領主編 84話
豪華な馬車に揺られながらも、ふと主の顔色を伺う。常に眉間にしわを寄せていた王様の表情は、自然な笑みに支配されていた。宰相のアルフレッド・エンダリオは、機嫌の良さそうな王の横顔を見て素直に驚いた。サトルと王だけで交わされた対談の後、サトルの屋敷から出てきた王の表情はとても清々しいものだったのも不思議だった。そこからずっとこの機嫌の良さである。一体、屋敷の中でどんな会話が繰り広げられたのか…
アルフレッドは雑談を交えながらも、それとなく王に尋ねる
「―それで、陛下…中でどのような話を?」
王は笑顔のまま、まだ若い宰相へ問い返す
「アルよ。何かあったように見えるのか?」
「えぇ、失礼ながら…陛下のそのような笑顔を見たのは数年ぶりです。ましてや、屋敷を出てからずっと、その…憑き物が取れたかのような……」
「ふむ…そうなのかもしれぬな」
「…はい?」
「アルよ。目の前に金や権力を並べられ、それを自由に扱ってよいと言ったら、その者はどうすると思う?」
「…大抵の人は飛びつくかと思いますが」
「そうだろうな…だがサトルは違ったのだ。金も権力もいらぬと言った。それどころか、馬鹿をした息子にチャンスまで与えたのだ。まだやりなおせるのだと、道を示した」
「まるで試したような口ぶりですね」
「ははは、ちょっとした遊び心と言ってほしいところだな。サトルは儂が思っていた以上の男だった。その器を示したと言える」
王はいたずらが成功した子供のように笑ってみせる
「儂は息子の暴走をアイリスから魔道具経由で伝えられたとき、もうダメだと思ったのだ。どんなに良い結果に持って行ったとしても、少なくともこの国のいずれかの都市は跡形もなく消されるのも視野に入れていた。実際、サトルとその周囲にいる人物は、容易にそれを成すことができる。その力を以ってすれば武力によって、我が国の全てを手に入れることも容易いだろう」
「…そのようなことはありません。我が国の規模と兵力はこの大陸でも1、2を争うほどです。小さな町をひとつ所有する程度の冒険者上がりが、国を相手取って大立ち回りなどありえません」
王は笑顔のまま宰相を諭すように話す
「アルよ。右腕としてその視野の狭さはまだ浅いとしか言えぬ。ソード・ノヴァエラに向かう道中で、王都へと敗走する愚息と近衛兵の報告は受けているだろう」
アルフレッドは思い出すように眉間に手を当てて言う
「えぇ…たしか、ウィリアム様も、近衛兵も大きな怪我は無く、また一人も欠けることなく王都へ向かっていると…」
「それが、どれほど恐ろしいことか考えるのだ。それに、あの町の周辺で大きな地盤沈下があったと報告も受けている。道中で巨木や大岩が不自然に散乱していたのも気になるところだ。しかも、そのどれもがまるで刃を通したように斬られていた。町周辺で大規模な戦いがあったことは明確だろう。しかし、一人も死んでいない。だが、愚息は遁走した……このようなことを言うのは恥ずべきことだが、愚息は言っても分からない奴だ。昔から痛い思いをしなければ分からぬやつなのだ。だからこそ『明確な恐怖』でもなければ敗走など愚息の頭の中の選択肢から選ばれることは無い。断言しても良いぞ、状況証拠からして、我が国最強の近衛兵数百を、たった数人…つまり1パーティーだけで抑え込んだと見ている」
実際にはカルミア一人で抑えたのだが、王の考えは真に迫っていた。しかし、宰相は王の考えに疑問を感じていた
「陛下、それはあまりにも……現実的な考えじゃないですよ。仮にそうだとして、サトル様が、何かされたのでしょうか。ですがどうやって…?」
「殺すよりもずっと難しいやり方で、愚息を丸め込んだと考えるのが自然だ。方法は実際に見たわけじゃないから分からない。近衛兵から事情を聞くまでは推測することしかできぬ。だが、現状はそう考えるのが自然だ」
王はサトルに対して過剰評価…もとい怖がりすぎなのではと宰相は考えた。土地を与えたところから、サトルへの配慮が大きすぎるのだと。漠然とした考えが巡る
「陛下はサトル様を怖がりすぎていると思います。右腕として進言させていただきますが、彼が賠償を断ったのも、後から自身の実力が劣っていることが明らかになるのを恐れているのでは?彼は放置していても実害がないと思いますが」
王の笑顔に影が差した
「それを本気で申しているのであれば、アルよ。儂は宰相を変えねばならない。サトルは我が国にとって、切り札になる可能性も、破壊の権化と成る可能性も秘めている。フォマティクスとの戦も、彼の存在によって左右することになると確信しているのだ」
王は宰相が何かを話す前に手で制し、続ける
「武力と大きな器を兼ね備えた人物など、簡単に見つかるものではない。我が国の失態に対して、サトルは慈悲をもって、忠を尽くした。儂らへ許しを与え、全ての有利な権利を惜しむことなく手放した。これからもサトルに頼ってしまう状況はやってくるかもしれぬが、儂らは国の威信にかけて、サトルから受けた恩義を仇で返すようなことをしてはならないのだ」
王都への帰路はそんな会話が繰り広げられたのだが、サトルは知る由もない