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完結編 35話 決意


 「サトルさま…お待ちしておりました」


 森全体が静まり返る。そして、どこからともなく、あの声が響いた。


 やがて、森の主とも思える大樹の中から、幹を分離するような音と共に姿を現した。今までのような、アストラル体のような投影ではなく、実物だと思われる。彼女はここから、俺たちとコンタクトを取り続けていたのかもしれない。


 ドライアドは木の葉が擦れるような、悲しみの籠った声を絞り出す。


 「サトルさま…とても残念です。私はあなたに生きていてほしかった。だからこそ、去ってほしかった。ですが、ここまでたどり着いてしまった。拒絶の意を込めた胞子の守りをものともせず、貴方たちは私の住処に土足で踏み入った。あなたは統治者として大人しく町を取り壊し、人々を連れてこの地を去るべきであった。我々と関わるべきではなかった。……ですが、すべては仮定の話で、もう……後には戻れません…」


 彼女が手を風に乗せるように動かすと、俺たちの退路を塞ぐように、無数のシャンブリング・マウンドが集い始める。


 (道中に現れなかったのは、ここで逃がさないようにするためと、小出しにせずに戦力を集中させて確実に殺すためか…そして、ドライアドは宿り木である大樹に近ければ近いほど力を増す…)


 状況を分析しつつ、仲間に爆弾投擲の準備を合図し、慎重に言葉を選び取って彼女に尋ねる。


 「……君に尋ねたいことはたくさんある。言葉を重ねても、結局のところ戦う運命は変えられないのかもしれない。俺は、ここに来るまでに、君に使うべき武器よりも、君と交し合う言葉を考え続けていた。どうすれば分かり合えるか、譲歩できる案はあるか。君が助けてくれたことがあったように、俺も君を助けたいと思ったから」


 ドライアドの目が閉じられる。俺はそのまま続けた。


 「だけど、この道中に至る今にまで、その手は払われるばかりだった。君は誠実にしているつもりかもしれないが、誠実は攻撃の上には絶対に成り立たないものだ……どうか、聞いてほしい。君が使った疫病は俺たち人にとっては脅威だ。であれば、俺たちと君たちの問題で済むだろうさ。君と俺との遺恨でも済む。でも、今目の前にある『悪意』の実は生きとし生ける者全ての脅威なんだ。こうなっては、もう俺たちだけの問題にしておけないんだよ。ドライアドさん……教えてくれ。君の宿り木である実には『悪意』が実っている。俺たちはその実に宿る危険性を知っているし、それがどれほどの命を奪う代物であるかを知っている。そんなものの塊が、なぜ大量に、君の住処に実っているのかが知りたいんだ。」


 長い沈黙の後、ドライアドの声に悲しみが込められる。

 

 「……いいでしょう。これから死に逝くもの。せめてもの償いとして、伝えておくべきでしょうから」


 そして、枯れ葉が風にさらわれるような虚しさで続けた。


 「少し、昔話をしましょうか。…………あなたも知っているように、私は普通のドライアド…でした。森を愛する魔物で、その力は一般的な魔物と大差ないものでした。少なくとも、昔までは。……今からずっと昔、仲間たちと森で歌い実りを神に捧げていた頃の話です。人々が我々の森の中で集落を作りました。私たちは新たな生命の誕生と森に感謝しました。ですが、それも最初だけでした。村はやがて町へ、そして国となり、人々は木々をなぎ倒し、領土を広げ続け、争いを始めました。争いの火は残りの森にまで至り、あらゆる自然の資源が奪われ、そして無慈悲な戦火が、私たちの同胞を焼いていったのです」


 「…」


 「それでも、我々ドライアドは根気よく人々との『共存』の道を探り、この大陸において最も大きく育ったスターリムとフォマティクス両国に、これ以上森を侵さないように伝え続けました。しかし、私たちの言葉が届くことはなかった。何十年、何百年もの間、両国はくだらぬ諍いを続け、尤もらしい理由を携えて、森から資源を奪い続ける。私たちの家から、物を奪い続けるのです。サトルさま、あなたが同じ立場に立たれていたら、どう思われましたか」


 「……恨んだだろうね。だが聞いてほしい、俺が統治者であれば、君たちの意見を無視なんかしなかった。君とだって分かり合えるはずなんだよ」


 ドライアドが俺の答えに頷く。


 「野暮な理屈を立てる前に正直に、そして率直に答えていただき、感謝します。そして、あなたの温かい言葉にも。だからこそ、私はあなたを好ましく感じている……あなたは理想を体現する力と優しさを合わせ持っている。少なくとも、生きている間は。……話を戻しましょう。今まで、サトルさまのような共存を望む統治者が一人も現れなかったわけではありません。ですが、弱者の声に耳を貸すものは、往々にして人の圧制者から爪弾きにされるものなのです。何故か?種の存続に不都合だからです。町や国を育てる上で、私たちのような魔物は、領土の拡張、そして戦争の資源獲得において、邪魔だったんです。そういった共存を望む人が、守べき人たちからどんな扱いを受け、どういう末路を辿るか、一つひとつの具体的な事例を申し上げる必要もないでしょう。過程はどうあれ、結果は同じだからです」


