征伐編 42話
長いです
自分で自分を見つめているのにも関わらず、夢は夢だと自覚するのに手間取るのは自分事だからだろうか。
目を開けると嫌というほど見覚えのある、小さな穴ぼこが等間隔に配置されている天井。自分が寝具で寝かされている状況だと判断するのにそう時間はかからない。周囲を見渡せば、誰もいない無機質な部屋と自分の腕に通った、水を流すための管。無臭で清潔感のある部屋に、生きていくうえで不必要――所謂"無駄"なものは何一つない。手元の本を除いて。
俺の手元には大好きだったTRPGのルールブック。
(あぁ……"牢獄"か)
自分にとって、その場所は牢獄と違いは無かった。
この場所が自分の"いるべき場所"とは思えなかった。
「仲間が待っている……」
俺の言葉に反応するように、ぼんやりとした意識が、病室の空間を捻じ曲る。ぐるぐると三半規管を狂わせる。忌々しい景色を消し去っていく。その非常識的な光景を目の当たりにして、これが夢であることに気がついた。
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「…トル…サトル! 起きて!」
聞き覚えのある女性の声だ
「う…うぅ…ん?」
「…サトル!」
曇った空を背景に、カルミアの顔が目の前に。
そこで、ようやく自分が意識を失って、倒れていたことを自覚したのだ。
「カルミアさん……?……っそうだ!みんなは?ディープフォルスは!?」
意識が戻ったと自覚してからどれほどの時間が経過しただろうか。急いで上体を起こすと、皆が俺の近くに集まっていることに気がつく
カルミアが俺の上体を支えながら言う
「みんな無事よ。サリーが全員分の防壁を展開してくれていたお陰ね」
サリーが拳を腰に当てて、ふんすと胸を張った
「ドヤ!アタシもやるときはやるエルフなのヨ♪」
イミスもフォノスも、その意見には否定せずに笑って頷いている
「……ディープフォルスは?」
カルミアが片手で指さす先には、同一人物とは思えないほどに衰弱しきった男の姿が目に映る。自分の足で立ち上がることもままならないのか、横になって天を見つめている。
第三者の立場からみても、無力なのは明確だった。
「トドメをさすべきか、私には判断できない。サトル、貴方が起きるまで手は出さなかった」
「そうか…」
俺は彼女の手を借りて立ち上がると、ふらつく体を鼓舞して奴の元まで歩み寄る
近くに寄っても、攻撃はおろか抵抗する素振りも見せず、派手に瓦解した城から覗かせる空を見つめていた。ディープフォルスの体は浅黒いままだが、羽も尻尾も生えていない、以前の『人』の姿に戻っている。
しばらく彼の横に座って、彼の様子をただ見つめていると、ようやく口を開いた。彼の声はかすれており、本人から発したとは思えないほどだった。
「……なぜ、殺さない」
「聞きたいことがある。ディープフォルス、お前の心の準備が整うのを待っていた」
「……ならば、いい。申してみよ」
俺は頷いて、ゆっくりと話した
「デオスフィアについてだ。この石の存在は、もたらされたモノであると戦いの最中言っていたな」
ディープフォルスは首をこちらに向けて、相槌を瞬きで返したように見える
「あぁ……そうだ。私が無力で…なんの力も…有していないときだった。スターリム近郊の…未開拓地点……今の、お前の町がある近くだ。……そこで、森の精霊と出会った」
(森の精霊と一言に言っても、概念が広すぎるな……もう少し絞る必要がある)
「森の精霊とは、具体的に何のことを言っている?」
ディープフォルスは何度かゆっくりと瞬きをして、少しの間思案して言った
「私は……その精霊の名称を知らん。…ただ、例えるならば木々を人体に見立てたような、美しい女性の姿をしている。……これで伝わっただろうか?」
(外見の特徴からして十中八九、ドライアドだろう。だが、ドライアドはそもそも魔物の格として、そこまでの力を持っていると言えるのか…?)
