完結編 23話
アイリスは、その場でカベルネの命まで奪うことはしなかった。せいぜい訓練用の剣で、彼が犯した罪の重さ、命の尊さを思い知らせてやった程度だ。彼の処罰は、追々ウィリアムが正当な手段と手順を踏んで行うことだろう。
カベルネが敗れたことを伝令から知らされた民兵たちは皆、その場に農具や錆びた武器を投げ出して歓喜した。カベルネが悪あがきに大規模魔法を撃ってくるかと警戒していたが、そこは既にカルミアが結果を見届けたあとで魔法部隊の『説得』に行ったこともあり、そのような不穏な動きは見られなかった。……彼女が如何にしてカベルネの部隊を『説得』したのかは……聞く勇気が出なかったのだが。
兵士たちが地面に転がるカベルネを拘束し、どこかへ連行していく。他の者たちも、戦いの後始末や、負傷者の治療に追われるなど、戦場は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
騒乱が収まり始めると、改めてウィリアムがサトルに歩み寄り、深く頭を下げた。
「サトル、この度のことは、本当に申し訳なかった」
連行されるカベルネの後ろ姿を静かに見送りながら、ウィリアムは言葉を続ける。
「今回の騒動は、全てカベルネが独断で引き起こした内乱だ。決してスターリムがサトル君の領土を侵すような意図は無い。…先ほどは混乱の中、言葉足らずで申し訳なかったが、どうか私の真意を理解して欲しい」
「それは改めずとも、十分に分かっていますよ。……と言っても簡単には納得してくれなさそうなので、言い方を変えます。俺は貴方とアイリスの友人として、見過ごせなかった。だから手を貸すためにやってきたんです。巻き込まれたなんて思っていません。そうですね?」
「そうか……そういう風に、言ってくれるのか…」
ウィリアムはあまり納得はいっていない様子だが、続けて、アイリスにも頭を下げる。
「アイリス、君にも謝らなければならない。守るべき立場であるにも関わらず、私は、部下の一人を諫めることすらできなかった。君に、どれほどの苦労を強いてしまったのか…」
アイリスは、ウィリアムの謝罪を受け止めると、軽く手を振った。
「王子の瑕疵ではないだろう。私も独断でかき回した身だから強くは言えないしな」
「そうか…君もそう言ってくれるか……」
(俺としてはアイリスにもウィリアムにも怪我は無かったから、それだけでよかったんだけどね)
ウィリアムは胸をなでおろすと「君が寛大な人で良かった」と付け加えた。
「ところで、カベルネは今後どうなるんです?」
「あぁ、奴は…」
ウィリアムの表情は、再び険しいものへと変わる。
「あぁ、奴は…王都で然るべき裁判にかける。どんな言い訳をしようとも、どんな恩赦があろうとも、お家取り潰しは免れないだろう。それに、サトルたちに与えた損害を考慮すれば、私個人としては、それ以上の処罰を受けてもらいたいと思っている」
と怒気を込めて断言した。…あまり物騒な展開にならないと嬉しいのだが、彼は自らの都合で周囲の人を殺めすぎた。俺が自分の物差しと視野だけでそれを止めれば、裁く側も犠牲者の家族も納得しないだろう。
「わかりました。」
カベルネの権力が失効するということは、アイリスは彼の執拗な束縛から解放されるということだ。彼女も晴れて、シールド・ウェストの未来に力を注ぐことができるのだ。今は純粋にそれを喜びたい。
「アイリスさん、これで貴方の懸念も解消されたと思います」
俺の言葉に対し、彼女は神妙な面持ちで「いや…まだだ」とだけ答えてウィリアムと向き合って言った。
「王子、単刀直入に伝える。……私は、今日限りで、シールド・ウェスト領主の座をお返しする」
(え…?)
彼女の口から出た言葉は、俺の想像していたものではなかった。
驚く俺を他所に、王子の様子は至って冷静であり、その言葉を待っていたかのようにも伺えた。それを証明するように、返事はひとつだけだった。
「…いいだろう。スターリムの一領主として、その席から離れることを許そう」
(…!?ウィリアム王子、あなたも、そんな簡単に許可だしちゃうの!?)
