領主編 131話
最初から何事もなかったかのように静まり返った。しかし、カイエンの死体と戦いの跡が先に起こったことが現実であることを認知させる。領主は無事で、町も取り返すことができた。ディープフォルスと呼ばれた男と、見たことがない系統の魔法を行使する女は去った。概ね勝利とみて良いだろう。だが…
(何なんだ……この気分の悪さは…)
確かな勝利を嚙みしめつつも、心のどこかにモヤモヤした感情が渦巻いている。奴の捨てセリフが頭の中をぐるぐるして平静さを奪っていくようだ。
良心を問い返した奴は、決して詭弁で弄し、己が望むように操ろうとしていたようには見えなかった。自分のしていることは、果たして正しいことなのか。そもそも正しい行いとは何なのか。
考えれば考えるほど、少しずつ分からなくなっていく気がした。
険しい顔で地面を睨みつけていると、ふと優しい手が肩にかかった。はっとして顔を上げると、カルミアが心配そうに見つめている
「サトル……。大丈夫?」
「あ、あぁ…すまない」
「…私、その」
「うん…」
彼女が気にかけてくれるのに、俺は何も気の利いた言葉が出てこない。それが余計に申し訳なくなってしまう。
結果、沈黙が続く。
ただ見つめ合っていると、領主のバトーが歩いてきた
しばらく俺とカルミアを観察していたが、どちらも動かないことにしびれを切らし、あいだに入って咳払い
「ゴホン……よろしいか。むう。もう少し時間が必要であれば、出直すが……」
俺は少し取り乱しながらも、バトーを向いて背筋を正す
「あ…す、すみません。大丈夫です。バトー様」
「同じ領主だ。バトーでよい。我もサトルと呼ばせてもらう。この身を救ってもらったのだ。今更かしこまるような関係でもないだろう」
「……わかりました。バトー…さん」
「うむ……。カイエンを斬った謎の男の邪魔が入ったものの、改めて礼がしたい。だがその前に戦後処理を行わねばならん。ひとまずは……」
バトーは周りを見回す。自身の家が穴ぼこだらけの瓦礫まみれになったのだ。俺に一言でも言いたいことがあるだろうに。特に気にしたそぶりもなく、ニカっと笑った。
「ひとまずは、瓦礫の撤去だな。戦いの後で疲れているだろうが、もう少し手伝ってくれぬか?」
「ええ、もちろんです。カルミアさん、ごめん、またあとで話そう。悪いけど手を貸してほしい」
カルミアはこくりと頷くと、持ち前の剛力で大きな瓦礫をひょいひょいと運びだす。続いて他のメンバーにも手伝いをお願いした。
「皆は怪我人の手当てと捕虜の管理を頼むよ、戦闘後だから無理のない範囲でお願いね」
「は~ィ♪アタシのポーションはバリバリだゼ~♪」「バリバリって何?ウチが飲んだらどうなるの?」「姉さんたち、お兄さんが仕事くれたんだからそんな話しないで真面目にやってよ」
サリーたちはわちゃわちゃ会話しながら怪我人の手当、捕虜の誘導や衛兵との連携するためにその場から散開した
バトーは両手を腰に当てて、ワハハと笑う
「ワハハ!いいぞ、これならすぐに終わる。礼も間に合うだろう。よし、我らは瓦礫撤去だ。サトルも手伝ってくれ」
「はい」
* *
瓦礫の撤去がひと段落つく頃には日が落ち始めていた。
「これで終わり…っと」
一際大きな瓦礫をぶん投げると手をパンパンと叩く。辺りはすっかり夕焼けによって紅く染まっている。
岩とゴミが積み重なって山となった上に腰かけて一息ついた。ゴミ山は数メートル程度しかないが、破壊された庭からは町の様子がよく見える。
白い化粧が町の美しさをより鮮やかに飾っていた。
「……美しいな」
「うむ、そうであろう」
「おわ!?」
独り言のつもりだったが、領主のバトーがいつの間にかゴミ山の下でこちらを見てニカっと笑う。俺は驚いて落ちそうになるが、どうにか踏ん張った。
この辺りの人は独り言を盗み聞きする習慣でもあるのだろうか。毎回独り言をだれかに聞かせている気がしてならない。
バトーの両手にはマグカップらしきものが二つ。湯気がよく出ている。きっと温かい飲み物だろう。
「ほら、飲んでくれ。領内で育てた自慢の家畜の乳だ。もちろんこれが礼ということではないから安心してくれ」
「ありがとうございます」
バトーは器用にゴミ山に登り、俺の横に腰かけると大きな手に包まれたマグカップを差し出す
温かい飲み物から伝わる熱が、心まで癒してくれるようだ。
一口飲むとなんだか気分が落ち着いた。
「あったかい」
「うむ……であるな」
