征伐編 30話
顔、胴体、腕、足…それぞれにシェイプシフトを多重にかけ、ほぼ龍化したサリーの力は圧倒的であった。ポーションで能力をブーストさせたのもあってか、その力の差はムシアナスをもっても覆せない。
「グルルル…グアアアア!!」
大狼のムシアナスは、果敢にも龍化したサリーの足元に噛みつくが、龍化して体躯も勝る彼女が足を振りぬくだけで吹き飛ばされてしまう。
何度も地面をバウンドし、飛ばされる勢いを殺すので精一杯な様子だ。ここで彼女は更に追撃し、体の全体重を使い、尻尾で更に地面に叩きつける。
ムシアナスが起き上がる前に、彼の首元に噛みつき口元から火花を散らす
(これは…ドラゴン・ブレスの予兆か…!)
俺は距離を取って、岩陰に隠れた
ゴオオオオ……
予想通り、彼女の口元が徐々に高温化していく。
ムシアナスは噛みつかれた状態なので逃げられない。今狼化のポリモーフを解いてもブレスから逃れる術は無いだろう。サリーは相手を逃がさぬように嚙みついたままブレスを吐くつもりなのだ。
「グルルルルアア!?」
狼は自らの運命を悟り、ジタバタと暴れるが全く抜けられない。ストレングスをめちゃくちゃに上げまくる能力変性薬で強化したサリーの掌握が強すぎるのだ。
やがて、辺り一面を赤と熱で染め上げる大火力が大狼を容赦なく焼く……本当のドラゴン・ブレスだ!
ゴアアアアアア…!!
「グルウウウアアア~~~!!」
ゼロ距離でブレスをまともに受けてしまったムシアナスが炭化していく
だが、焼ききる前に、サリーのポリモーフが解けてしまった。生物としての頂点、あまりにも強大な力を再現するために使用した、莫大な魔力すらもカラとなったのだ。
変身が解けた彼女は意識を失ったまま落下する。俺はサリーを受け止めて、半分炭化したムシアナスと距離を取った。
強大なデオスフィアで強化されたであろう奴の術も魔力も、さすがに尽きたのか、ムシアナスは狼化も解けて元の老人の姿に変わっていく。変身前のダメージはある程度引き継がれるのか、奴の体も所々がコゲコゲで良く言っても生きているのが不思議なほどの重症である。
(勝負あったな…)
「う…ぐう…」
ムシアナスは意識を取り戻して、どうにか杖の力で体を起こした。
(まだ生きている…!?嘘だろう。どんな生命力してんだ)
「ぐ…ぼぁ…!」
しかし、立っているのがやっとのようで、時折に吐血してふらついている。ムシアナスは両腕の甲についていた石が真っ白に変色しているのを見て、自虐めいた笑みを浮かべる。
「ッフ………10年じゃ…ぐぅ…はぁ、はぁ…」
吐血で汚れた口を拭いさり、独り言のようにムシアナスは呟いた。
「何の話だ」
「この身に残された、数少ない時間じゃ。……この身が動く、限りなく少ない時間。……そして、フォマティクスには、30年余り仕えた。……はぁ…はぁ…先代からの忘れ形見の出来損ないでも、思い入れというものはある。…ぐ……はぁ……はぁ。そして、過ちは、正せなくなる。…変えられることと、変えられないことの違いを知る」
(支離滅裂だ。痛みで混濁しているのか)
「ぐぅ…ごはぁ……はぁ、はぁ。お、お前は、自分が残された時間でどう生きるかを考えたことがあるか」
掘り起こした記憶は大したものではない。キレイな病室、そして耐え難い痛み。自らの死期を悟ったとき、そんな中で自分が皆を笑顔にしたかった。そして自分自身、あの本を手に取って楽しく過ごしたかったという後悔だけが残ったことを思い出す。
「…あるよ。その時間で埋め尽くされるほどね」
「う、嘘だな。……はぁ、はぁ。人は、痛みを知ることでしか、自らを戒めることができない。……過ちが繰り返されるのは、死を語れないからに、他ならない。ケツの、青いガキが、死期など知る由もない。人は誰もが、いつかは死ぬ。それを知っているのと、自覚しているでは、まるで、意味が違うからだ」
彼は俺が転生していることなど知らない。無理もない解釈だ。
「……さっきから何が言いたいんだ」
ムシアナスは震え出した手で、デオスフィアを取って見せる
「この石…陛下が『奇跡の実り』と称した悪魔のような石。……こ、これが、人の身に及ぼす影響を知らないわけではない。知っているさ、分かっている。…わしとて、馬鹿じゃあない。…はぁ、はぁ……でもな、小童。…それでもわしは、先代が掲げた理想が間違っているとは思いたくない。たとえ、どんな手段をもってもじゃ。はぁ…ぐ……わしの余生は、間違ってなどいなかった」
ムシアナスは杖を落とし、姿勢を崩す。だが鋭い眼光はまだこちらに向いている
「先代は、国力、領土の広さ、肥沃さで劣る我が国が……スターリムを超えて繁栄させることを願われた。……お前たちの、獣人やハーフエルフを蔑む受け皿として機能するように………そして、フォマティクスが、誰もが笑顔になれる場所としていられるように。非ヒューマン差別のスターリムを、超えようと……ぐぁ」
スターリムが王都に近いほど、ヒューマン以外の種族をひどく差別する事実が存在することは知っていた。事実、王都はほぼヒューマンしかいない。獣人やハーフエルフであったサリーも、アイリスの領土で商売をしていた。俺が転生した地が端の僻地であり、誰でも分け隔てなく接する実力主義の領主であるアイリスでなければまた、この国への印象は変わっていただろう。
「…お前は、それに加担するために、力を振るうか。非道に染まるしかない、わしにそれを振るうと」
俺はひとつ訂正を入れる
「一つだけ正したい。俺がスターリムに属しているというのは紛れもない事実だ。だが、俺自身は、獣人やハーフエルフなどの他種族を非難しないし、していない。これからもするつもりは一切ない。する理由がないからだ。俺が住んでいた国は、多様性を受け入れるステキな場所だった。俺は自らの領土から手を広げ、いずれ内部からこの差別を是正したいと思っている。間違っている事実がひとつあって、それを外側から壊すだけが、解決方法じゃないだろう」
ムシアナスの目が丸くなった
「お主…この国の者ではない…のか」
「あぁ、ついでに言うと、今聞いた話から先代であるフォマティクス王が目指した理想に、俺は強く賛同する。だが、『今の』お前たちのやり方は、到底許容できない。だから俺がフォマティクスを止める理由は、それだけなんだよ。滅ぼすつもりなんかない」
ムシアナスは肩をふるわせて、力を振り絞り笑う。鋭い目は、丸くなって
「く…ははは…若造に、力の、つかいかたを、説教されるとは……な……それに、わしは、おおきな、勘違いを……して…いた………な…スター、リム、に、先代陛下と、同じ理想をもつものが……いた…とは……」
老人はとうとう倒れて、呼吸が次第に浅くなっていく。弱弱しい声量で語る。
「小童…いや、サトル殿……頼みがある」
俺は黙って頷き、話を促した
「…できそこないの…陛下を……頼ん…だ……ぞ…」
「分かった」
俺の言葉を聞き届けた老人は静かに目を閉じたのであった。
力が悪いのか、使う人が悪いのか。それともその両方なのか。この男は長年国に仕え、何度も非道な手に首をかしげて、それでも利になると信じ動き続けた。いつしか非道は日常になったが、かつて目指した理想までが歪んでいたとは思えない。きっと
雨が冷たくなった体をうちつける