「ウィリアム王子…!?」
俺の戸惑いは、彼にしてみれば面白おかしく見えたのか、くすりと笑ってみせた。
「ふふ…サトル、君には、まだ僕の考えが読めないようだな。安心したまえ。僕は、アイリスという貴重な人材を根本から失うつもりはない。条件をつけさせてもらう。」
「条件…?」
「あぁ、彼女にはシールド・ウェストの統治を続けてもらいたい」
「え、でも……それはどういう…」
王子は「あぁ、サトル、勘違いしないでおくれ」と前置きを加えて続けた。
「統治と言っても、スターリムの一領主としてではなく…君が興した国、エスペランサ・ヴォルタール王権帝国の、一領主としてだ。アイリス、君にはこれからも、その地で、民を守り続けてほしい。それが、僕の願いだ」
ウィリアムの言葉は、あまりにも予想外すぎて、アイリスは言葉を失った。 サトルもまた、ウィリアムの真意を測りかねていた。
「…それは、つまり…シールド・ウェストを、エスペランサ・ヴォルタールに譲渡するってことですか…?」
恐る恐る尋ねると、王子はニヤリと満足そうに笑って答える。
「その通りだ。地理的に、シールド・ウェストも、ソード・ノヴァエラも、スターリムの最西端に位置している。そのさらに西には、未だ地図に記されていない未開の地が広がっており、ソード・ノヴァエラからは、同盟国であるフォマティクス領が近いのは知っているだろう。ここまで言えば分かるかな?」
アイリスは、少し考え込むと、ウィリアムに尋ねた。
「つまり…私たちは、たとえ立場が変わろうとも、これからもスターリムの『防壁』としての役割を果たすことになる」
王子は再び頷く。
「アイリス、君の言い方は悪いが、実際はその通り。二つの領土を失うことは単純に見れば損失かもしれないが、僕は二人との仲を深めておくことに防衛上の利があると考えている。それに、よく知った相手が背中を守ってくれている方が、形だけの同盟相手が背中につくよりも、信頼できるんだよ。加えて言えば、ソード・ノヴァエラは、元々勘定に入れれるような土地でもなかったものだしね。もうひとつ、大きな理由を言うなら、君たちに恩が売れるということだ。君たちに賭ける『投資』は本質的な損じゃない。実質的な利だ。今回は巻き込むつもりは毛頭なかったが、結果的には助けてくれたじゃないか」
俺が「買い被りすぎですよ」と伝えるが、王子は首を横に振る。
「僕は君の力を間近で見て、改めて君に領土を譲渡した自分の判断が間違っていなかったと、今回で確信できた。君のその……力の由来や内容を聞くことはご法度だろうから触れないようにするが……君とは相互扶助の関係がベストだと確信したんだ。君がより大きな力をつけるために、先んじて手助けをするというだけの話さ。大きくなってから手を貸しても、有難みがないだろう。故に『投資』なんだ。これで分かってもらえたかな?」
アイリスは大きく頷き「王子も分かっているじゃないか。こいつはすごいやつだ」と言って、俺の肩を掴み、自身に寄せる。
「王子とアイリスさんが俺のことをよく思ってくれていることは理解しましたよ。期待に応えられるかは分かりませんが……俺にできる精一杯をやるだけです」
王子は満足そうに頷くと、パチン、と手を叩いて大きく広げた。
「よし、今日はこんな所でいいだろう!…今夜は、そうだな。サトル、君が考えたボードゲームとやらを遊ばせてくれ。何時ぞやの私に約束してくれただろう?」
(そういえば、結構前に約束したな…)
「もちろんです!そうですね……では、今日は、俺の故郷でも人気だった遊びのひとつを伝授いたしましょう!」
アイリスがすかさず「ズルいぞ、サトル! 私にも教えてくれ!」と拗ねた口ぶりで参加表明。
アイリスの言葉に、三人は顔を見合わせて、楽しそうに笑い合った。
束の間の休息だが、今は楽しもうと思う。
この日常が普通だと言えるように、まだまだやらなくてはならないことが山ほどある。
だが俺は、この世界で、大切な仲間たちと出会い、共に未来へ進むための、確かな一歩をまたひとつ踏み出したのだ。