完結編 33話
サトルたちが森から退き、後ろ姿が木々の間に溶け込むと、最後の足音も森に吸い込まれるように消えた。やがて、深い静寂が戻り、葉を揺らす風の音だけがドライアドの耳に届く。
ドライアドは、張り詰めていたものがふっと緩むのを感じた。翡翠色の瞳を閉じ、古木の幹にそっと額を寄せると、その硬い感触が彼女を安堵させる。
「退いてくれましたか……」
ドライアドの影が薄闇に溶け込むように揺らめくと、そこからまるで闇そのものが形を得たかのように、老人の姿が現れた。フードを深く被っているため、その表情を読み取ることはできないが、ひび割れた土のように乾いた声から、苛立ちとも諦めともつかない感情が読み取れた。
「行かせたのか。」
ドライアドは少し怯えた声で返す
「はい……退路を断てば、彼らは手段を択ばなかったでしょう。そうなっては、殺されていたのは私だったかもしれません」
「お前の命などはどうでもいいのだ。」
「…」
老夫は淡々と冷徹な言葉を浴びせ、ドライアドを一瞥し、言葉を紡いだ
「よもや、お前に力を与えた条件を忘れてはいないだろうな。お前はその力がなければ森ひとつ守ることなどできやしないのだ。……フォマティクスが動かせなくなった今…お前に取れる道は、奴ら人間共と対峙する他ない」
ドライアドは震える唇をゆっくりと動かし、か細い声で応える。
「わかって……います……」
「奴らは必ず来る。特にあの領主は周到な性格だ……次はないと思え」
それだけを言い残すと、老夫は再びドライアドの薄闇に溶け込んでいった。
ドライアドは蔦のような手を合わせ、虚空に願った。
「森よ……お救いください」
* * *
ドライアドが操っていたとみられるシャンブリング・マウンドの群れから抜け、俺たちは町まで戻ってきた。今度どうするのかを含め、サリーとアイリス、そして装備制作で力を貸してくれているガルダインにも俺の家での話し合いの場に同席してもらった。
「―森での経緯は以上だよ。状況証拠からみて、今回の蝕緑症の件は、十中八九、ドライアドが引き起こしたものだと思う……あんまり信じたくはないけどね。どうするべきか、みんなの意見を聞かせてほしい」
ぞろぞろと追いかけてくる悪夢のようなシャンブリング・マウンドの群れ。あれを操っていたのは、間違いなくドライアドだった。そして、例の胞子や蝕緑症を発症した動物たち。
彼女は手を貸してくれることもあったから、確信に至る中では困惑が大きかった。考えれば考えるほど、頭の中は泥濘にはまっていくような心地だ。大きく息を吐き出すと、部屋にいる仲間たちに視線を向けた。
アイリスは話を聞き終えると厳しい意見を突き出した。
「私の意見を述べよう。率直に言って、我らが国、エスペランサ・ヴォルタールとしては、速やかに元凶を排除するべきだと思う。開拓地は重要な資源だ、このまま放置はできないし、蝕緑症の原因を捨て置けば町の発展は望めない。民の信を裏切ることにもなる」
(厳しい意見だが、正しい…俺としては共存の道がないか、未だに考えを引っ張ってしまっているから、余計に刺さる)
「そうだね……ガルダインさんはどう思う?」
「アイリス殿に同意する。共存を拒んだのは向こうじゃし、手を出したのも向こうじゃ、何故サトルは辛そうな顔をするのかが理解できぬ」
ガルダインはアイリスの意見に賛同した。
他のパーティーメンバーの考えとしては、カルミアは「私はあなたの判断でいいと思う。どんな結果でも一緒に戦うから」と言い、サリーは「分かんなイ」という答えだった。
イミスは「サトル、ウチは倒すべきだと思う。彼女にも事情はあるかもしれないけど、町の人だって生きていくために頑張っているんだから」と言い、フォノスは黙っていたが、目線は自身が装備しているナイフに落ちている。彼に関してはドライアドに対する明確な殺意が込められている気がしてならない。
(現状は討伐優先…か)
「わかったよ。……現状は、戦う他ない。方針はそれでいい。だけどそれは、彼女と和解できる道をあきらめるという意味ではないから、そのつもりでいてほしい」
統治者として腹をくくらなきゃならない。
「方針は討伐。会議は一旦ここで切り上げよう。アイリスさん、町の人への布告を手伝ってほしい。みんなにも、やってほしいことがある」
反対意見も出ず、会議は無事終了となった。
* *
翌日
俺は、アイリス協力の元、理由は伏せるがドライアドが重要討伐対象として、町中へ布告した。この期間、一般の方や商人たちは森への立ち入りが不可となり、やむを得ない事情がある場合のみ、冒険者を介して依頼される形となる。その精査はオーパスに任せる。
ガルダインとイミスには専用の対策装備の考案と制作を依頼した。主に胞子対策と、シャンブリング・マウンドに効果的な武具を作る目的がある。短期的な解決方法を取るため、必要装備は俺たちパーティーメンバー分だけだ。自警団の分まで用意していると時間がかかりすぎてしまい町中が病で蔓延しかねない。ドライアドが次の手を打つ前に行動する必要がある。
サリーにも討伐隊に加わってもらう必要があるため、彼女が留守の間に診療所を回せる程度のポーションストックをしておくようにお願いした。
カルミア、フォノスには、準備が整うまで森周辺で動きがないか、見回りをしてもらうこととなった。
刻一刻と迫る蝕緑症の浸蝕
討伐部隊の編成には、予想をはるかに超える困難が伴い、丸々一週間近くの時間を食い尽くしてしまった。
ようやく、ようやく準備が整ったと思えたその瞬間にも、蝕緑症の魔の手は容赦なく人々を蝕み続け、感染者は30名近くにまで膨れ上がっていた。焦燥感と恐怖が、街全体を重い霧のように覆い尽くしていく。
この原因はドライアドにあるのでは、と噂させるのも時間の問題だった。こうなっては、本当に討伐以外の手段が取れなくなってしまう。
彼女を止めなくてはならない。