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異世界恋愛短編

英雄の帰還

作者: 糸木あお

 ユースタスが帰ってくる。大人しくて、泣き虫で、我慢強い男の子だった。8歳年下の彼は他の子どもたちの面倒を良く見てくれた。不器用で、とても優しい心の持ち主だった。


 5年前の戦争で彼は兵士として戦場に向かうことになった。まだ14歳の大人しい少年が武器を持たなければならない不条理にわたしはずっと怒りを覚えていた。


 戦場へ行く前日、彼は先生のことがずっと好きだったから待っていて欲しいと言った。    

 

 それから、そっとわたしの頬にキスをした。小さい頃は毎日おやすみのキスをしていたけれど、彼が大きくなってからは初めてだった。わたしは彼にとって母のような姉のような存在だったはずだ。それでも、わたしを慕ってくれる彼の気持ちはとても嬉しかった。


 わたしは義父が亡くなったことにより、若くして孤児院の院長という責任のある立場を受け継いだ。わたしは生まれてすぐにこの孤児院の扉の前に捨てられていたらしい。上等な布に包まれたわたしの瞳の色は紫で、明らかに貴族の血を引いた捨て子だった。


 義父はそんなわたしを他の孤児たちと一緒に育てた。温かくて優しくて厳しい人だった。反抗期にはそれなりに言い合いをしたけれど、彼はいつでもわたし達を正しく導いてくれた。


 院長という立場だったのでわたしは戦争には行けない小さい子どもたちと戦火からなるべく遠い場所へ疎開した。


 慣れない土地での生活はいっぱいいっぱいでユースタスからの手紙が来なくなっていることに気付いたのはしばらく経ってからだった。戦争が激しくなるにつれて物資も少なくなったが、戦災孤児は増えてひとり当たりの食事量も減っていった。


 1日2回、水分でギリギリまでふやかした麦の粥に野菜を入れたものを子どもたちと食べた。乳児がいたため近隣の人から山羊の乳を分けてもらうことも一苦労だった。こちらに持って来ていた売れそうなものは全て売った。義父の形見も高価そうなものは売って生活費にした。


 大人はみんな戦争に必要なものを作ったり、魔法使いであれば女性も最前線に立たされた。苦しい戦いだった。それが昨年、対戦国内での革命により戦況が変わった。


 そして、戦争自体は終わったがその後の片付けや復旧で兵たちはなかなか帰って来れなかった。わたしはもとの土地に子どもたちを連れて戻り、途中でさらに増えた孤児たちと一緒に新しい生活を始めた。


 村も街も綺麗になって来た頃、兵士たちの凱旋の話を聞いた。その中にユースタスもいるらしい。彼から手紙が届かなくなって久しいが近くの街まで来るなら彼のことをひと目見たいと思った。


 あの日の約束は、きっと忘れてしまったのだろう。人からの噂や回覧を見て、ユースタスが戦争で活躍し、英雄として叙爵されることを知った。貴族になるのなら、もうここには戻ってこないだろう。


 でも、ひょっとしたら貴族として寄付に来てくれるかもしれないな、とわたしは考えた。どちらにせよ彼とここで食事や洗濯をしたり、夜、眠る前に字を教えたりすることは二度とないと思う。あの、大人しいけれど意思の強い黒曜石のような瞳を思い出すと少しだけ寂しい気持ちになった。


 凱旋の日、こちらに来るまでに一緒について来た未亡人のサシャに小さい子どもたちの面倒をお願いして、比較的大きい子どもたちとはみんなで手を繋いで列になって街に向かった。


 臨時の屋台では花やお菓子、軽食などが売られていた。子どもたちが欲しがったので瓶に入った飴を買ってひとつずつ与えた。戦時中に比べれば、国からの援助もあり格段に生活は楽になった。


 食事も3食とおやつを食べられるようになったし、肉は少ないけれど主食はしっかりとみんなが満足できる量を用意できるようになった。たまには嗜好品を食べたりも出来るようになった。


 ガリガリだった子どもたちも少しずつ肉がついてふっくらとしてきて安心した。あまり痩せているとすぐに風邪を引くからだ。義父がそうだったのでわたしは体力をつけるためにちゃんと食事は取らせてあげたいと考えていたのだ。


 街中に白い花びらがぱらぱらと降り注いで、パレードが始まった。この花はきっと魔法によるものだろう。珍しい魔法だからもしかしたらおつの魔法使いが彼らの中にいるのかもしれない。へいていの魔法使いは結構いるけれど乙は珍しいのでわたしは見たことがなかった。


