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ぼくらの平行世界間戦争  作者: 吉田玉石
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2.僕にならなかった僕

話内で場面転換をするよりも一話一幕として書いているため、話によっては文字数に大きな差があります。何卒ご容赦ください……。


「まあ、入れよ。お前の部屋だ」


 事態が飲み込めず立ち尽くす僕に、まるで旧知の友に語り掛けるような気安い口調で男が言った。


「……そうだ、僕の部屋だ。なら、あんたは誰だ……? どうしてここに居る……」

「言っただろ? 俺はお前だ。こことは違う世界のな」

「違う世界……? どういう意味だ」

「言葉通りの意味だよ。ほら、さっさと入れ。俺達が話してるとこを誰かに見られちゃ面倒になるかもしれねえ」


 そう言って僕に伸ばしてきた手を、反射的に払う。


「部屋から出ろ。さもないと、警察を呼ぶぞ」


 語気を強め、敵意を見せる。何の悪夢だ、これは。同じ顔の人間が目の前に居るだけで、言いようのない嫌悪や恐怖を感じた。


「そりゃちょっとした問題になるだろうな。なんたって、この世界に俺の戸籍は無いんだから」


 男は余裕ある表情を崩さずに、自身のポケットから何かを取り出し、こちらに差し出してくる。

 見ると、運転免許証だった。記された生年月日は僕と同じ。名前は――。


「西川……亮?」


 下の名前は同じだ。だが、西川なんて苗字、まるで馴染みが無い。……無いはずだが、不思議と遠い昔にどこかで聞いたような気もしてくる。


「お前の名前は長岡亮だろ? 俺もかつてはそうだった。両親が離婚して、母親に引き取られるまではな」


 僕の心の内を見透かしたように、男が言う。……そうだ、西川とは母の旧姓だ。今はどこで何をしているのかも分からない母親の。


「……ああ、確かに、幼い時に両親は離婚した。だけど僕を引き取ったのは父さんだ」

「そうらしいな。俺が知る世界とは違う。つまり俺たちは、違う人生を歩んできた同じ人間だってことだ。……まあ、混乱するお前の気持ちも分かる。ただ、俺もいきなり違う世界に連れてこられて、他に行く場所が無いんだ」


 男は困ったような笑みを浮かべ、続ける。


「まあ、入れよ。通報するのは俺の話を聞いてからにしてくれ」

「…………分かった」


 理解も納得も出来ていないまま、男の言葉を聞き入れる。自分でも馬鹿げた行動だと思うが、この男をこのまま追い出す方が危険だと感じたのだ。


 狭い玄関で靴を脱ぎ、左右に風呂場とトイレがある廊下を抜け、引き戸を開く。

 部屋の間取りはワンルーム。外から見れば古臭くみすぼらしいアパートだが、内部は近年リフォームされており、奇麗で快適なものだった。広さは十分で日当たりも良好。住んでいる場所には不満を抱きつつあるが、物件自体は甚く気に入っている。

 部屋に入ると、まず辺りを見渡す。荒らされたような痕跡は無かったが、部屋の中央にあるローテーブルの上には、空になったコンビニ弁当や色の付いた飲料が入ったペットボトルが乱雑に置かれていた。


