完結編 16話
カベルネの領土であるフレイル・シーザーから徴兵された兵の内訳のほとんどは、彼が強引に集めて回った雑兵で、中には槍すら持ったことのない民までが寄せ集められていた。
民のほとんどが戦には反対ムードで、明日の勝利よりも明日の生活と考えているほどには士気が低い。だが、行軍中に逆らおうものなら、もれなく首が飛ぶので、民たちは傲慢な領主に従う他に選択肢は無かったのだ。
そんな事情で寄せ集めされた兵は当然ながら、道中トラブルまみれだった。足取りは重く、行軍だけであっても、備蓄の不備、装備の紛失、伝令の逃走、魔物との遭遇で隊列が崩れ逃げだす者など……。
カベルネとしては、早くソード・ノヴァエラに向かいたいという気持ちであったため、心穏やかではいられなかった。『自分の物であるアイリス』がサトルに『何か』されたのではないか、と思うだけで焼け付く怒りがむせ返ってくる。それが余計に焦りと判断力の低下を招いてしまった。カベルネは道中、役に立たない兵の首は容赦なく斬って余計に現場を狂わせる要因として寄与した。
ようやくスターリムが見えてきたころには、傍近に位置するにも関わらず5日も経過していた。
カベルネからしてみれば、何事もなく王都で補給して横切る算段だったが、いざ到着してみれば彼の目には想定外の事態が映る。
「なぜ…なぜ王都は兵を出し、陣形を固めているのだ」
およそ数戦の正規兵が、王都の前に陣取って隊列を組んでいたのだ。兵たちが掲げる旗は間違いなく王家のそれで、傭兵や他の家の旗も確認できる。王都の兵たちは、まるでこれ以上進んではいけないという意思を示すように、カベルネの軍の進行ルートで柵や簡素な堀を展開している。
「これではまるで、私が王都を攻めるとでも勘違いされているようじゃないか」
圧倒的な威圧感を放つ正規軍を前に、カベルネが徴兵した雑兵たちは、恐怖に震え、数人が逃亡を図る。 だが、すぐにカベルネの側近に見つかり、無慈悲にもその場で切り捨てられた。
カベルネは、そんな惨状には目もくれず、目の前に立ちはだかる障害を、どうにかして排除することだけに、思考を集中させていた。
「うーむ……これは一体、どういうことだ?王子は、私の真意を誤解しておられるに違いない。 私は、サトルを討つためだけに、ここへ来たのだ。 素直に通してくれれば、それで済む話なのだ……」
カベルネは一番近くで待機していた兵に叫ぶ
「おい、そこのお前!」
「ひっ…!」
兵士は、恐怖に顔を歪ませ、カベルネの前にひざまずいた。
「伝令を出せ! 王子の元に参上し、この度の誤解を解きたいと伝えよ!」
「か、かしこまりました…!」
一刻も早く誤解を解く必要があると判断したカベルネは、高圧的な態度で、伝令をウィリアム王子の元へ向かわせた。
(きっと、王子ならご理解お示しくださる… 私の愛の深さ、そしてサトルの罪深さを!)