 ひらひらと舞う白い花びらがとても綺麗で子どもたちはとても喜んでいた。


「ねぇ、先生。ユースタスはどこにいるの?」

「まだ、来ていないみたいね。もうユースタスじゃなくて様をつけなきゃ駄目よ。彼は貴族になるんだから」


「そうなの? じゃあ、ユースタス様にはもう会えないの?」

「もしかしたら、視察とか訪問で来てくれるかもしれないわよ」


「そっかぁ、俺らのことはもう忘れちゃったのかな」

「ユースタス様は優しいからきっとわたしたちのことを覚えているわ。もしかしたら、手を振りかえしてくれるかも」

「それだけ? もう一緒にごはんも食べられないの?」


「そうかもしれないわ。でも、先のことはわからないものよ。あ、もうすぐ来るんじゃないかしら?みんな、見える?」


「先生、見えないよぉ」

「それじゃあ肩車する?」

「良いの?」

「良いわよ。でも少しだけね」


 ラッパの音が鳴り響き、白い花びらが舞う中、正装した兵士たちが行進する。戦争が終わったということを改めて確認できた人々は喜びあい、歓声を上げた。


 そのパレードの中でも一等豪華な屋根のない馬車にユースタスが乗っていた。面影はあるけれど彼は立派な大人の男性になっていた。黒い軍服を着て真面目な顔で手を振るユースタスと一瞬だけ目が合ったような気がした。


「今、こっちを見て手を振っていたわ!」

「そうね。もしかしたらわたしたちに気が付いたかもしれないわね」

「きっとそうだよ! ユースタス様はこのあと孤児院に来てくれるかな?」


 遠ざかっていく馬車をしばらく眺めてからわたしたちは帰ることにした。途中で戦争の英雄たちの絵姿が売られており、その中にユースタスのものもあった。先ほど見ていた姿に似ていて、わたしが知るユースタスはもういないのだな、と思った。


「楽しかったね!」

「ずうっとお祭りなら良いのに。お花綺麗だったね!」

「ええ、素晴らしかったわね。あんなに綺麗な魔法があるなんて知らなかったわ」


 孤児院に戻るとサシャと子どもたちは花冠を編んでいた。白詰草にたんぽぽ、蓮華などを編み込んだ花冠はとても可愛らしかった。


「あ、先生! おかえりなさい。ねぇ、これ先生にあげるわ」

「わぁ、綺麗ね。ありがとう。嬉しいわ」

「ドロシー先生、お帰りなさい。ジミーとラシアはまだお昼寝しているから静かにね」


「ありがとう。サシャ先生。これ、少し中身は減っちゃっているけど、お土産だから後で食べてね」

「あら、ありがとう。美味しそうね」


「美味しかったわ。それじゃあ夕食の準備をしてくるから子どもたちをよろしくね。マーシャルとリンネは支度を手伝ってくれるかしら?」


「勿論。何からやる?」

「それじゃあ玉ねぎの皮を剥いてくし切りにしてちょうだい」

「俺は?」

「マーシャルはジャガイモを洗って皮を剥いてね」


「うわ、難しい方じゃん。先生、おかずちょっと増量してくれる?」

「いつもたくさん食べるじゃない」


「成長期なんだよ。俺もユースタス様みたいに強くて格好良い英雄になるんだ」


「……英雄になんてならなくて良いのよ。あなたは無理に強くならなくたって良いの。もう戦争は終わったんだから危険なことをしなくて良いのよ」


「はぁ、先生。男っていうのは強くなりたい生き物なんだよ」

「ばっかみたい。そういうこと言うからマーシャルは子どもっぽいのよ」

「うるせぇ、ちびリンネ!」


「あら、拳半分くらいしか大きくないのに良く言うわね。まだドロシー先生より小さいくせに」

「先生がでかいんだよ!」


「あら、そんなことを言う子のおかずは少なめにしちゃおうかしら?」

「わー、ごめんなさい! もう言いません!」

「ほら、口だけじゃなくて手も動かしてね」

「はぁい」


 野菜がたくさん入ったシチューとすこし固めのパン、それにチーズと果物が食卓に並んだ。席についた子どもたちがお祈りの言葉を口にした時、扉をノックする軽快な音が聞こえてきた。


「あら、ドロシー先生、今日は誰か来る予定だったかしら?」

「いいえ。でも急ぎの用かもしれないから見て来るわね。みんなは冷めないうちに食べ始めててね」

 

 はぁいと言って子どもたちは食事に手をつけ始めた。今日は誰かが来る予定ではなかったけれど、緊急性のある孤児の受け入れもあるのでそのパターンかもしれないなとわたしは考えた。