「……随分と寛いでいたみたいじゃないか」

「ああ、悪い悪い」


 僕の後に続いて部屋に入ってきた男が、机上のゴミを傍らにあったビニール袋に慌てて入れ込んで、


「放置してたわけじゃねえぞ、ちょうど食べ終わったところだったんだ」


 言い訳がましい言葉を述べながら、袋の口を縛る。

 そんな男の姿を電気の付いた部屋で改めて観察すると、僕とは違うところもいくつか見つかる。

 僕は暗めの茶髪に染めているのに対し、男は黒の短髪。身長は同程度だが体つきは向こうの方がややがっしりとしているようだった。口調や言葉遣いも違う。

 顔が同じだけで、誰かが僕達と別々に会ったのなら、全く異なる印象を受けるはずだ。


「さあ、説明してくれ。違う世界ってどういうことだ」


 背負っていたリュックを床に置き、ベッドに腰掛けながら問うと、男も同様に机の脇にある座椅子に腰を下ろす。


「なんだ、一応信じてくれてんのか? この世界の俺は純粋で優しそうだな」

「……そういうあんたは粗野でいい加減な人に見える。とても僕とは思えないな」

「お前が俺の経験した人生を辿ってたらこうなるさ。逆に、俺もあの穏やかな父親の下で育っていれば、お前みたいになったんだろうな」

「……本当にあんたがどこかの世界の僕だとして、何でここに居るんだ」

「原因は俺も分からねえ。だからまあ、俺の身に起こった事をそのまま話すぜ」


 男はそう前置きして、ペットボトルに入った飲料を一気に飲み干すと、事のあらましを語り始める。


「さっきも言った通り、両親の離婚後、俺は母に引き取られ、静岡の片田舎で育った」

「静岡?」

「ああ、母の実家だ。まだ両親が夫婦だったころに何度か行ったことがあるだろ? そこからはお前と全く違う人生を歩んできたと思うが……、まあ長くなるんで割愛するぞ。高校卒業と同時にその家を出た俺は、就職先の社宅に一年住んだ後、入社二年目となる今年の春先に自分の借りたアパートに引っ越した。そして昨日――」


 男はそこで一度言葉を切り、再びペットボトルを手に取るが、もう残りが無い事を思い出すと、眉間に皺を集めつつその場に置いた。


「……お茶で良ければ冷蔵庫にあるけど」


 仕方なく部屋の入り口、引き戸の付近にある冷蔵庫を指差してこう言うと、男の顔に笑みが浮かぶ。


「はっ、やっぱり俺とは思えねえほど優しいじゃねえか。ありがたく頂くわ」


 数歩歩いて冷蔵庫を開けた男が蓋の開かれていないペットボトルのお茶を見つけ、確認するようにこちらにかざしてくる。俺が頷くと、それを開けて勢い良く飲み始めた。嚥下音がここまで聞こえてくるほどだ。


「ふぅ、それじゃあ続けるぞ。あー、どこまで話したか……」

「昨日がどうとか」

「そう! 昨日だ。それまで何してたのかあんまし覚えてねえが……、とにかく、気付いたら世界が別物に変わってたんだよ」


 男は事の重大さを、大げさな手ぶりを交えながら説明する。


「アパートの鍵を開けるとな、中はもぬけの殻になってやがったんだ。家具も私物も、うっかりつけた床の傷に至るまで全て消え去ってて、入居希望者が居たら今すぐにでも内見のご案内が出来ますよってくらい、誰の痕跡も見当たらなかった」

「……それが本当なら、一大事だな」

「一大事なんてもんじゃねえよ。まさしく天変地異だぜ。管理会社か大家に電話しようと思ったら、携帯もねえんだ。持ち物は財布だけ。駐車場を見ても俺の車は無くなってるし、コンビニのATⅯを操作したら俺の口座も存在しねえし、マジで途方に暮れたぜ」


 話の内容とは裏腹に、男の表情や口調は明るいものであった。きっと、状況が違えば、明朗で快活な人物という印象を受けたのだろうが、今の僕には、詐欺師が相手の懐に取り入るために薄っぺらい笑みを浮かべているように見えてしょうがなかった。


「――それでだ、とりあえず公衆電話から勤務先に連絡したんだよ。だが俺の名を告げても、そんな社員はいないとかぬかしやがる。番号を覚えていた友人にも手当たり次第に掛けたが、似たような反応だった。次に実家に掛けた。祖父母は既に他界しててな、俺が家を出てからは母が一人で暮らしてるはずだった。けど、電話を取ったのは……死んだはずの祖母だったんだ」


 それまで熱を込めて出来事を語っていた男の声色が、低く、哀愁を帯びたものへと立ち替わる。


「……驚きながらも話してみたが、どうにも話が嚙み合わない。どうやら祖母の中では、俺と最後に会ったのは両親が離婚する前で、その後俺は父に引き取られたことになっているようだった。母の事を聞いてみると、もうずっと前に再婚していて、今もその新しい家族と共に暮らしているそうだ」


