完結編 29話
ソード・ノヴァエラは厳戒態勢に置かれ、領主の命により未開拓地域への立ち入りは禁止された。アイリスはギルドマスターのオーパスと連携し、未開拓地域に近頃赴いた者への問診と、蝕緑症患者の早期発見を最優先に対応を進めた。
俺はパーティーメンバーを招集し、経緯を説明してすぐに調査へと乗り出した。今は森の奥に足を踏み入れたところだ。
ちなみにサリーは町の仕事で外せないため、彼女からポーション三日分と鳥マスクを人数分渡されている。これでミイラ取りがミイラになる心配はない。…と思う。
まずは、蝕緑症を発症した患者が辿ったルートを参考に、周辺の偵察を開始する。
久方ぶりに足を踏み入れた未開拓地の森は、得体の知れない気配に満ちていた。
・・
「お兄さん、何か急接近している。気を付けて」
フォノスは俺の前に立って、指差す空を見上げた。彼の言葉通り、黒い物体が猛烈な勢いでこちらに飛来してきているのが確認できた。
「ふん、これでどうだ!」
フォノスは軽やかな跳躍と共に、鞘から剣を抜くことなく、飛来する物体に強烈な一撃を叩き込んだ。その衝撃で物体の軌道は逸らされる。
「ギェエ!!キェエエエエ!!」
甲高い鳴き声によって、黒い物体の正体が魔物であることが分かった。フォノスの一撃をまともに受けた魔物は、悲鳴を上げながら墜落していく。
そして、俺の目の前の地面に激突した。魔物はしばらくもがき苦しんでいたが、やがて完全に動きを止めた。フォノスは音もなく、まるで羽根のように舞い降りてくる。
フォノスが軌道を変えてくれなければ魔物による捨て身の攻撃で、俺はケガをしていたかもしれない。
「なんなんだ……」
思わず、マスクごしに籠った声を出す。
(空の魔物が積極的に地上に干渉する例はほとんどないのに…)
「クローカー…だね。こうして襲ってくるなんて珍しいこともあるのね」
イミスがクローカーという魔物に武器の先端を近づけるが、反応はない。完全に息絶えているようだ。
フォノスが目を細めて言った。
「ただ襲ってくるだけならまだいい。そいつはまるで自分の命を顧みない動きをしていた。それに、嫌な魔力を纏っている。お兄さん、触るなら気を付けて」
クローカーはその名の通り、外套を羽織ったように見えることからその名が付けられた、空飛ぶ魔物の一種だ。通常は高度を飛行しており、滅多に地上に降りてくることはない。少なくとも、今回のように吸い寄せられるように人へ接近してくるなど、前例がない。
「うん…これは……?」
両手で抱えられるほどの小さな体躯。黒い翼、鋭い目、鉤爪のようなクチバシ…その姿は、コウモリと瓜二つだ。しかし、その目は異様なまでに充血し、本来の黒色だった体の一部が、緑色に変色している。そして、本来クローカーには見られない、小さなイボのようなものが、体の至る所から生えていた。それは本来のクローカーにはない特徴だ。
蝕緑症の患者に見られた特徴と酷似していたのだ。
「まさか、蝕緑症…!?」
カルミアが刀の柄頭に手を置いたまま静かに頷き「寄生されているのね」と淡々と言った。
(どうやら、感染源は未開拓地域で間違いなさそうだ。魔物にも発症するのは悪い意味で想定外だったが、このまま調査を続けていれば、何か見つかりそうだ)
俺はクローカーをそっと横たわらせた。
次の瞬間、近くにそびえ立つ巨木のひとつが、突如としてその巨体を揺らし、無数の蔓をクローカーと俺の方へ伸ばしてきた!
「…させない!」
カルミアが俺の前に守るように立ちはだかり、間髪入れずに刀を抜き放つ。閃光が走り、俺に向かってくる蔓は全て瞬時に寸断された。しかし、残った蔓はクローカーの鳥足に絡みつき、まるで自らの意思を持っているかのように、巨木の方へと引きずり込もうとしている。
(トレント…?いや、だが魔物であれば皆の目は欺けない。巨木が何かに操られているとしか…)
巨木の狙いが何にせよ、放っておくと厄介だと判断したカルミアは、木こり顔負けの膂力でうごめくソレを真っ二つに斬ってみせた。
「…」
刀を振り下ろすと同時に、自らの重みに耐え切れなくなった巨木は、轟音と共に地面に倒れ伏す。
これで一安心か…そう思った矢先、切り株となった巨木の断面から、大量の胞子が噴出したのだ。まるで、自身の切断を予測していたかのような、恐ろしいまでの計算高さだ。
胞子は辺り一面に拡散し、地面を緑色に染め上げていく。そして、クローカーの死体から生えていたイボは、その胞子を浴びて不気味な花を咲かせた。
「これはただの胞子なんかじゃない!みんな、離れて!」
俺の号令ですぐに散開し、状況を見守る。イミスは十分な距離を稼いだと判断すると、すぐに俺の前に立って盾を構えた。
(クローカーの症状が進行した。まさか…皆、この胞子を吸い込んで蝕緑症に感染したというのか…?しかし、なぜあの木はクローカーの死体を取り込もうとした?)
カルミアは既に危険を察知しており、十分な距離を取っていた。だが、彼女の表情は険しい。これまでただの巨木だと思っていたものが、寄生体そのものだったのだ。驚きを隠せないのも無理はない。
胞子が落ち着くと同時に、カルミアは俺の元へと駆け寄り、体に異常がないかを確認しながら言った。
「不覚…事前に脅威を見つけられなかった。…サトル、あれを吸わないようにして。サリーのポーションを飲んでいても、油断してはダメよ」
「ああ…しかし…こうなってくると、この森一帯の恵みは全て汚染されている可能性があるな…」
一見すると、未開拓地は緑豊かな美しい森に見えなくもない。しかし、その実態は、草木や無数の巨木に至る全てが胞子に汚染され、蝕緑症が蔓延している可能性があるのだ。そう考えると、背筋が凍るような思いがする。
「お兄さん、警戒して。また何か来るよ」
「どうやら…俺たちの調査を、是が非でも阻止したいようだな」
森の影から大きな蠢く物体が姿を現した。