 そして、開錠してから扉を開けるとそこには黒に金の装飾のついた軍服を着たユースタスが立っていた。その手には大量の布袋が抱えられていた。


「先生、久しぶり。元気だった?」

「……ユースタス、様。お久しぶりです。まさか来ていただけるなんて思っていませんでした」


「やめてよ。先生にそんな他人行儀に喋られたら、おれは悲しいよ」

「それは、でも、大丈夫なの? 時間とか」


「なんか手違いで宿が取れなかったらしくてね。他の人は急いで振替したけどおれの家はここだから。上司には実家に帰るから良いって言って来たんだ」

「あら、それは大変だったわね」


「それで、泊めてもらうからお礼に食料を持ってきたよ。先生が好きなやつとチビたちが好きなやつ。勿論、お礼だって払うよ。おれ、今お金持ちだから。昔とは、違うんだ」


「お金なんて良いのよ。ただ、前に使っていた部屋は子どもと職員以外は寝泊まりできない決まりだから客室を使ってもらうわね」

「ああ、全然構わないよ。あの部屋一度使ってみたかったんだ」


「それなら良かったわ。今ちょうど食事の時間だったの。豪華なものではないけどユースタスも食べる?」

「良いの? 先生の料理久しぶりだから嬉しいなぁ。この匂いはシチューかな? おれ、先生の料理はなんでも好きだけどシチューは特に好き」


「ふふ、そういえばそうだったわね。じゃあ食堂に行きましょうか。荷物、ひとつ持つわよ」

「先生に持たせられないよ。おれ、力持ちだから大丈夫。身体だって大きくなったし」


「そうね。前は同じくらいの背だったのに随分大きくなって。ユースタスが立派になってくれてとても嬉しいわ。手紙もしばらく来ていなかったから心配していたのよ」

「そっか、先生、おれのこと心配してたんだ? おれがいない間おれのことどれくらい考えてた?」


「たくさん考えたわよ。ユースタスが無事でありますようにって神様に何度も祈ったわ」

「嬉しいなぁ。……これからまた先生と一緒にいられるなんて夢みたいだ」

「え? 何か言った?」

「ううん。行こっか。せっかくの料理が冷めちゃうもんね」


 ユースタスの登場に子どもたちはとても驚いてから大喜びして飛びかかった。サシャは目を白黒させて驚いていた。ユースタスと面識のあった子どもたちは彼に抱きついてなかなか離れなかった。

 

 普段は小さい子どもたちの面倒を見ているマーシャルとリンネもユースタスの前だと昔に戻ったように甘えていた。そんな子どもたちの頭を撫でながらユースタスも嬉しそうだった。


 それから、ユースタスはシチューを3回おかわりして、お土産のお菓子をみんなで食べた。いつも買うものよりも上等なものでとても美味しかった。他にも加工肉やパン、野菜や穀物も入っていた。そんなユースタスの気遣いがとても嬉しかった。


 ユースタスは男の子たちをお風呂に入れてくれて、彼らが眠るまで遊んでくれた。ユースタスの腕に4人の子どもがしがみついてそのままぐるぐると回ったりしていた。


 義父のお古を着てつんつるてんのユースタスは昼間のパレードで見た彼とは別人のようだった。そんな彼を見て笑うとユースタスはとろけるような笑みを浮かべた。


「先生、みんなが寝たらおれと遊んでくれる?」

 

 ユースタスはそう言って悪戯っぽく笑った。それを見たサシャはわたしの目を見て頷いた。そして、子どもたちが眠ってから談話室へ移動した。


「わぁ、懐かしいな。この柱ってこんなに小さかったんだな。あ、これも前のままだ!」

「ユースタス、楽しそうね。何して遊ぼうか?」

「うーん、先生とならなんでも嬉しいから悩むなー。あ、作りかけのパズル、まだある?」


「あれは、燃えちゃったんだ。この建物も少し燃えたところがあって。修繕はしたんだけど……」

「そっか、残念。じゃあカードゲームでもしようか。おれ、先生のおかげで軍にいるときに結構儲けたんだよ」


「え? 賭け事してたの?」

「うん。みんな下手くそだからいい鴨だったよ」

「あら、ユースタスに負けるなんてみんな初心者だったのかしら?」

「おれ、どうやら賭けると強い体質みたいなんだ」


 ユースタスはそう言ってから、にっこりと笑った。その笑い方は昔のままだった。前と違って見上げるくらい大きくなったけど、変わらないところもたくさんあって、それがとても嬉しいと思った。


「そうなの?」

「うん。試してみる?」

「良いわよ。なんたってわたしがあなたに教えたんだから。負けないわよ? 勝ったらどうする?」


「うーん、先生から決めてよ」

「じゃあ、わたしが勝ったらまた子どもたちと遊んでくれる?」


「そんなの賭けで勝たなくたっていつだって遊ぶよ! 何か欲しいものはない?綺麗な宝石にドレスだって、新しい家具でも何でも買ってあげるよ。孤児院のものは結構ボロくなってきてるし。でも、思い出があるから建て直すのはちょっとやだなあ。あ、この机の傷はおれがつけたやつだ」