 男は遠い目をしながら『母の連絡先も聞いてみたが、教えてはくれなかったな』と付け加えると、手元のお茶に口をつける。そうして再びこちらに向き直った時には、先ほどまでの明るい調子に戻っていた。


「ほら、一瞬にして家族も友人も、家も職も貯金も失ったんだぜ、酷い話だろ? 少しでも同情したなら、せめて一宿一飯くらいは許してくれよ」


 男に人懐こい笑顔を向けられ、いくらか辟易する。このように初対面でも気安く接してくるタイプは苦手だった。それが自分と同じ顔をしているならなおさらだろう。


「……いや、まだ聞いてない事がある。元の世界で静岡に住んでいたなら、なんでこの世界の僕の住居が分かったんだ」

「ああ、そりゃ父から聞いたんだよ。何もかもが違う世界。気が付けば俺は、かつて家族三人で暮らしていた川崎の家に向かってたんだ。父さんは何も言わずに迎え入れてくれたぜ。俺にとっちゃ十年ぶりの対面だが、元気そうで良かった」


 続けて男は、無駄に抑揚をつけたり、身振り手振りを交えながらその後の出来事を長々と語った。

 要約すると、つまりはこういう事らしい。財布と鍵を無くしたという嘘を盾に、この男は昨日父の家に泊まった。そこでこのアパートの住所を聞き出し、さらには当面の生活資金として大金も貰ったそうだ。

 そして今日、父の出社と共に家を出て、日中は家庭環境以外にも男が来た世界と違う点が無いかを調べており、このアパートに来たのはほんの少し前だったようだ。


「……いや、どうやって入ったのさ」

「部屋の前でうろうろしてたら泥棒と間違えられて、大家がやって来たんだよ。隣の一軒家に住んでるんだってな。で、鍵無くしたって言ったら合鍵くれた」

「……僕は今、震えてるよ。なんせ、他人が僕を騙ったことで金を得て、住居を得て……、健康保険証、つまりは身分まで得ようとしてるんだから」


 父からのメッセージ画面を見せながら男を睨むと、慌てた様子でそれを否定する。


「そりゃ全部成り行きでそうなっちまったんだって。財布無くしたっつったら、じゃあお金あげる、保険証も再発行するって言われてさぁ。状況への整合性をとるために父さんには他にも色々とテキトーなこと言っちゃったから、今後も覚えの無い事言われるかも――」

「父さんって呼ぶな。あんたの父じゃない、僕の父だ」

「……なあ、頼むよ。他に行く場所が無いんだ」


 打って変わってしおらしい様子で男が僕を見つめる。

 少しの静寂。同じ顔をした者と目を合わせていると、なんだか気がおかしくなりそうですぐ目を逸らす。


「……こんなこと言うのもどうかと思うけどさぁ、ここを追い出されたらもう、頼れるとこが無いんだよ。戸籍が無いから職にも就けず、生きるためには犯罪に手を染めるしか方法が無くなっちまう。その結果同じ顔のお前が捕まったら、俺だって忍びねえさ」

「……脅してるのか?」

「可能性の話だ。俺だって別にずっとここに居るわけじゃない。絶対に元の世界に帰ってみせる。それまでの間だけ、どうか――」

「おい、止せって」


 男が腰を九十度に曲げ頭を下げたので、慌ててそれを止めさせる。ついさっきまでは怒りや嫌悪があったというのに、こんな行動一つで同情を抱き始めているのだから、僕も大概お人好しなのだろう。


「――頼む」

「……分かったよ。けど、変な事したらすぐに追い出すぞ」


 結局は根負けする形で男の滞在を許可してしまう。

 こうして、もう一人の自分との奇妙な共同生活が始まったのだった。


 深々と下げられた頭の下に、彼がどんな表情を浮かべていたのかなど、僕には知る由も無かった。

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