領主編 108話
「……人を悪魔化させる災厄のデオスフィアは……人の命によって創られています」
「なんだって…」
アイリスは口を閉ざし、アルは思わず後ずさりする。
「サトルさん…もし冗談なら笑えないですよ」
宰相のアルは一瞥すると、アイリスから手記を奪い取って内容を読み始める
「冗談ならどれほど良かったのでしょうか。俺としても、未だ嘘であってほしいと思っています。その手記は、ソリアムと名乗る者の所持品です。基地を爆破する前に回収したものです」
手記の内容は、殆どが捕虜を残虐的にいたぶる内容が日記形式で記述されていた。帰還途中で中身は全て読ませてもらったのだが……正直、吐き気を催す内容で見るに堪えないものだったが、有用な情報も幾つか記載されていた。
「その手記には、俺がソリアムとの戦いで見聞きしたことを裏付けする内容が記載されています。まず、我々がデオスフィアと呼ぶ石は、フォマティクスが何等かのきっかけで製造方法を会得し、戦争に使い始めたこと。石を人に埋め込むと…とりわけ悪意をエネルギーとして石の中で蓄える性質があること。ソリアムは、その性質を最大限活用するため、補給基地で、非人道的な行為を繰り返していたことなどですね…」
「奴ら、悪い意味で…とうとう人としての一線を越えたか」
アルは手記を乱暴に机へ放り投げると眉間を支えるが、アイリスは意外と冷静に事態を受け止めていた
真っ先に質問をしたのも彼女だ。
「ときにサトル、戦いで見聞きしたと言っていたが、何を見たのだ?」
(話しづらい内容だが……)
「簡単にですが、前置きからお伝えします……まず、ソリアムやフォマティクスの兵は、捕虜たちを『素材』と呼称し、補給基地で暴虐の限りを尽くしていました。主にスターリム国に所属する兵士や村人を無作為に捕えて、必要以上の苦しみを与えていたのです。他国の者だけを狙って苦しめる…という状況から、最初はただの私怨による八つ当たりだと思っていたのですが、ソリアムの発言と状況を照らし合わせてみると、デオスフィアを生成するためだということが分かったのです」
アイリスはふんふんと唸っている
「ふむ…デオスフィアは、人の命によって創られていると言っていた。そしてその石は人の悪意を糧とすると。であれば、その石の力を引き出すためには、人に装着させ、いたぶることが最も効率的な生成方法であり、他国の捕虜であるスターリム国民は最も有用な苗床ということか」
(さすがアイリスだ)
「その通りです。ソリアムは、捕虜たち人間を文字通りデオスフィアを製造するための『素材』として扱い、悪意を吸収し続けたデオスフィアを処刑装置で『収穫』し、補給基地の利点を活かして各戦場へそれらを配布する…これが基地の役割でした」
「ふむ…人を素材にね…差し当たり、人間牧場といったところか?」
アイリスの言動に、アルの眉間に筋が入る
「アイリスさん…滅多なことを言うものじゃありません。たとえ表現が適切であっても、それは表現して良い言葉ではありません。認めてはいけないのです」
アイリスは肩をすくめる
「おっと…アル坊ちゃんには刺激が強かったかな…?失礼した。サトル、続けてくれ」
アルは何か言いたそうにするが、俺の報告内容を受け入れることに時間を割くようだ
「はい……。デオスフィアは、本質的には竜魔吸石に近い分類で、何かを吸収するという性質があるようです。そのままではただの石ですが、人に装着して十分な『悪意』を得ると、俺たちがよく知っている、あの赤黒い石になります。製造工程は先ほどお伝えした通りです。成長した石は、寄生している生命体が絶命すると莫大な魔力を得るようで、フォマティクスの兵は、これを汎用的に装着できる技術を生み出し、運用しています。直近の戦いで言えば、蛮族王との戦いが分かりやすいでしょう」
アイリスは腕を組んで、頷いた
「あぁ、あれには本当に苦しめられた。敵兵の隊長格は皆装着していたな。あの石を身に着けている者は、まるで歴戦の勇士のような強さだった。苛烈な戦闘で、剣を重ねた瞬間は昨日のように覚えている。奴らの凶刃によって犠牲になった我が部下も多い…」
アルも深刻そうに報告を受け入れた
「長年の修行を続けたアイリスさんの実力であっても、強敵と言わざるを得ない敵を、短時間で量産する兵器…考えるだけでも恐ろしいものです。製造工程を知ると、その気持ちはより強くなりました」
(あの時は数がそんなに無かったから、戦いとして成立したが…アルの言う通りだ。量産されたら戦局なんぞ簡単にひっくり返す代物だ)
「デオスフィアの性質において、お耳に入れたいことがあと二つあります。俺たちと戦闘になったとき、ソリアムはデオスフィアを使い、意図的に悪魔化させる方法を使いました。結局は、本人の思い通りにはいかなかったのですが…」
「意図的だと?」
「はい、ソリアムの発言内容を信じるのであれば、どうやらデオスフィアは製造過程において、不完全な状況で外そうとしたとき、今までに蓄積された『悪意』が流転するようです。これが悪魔化に関与しているような口ぶりでほのめかしていました。……実際に、それで犠牲になった者をこの目で確認しました」
悪魔化は、人間性を失う代償に強力な力を授かる。あまりの膨大な力によって、体が変異する。変異した者は、破壊の限りを尽くす……その危険性は言うまでもないだろう。
「もう一つ、デオスフィアの汎用性についてです。特殊な器具を使用すれば、すぐには悪魔化せずにデオスフィアの力をコントロールできるようです。しかし、何のデメリットもなく使えるほどの万能なものじゃありません。これらの器具は、蛮族王との戦いで戦利品として確保してあります。アイリス様へ寄贈したサンプルが沢山ありますから、アルフレッド様はそちらをご覧ください」
「助かります」
「デオスフィアを装着した者は、『悪意』によって時間をかけて人間性を蝕まれ、遅かれ早かれ悪魔化します。まだ実例が少ないため仮定ですが、デオスフィアの補助器具は、ある種の抑制装置でしかない。力を緩やかに引き出す蛇口のような役割を果たしていて、悪魔化の進行自体は止まらない。そう考えておくべきでしょう。そして、この事実は我々が捕えた者の情報提供で発覚したものです。この情報はフォマティクスの兵には開示されていないでしょう」
(もしフォマティクスの兵が、悪魔化は抑制でしかないと事実を知れば、戦場で使うのを躊躇うはずだ。それはこの状況を生み出した者が好まない展開だろうからな)
二人共、頷いている。部分的ではあるが発覚していた内容だからだろう。
「汎用性についてもう一つ、デオスフィアの力は道具や魔物にも転用できるようです。補給基地の尋常じゃない守りの強さや、転移魔法の規模を支える原理は、この石の力を借りて実現していたものかと思われます」
まだ詳細な原理は不明だが、門や壁の強度を上げたりできるのは確認済みだ
「人の命で作られた建物…本当の人柱だな」
アイリスの発言で、アルがまた突っかかる
「アイリスさん!!先ほどからデリカシーというものが!!――」
「分かった分かった!、悪かったよ。本当に初心な…いや、なんでもない」
アイリスが両手を上げて、降参のポーズ
アルの眉間はしわが寄ったままだが、俺に軽く会釈して何かを書き留める
「はぁ、もう良いです。サトルさん。情報提供に感謝します…本当にタイミングが良かった。この情報はすぐに国王へお伝えいたします。各諸侯にも鳥を飛ばしましょう」
(こうなると、フォマティクスとの衝突は避けられない展開になるだろうな…)