて」

「でも前になんかの賞取ったんだろ? その時はちゃんとオチまで描けたんじゃねえの?」

「うん。当時は多分、描けたんだろうね。――子供の頃は今日より明日、明日より明後日と、当たり前のように成長していくものだと思ってた。けど……今はどうかな。毎日同じ場所をぐるぐると……。新たな知見や発想は得られずに、しかし僕の感性みたいなものは、どんどんと失われてる気がするんだ」


 そんな心の内を吐露すると、彼は呆れ果てたように大きなため息を吐いて、少しの侮蔑が感じられる眼で僕を見る。


「お前なぁ、俺たちゃまだギリギリ十代だぜ? 今からそんな事ぬかしてたら、二十代や三十代になったら一体どうなっちまうんだよ」

「だから、期限は卒業までなんだよ。……といっても、僕はもう、どこかで諦めてるのかもね。さっき言った新人賞だって、締め切りまで一週間を切ってるのに、一向にペンを持てないでいるんだ」


 そう言って自嘲してみせたが、彼は納得のいかない表情を浮かべるだけで、言葉は何も返さなかった。

 妙に湿っぽくなってしまった雰囲気に一抹の罪悪感を覚えつつ、ふと時計を見ると、時刻はそろそろ家を出ないといけない頃合いだった。


「じゃあ、僕はバイトに行くから。繰り返すようだけど、出かけるなら戸締りはきちんと――」

「いや、俺が行くわ」


 僕の言葉を遮り、西川がいきなりそんな事を言ってのける。そして、一瞬その言葉の意味が分からずに首を傾げた僕に向かって、語気を荒げながらこう続けるのだ。


「まずはお前にそんな夢があるとも知らず、我が物顔で居座って悪かったな。気が紛れて原稿作業をする気にもならなかっただろうよ。

 だがな、お前の方も逃げ道を探してた節はねえのか?

 バイトがあるから、勉強があるから、部屋に邪魔者がいるから、どうせ夢破れてもそれなりの人生を歩めるから……。

 俺には創作してる奴の苦しみなんか分からん。描きたいのに描けないってのがどんな感覚なのか想像も付かねえ。

 でもよ、さっきのお前、随分と苦しそうに笑ってたじゃねえか。そんで、そんな苦しみから逃れたいが為に、やらなくていい理由を探してんだ。違うか?」


 あまりの剣幕でまくし立てられ呆然と固まる僕を尻目に、彼はクローゼットの方へと早足で向かい、中から僕の服を取り出す。


「借りるぜ。バイトには俺が代わりに行ってやる。お前はこの部屋でペンを持つんだ」

「……そうは言っても、描けないんだよ」

「描かなくていい。むしろ、描こうなんて思うな。義務感やら強迫観念やらは捨て去れ。ぼーっとしててもいいし、ハナクソほじってても、広大な宇宙のことについて思案しててもいい。ともかく、描かなくていいから、今日はペン持って白紙の原稿用紙の前に座ってやがれ」


 手早く着替えを終え、玄関へと歩き出す西川の腕を、慌てて掴む。


「ちょっ、ちょっと待ってよ。君がバイトに? そんなの、部屋で待ってる僕は色々と心配で気が気じゃないよ」

「それも、ちゃんとペン握りながら心配しとけよ」

「えぇ……」

「なあに、安心しろよ。普通の居酒屋って言ってたな。俺も似たようなところでバイトした経験はある。業務内容は変わらねえだろうから、メニューと備品の場所さえ覚えれば何とかなるさ」

「僕が心配してるのは、職場の人間関係の方なんだけど……」

「極力喋らねえようにするさ。『今日友人が亡くなってしまいまして……』とかなんとか言っとけば、気を使って向こうからは話しかけてこねえだろ。ついでになんか業務上のミスをしても、辛い事があったからしょうがないなと許されること請け合いだぜ」


 西川がにやりと笑って、僕の手をゆっくりと解く。そして、足早に玄関に向かっていく彼の背中を、何故だか僕はこれ以上追うことは出来なかった。


「こっちはうまくやるから心配すんな。お前はまず、なんの雑念も持たずに原稿を広げてみろよ」


 そうして鍵を開けてドアを開くと同時に、一度振り返って気安い笑顔を向けた彼は、僕の靴を履いて颯爽と家を出て行った。



 ――その日は静かな夜だった。

 ちょうど時間が出来たしカンナに連絡でもしようかと思ったが、やめた。彼に言われた通りに原稿に向かってみることにする。

 この頃はずっと、漠然とした倦怠と焦燥を抱えながら変化の無い日々を過ごしていた。でも、この夜は何かが変わりそうな予感があったのだ。

 

 静かな夜だ。まるでこの部屋だけが雲の上を漂っているような、あるいは深海の底に座しているように思えるほど、静かで、侘しい夜。されど孤独や寂しさは感じずに、むしろ奇妙な安心感を覚えていた。


 何をするでもなく、ただぼんやりと真っ白な紙を見つめていると、不思議な事に、無性に何かを描きたくなってくる。こんな感情はいつ以来だろうか。


 それから僕は、様々なものを描いた。

 ありふれた学校の教室。神秘的な神殿。おどろおどろしい機械の怪物。蠱惑的な着物の女性……。

 どれも執筆中の作品とは無関係のものばかりだが、そんなことは気にならなかった。とにかく思いつくままにペンを走らせ、時間も忘れるほど熱中した。


 ――――ふと、唐突に鳴り響く携帯電話の着信音で我に返り、時計に目を向ける。いつの間にやら針は十一時を回っていた。


 こんな時間に誰だろうかと携帯を手に取ると、発信元は公衆電話。怪訝に思いながらも電話に出ると、電話口からは馴染みのある声が聞こえてくる。


『よう、起きてたか。バイトは今さっき終わったんだけどさ、今日は俺どっかテキトーに泊まってくるわ。一応、連絡な』


 西川は要件を伝えると、こちらの返答を待たずに、一方的に電話を切る。

 ここ三日間は当たり前のように部屋に居座っていたのだから、いまさら気を使うことはないだろうに。

 彼の言動を不器用な気遣いだと解釈すると、無意識に笑みが零れる。


 そして、新たな紙を取り出した僕は、再びペンを握って、おぼろな薄明が東の空に浮かぶ頃までずっとその余白を埋め続けたのだった。

 

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