完結編 34話
ドライアド討伐へ向けた準備も整い、アイリスを加えたフルメンバーで再突入を決行。今日がその当日である。イミスとガルダインがギリギリまで時間を使って調整してくれた新兵器も全員分用意でき、準備も万端だ。ちなみに追加武装は今回の相手に特化したものとなっている。
まずは、胞子対策用の装備。これはサリーが用意してくれていた鳥マスクを参考に小型化したもので、薬効のある草をマスク内部へ詰め込む代わり、凝縮した液状に何日か漬け込んだ特性の布を用いた。視認性を確保しつつも激しい動きにも耐えられるようにするため、改良前よりずっとマスクらしいフォルムになっている。
「うっ…この臭さ、姉さん何とかならなかったの?」
フォノスが顔をしかめながら呟く。
「な、慣れればどうにか……うっ!」
俺もマスクを着用するが、あまりの臭さにめまいがした。
対胞子対策としては高機能だ。唯一のデメリットは布が臭すぎて、鼻呼吸をした途端、頭を殴られたような衝撃的な臭いに襲われる点。長時間の着用は気分が悪くなること間違いなし。だが命には代えられない。
「そんなにヒドいかナ?」
サリーは平然と着用できているのが不思議だ。普段から薬草に囲まれた生活を送っているためだろうか?薬草の独特な香りに対して、ある程度の耐性ができているのかもしれない。
「ウチが調整した爆弾も全員分配るよ」
イミスは、こぶし程度の大きさをした球状のアイテムを配っていく。
サブウェポンとして、対植物型モンスター対策用の爆弾をいくつか作成してもらった完成品だろう。一週間ほど時間がかかったのはこの新型爆弾を完成させるためだ。サリーが患者に使用することを躊躇った除草剤を大量に使用しており、投擲、着弾の衝撃で爆発する。爆破の衝撃で周囲にサリーの特性除草剤が大量に散布される仕組みだ。耐久力と数が厄介なシャンブリング・マウンドなどに効果が期待できる。相手は人に寄生していない魔物なので、薬も遠慮なく強度を上げられる。
爆弾の威力に関しては間違いない。試験中、患者から切除した蝕緑症の残骸にこの除草剤を一滴垂らしたところ、いやな臭いと煙を立て、瞬く間に縮んで溶けて消えてしまった。これが大量に散布されれば、いかにあの並外れた再生力を持つ植物であっても、ひとたまりもないはずだ……患者に直接使う気になれないほどの凶悪っぷりである。ヒドロヒドラ火炎草という材料を使っており、サリーが調合すると色々遠慮なく溶かしてしまうものが完成する。
(取り扱いには注意が必要だな…)
受け取った小型爆弾を慎重にポーチへしまい、全員の準備が整ったのを確認して森に入った。
* *
やや過剰ではあるものの、新武装を着用したフルメンバーで森に入ると、すぐに異変に気が付いた。以前と違い、入口付近から隠す気のないほど胞子と瘴気が強く漂っているのだ。
「見てくれ…この植物の変化」
俺が指さした先には、人の背丈ほどもある巨大なキノコが、そこかしこに不気味な影を落としている。その傘からは、絶え間なく薄緑色の胞子が噴き出し、空気を淀ませていた。ほんの少し、デオスフィアから感じ取れる悪意のようなオーラを纏っている。
俺たちの行く手を阻むためか、それとも町への感染力を高めるためか、いずれにしても放置はできない。
カルミアが一番近くの胞子キノコを斬り飛ばした。キノコは地面から大部分が離れると派手に四散する。まるで、最後まで胞子を振りまくことを諦めない断末魔のよう。
カルミアもたまらず、すぐに距離をとって眉をひそめる。
「はぁ…感染源であることを隠しもしなくなったわね」
フォノスが他のキノコにナイフを投げ、腐らせる。マスクのヒモをきつく結びなおしながらこもった声で答えた。
「僕にはドライアドが開き直っているようにも感じる。ここまで来たら一人でも多く感染させることしか考えなくなったとか」
その言葉は、決して楽観を許さない現実を突きつけていた。
(ドライアドは結局、対立を選んだ。そうする他なかったのか…?)
キノコを見つけ次第、駆除をしつつ進み続けて暫く経過するが、不自然なほど静かだ。
「妙だな…森に入った途端、シャンブリング・マウンドたちが群れて襲ってくるものだと思っていたけれど…」
俺たちが森に足を踏み入れてからというもの、魔物に一度も遭遇していない。
アイリスは周囲を警戒しながらも「一度だまし討ちのようなことをされたのだろう。油断するなよ」と促す。
「そうだね。とにかく、キノコを除去しながら胞子の影響が強くなっている方角に行こう。きっとそこが感染源を振りまく中核だ」
ゆっくりと森の奥へと歩みを進める。踏みしめた落ち葉や枝が折れる音が不気味に響く。
* *
視認性が悪くなるほどの胞子と瘴気に包まれてきた。
悪臭と戦いながら、どこまで進んだだろう。不意に、視界が開けた。
「これは…」
そこには、神樹を思わせるほどの巨木が鎮座していたのだ。それを称えるように、周囲の植物は一定の距離をとって自生しているように見える。
巨木は見上げるのが困難なほどの規模で、どこかサリーの故郷を思わせた。さすがにあれほどの(雲を突き抜けるほど)巨大さではないが、ここが森の中核で間違いなさそうだ。だが、巨木からは生命力が感じられない。木の根から葉に至るにつれて、浅黒く変色している。
まるで死を思わせるような、黒だ。
カルミアが「サトル、あれ」と指した先には、巨木が実らせた果実のようなものが、かろうじて見える。
それが果実であれば、どれほど良かったか。目を凝らし、焦点が合った瞬間に肌で感じ取った。それが悪しき物質であることは明確だった。
「この感じ…この悪意…間違いない。デオスフィアだ……」
森の主とも思える巨木へ無数に宿っていたのは、漆黒の実。遠くからでも感じ取れるほどに悪意を振りまき塗り固めたかのような、見ているだけで肌の逆立つおぞましき物質だった。
見間違えるはずがない。物質の形状は大きな木の実だが、物質の本質はデオスフィアか、それに準じる何かで間違いない。
「あの大木からデオスフィアと同質のものが実っている…だと?」
アイリスが不可解なものを見る目で巨木を睨みつけ、得物に手をやる。その時―
「サトルさま…お待ちしておりました」
風が止まった。森全体が静まり返る。そして、どこからともなく、あの声が響いた。
ドライアド。その声は、以前よりも力強く、そしてどこか悲しげに響いた。