完結編 19話
差し出された片手剣は、刃を潰した練習用のものだが、それでもアイリスにとっては十分だった。軽く素振りをすると、心地よい風が彼女の頬を撫でる。
「悪くない。痛めつけてお前を叩き潰すには丁度良い。私はいつでもいいぞ、カベルネ」
アイリスはそう言うと、土魔法で簡素に作られた、障害物の一切ない平坦なバトルフィールドに足を踏み入れた。
だが、その視線の先には、カベルネではなく、彼の近衛兵が立っている。
試合の中央に位置する見届け人のウィリアムは、カベルネの方を見て言った。
「彼女の準備はできたようだ。カベルネも上がれ」
だが、当の本人に動く気配はなく、代わりに視線を近衛兵に向けただけだった。ウィリアムは眉をひそめるが、アイリスに動じた様子は見られない。
「ふざけているのか……どういうことか説明しろ」
カベルネは、肩をすくめて悪びれる様子もなく言った。
「私は一言も『私が』一騎討ちに応じるとは申しておりませんよ、王子」
「馬鹿なことを抜かすな!」
ウィリアムがカベルネの元へ向かおうとするが、屈強な側近たちが行く手を阻む。
「彼女がどういう意図で一騎討ちを申し込んだか、もう忘れたっていうのか…! くそ、はなせ…離せ!」
ウィリアムは、激しく抵抗する。しかし、彼の抵抗は、側近たちの厚い壁を打ち破ることはできない。虚しく鎧が揺れ、鉄の音が空しく響くだけだった。
「おやおや、落ち着いてください。王子、私の部下が『誤って』王子を怪我でもさせようものなら、大変ですから。それに、ヘラヘクスに誓って、邪魔はしないという約束だったはずですよ…」
「もういい」
アイリスは二人の間に入り、話を強制的に中断させた。そして、まるで自らに言い聞かせるように、静かに呟く。
「私が勝てば良いだけのこと。たかが近衛兵一人、倒せば良い。こんな窮地、いくらでも乗り越えてきた。でなければ、実力で這い上がった女領主を名乗れるものか」
「…っくそ」
ウィリアムは歯ぎしりしながらも、アイリスの言葉を受け入れ、兵たちに見届け人の位置へと戻っていった。
カベルネは満足そうに頷き、高らかに宣言する。
「結構な覚悟ですね、お嬢。では、早速始めましょう!」
* *
両者が位置につき、剣を構える。ウィリアムは、複雑な表情を浮かべながらも、口を開いた。
「ヘラヘクスに誓って、正々堂々……」
ここで、ウィリアムは言葉を詰まらせる。カベルネの卑劣な策略を前に、神聖な誓いの言葉さえ、空虚に響く。しかし、彼は意を決したように、言葉を続けた。
「一騎討ち……開始!」
アイリスは馬の速度を速めるため、ここに来る最中でほとんどの防具を捨ててきている。が、近衛兵は重装備で準備万端だ。
フィールドが狭い以上、明らかに彼女が不利だったが、アイリスは開始の合図と共に、それを見せつけないほどの闘気を放った。
「取りに来い…とれるものならな!」
狼のような鋭い目と弧を描く口元が、アイリスの強さを物語っているようだった。
「う、うおおおおお!!」
近衛兵が接近し、剣を振り下ろすが彼女は後ろ脚を半身になって引き、そのまま回し蹴りをして引き倒す。
「振りが甘い!」「ぐぁ…!」
自然と近衛兵の後ろに位置する場所に立ったアイリスは、そのまま速攻を決める
「『ソウル・ディスルプター』!!」
剣の柄頭を片手で添えて、背後から鋭い突きを繰り出すと深紅の閃光が、戦場を駆け抜ける。
アイリスの放った突きは闘気が込められており、威力がとんでもなく強化されている。その影響か、重装備の近衛兵を数メートル先の場外まで、たったの一撃で吹っ飛ばした。
近衛兵はきりもみしながら転倒し、勢いが収まってからようやく立ち上がろうとするが、そのまま気絶してしまった。
カベルネの額から大粒の汗が落ちる
「そ、そんな……元冒険者の、それもトップクラスが……たったの二手で……お嬢は疲れているはずじゃ……」
アイリスは一息ついて残心を解くと、乱れた髪を片手でかきあげ、凛とした声で言った。
「カベルネ、私の勝ちだな」
「いいや、まだだ!!まだ終わっていない!次だ!次の者を出せ!」
カベルネはお目当ての物が手に入らない子供のように叫び散らす
「往生際が悪いぞ!!勝負はついた!神の誓いに背くのか!!」
ウィリアムは、カベルネの言葉を遮るように、怒りを込めて叫んだ。
しかし、カベルネは聞く耳を持たない。
「だめだ!だめだ!必ずお嬢は私のものとする!次と者と戦え!『一騎討ち』を繰り返すことは誓いの違反にはならない!私は『一回だけ』の一騎討ちとは申しておらん!よって、私の精鋭の部下を全員倒すまで、一騎討ちは続けるものとする!」
カベルネは、狂気じみた表情で宣言する。
彼の瞳は、もはや人間のそれではなく、欲望に支配された獣の目をしていた。
いくらアイリスが強くても、それは人という枠でしかない
幾度となく戦闘を続ければ、いずれ力尽きてしまうことは明確だった。
この期に及んで、カベルネは民を人質に言いたい放題。
(こんな卑劣な男の言いなりになるしかないのか…!………サトル…)
アイリスは、悔しさを噛み殺しながら、目をぎゅっと閉じる。
その時だった。
彼女の頬を、かすかに冷たい風が撫でた。
アイリスは、ゆっくりと目を開け、空を見上げる。
(これは…)
空は、いつの間にか、厚い雲に覆われていた。
どんよりと暗い雲の隙間から、稲妻が走り、不気味な光が戦場を照らし出す。
アイリスは、不敵な笑みを浮かべると、カベルネに向き直った。
「いいだろう、一人残らず、相手をしてやる」
彼女は、まるで嵐の到来を予期していたかのように、不敵な笑みを浮かべた。
 