たいした会話があるわけでもなく、日が落ちていく様子を眺める。だが決してこの沈黙が苦ということではない。二人同じ景色を見つめ、二人同じ気持ちなのだから。
少し経って、ようやく言葉が出てきた
「バトーさん」
「ん、どうした」
「……正しさって、なんなのでしょうか」
「…」
「奴と戦って、俺思ったんです。今までやってきたことは、当然スターリムにとっては良いことで、正しい行いなのでしょう。でも一方で、苦しんだ者、被害を被った者だっているんです。他ならない、俺たちによって、それが行われた。あいつはハーフエルフですが、去り際にサリーを案じていました。もちろん、その行動すべてを称賛できるわけではないのですが、改めて考えると、何だろうって……。俺たちは正しいことをしているんだって、相手を知れば知るほど根拠が分からなくなったんです」
バトーはゆっくり頷く。会話を挟むことなく、最後まで聞いてくれた。
「そうさな……」
飲み物を飲み干すと、言葉を選び取るようにゆっくりと口を開く
「それが何なのかは、我にもわからないことだ。もしかしたら誰も知らないのかもしれない」
「…」
俺が俯くと、バトーは付け加えるように言った
「うむ……だがな、サトル。我々が正しいと思ったことをするために、どうすれば良いかは知っているぞ」
「それは何ですか」
「……考えることを、やめないことだ」
「考えることを…やめない…?」
「あぁ、そうだ。逃げても良いし、一旦忘れても良い。気分転換をしても良い。だが、正しいことを通したいならば、考えることをやめないことが大事だ」
「よくわかりませんよ…そんな……」
「ワハハ!…そうであろうな。だから、わかるまで考える必要があるんだよ」
バトーは俺の肩を叩く
「失敗をしても良い、結果は結果だ。失敗も成功も経験として己が血肉となる。それ自体は素晴らしいことだ。だが、人は往々にして成功すれば結果に固執し、失敗を続ければやがて恐怖に屈服する。経験という武器に殺されるんだ。他ならない自身の手によってだ。正しい行いをしようとすれば、必ずついて回る問題だ。だが、それは全て己が経験だ。悪いことも、良いことも、経験でありそれ以上でもそれ以下でもない。その経験値という武器をどうするかは君の采配次第だ」
「ですが、それでもうまくいかないことだってあるでしょう。精一杯やってダメだったら、何を心の拠り所にすればよいのです。誰だって最後まで己を信じて進める勇気があるとは限らないんです。俺だって…」
「もちろんだ。そこからが、我が本当に君へ伝えたかった言葉だ。……いいか、サトル。結果は大事だ。それを正しく恐れることだって必要だ。だが成功も失敗も必ず君にやってくる。重要なのは必ず来る失敗に対して、直面したときに何を信じれば良いのか。それは、君自身が、『これが正しいことだ』と信じて、探して、もがいて、あがいて、そして恐怖を抱えつつも行動した。少なくとも、良いことだと信じ行動してくれた。これがとても重要なことなんだよ。きっとこの先も、くじけそうになっても君は戦い続けるだろう。それが『考えることをやめない』ということだ」
「それでも怖いという気持ちはあります。己の行動でたくさんの人の生き死にがかかっているんです」
「だから考えることをやめないことが大事だ。何が正しいのか。それが、唯一、力を持つ我らににできる誠意であり、償いであるのだ。お前は真面目だ。だから人一倍この先悩み、考えるだろう。そして、無理難題に直面する。サトルが民草であれば、茨の道であっても良い道を模索し続ける人と、すべてだめだと諦めて放り出す人、どちらについていく?ま、好みの問題もあるだろうが……我は、どうせ茨の道であるのであれば、せめて一緒に悩み、進んでくれる人を『信じたい』……そして人は信じたいものを信ずる」
「……」
「この景色も、我の命も、この町の文化も、すべてお前が行動し、守り、勝ち取った景色だ。それだけは言わせてもらおう。そうでなければ、今日ここで景色を見て『美しい』などと言わなかっただろう」
バトーはニカっと笑って、ゴミ山を降りた
「そういう考え方も、あるのかもしれませんね」
バトーは気にせず続けた
「まだ礼は終わっていない。……そうだ、良いことを思いついたぞ。復興がもう少し片付いたら『本当の雪華祭』を特等席で見せてやろう。そのためにも、明日も早起きだぞ!」
バトーはルンルン気分で去っていった
「考えることを…やめないこと……か。なんか、はぐらかされた気分だ」
悔しくなってマグカップの中身を口いっぱいに飲み込んだ。
大きなため息は一際白く、空に消える