完結編 24話
アイリス自身と、彼女が統治する町をそのまま我が国に受け入れてからというもの、俺の仕事は倍増していた。まるで万里の長城のように積み上げられた書類の山が、その現実を物語っている。もはや俺の書斎の半分は、書類で埋まっていると言ってもいい。手をつけても仕事が減るどころか、一時間単位で増えている様を見て、これは本当にこの国にとって重要なのかと、疑いまじりの現実逃避が手を差し伸べてくれるほどには、やるせない気持ちになる。
「それで……なんで貴女はまだここでノンビリしているんですかね」
手を止めて、やや八つ当たり気味な視線を飛ばしてみるものの、以前にも増してイキイキとしている女性には、どこ吹く風。俺の書斎の一部の棚を自分の所有物置き場にしており、そこから高そうな酒を選び取った。
「ん~?、私がどこに居ようが私の自由だろう」
視線は手に取った酒に釘付けのまま、俺の問いに答える。
「アイリスさん、それ領主の言葉とは思えないです。仕事はどうしたんですか」
わざとらしく、手にとった羊皮紙をペラペラと掲げてみるも効果はなかった。
「ぷはぁ~……!やっぱ仕事上がりにお前の部屋で呑む酒はうまいなっ!」
仕事中にそんな様子を見せられるとは拷問である!これは宣戦布告に違いない。ならばこちらも手を打つまで。
「あ!さすがにそれはひどい!あの時、助けてあげるんじゃなかったですね。ふむ……おつまみに用意していたイエティ干し肉は、俺一人で今晩いただくとしましょう」
アイリスはこの世の終わりのような表情になる。
「なぁ…!?そんな、サトル。…私は今後どうやって生きていけばいいんだ」
(いや、大げさかい?)
そんなやり取りをしつつも、実はアイリスが自分の領土で仕事をしっかり終わらせてきているのは分かっている。
あの一件から、アイリスはシールド・ウェストの領主を続けることとなった。とは言うものの、もともとシールド・ウェストもソード・ノヴァエラも辺境の開拓地故に、領内外での交易や交流を積極的にしてこなかった。体裁上、こちらの陣営にはなったが、やること自体は大きく変わることはない。
俺自身も、王だからとか、家臣だからとか、そんな理由で言葉遣いであったり、何か大きなことであったりを彼女に求めてはいないし、求めるつもりもない。ただ今まで通りに仲良くやっていきたいだけだ。
変わったことと言えば、こうしてたま~に、アイリスが突然お忍びでやってきて、ちょっかいをかけてくるくらいだ。
「私はこの日をずっと楽しみに、この一か月、お仕事頑張ってきたんだぞ~……!!サトルぅ~!!」
アイリスがパワーアップした膂力で俺の両肩を掴み、揺さぶる。
「わ~かった、わかりましたから、揺さぶらないで~脳が揺れる~離して~!」
他愛ないやり取りを続けていると、書斎の扉が派手に破壊された。
バァン!
「サトル!」
軽快な破壊音を率いて現れたのはサリーだった。
(そろそろ、この破壊され続ける扉はアダマンティンかミスリルで作るべきなんじゃないか)
破壊されること自体がおかしいのだが、日常化した非常識はズレた発想を生み出すもの。冷静に扉の脆さについて思案していると、彼女の焦った表情が視界に入る。アイリスも揺さぶる手を止め、何事かと様子を見届けている。
「サトル、大変。アタシが診ている患者が最近おかしいノ!」
アイリスが肩をすくめる。
「何を言い出すかと思えば、扉を破って入ってくるお前も、相応におかしいぞ」
アイリスのまともなツッコミを無視して、サリーは俺の手を引っ張ろうと近づくが、アイリスが自身の胸に俺を抱き寄せて、それを阻止した。
「ダメだ。サトルの身柄は今日、私が独占すると決めている」
「ほんとに大変なんだっテ!」
「何が大変なんだ、言ってみろ。大方、その怪しげな錬金術で作ったポーションで、どうせ患者を全部ゴブリンにでもしたんだろう」
アイリスが冗談交じりに笑ってみせる。
「そんな薬あったら、もっと早くやってるヨ!!」
「…」
しかし、サリーは至って真面目に返すものだから調子を崩された。
(聞かなかったことにしよう)
「サトル、最近おかしな流行り病がこの町に蔓延しているのは知ってるよネ?」
俺はアイリスを引きはがして頷いた。
「あ…あぁ、確かサリーさんが開発したポーションで病気の進行が止まったと聞いてからは、とくに気にしていなかったけど……それがどうしたの?」
サリーは深刻そうな様子で語った。
「ウン、あれはね。あくまでも病気の進行を止めるだけデ、病気自体を止めるには至っていないのヨ。だから、完治薬じゃないノ。それでネ、その病人の一部の人が、薬を飲むのをやめて、アタシの管理している病室から、仕事があるからって抜け出しちゃっテ」
「うん…」
(まぁ、完治まで待っていたら時間はかかるだろうから、仕事だけして戻ってくるつもりだったのかもしれないがなぁ…)
「それでさっき、意識不明で緊急搬送されてきたんだけド、様子がおかしいのヨ……みたこともない症状で、アタシ、どうしていいか、わからなくテ……」
「そういうことか。すぐ行こう。ごめん、アイリスさん。そういうことだから、お酌はまた今度で」
アイリスは既に酒を棚に戻していた。
「私も行こう。シールド・ウェストも、他人事じゃないかもしれないからな」