「うーん、それじゃあ、わたしが勝ったら明日の朝ごはんはユースタスに作ってもらおうかな。ユースタスが作るサラダが好きなの。ニンジンとクルミがたくさん入っているやつが良いな」


「先生のお願い、ささやかすぎるんだよなぁ。まぁ、良いけど」

「今日ね、ユースタスがここに来てくれただけで充分嬉しくて他に何もいらないのよ。ユースタスが無事だったことが本当に嬉しかったの。だから、ひと目だけでもって思ってたからまさか来てくれるなんて思っていなかったわ。宿が手違いで手配出来なかったのは大変だったと思うけど、それも神様の思し召しかもね」


「ふぅん。そう。神様の思し召しかぁ」

「ええ。きっとね。あ、ユースタスは勝ったらどうしたい?」

「おれが勝ったら先生とまた家族になりたい」

「あなたはいつまでもわたし達の家族よ」

「先生ならそうやって言うと思ってたよ」


 ユースタスは慣れた手つきでカードを混ぜてからテーブルの上に並べた。これはきっと絵合わせだ。昔からわたしが得意だったゲームだ。


「どっちが先攻にする? 先攻の方が不利だからわたしが先攻にしようか?」

「ううん。おれが先攻になるよ。完全勝利が良いからね」

「そう? じゃあどうぞ」


 ペラと一枚カードがめくられる。そして、もう一枚、そこに描かれた絵は一致していた。そしてユースタスはまたカードを捲る。もう一度捲ると今度も絵は一致した。ペラリと捲る音が続く。


 結局、わたしが一度もカードに手を付けないまま勝負はついた。


「やったあ。おれの勝ち! これで先生はおれのお嫁さんね」

「え? ユースタス、まだそんなことを」

「おれは本気だよ。今日はもう寝るけど、明日また先のことについて話そうね」


 そう言ってからユースタスはわたしの額にキスをした。自室に戻ってからもさっきのユースタスの爆弾発言を受け止められないまま、わたしは布団に潜り込んだ。


 どうやらユースタスの気持ちは、ずっと変わらなかったらしい。もうすぐ爵位を授けられる大戦の英雄。見た目も逞しく、地位も若さもある。そんなユースタスに行き遅れの平民の孤児院院長はどう考えても釣り合わないだろう。


 それに、わたしはユースタスのことを好きだけど、それは家族愛なのだ。だから、小さい頃からそばで見ていた少年と、目の前に現れた英雄が同じ人間だと言うことが結びつかなくてかなり混乱していた。


 だって、わたしは結婚なんてせずにこの孤児院を続けて、子ども達を育てることに人生を捧げようと思っていたのだ。成長していく彼ら、彼女らを送り出すことが義父から受け継いだわたしの使命だと思っている。

 

 なのに、ユースタスに家族になりたいと言われたとき、嬉しいと思ってしまったのだ。


 ユースタスのことを考えていたら、夜が明けてしまった。つまり、一睡もできなかった。空が白み始めた頃には諦めて朝食の支度を始めた。彼が好きだったマッシュルーム入りのオムレツとトマトの入ったコンソメスープを作りながら昨日のキスを思い出した。


 彼からキスをされることなんて今まで何度もあったのに、昨日のキスはなんだか心臓がギュッとした。


「わ、良い匂い! あ、これおれが好きなやつじゃん。先生優しいなぁ。あれ、目が赤いよ?」

「これは、ちょっと寝付きが悪くて……。ユースタスは眠れた?」


「おれはもうぐっすりだったよ。なんか懐かしい感じがした。先生がそばにいると思うと安心したみたい。みんなはまだ起きてこないの?」

「もうすぐ起こそうかなって思ってるの。良ければ起こしてきてくれる?」

「良いよ。でも、ちょっとだけ良い?」


 なに?と言う前にユースタスに後ろから抱きしめられた。大きな身体はゴツゴツして硬かった。ユースタスはわたしの首元に顔を埋めて深く吸い込んだ。


「匂い、嗅がないで……!」

「先生、こんなに小さくなっちゃったんだね」

「ち、違う。ユースタスが大きくなったのよ。わたしは変わっていないわ」


「先生、柔らかいね」

「……ユースタス、そろそろやめないと怒るわよ」

「ごめん、先生。怒らないで。おれ、みんなを起こしてくるね」


 ユースタスはそう言って音も立てずに厨房から出ていった。離れている間の5年の月日が彼を大人の男性にしたようだった。男性との付き合いがほとんどなかったせいでどうすれば良いのか全くわからなかった。孤児達は15歳で仕事を見つけて出ていく。管理する上で大人の男性は置いておけないから関わることがあまりないのだ。


