領主編 54話
「それで、例の石…デオスフィアについてですが」
先の戦から、アイリスに石を預けて研究をしてもらっていた。その結果についてだ。戴冠式ついでに、ある程度の進展があったと見ているが…
アイリスは頷き、使用人に目配せする。使用人はきびきびした動きでリビングテーブルに幾つかの資料を並べていく
「君から預かっていた石を使い、あらゆる角度から実験を行った。…あまり褒められた手法ではないが、実験には罪なき人を殺めた賊…罪人を中心に協力してもらった」
シールドウェスト近辺にも人を襲う賊は存在する。今回の実験では、そのような経歴と罪状を持つ者を捕らえて実験対象にしたということだろう…。厳しい世界だが、今の俺に道理を説く権利は無さそうだ
「…何か分かったのですか」
「あぁ」
アイリスはテーブルに並べられた資料を一枚手にとって俺に渡した
その資料には、死刑囚の中でも極悪非道だった双子の経歴が記載されている。殺人、盗み、放火、はたまた凌辱…他にも数々の罪が羅列されており、救いようの無いほどの罪状をコンプリートしていた。
「これはひどい」
アイリスは頷く
「まぁな…その者ニ名を使って、厳重な管理のもと、双子の内の一人にデオスフィアを飲み込ませた。するとすぐに変化が起きたのだ。顔は酷く歪み、皮膚は黒ずみ、冒涜的な羽をたずさえたのだ。鉄製の拘束具を腕力のみで破壊し、閉じ込めていた檻の鉄格子も素手でひん曲げてこちらの兵に襲いかかってきた」
悪魔化…だな。シールドウェストで開催した武闘大会、そこで俺が相手となった冒険者と全く同じ現象が起きたということだ。これらの石が悪魔化と関連しているのは、もう明らかだと言える
「逃げられたのですか…?」
「いや、すぐに取り押さえた。しかし、弱らせて取り押さえるまでに30人ほどの兵が犠牲になった。石を飲み込む前とは比べ物にならないほど、身体的な能力が向上していたのだよ」
「その後はどうしたのですか?」
「悪魔化については情報が少ない。殺すことはせずに、今もシールドウェストの我が館の地下に急造させたミスリル製の特殊な檻に閉じ込めてあるが…状況を聴取しようにも言葉は最低限しか通じないうえ、暇があれば暴れまわる獣のような始末でな。少々手に余っている」
…悪魔化した人は憎しみに支配されるように、怒り狂う…。これの特徴も俺が経験したことに一致している。
アイリスは更に資料をひとつ手にとって俺に手渡した。そのまま話を続ける
「死刑囚の双子の内、もう一人の結果だ。その者は石を飲み込ませることはせず、蛮族王や先の戦での兵を指揮していた者が身に着けている装身具…それを介して石を着用させた。…呼んでこい」
使用人が家から出て、すぐに誰かを連れてきた。
アイリスの私兵をニ名挟んで連れてこられた者は、手には例の装身具と石をセットで身に付けている。目は布で覆われ、首、手、足…それぞれ厳重に枷がはめられていた。奴隷用の首輪に関しては一つでは足りなかったのか、2つも重ねて使われている徹底した拘束ぶりである。
「この人は…!」
「あぁ、先に伝えた双子の一人だ。ご覧の通り、悪魔化しなかった」
「能力が引き出せなかったのですか?」
「いいや…こいつも能力を発揮した。装着前とは比べ物にならないほど強くなって、我らの兵を何名もヒーラー寺院送りにしたよ」
罪人は小馬鹿にしたような笑いを披露する
「ヒヒヒ…死ぬ前にお前らを何匹かぶちのめせた。さいっこうに嬉しかったぜぇ……!」
「黙れ!」
ガン…!