カベルネは、そう信じて疑わなかった。
・・・
兵を出して、こちらも陣を取って、数時間過ごす。
伝令はすぐに戻ってきた。が、表情は芳しくない。
カベルネは「ウィリアム殿からの返答は?」と問う
「端的に申し上げますと『ただちに編制を解き、此度の釈明をせよ。3時間後に一対一で話をする機会を設ける』と仰せつかっております……」
「馬鹿な……。王子がご理解を示して下さらないとは。何かお考えがあってのことだろうか。いやしかし、私としてもこればかりは譲れぬ。だが強行するわけにもいかぬ。どうしたものか……」
カベルネとしても、このまま王都とぶつかって兵を疲弊させることも、王子に楯突くことも、本位ではなかった。釈明の意とは多少異なるものの、サトルは害でしかないと王子へ説得すれば通してもらえると踏んだ。
「…致し方ない。話し合いの場を設ける」
「っは!では、すぐにお伝えして参ります!」
「うむ」
* *
数千の兵たちが、平原を隔ててにらみ合う緊張感の中、両軍の中間地点に設けられた一対一の会談の場。ウィリアム王子とカベルネは、互いに護衛も武器も持たずに、馬上で対峙していた。
王子の顔色は、明らかに疲労の色に染まっていた。 目の下には隈ができ、顔色も悪い。 それでも、その瞳の奥には、揺るぎない決意の光が宿っていた。
「王子、お疲れのご様子で」
まずはカベルネから、体調を気遣った挨拶をするが王子の返答は刺々しいものだった
「お陰様でな。本題に入ろうか」
早く先に進みたいカベルネとしても、こんな時間はとっとと終わらせたい。返答にはムっとしたが、すぐに本題に入る。
「王子、貴方は誤解なさっています。すぐに兵を引いていただき、私にサトルの元へ向かわせてください。奴は―」
カベルネの言葉を遮り、ウィリアムは低い声で言った。
「待て、サトルの元へ向かうと言ったのか」
ウィリアムは、信じられないものを見るような目で、カベルネを見つめた。
カベルネはきょとんとした表情で「えぇ、もちろんです。 奴は、許されざる罪を犯したのです。 私自ら、その罪を償わせる必要があるのです!」と答える。
その言葉に、ウィリアムは、深くため息をついた。
そして、額に手を当て、天を仰いだ。
「お、王子?……いかがなさいましたか」
王子はカベルネを睨みつける。普段の温厚な印象には全くそぐわない。
「いや、お前がこんなにも頭が悪いとは思わなかった、と考えていた」
「な、なんですと……!そのような、明らかな侮辱はやめていただきたい!!」
「そうだな、馬鹿に何を説明しても、懇切丁寧に伝えたところで、その趣旨が10%でも伝われば良いほうだ。それを知っておきながら、配慮できなかった私にも非はあるのかもしれぬ」
「……いくら王子でも、言っていいことと、悪いことがあります。私はこのまま強行しても全く構わないのですよ。サトルは明確に罪を犯しました。そのような悪を黙って見過ごす王子こそ、私から見れば、何をお考えになられているのか、理解に苦しみます」
「じゃあ聞くが、具体的に何をした?彼はフォマティクスとの間を取り持ってくれた恩人ぞ。それに足る悪だと?」
「……私にしてみれば仰る通り、サトルはそれに足る悪です。奴は、あろうことか、私の婚約者であるシールド・ウェスト領主のアイリス・ジャーマンを娶ったのです。アイリスは強大なる力を持つサトルに屈する他ありませんでした。ですから私は、一刻も早く助けに向かわねばなりませんでして!!」
やけに芝居かかったカベルネの熱弁に、ウィリアムは顔をしかめて流れを止める
「待て、本当に娶ったのか?いや、そもそも、アイリスはお前の縁談に対して、承諾する旨の返答はあったのか?僕はサトルを良く知っているが、奴は人から婚約者を奪うような奴じゃない。万一そんなことをすれば、サトルの側近の女性陣が黙ってはいないだろう。よもや、お前の一人相撲ということはないだろうな?」
「っぐ……それは」
たったの2手で確信をつかれたカベルネは、思わずたじろいでしまうが、勢いでごまかす。
「えぇい!人の恋路に些事を突かないでいただきたい!!アイリスへの求婚をしたタイミングでサトルが邪魔をしたのです!その事実だけで十分なのです!」
「だからそれが事実ではない、憶測ではないかと問うているのだ!それ抜きにしても、お前は自らの私怨で兵を動かし、王都と周辺領を脅かしている。理解しているのか!」
カベルネは諦めたようなため息をついて答えた
「はぁ……やはり、ご理解いただけませんか。ある程度の憶測は認めましょう。ですが、『私の物』であるアイリスはサトルの元におります。『事が起こってから』ではもう遅いのです。妻を傷物にされては困ります。申し訳ございませんが、ここは通していただきましょう」
「兵力差は圧倒的だぞ。お前の兵は雑兵だ」
ウィリアムが去り際のカベルネに忠告するが、彼は動じなかった。むしろ開き直った態度で言う
「私の兵の殆どは『スターリムの民』である。貴方は聡明なお方だ。まさか、完全武装した正規兵が数日前までは農民だった民兵を傷つけることなんてしませんでしょう。私は、サトルが民を虐殺する事実が欲しいだけなのです。それが王子に置き換わっては心苦しいばかりです」
「お前……それでも領主か!!これが済んだら、打ち首じゃすまないぞ!!」
だが、肩をすくめてカベルネは去ってしまう。
「絶対に通さない。僕の友人は、傷つけさせないぞ……」
ウィリアムはカベルネの背中を睨みつけ、自陣に戻った。