 ずっと仕事に追われているから出会いもなかった。戦争が始まった頃だって若くはなかったけど、27歳になった今、結婚は諦めていたのだ。それなのに、ユースタスに愛を乞われて年甲斐もなく浮かれてしまった。そんな自分自身をはしたないと思った。


 子どもたちとサシャとユースタスが席につき、手を組んで食前のお祈りを始める。離れていたのにずっと染み付いた習慣のようで、彼のお祈りの言葉はとてもなめらかだった。


 食事が終わってからユースタスは子どもたちと庭を駆け回り、背負ったりかくれんぼしたり木に登った。子どもみたいな無邪気な笑顔から目が離せなかった。


「ユースタス様、良い方ですね。英雄というからもっと怖くていかつい人を想像してました。ドロシー先生と喋っているとなんだか可愛いなって思いました」


「ずっと一緒に暮らしていたからね。ユースタス、良い子なのよ。前はもっと大人しくて思慮深い感じだったけど明るくなっててびっくりしたわ。あんなに甘えてくるタイプじゃなかったんだけど」

「思春期だったんじゃないですか? ドロシー先生のことが好きで意識しちゃったとか」


 予想しない場所から核心を突かれてわたしは咳き込んでしまった。まさか、他の人から見てもユースタスの気持ちはわかりやすかったのだろうか。


「あら、大丈夫?」

「なんか、急に咽せちゃって。ごめんなさい」


 ユースタスがこちらを向いて手を振った。軍服を脱いで麻のシャツを着て子どもたちと遊ぶ姿は、とても大戦の英雄には見えなかった。


 その時、ジミーがつまずいて膝を擦りむいて大声で泣き始めた。ユースタスがすぐに近寄ってジミーの膝に手をあてた。


「もう痛くないよ。見てごらん」

「ほんとだ」

「ユースタス様、すごい!」

「ユースタス、あなた魔法が使えるようになったの?」


「そうだよ。戦争中にね。すごく強い人だった。夜に見張りをしたときに少しずつ教えてくれたんだ。だから、ていくらいの魔法は使えるんだ。正式に登録はしていないけど」

「時間が出来たら申請しないとね。でも、忙しいかしら? いつ頃この街を離れるの?」

「全然休みを取れていなかったから、しばらくこっちにいられるはずだよ」


「そうなのね、ユースタスさえ良ければ休みが終わるまではここにいても良いのよ」

「良いの? それじゃあお言葉に甘えようかな」


 ユースタスはそれから毎日子どもたちと遊んでくれて、普段出来ない高いところの掃除をして天井の修繕までしてくれた。しばらく会わない間になんでも出来るようになっていてとても驚いた。


 昔はわたしよりも小さくて高いところのものは踏み台を使っていたのにと思い出して懐かしい気持ちになった。


 あの日以来ユースタスはわたしに触れたり好きだと言わなくなった。結婚しようというのも冗談だったのかもしれない。ユースタスの気持ちが嬉しかったから少しだけ寂しく思った。


 そして、孤児院の小さい子どもたちもみんなユースタスのことが大好きになった頃、彼が軍に戻ることになった。

 

「ユースタス様、また遊んでね」

「俺も将来は軍人になりたいからまた話を聞かせてよ」

「いろんな所を直してくれてありがとう」


「あなたが来てくれてみんなとても嬉しそうだったわ。ユースタス様、ありがとうございます」

「ユースタス、あなたに久しぶりに会えて嬉しかったわ。身体に気をつけてね」

「先生、みんな、またすぐに来るからそんな顔をしないでよ。またたくさんお土産を持ってくるよ」


 そう言ってから黒い軍服をきっちりと着たユースタスは王都へと帰っていった。また来ると言って別れたけれど、それから3ヶ月たっても彼からは何の便りもなかった。


 そして、人伝てに彼が侯爵令嬢と結婚するという話を聞いた。ユースタスと同じ歳の金髪紫眼の美しい令嬢らしい。それを聞いた時、少しだけ安心した。


 英雄で爵位を与えられる予定の彼が8歳年上の出自のわからない孤児院の院長と結婚するわけがないと、他でもない私自身がそう思っていたからだ。


 抱きしめられた時の熱はもう思い出せなかったし、ユースタスが幸せになれるならそれがいちばん良い。わたしは遠くから彼の幸せを祈ろうと思った。


 それから何日か過ぎたよく晴れた日にわたしはリンネと一緒に市場に買い物に来ていた。この場所に来るたびにユースタスの凱旋パレードのことを思い出す。黒に金の軍服を着たユースタスは凛々しくて、立派になったなと胸が熱くなった。