アイリスの私兵は怒り、鉄のガントレットをつけたまま罪人を殴りつけるが…罪人は大木のように体制が崩れず、また平然として笑い続けている
「ヒヒ…痒いなぁ……」
…正しく、石の力だろう。この装身具は、悪魔化を抑えて力だけを引き出す道具なのだ
アイリスはため息をつく
「はぁ…不思議なのが、我が兵たちの中から希望する者を募って装身具を付け、同じ用に石を装着させても、同様の強化は起きなかった。それどころか、石が全く反応すらしないのだ」
俺は手元の資料を読み込む。双子の経歴と、装身具をつけてからの変化について詳しく記載されていた。しかし、めぼしい情報は無さそうだ
「この者たちに有って、俺たちに無いものがあるのでしょうね…。それが何なのかは今のところ分かりませんが…フォマティクス国側が、この非人道的な力を使って戦を仕掛けようものなら、被害は大きなものとなってしまうでしょう」
…この石の出どころを考えると、その可能性が最も高いのが頭の痛い所だな…
俺は、罪人に近づく
罪人は薄ら笑いを止め、真顔で俺を観察した
「この石を着用して、他に変わったことはありましたか?」
「…ッペ」
罪人は俺につばを吐き散らす
「貴様!サトル様になんてことを!」「お兄さんに何をして…」
フォノスは殺人刀を抜き、アイリスの私兵は怒り、また罪人を殴りつけようとするが、俺はそれを全て手で制止した
「良いんだ。……頼む、少しだけでもいい」
俺は頭を下げた
「ヒヒ…そうだなぁ…じゃあ、条件として首輪を外してくれよ。苦しくてかなわない」
アイリスの私兵は首をふり、話に割って入った
「ダメに決まっているだろう!そんなことをすればお前はまた暴れ回る!」
「ヒヒ!俺はこいつと話しているんだよ!すっこんでろ!」
…交渉のテーブルはまず信用作りから……だったか
俺は罪人の首輪に手をかけた
アイリスの私兵は驚き、首を勢いよく横にふる
「サトル様、おやめ下さい。貴方様の身に何かあっては大変なのです。アイリス様からも何か…」
アイリスは俺たちのやり取りを興味深そうに見ているだけだ。その表情は何かを見極める鋭い鷹のよう
「俺のことを気にかけてくれて、ありがとうございます。そして、お役目を懸命にこなしてくれてとても尊敬します。ここは、どうか俺を信じて下さい。それに、何かあれば頼れる仲間が助けてくれます。ね、カルミアさん」
カルミアは
「そうね…サトルが望めば、奴はもう10回は死ぬ機会があった。問題ないわ」
そういうと、一度刀を抜いて、すぐに刀をしまった。すると、数秒後…頑丈な罪人の首輪はスパっと切断され残骸が地面に落下する。…パーティーメンバーを除いて、この斬撃は誰一人目で追えなかっただろう
「…承知、しました」
兵は渋々了解し、罪人を睨みつける
罪人は首をまわし具合を確かめている
「どんな小さなことでも良いのです。協力して下さい」
薄ら笑いだった罪人はそれからずっと真顔のままだ。やがて口を開く
「ふぅ………分かった。お前は何か違うみたいだからな。あくまでも、お前のために、少しだけだ」
「十分です」
「…この石をつけられてから、毎晩のようにうなされるんだ。悪夢ってやつだな…俺は生まれて一度も怖い夢なんて見たことがない。非情な逃亡生活、その現実こそが最も怖いって知っていたからだ。だから夢は救いだった。その夢から、裏切られたんだ。悪夢が石のせいだってすぐにわかったね。だから寝るときは石を外してもらったりもした。だが、一度つけてからはずっと、悪魔が俺を追い続ける夢がずっと……それが、大きな変化だな」
…
罪人は繋がれた手で、追われるようなジェスチャーをする。その手元…とくに爪が漆黒に染まっていることに気がついた
「その手先は…?汚れですか?」
「これも、その変化だな。少しずつだが…侵食されているようだ」
…もしかして、石の恩恵とデメリットは装身具をつけていても効果があるのか?その仮説が正しかった場合、装身具はデメリットを無効化するのではなく、悪魔化を遅らせているだけ…ということになるぞ
俺はアイリスへ振り返る
「アイリス様、これは―」
「あぁ、やはりお前に情報を伝えることが正解だったようだ。よくやった」
…フォマティクス国、なんてものを作り出したんだ