ドライアドは一般的にひとつ国を潰すほどの力は有していないと知られている。そんなものは成長したドラゴンであったり、ジャイアント種の中でも天空に住まうとされる者くらいだ。ドライアドは、トリエントを従える上位種がいるものの、それ単体で脅威となりうる魔力を秘めるものじゃない。というのが率直な感想だった。
だが衰弱した彼にそれを順序良く問うても期待した答えは返ってこないだろう。彼にとって、種族間における強さの基準値など今話すべきことではない。
俺は一度気持ちを切り替えて続きを促すように頷いた
「…それで?」
「森の精霊は私の汚れた手を取って言ったのだ。『もしスターリムを破壊できる力を持つことができるなら、どうする?』と。……あの時の私に迷いは無かった。憎き男が統治する国……その恩恵を受ける全てが許せなかった。迷わずにその手をとった。……それが邪悪に起因するものであろうと、私は構わないと、たとえ全てを捨てることになっても……奴と、奴が作り上げたものを壊したかった」
(ドライアドは彼の復讐心を利用したって訳か)
「サトルにとってはどうか知らぬが、彼女は、私にとっては救いの女神そのものだった。彼女が始まりの地でもたらしたこの『奇跡の実り』は、私の人生を大きく変えた」
「ドライアドはディープフォルス、お前にデオスフィア……所謂『奇跡の実り』という石を与えたんだな?お前は、その時点でこの石がもつ力を理解していたのか?」
ディープフォルスは頷く
「森の精霊は、この石が持つ"力の原理"を伝えた。それは人の憎悪を糧として育つ種子であると。……種子は悪意によって発芽し、やがて大いなる実りとなって宿主に力を与えると。……私はその意味を理解していた。石のように硬い物質だが、正確には、これは……精霊の種子なのだ」
(デオスフィアが悪意によって育つのは、この目で見てきたから、この話には一定の裏付けが取れている。だが、まさか石ではなく、それ自体がドライアドの種子だったとはな)
「……デオスフィアは大量に生産されていただろう。ご丁寧に人間を家畜とした……牧場と揶揄できる非合法の施設まで作ってな。ディープフォルス、お前の話が真実であれば、これらの種子自体はどうやって大量生産したんだ。お前が持つソレはアーティファクトに匹敵する力があるんだぞ。容易く作り上げられるものじゃない」
ディープフォルスは手を天にかざし、甲についた石を見つめる
「……当然の疑問だな。森の精霊がもたらしたこの石だろう。私が賜ったこれは"特別"なのだ。お前が戦地で見てきた石とは、一線を画すものだ。何せ、森の精霊から直接賜ったものだ。……他で作られた実りは、森の精霊から預かった苗を育て、発芽して実をつけたものを使っていた。量産したものは直接賜ったものではない。山ほどなる実を取り出し、そこに悪意や恐怖を餌に育ててやれば、一定の力が認められるものが出来上がる。これが、お前たちの目にする『奇跡の実り』の誕生だった」
(彼がドライアドからもらった種子は特別性。そして彼が大量生産して兵たちに与えていたものは、大量に実をつける同質の下位互換ということか)
「お前は、人を文字通りの道具として扱った。その自覚はあったんだな」
「私にとって、人間など、どうでもよかったのだ。私の母を殺めたヒト。そしてその恩恵を受ける全ては、私には『奇跡の実り』の苗床としか見えなかった。お前のような存在も、いるのだと、この期に及んで知ることになったのは、皮肉なものだ……」
ディープフォルスは浅く呼吸を繰り返している。残された時間は少ないのかもしれない
「…そうか」
「……弟、いや……ウィリアムは、城の地下室に生きて捕らえてある。お前たちの目的は、これだろう。ポートの魔法技術で作られている鍵だ。……これを王座に置け。それで魔方陣が起動する」
半分に欠けた王冠のようなものを取り出し、俺に手渡す
疑問が浮かんで、質問せずにはいられなかった。
「なぜ、生きて捕らえていた?復讐をするなら、真っ先に関係者を殺すべきだったはずだ」
ディープフォルスは力なく嘲笑する
「フ……私にも…分からんのだ。理性では殺すべきだと分かっていたはずなのだがな。どうしてか『俺が死ねば満足か』と問われて以来、胸の奥がかき乱されるような気持ちになったのだ。だから、私の気持ちの整理がつくまでは、閉じ込めておいたのだ」
ウィリアム王子は、ディープフォルスの腹違いの弟ということになる。ずっと存在を否定され続けていた彼からすれば、ウィリアムの発言は予想外だったのだろう。兄弟という唯一無二の特別な立場から、自らの境遇に重ねて考えてしまった可能性は十分にある。
「そろそろか………」
ディープフォルスが呟くと、彼の身体が徐々に、足元から崩れ始めた。
「ディープフォルス、何が起きた。止めろ。お前には償ってもらう。だから、生きててもらう必要がある」
彼の上体を抱き寄せ、聞こえるように言うが、彼は力なく笑うだけだった。
俺は、彼をこの場で殺すつもりは一切ない。生きて連れ帰り、罪を償わせて、そして寄り添ってあげるつもりだ。彼には王座も武器も必要ない。理解してくれる友人が横にいるべきだと思ったから。
だからこそ、ここで死ぬのは許さない。
「おい、ディープフォルス!!俺はお前の"本当の名前"も知らない!!お前が思っているほど、世界は冷たくなんかない!!俺が証明してみせる!」
*クラスチェンジ 実行できません*
*クラスチェンジ 実行できません*
実は、彼に先ほどから行使し続けている『クラスチェンジ』これが作動しない。
クラスチェンジさえできれば、彼の体を構成する素体が強化され、デオスフィアによる反動を打ち消してくれるかもしれないと、観測的な希望に基づく行動だった。なんの根拠もない。彼が少しでも助かるかも、と行動しているだけだ。だが、これが失敗し続けている。
アナウンスも聞こえない。これは俺の能力に異常があったからではない。
クラスチェンジの大前提となる要件を満たしていない。つまり、彼の名前は本命ではなく、存在しない偽名であったという事実だ。ディープフォルスの称号じみた名前も、彼の決意によるものだろう。
ディープフォルスは少し驚きの表情を見せ、また苦笑いする
「私の名前は、ディープフォルスだ……ディープフォルスで、あり続ける……お前にも、そう、記憶していてほしいと、強く願う。最期まで、勇敢に……戦った。男の名前……」
「おい!!そんな屁理屈が聞きたいんじゃない!!」
「……サトル、頼む」
体の崩壊は上半身にまで及んでいる
ディープフォルスは力なく、しかし限界まで振り絞って言った
「同胞が安心して暮らせる場所を……作ってほしい。……誰しもが、笑って暮らせる……そんな……日を……お前は、同胞を…大切にしてくれた…もう少し、はやく……お前と……であえ…いれば……わたし……は………わたしは……………」
彼の存在が淡い光となって消えていく
・・・
・・・
サトルの手元に残ったのは、歪な王冠の欠片だけだった