85話
ミトスツリーの上層。大樹が広げた空間のひとつは、里全体を見渡せる執務室となっている。上層に顔パスできるのは、殆どがハイエルフかその血筋の者だけだ。普段は静かに雑事をこなす場ではあるのだが、今日だけは騒然としていた。
「サリヴォル様!」
ノックもせずに部屋へ駆けつけた兵士は、全力で走ってきたのか息づかいが荒い。サリヴォルは机にペンを置いて立ち上がった。
「なんだ…騒々しい」
「も、申し訳ございません。サリヴォル様…緊急事態故ご容赦下さい。大樹の結界が、消えました」
「なんだと…!?どういうことだ」
「く、詳しくはまだ調べている所ですので…結界が消えてしまった関係か、ミトスツリーの中でも魔法の発動が容易になってしまって…このように」
兵士が人差し指をたてるとそこから小さな火が灯る。通常、この樹の近くではまともな魔法が発現しない。これは樹が魔力を集めているからと言われているが、それが正常に機能せず結界まで発動しないとなると、大樹そのものに何かがあったか、外部から魔力をかき乱す何かが行われたとサリヴォルは考察する。
「魔力の集束が安定して発現しているな。私が天井の間で調べてみよう」
そこへ、新たな兵士が慌ただしく報告にやってきた。
「お、お取り込み中失礼いたします!」
「次から次と、今日は何なんだ」
「す、すみません。ですが遠方よりゴブリンとオークと思わしき軍勢がこちらの方角に向かってきます!」
「なんだと…!このタイミングで、か…。エルフを統括する者として、戦わねばなるまい。…まずは非戦闘員をミトスツリーまで避難させろ。戦闘員は私と一緒に進行方向に展開、時間の許す限り防御壁の魔法でバリケードを張っておけ。絶対に里に入れるな」
「承知しました!」
結界があれば、一方的に遠距離系の魔法で迎撃ができるが、このタイミングで結界破りされたということは襲撃は計画性のあるものだ。
「よりによって迎撃し辛い、体格の小さいゴブリンが攻めてくるとは…」
「…どうやら、アタシの出番のようだネ!」
長く青い髪に、魔法のローブを着用して錬金ポーチを腰に引っ提げたサリーが立っている。手には信じられないほど独特なデザインをした杖を持っている。
「サリエル…!部屋からどうやって抜け出した!それにその杖はなんだ。見苦しいぞ!」
「魔法が使えるようになってたかラ、魔法でドアを壊しタ!そしてこの杖は見苦しくなんてないヨ!ここの竜の部分が、最高に格好イイ!サトルとの思い出のひとつだヨ!これでアタシがこのピンチを救ってあげルってわケ!」
「えぇい、ダメだ!お前は戦いが終わるまで安全な部屋にも引っ込んでろ!怪我でもしたらどうするんだ!」
サリヴォルはサリーが持っている杖の、竜がとぐろを巻いている装飾部分を引っ張って、武器を取り上げようとする。
「アァ!?取れるゥ~!?やめテ!一番大事な部分なのニ!?」
杖の引っ張り合いをしている姿を見て、兵士たちは顔を見合わせるが、緊急事態なのですぐに我に返った。
「…っは!サリヴォル様!すぐに指揮をお願いします!」
「…そうであった。はぁ……良いな、サリエル…大人しくしていなさい。子供だろう」
「もう大人だヨ!オヤジのアホ!分からず屋!いいもん、勝手にするかラ」
兵士の報告を聞きながら、サリーの罵声を無視し背を向けて執務室から出ていくサリヴォル。サリーはそんな父の姿にも不満を感じる。サリーが執務室から外の様子を見ると、既にゴブリンたちは里周辺までやってきていた。
「アワワワ…すぐに皆を助けなきャ…」
サリーも、大樹から降りるためにサリヴォルの後に続く。
* * *
森の魔物を操る元凶と思わしきハグの討伐に成功した俺たちは、墓に最低限の修繕をほどこし、ミトスツリーの里裏口付近まで戻ってきていた。帰り道もチャーオスが案内してくれたから、特に迷うこともなく、トリエントたちが暴れることも無くなっていた。ところが、里の裏口に警備の兵が居ない。それに何だか騒がしい気がする。
「…何かあったのですか?」
チャーオスが裏口から里に入る境界線に立ったとき、険しい表情をつくった。
「サトルさん、結界が…消えています」
「なんだって…!?」
チャーオスに続いて里に入るが、里を出るときにあった頭がクラっとするような感覚が一切ない。
「確かに…これは、よくあることなのですか?」
「いいえ、少なくともぼくが生きてきている間で、エルフ狩りが行われた時以外は一度も。そのときに使われた結界破りの類である可能性があります!」
「…すると、今里にその類の輩が襲撃しているということ?言葉から察するに、見過ごせない悪事ですが」
「わかりません…ですが、すみません。お疲れのところ、申し訳ないのですが…もう少しだけ力を貸していただけませんか?」
「無論です。カルミアさん、イミスさんも大丈夫かい?」
「…問題ない。サトルを守るのは任せて」
「ウチも大丈夫!むしろ、さっきより調子が良いくらいだよ!」
「ありがとう!じゃあ、行こうか」




