完結編 32話
「…」
「聞こえませんでしたか。これ以上、森に立ち入ることは許容できません。即刻、立ち去っていただきたい」
「そんな…」
ドライアドから出た言葉は、俺にとっては想定外だった。事情を伝えれば、わかってくれるような話の分かる相手だと思っていたから。
「俺が伝えたことは理解してくれたはずだ。蝕緑症を放置すれば、いずれ町中に蔓延して取返しのつかないことになる。そんなことになれば、犠牲者は数えきれないほど膨れ上がる」
「それは、あなたがた人間の都合です。私たちが付き合う道理などございません。ましてや、好きに調査を続けさせていけば……御覧なさい。森はいたずらに傷つき、悲しむ。私たちはすでに犠牲を出しており、被害者なのですよ」
ドライアドが放つ声の音程が一段下がったように思えた。
カルミアが「どうだか」と言う言葉を放つと、ドライアドの周辺を形成していた魔力が逆立った。
「まぁまぁ、カルミアさん。……ドライアドさん、俺はあなたは本質的には敵なんかじゃないって思っているよ。そうじゃなきゃ、初めて出会ったときに蛮族王を倒してほしい、俺にこの地を統べてほしい。なんて願わないはずだし、情報提供もしなかったはずだ。君はこの森から町の向かう末を見守ってくれていて、蛮族王の件から、情報を提供する形で助けてくれた。森を傷つけてしまった、ということであれば謝罪するよ。だけど、現状は森が冒険者や町同士の戦地になるケースも多くて、結果的にはこの森は被害を多く受けてしまっている。その時に君は出てこなかったはずだ。今回の調査だけダメなんて、なんだか腑に落ちない気がして。……そうだね、たとえば俺たちの町が今回の蝕緑症の件から生き残れれば、ドライアドさんの事情を鑑みて、条約を作る対応だってできる。長期的に見れば、町が壊滅してまた同じことが繰り返されるより、よほど建設的な対応ができるはずだよ」
ドライアドは長考して答える。
「蛮族王の時にあなたを助けたのは…その時は……そう。あなたと私の利害が一致していたというだけです。蛮族王を倒してくれるのであれば、貴方である必要はありませんでした。ですが、貴方は力をもっていた。この地で最も異質な魔力を持って突然現れたのです。ですから私は、あなたを注意深く観察し、希望を託すに至る逸材だと見抜きました。叶うことなら、この地を統べてくれるように願いました。ですが、あなたの力は大きかった。私が想定した以上に……あまりにも――」
「それはどういう……」
ドライアドは話を切って、毅然とした態度で要求を繰り返す。もちろん、条例などの件には触れずにだ。つまり交渉は……
「少し脱線してしまいましたが、私の意見は変わりません。あなたがたが、なおも奥へ進むというのであれば、私も同じ道理です。あなたが町を守るように、私も家族を守るために全力を尽くすまでです。本当に残念です」
決裂した。
そこでフォノスが背後からドライアドに急接近した。刃を突き立てるスキをずっとうかがっていたのかもしれない。だが、刃は空を切って魔力の残滓をにじませるに留まった。
「これは姿を投射する魔法で、実体がないのか…?」とフォノスは冷静に分析する。
ドライアドは不快感を隠すことなく示した。
「小賢しい人間風情が……覚えておきなさい。ここは私のバトルフィールドです」
ドライアドが叫ぶと魔力で形成したからだが霧散した。
やがて、蠢く巨体がぞろぞろと、どこからともなく姿を現す。俺たちを包囲するように、数を増やし続けている。
(シャンブリング・マウンド……!?それも一匹や二匹じゃない!そうか、対話が包囲のための時間稼ぎだったのか…!)
カルミアは肩をすくめて言った。ジロりと横目で攻めるように俺を視線で射貫く。
「やっぱりあいつは黒だった」
「ごめんって……とにかく今は一旦町まで戻ろう。さすがに俺たちの装備じゃこの数は…倒せないことはないが、リスクが大きい」
俺たちは完全に包囲される前に、一度森から撤退することにした。