 あの日、彼を誇らしいと思った。その後に再会して身体は大きくなったけれど話すと中身はあまり変わっていなくてすこし可笑しかった。


 子どもたちと楽しそうに遊ぶユースタスやカードゲームで勝って嬉しそうにする姿を思い出すと少し寂しかったけれど、またきっと神様の思し召しでいつか彼に出会えるだろう。


 だって、ユースタスは待っていて欲しいと言って戻ってきたのだから。また来ると言ったならきっとまた会えるはずだ。その時、彼の隣には妻がいるかもしれないけれど、そのお祝いだって彼の家族としてするべきだと思う。


「ねぇ、先生。大丈夫? 最近ずっとうわの空じゃない。ユースタス様のこと考えているんでしょう?」

「そ、そんなことないわ。いや、家族だから彼がどうなったか心配ではあるわよ。でも、素敵な縁談も来ているらしいし。きっとその準備で忙しいのね」


「そうなの? ユースタス様って先生のこと好きなんじゃないの?」

「え? 何を言ってるのかしら? そんなこと全然ないわよ」

「だって、昔から先生のこと見てたよ。先生のこと大好きだって目をしてるもん。この前だって先生のこと好きでたまらないって顔してたよ」


「それは、何かの見間違えじゃないかしら?」

「先生だってユースタス様のこと好きでしょ?」

「それは、家族として大切に思っているわ」

「ふうん。先生も満更じゃないように見えるけど?」


「リンネ、あなたこそマーシャルのことどう思ってるのかしら?」

「あんな子どもっぽいのわたしの好みじゃないわ。もっと優しくて背が高くて眼鏡をかけてる人が良いわ」


 口ではそんな風に言っているけれどリンネの耳は真っ赤だった。これ以上その話題を続けるとお互いに藪蛇だということに気付いてわたし達は明日行われる星祭りについて話し始めた。


 今日の買い出しも星祭りの日のためのもので水飴や果物、焼き菓子を選びに来たのだ。星祭りの日には川に映った星を見ながら家族とお菓子を食べる。紐を引いて袋の中からお菓子を取り出して、当たりを引くとその年は健康に過ごせるという言い伝えがある。


 今年の当たりは色とりどりの砂糖でデコレーションされた大きなクッキーだ。他のお菓子もそれぞれ可愛いけれど一番目立つのはそのクッキーだった。これから帰ってお菓子に紐を付けていく。小さい子ども達もいるので薄暗くなったら始めようとリンネは言っていて、わたしもそれに賛成した。


 孤児院に戻るとマーシャルが木の枝を剣に見立てて素振りをしていた。ユースタスに再会してから前より一層軍人に憧れたようだ。


 わたしは軍隊が必要なことも分かっているけれどできれば家族には危ない仕事をして欲しくないと思っていた。


 今は戦時中と違い、職業だって選べる。だから、マーシャルにはもっと安全な仕事を選んで欲しいと思う。でも、本人が希望するならわたしに止める権利はないのだ。


 リンネもマーシャルもあと2年でここを出ていく。リンネは仕立ての仕事に就きたいとたまに街の工房に見学に行っていたし、孤児院でも服を繕ったり簡単なものなら自分で作っていた。貧しさを経験しているからか手に職という気持ちが強いのかもしれない。


「またそんなことしてるの? ヴィシュさんがうちに来いって言ってるんだからレンガ職人になれば良いのに」

「俺は軍人になって一旗あげるんだ。ユースタス様みたいな英雄になってみんなに楽させてやるんだ」


「馬鹿みたい。そんなのは一部の人だけよ。レンガ職人になればここの修復だってできるし近いからいつでも会いに来れるのよ? 軍人なんていつどこに行くかわからないし危ないのよ」

「そんなのわかってるよ。でも、俺は強くなりたいんだ」


「はいはい、喧嘩しないの。まだ2年あるわ。その間に決めれば良いのよ。大丈夫、2人ならきっと良い仕事が見つかるわ」

「ええ、わたしはもう見つけたわ。街一番の仕立て屋になるのよ」


「俺だって! 強い軍人になるんだ」

「ほら、星祭りの準備をするから手伝って。まず、手を洗いましょうね」


 それから3人でお菓子や果物に紐を付けて籠にしまい、目隠しの布をかけた。どれが当たってもきっと嬉しいようなお菓子を選んだので子ども達の反応が楽しみだった。


 星祭りの当日になり、子どもたちの手首に白いリボンを結んだ。このリボンを川に流すのだ。白が未婚で水色が既婚、その年結婚するものは赤色のリボンを結ぶのだ。


 サシャだけ水色のリボンを結んでいる。赤いリボンを結んだ夫婦はまわりからお祝いされて、長く想いあっていけるというジンクスがあるのだ。


 籠を持って川に向かうとすでに場所取りをする人たちで賑わっていた。星祭りと言われるだけあって屋台も出ていた。紐のついたお菓子にリボン、星のように光る杖など様々なものが売られている。屋台で買うと普段よりも高いので孤児院ではいつも前日に自分たちで用意しているのだ。