 「そんな……」


 「私は我慢しました。同法が焼かれていくさまを。……私は我慢しました。資源が奪われていく様子を泣き叫んで。……私は我慢するしかなかった。なすすべなく全てを奪われることを。……そう、ただ、そのままに見ているしかなかった。泣き叫ぼうが、神に祈りを届けようが、平和的解決方法という、加害者にとって耳障りの良い言葉では解決には至らなかった。あえて言えば、弱かった私が、一番の悪だった。我々、生命体の本質は、弱肉強食であると、環境が、状況が、全てが物語っていたのです。守るべきものを守るために、強くなりたいと願うことに、何の問題がありましょう」


 「俺たちは分かり合えるはずだ」


 ドライアドはクスクスと無邪気に笑ってみせる。


 「フフ……少なくとも、そうですね。私は、あなたとは分かり合えるはずです。その言葉は間違っていない。あなたの善意も、決して無責任なものではなく、本物だと思います。それなら問いたい。あなたが天寿を全うし、神の元に仕えることを許されたとき、この地に残された人たちの行動を、あなたは責任をもって制限して統治することはできますか?あなたの子がそれを成しても、何代も続けられる保証はどこにありますか?親族の考えが変わらないと言えますか?人の寿命は魔法で強化したところで百年前後。我々は森が生き続ける限り、害されない限りは永遠に生き長らえます。我々にしてみれば、その決意は森の明易あけやすのようなもの」


 「だから、人との共存の道を諦めたのか?そんな『悪意』に屈したと?」


 俺の言葉にゆっくり頷くドライアド。その眼差しの覚悟はあまりにも重い。


 「人は過ちを繰り返す生き物です。私は、同胞からその言葉を風で受け取ったとき、疑問を覚えました。過ちであれば正せばいい。風化しないように様々な方法で伝え続けていけばいいと。共存を諦める理由にはならないと。……ですが、その考えこそが真の過ちだったのです」


 「どういうことだ?」


 「人と私たちで初めて森林守護協定が結ばれた五十年後、人々によってそれは破られました。その数年後、過ちを是正した人が現れ、協定を結びました。その二百年後、人々によって破られました。その数年後、過ちを是正した人が現れ、協定を結びました。またそれも、人々によって破られました。そんなことをずっと繰り返してきたのです。何をしても、結果は変わりません。」


 「それは―」


 「何故か?経験していないからです。当事者とならない限り、人は失敗を自ら踏み抜き、繰り返すからです。痛い思いをして、初めて『本当の意味で』学ぶからです。そして、その貴重な経験を持ったまま、死んでいきます。皮肉なことに、有能な人間ほどすぐに死にました。『無知で無垢』な新たな命を残して。………やがて国が大きくなるにつれて、森は蹂躙されるだけの資源と化しました。……サトル様、私から見れば、あなたはその大きな循環のひとつでしかありません。いかに優れた記録も、記憶には及ばないのです。無垢な人間はとりわけ自分以外に興味を持つことなどありません。記録が記憶になるには、『悲劇』を生み出し『わざわざ』自らの身によって引き起こし、当事者になるしかないということです。あなたが今までのどの統治者よりも力を持っているのは確かでしょう。ですが、それだけの話なのです。根本的な解決には至りません。失敗を糧に人間の知が本当の意味で完成されるというのであれば、その間で犠牲になった者が救われることはありません。正しく、犠牲者です。」


 ドライアドは長く生き続けるにつれて、人そのものに失望してしまったのかもしれない。もう歩み寄りができないほどに。


 ならば、俺にコンタクトを取った理由が分からない。


 「君は俺に統治者となるように助言をくれただろう。森に危害が及ぶ可能性があるなら、そもそも人を近づけることをしないはずだ。君が共存を望まないのであれば、俺にコンタクトをとった理由はなんだ?」


 ドライアドはクスクス笑い、当然のように答えた。


 「繰り返させるためです。人間どもが大好きな滅亡と繁栄を。貴方の先代も数えきれないほどいて、場所は違えどスターリムとフォマティクスを争わせ続けました。貴方はその役割に選ばれた一人。ただ、予想を超えてサトル様の元、町は発展してしまった。これは私の失態です。もっと早く、収穫を行い、衰退させるべきでした。このままでは、また森が焼かれてしまいますから」


 「ドライアドさん…君はそうやって、幾星霜もの間、人を害し続けてきたんだね……人が、君たちを害するように」


 俺の問いに頷く。


 「そうです。人々に不毛な争いを続けさせることが、森が完全に失われることを防ぐ、私ができる最善策であったから。私が『特別』な力に目覚めたのも、この奇跡の実りのお陰。あなたがいう『悪意』がなんであれ、それは人という悪よりもずっと良いものでしょう」


 ドライアドは手をかざす。


 森がざわめき、実りが二つ、彼女の手元にゆっくりと降りてきた。


 邪悪なる実は姿を変え、二振りの剣と成す。まるでアーティファクトのような強大な力だ。


 「奇跡の実りは、人の世に降り、姿形を変え、諍いを促す。あなたもその循環のひとつ」


 剣の切っ先を俺たちに向け、彼女は決意を放った。


 「サトル様、あなたに恨みはありません。人間に恨みがあるだけなのです」


 俺たちが武器を構えると同時に、ドライアドは駆ける。


 その言葉を皮切りに、シャンブリング・マウンドたちも一斉に動き出した。


 

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