完結編 30話
その物体が近づいてくるにつれて、徐々に姿が明らかとなった。
大人の背丈の三倍はあろうかという巨躯は、蠢く植物と絡みつく触手で構成され、見るもグロテスクな塊を形成している。形状はスライムのような不定形な様相を見せる一方で、顔こそ無いにせよ、かろうじて人の形を歪に模した姿は、一層の不気味さを漂わせるものだった。背中や頭にあたる部分には、蝕緑症の末期症状で出たツボミ状のイボや花が見られる。
明確な敵意を剥き出しに、ソレは意志を持つ蔓を鞭のようにしならせ、獲物を定めるかのようにゆっくりとこちらへと接近する。その動きは緩慢ながらも、確実に距離を詰める捕食者のそれだった。
(間違いない…こいつは、少し形状は違うが、シャンブリング・マウンドという植物型の魔物だ)
俺は脳内の記憶を走らせ、ルールブックで得た知識と照らし合わせた。
「みんな、聞いてくれ!こいつは負のエネルギーが満ちた場所に現れるという、アンデッドプラントの一種だ!俺の記憶が正しければ、周囲にあるものを……とりわけ、森に害するもの全てを取り込んで大きくなる特性があったはずだ。強力な再生能力を持つ上に、周囲に毒の胞子を撒き散らす能力を持っているから、接近戦は気をつけてくれ!」
カルミアは「わかったわ」という短い返答の後にすぐに前衛に出てくれた。刀を抜く手がとまり、攻撃を躊躇する。そして、彼女の視線が止まった先には、人の背丈ほどもある巨大な岩塊。一切の躊躇もなく、まるで玩具を扱うように軽々とそれを持ち上げると、風を切る音を立てて蔦の化け物めがけて投げ飛ばした。岩塊は放物線を描くことなく、砲弾のように真っ直ぐに、恐るべき速度で標的へと向かっていく。
(斬らなかったのは胞子が出て、俺に被害が及ぶのを止めるためか…)
シャンブリング・マウンドは受け止める姿勢で待ち構え、岩塊と衝突する。だがあまりの威力で衝撃を受け流しきれず、後方へ激しく吹き飛ばされた。
(よし…いいぞ)
普通の生物であれば潰れ死ぬ場面だがしぶとい。幾つかの木々をなぎ倒した段階で勢いを逃がし、蔦を手のように使い岩をどける。損傷した体からは緑色の体液と胞子が噴出している。傷を癒すためか、蔦を無作為に伸ばし、損傷した木々を体に取り込もうとしている。
「そうはさせない」
カルミアの攻撃に気を取られている隙を突いて、フォノスはいつの間にかシャンブリング・マウンドの背後に回り込んでいた。一定の距離を保ちつつ、音もなく、しかし確実に、猛毒が塗布されたナイフを閃光のごとく繰り出す。何本ものナイフがシャンブリング・マウンドの巨体に深々と突き刺さる。
しかし、その効果は限定的だった。
ナイフに込められた猛毒は確かに効果を発揮し、傷口はみるみるうちに溶解し、悪臭を放つ腐敗が始まる。だが、シャンブリング・マウンドは怯むどころか、まるで意思を持った生き物であるかのように、無数の蔦を蠢かせると、刺さったナイフを包み込むように絡めとっていく。毒素は浸食を続けるが、その速度は遅く、再生を上回れているようには見えなかった。
「毒はダメか…!イミス姉さん!」
驚くフォノスを他所に、ナイフと付近の倒木を取り込み続け、瞬く間に傷を癒す。そして、先ほどよりも体積が大きくなってしまう。
「フォノスくん、引いて!」と叫ぶとイミスは手元の機械を打ち出すとビーコンを付与し、単独形態化したヴァーミリオンに指示を出す。フォノスはイミスが何をするのか分かっていたので、合図をすると、ナイフでけん制しつつすぐに安全圏まで退避した。
「ヴァーミリオン、準備OKよ!『カロネード・ディストラクション!』」
『りょーかいデス。まったく…これ、結構疲れるのですよ』
いつの間にか高高度に位置していたヴァーミリオンが、上空から大弓を引いて、一転突破の超威力攻撃を放った。昼に関わらず、上空からキラリと星のような輝きを見せると、暴力的なまでの膨大な魔力が生み出される。まるで肉を求めるサメのように、ビーコンめがけて不安定な挙動を取りながら迫り、やがて接触すると蠢く巨躯を容易く貫通し、大爆発を起こした。
「キシャアアアアア!!」
派手に胞子をまき散らしながら断末魔を轟かせる異形。
(死んだ…のか? これがあの症状を出す元凶であればいいけど……)
ハンドサインを送ると全員で距離を少しずつ詰めていく。
驚くことに、体の半分以上を失っても蔦が動いていた。カルミアが残りを周到に刻んで、ようやく大部分が動かなくなる。
あの巨体の中に、蝕緑症の原因となる何かが存在するのであれば…。完全な破壊こそが解決策となるが、果たしてそれが可能なのだろうか。
激しい攻撃に晒されながらも、未だに蠢く異形の生命力は、その楽観視を嘲笑っているようにすら見えた。