 持ってきた丈夫な布を敷くと子ども達と座って夜が来るのを待った。今日はお菓子を食べるので夕飯は軽めにパンを持ってきていた。


 みんなでそれを分け合いながら川の音を聞いた。賑やかな人の声に混ざってどこからか楽器の音が聞こえてきた。弦楽器と笛のようでとても楽しい響きだった。小さな子どもたちはそれに合わせてくるくる回ったり踊ったりしていた。一番小さいラシアはもうすでに眠いようでサシャの腕の中でウトウトしていた。


 みんなが楽しそうに笑っているのでわたしも何だか嬉しくなった。この辺りも随分綺麗になって戦争なんてなかったように見える。


 まだまだ復興が追いつかない場所もあるけれど、生活はかなり豊かになった。こういったお祭りを庶民が楽しめるのも平和になってきたからでそれはとても素晴らしいことだと思う。


 孤児も一時期よりは減って来たけれど未だに孤児院の前に捨てられる赤子もいる。貧しいと言うのは悲しいことだ。誰にだって事情はあるけれど、本来なら捨てられる子どもがいない方が良い世の中なんだと思う。わたしはここでずっと未来を作る子どもたちを見守り育てていく。それがきっとわたしの使命なのだと思う。


 そう言う風に考えていると後ろから肩を叩かれた。振り向くとそこにはユースタスが立っていた。その手首には赤いリボンが結ばれていた。子どもたちは彼に飛びついて喜んでいた。


「先生、遅くなってごめんね。しばらくゴタゴタしてて。お土産持ってきたから後でみんなで食べよう」

「ユースタス。どうしたの? 仕事は?」


「終わらせてきたよ。久しぶりに星祭りに参加したくて。俺もお菓子食べて良い?」

「あ、人数分しかないからわたしの分をあげるわ」

「え、それじゃ駄目だよ。なんか屋台で買ってくるから混ぜても良い?」


「良いけど、ご家族の方は大丈夫なの?」

「おれの家族は先生だけど?」

「そうね。もうすぐ暗くなるから買ってきてくれる?」

「うん。待っててね。おれ、当たりを引くから」


 久しぶりに会ったユースタスは全く変わっていなかった。笑い方も態度も前と同じだった。手首に赤いリボンを結んでいるのに後ろめたそうな顔もしないから逆に力が抜けた。彼が戻ってきたらおめでとうと言おうと思った。


「先生、ユースタス様の手首見た?」

「ええ、きっと結婚したのね。お祝いしなくちゃ。今日は奥様とどこかに泊まるのかしら?」


 リンネはわたしの手をぎゅっと握ってから苦しそうな顔をした。この子に気をつかわせてしまったことを申し訳ないなと思った。わたしはゆるゆると首を振って大丈夫だと言う仕草をした。


「先生、つらくない? 大丈夫?」

「ええ、喜ばしいことだわ」

「嘘つき。すごく悲しそうな顔をしているわ。好きだったのね、ユースタス様のこと」

「うん。大好きよ。大切な家族だもの。ユースタスのことはずっと大事な弟みたいに思っていたの」


 戻ってきたユースタスは紐のついたお菓子を籠にしまってから子どものように笑った。その笑顔に胸が苦しくなったけれど、気を取り直してこう告げた。


「ユースタス、結婚おめでとう。奥様はこちらにいらっしゃってるのかしら?」

「え? 先生なに言ってるの?」


「その手首のリボン、それに侯爵令嬢と結婚するって話を聞いたわ。結婚式には呼んでもらえないかもしれないけれど、あなたの幸せを祈っているわ」

「おれのことからかってる?」


 強い力で手を引かれて気がつけば彼の腕の中にいた。その声は低く、怒っているようだった。見上げると真顔のユースタスがいた。


「おれのお嫁さんは先生だけだよ。なんでそんなこと言うの?」

「だって、その、赤いリボンをしているから」


「先生のもあるよ。ちゃんと用意してあるから。ほら、結んであげる」

「まだ、結婚していないわ」

「もうすぐするから大丈夫だよ。先生、ちゃんと聞いて。おれが好きなのは先生だけだよ」


 手首に結んでいた白いリボンを解いて、ユースタスはどこからか取り出した赤いリボンを綺麗に結んだ。そしてわたしの耳にキスをした。


「これで先生はおれのお嫁さんだね。もうあとは結婚の届けを出すだけだよ。家だって用意した。もうすぐ先生は伯爵夫人になるんだよ」

「そんなの、身分差があるから無理よ……」

「大丈夫、ちゃんとそこら辺も上手くやるから。さぁ、みんなが待ってるから早く行こう?」


 いつの間にかいなくなっていたリンネはみんなと合流していてわたしとユースタスに気付いてニヤニヤと笑っていた。サシャは繋いだ手に結ばれたリボンを見て一瞬だけ驚いた顔をしたけれど笑顔で迎えてくれた。


