完結編 39話
「我の意識…が途絶えている…。実りが壊れている。ドライアドから悪意が消えている。これは、これは、これでは台無しだ。修理する必要がある」
老人の男は、訳の分からない言葉をつぶやきながら、指先からおぞましい悪意の塊を生み出し、ドライアドに向けて放った。老人の腕は、その反動で使い物にならなくなる。
イミスはドライアドの前に立ち、盾を構えて魔術を防御する。
「よくわかんないけど、サトルがドライアドと会話中なんだから邪魔しないでよねっ!」
イミスが弾いた毒々しい悪意の塊は、近くの地面に接触するとその地を黒く染めた。
老人はため息をついて、上がらなくなった腕を見つめる。
「その魔術を弾くとは…所有物が負けたのも、納得だ。そして、この体も、もうダメだな。つ、つ、つ、使い物にならなくなってきている」
(この体…?体を操っているのか?…ネクロマンサーの類か?)
「お前は何なんだ。ドライアドと何の関係がある。お前は呪術の系統か?…お前は一体何なんだ」
ようやくこちらへ注意を向けた老人は笑って見せた。
「ひひひ。ひひ。……呪術?そんなものと同じにしないでくれ。私は……わ、わ、わ、我は…」
老人はその言葉を最後に、突然と倒れる。
暫くの静寂が続くと、老人の背中がもごもごとうごめき始め、まるで殻を破る昆虫のように、人の姿を破り、その禍々しい姿を徐々に現した。
「みんな…!警戒して…!こいつはただの男じゃない…いや、人間じゃ…ない!!」
老人だったものから浮かび上がった黒く、禍々しい球体
それは徐々に肥大化し、見上げるほど大きくなっていく。
ドライアドは震え、とうとう頭を抱えてしまった。
「森よ…サトルさま…お助けください……私の哀れな選択をお許しください……」
(ドライアドの様子は心配だが、今はこいつに集中しよう。明らかに友好的じゃない)
肥大化した球体は、グロテスクだ。人の皮膚で形成されたような球状の体に、人や動物といったあらゆる生命体の眼球が敷き詰められている。その隙間から、触手のようなものを無数に垂らし、そこから液体を落とし続けていた。液体に触れた地面は黒く変色し、付近に咲いていた花は一瞬で枯れてしまう。
肉塊は形を安定させると、脳を直接響かせるような、複数の人が同時に話すような錯覚を覚える音を、まるで声のように発した。どのようにして発せられているのかも不明だ。
球体の中心をぐちゃりと歪ませ、くぼみを作ると音を発した。
「我を……人間と同列に語るなどおこがましい……我が名は存在を凌駕し、あらゆる時代において、数多の名前で呼ばれる。矮小な言語体系では、そもそも定義することすら不可能だ」
ドライアドは頭を抱え「ネヴァーイーター、もうおしまいです」と繰り返し呟いている。おそらく奴の呼称だ。
(永遠を喰らうものか……)
「ネヴァー・イーター。と言わせてもらう。お前からは一切の神性が感じられない。悪魔の一種だろう」
アイリスが切っ先をグロテスクな塊に向ける。肉塊は笑いを表現するつもりか、体を震わせて見せた。
「愚かな者どもが、我をそう呼ぶ。」
(否定はしない…まぁ今はいい)
俺はドライアドの肩を支えてあげた。
「その悪魔如きが何の用?」
カルミアは戦意を失っていない。刀を肉塊に向けて、自らの体に雷を纏う。
「我が食料と成す器を穢すなど、到底許される行為ではない。魔の奔流が滞る。故に、その器をこちらに差し出せ。それは我と契約した道具」
触手の一つをドライアドに向ける。
「契約…?」
彼女に目を向けると、彼女は頭を抱えながらも、白状するように答えた。
「それは……悪意の塊です。私は…悪意を星の外から呼び出す、禁忌の舞いを捧げたのです」
「どういうこと?」
ドライアドは恐怖をこらえながらも、誠実に答える。
「悪魔は…その代償を払うことで、永遠に不合理な契約を結ばせる者です。……それでも、それでも私は、森を守りたかった。だから、力を願ったのです。森全てを操る力と、奇跡の実りを宿り木に授かった私は、引き換えに、人が生み出す悪意と命を捧げ続けると誓いました……」
「その儀式で呼ばれた悪魔が、このネヴァー・イーターってわけか」
肉塊は、ドライアドの苦悶の表情を舐めとるように様々な眼で見つめ、体を震わせる。
「失意…絶望…後悔……美味だ。だが足りない。器を、差し出せ」
こいつは、スターリム、フォマティクス、そしてドライアドまでも使って悪意を循環させ続けてきたんだ。
それがどれほどの期間、どれほどの星の間で行われたのか知る由もない。
正直、恐怖でどうにかなってしまいそうだが、俺は俺ができることを最大限やるだけだ。
それが人外の、生死を分かつ選択であったとしてもだ。
「……断る」