「ドロシー先生、おめでとう。相手はユースタス様で良いのよね?」

「あ、ありがとう。ええ。そういうことになりました」


「喜ばしいことだわ。結婚届はいつ出すの?」

「まだ、決まっていなくて……何も」

「先生はその身ひとつで来てくれれば良いよ。全部おれが用意するから。あ、孤児院の後任の人たちも明後日には来るからね。引き継ぎは必要だと思うけど来月くらいにはおれの家に一緒に住んで欲しいなぁ」


「え、先生お嫁に行っちゃうの?」

「いなくなっちゃうの?」

「大丈夫。また会いにくるよ。おれだって一緒に来るし、新しい先生だって4人も来るから寂しくないよ。建物も綺麗に直すし食事も良いものが食べられるようにするよ。だから、先生のことはおれにちょうだい。もう10年以上この時を待ってたんだから。おれは先生以外と結婚したくないんだ」


「絶対に来てくれる? 先生を幸せにするって誓える?」

「勿論。世界で一番幸せな花嫁にするよ。結婚式にはみんなを呼ぶからね」


 子どもたちはそれぞれ納得したようだった。そして、結婚おめでとうと言ってくれた。星が出てきたので川に近付いてリボンを流してから紐を引いた。当たりのお菓子はユースタスが引いた。そういえば昔も彼が当たりを引いたことがあった。でも、子どもたちに分けてあげていてそれを見て優しいなと思ったのだ。


 ユースタスはやったぁと喜んでからひとくち食べて、残りを子どもたちに分けてあげていた。これでみんなも健康でいられるねと笑うユースタスのことがとても眩しく見えた。


「そういえば、ユースタスは今日の宿は決まっているの?」

「ううん。でも、先生ならきっと泊めてくれると思ったから。あ、明日お客さんが来るよ。おれが対応するから一緒にいてくれる?」


「ええ。勿論よ」

「ありがとう。明日の朝ごはんが楽しみ。先生の作ったものはなんでも好き」

「ねぇ、2人の世界に入ってないで戻ってきてよう。せめて孤児院帰ってからにしてよ」


 口を尖らせたリンネがそう言ってサシャとマーシャルが笑った。そして、孤児院に帰って子どもたちをお風呂に入れて寝かしつけてから談話室で一緒にレモネードを飲んだ。


「これ、懐かしいなぁ。先生が良く作ってくれたよね。嬉しい。ねぇ、先生、キスしても良い?」

「ユースタスはいつも不意打ちじゃない。良いわよ。ほら、どうぞ」


 わたしが横を向いて頬を近付けると彼は両手で顔を包んでから口にキスをした。思いのほか柔らかいくちびるに狼狽えていると大きな腕ですっぽりと包まれた。


「先生、小さくなっちゃったなぁ。おれ、ずっと早く大人になりたいって思ってた。先生が意識してくれるような強くて格好良い大人になりたかったんだ。戦争は、すごく辛かった。敵も味方もいっぱい死んだのに全然終わらなくて。大事な場所もめちゃくちゃになって、先生にも会えないし。手紙も宛先不明で返ってきちゃうから近況だってわからなくて、ずっと会いたかった。寂しかった。本当は戦争なんて行きたくなかった。英雄なんて耳障りの良い言葉で誤魔化してるけどおれは人殺しだよ。本当は人殺しなんてしたくなかった。でも、やるしかなかったんだ。それ以外に生きる方法がなかった。だから、もう二度と戦争なんて起きないようにおれは頑張るよ。先生のいるこの国を守りたいんだ」


「ユースタス、本当に立派になったわね。あなたのことがとても誇らしいわ」

「おれ、ずっと先生に褒めて欲しかったんだ。5年前はそんなこと恥ずかしくて言えなかったけど、先生に頭を撫でてもらうのも、風邪の時に薬を塗ってもらうのも好きだった」


「懐かしいわね。そういえば12歳くらいからあなたはわたしがそういうことをするのを嫌がったわね」

「恥ずかしかったんだ。甘えるのが。でも、今はそんな風には思ってないよ。だから先生にたくさん甘えて良い?」

「勿論。好きなだけ甘えて良いわよ」


「ありがとう。そういえば先生さ、この間泊まった時あるじゃん」

「ええ。それがどうしたの?」


「宿がないって言ったけど、あれ嘘なんだ。英雄に宿が用意されてないわけないじゃん。あの時、先生がお人好しすぎて心配になっちゃったよ。だから、おれが近くにいて守ってあげるね。おれが長く離れる時には信頼できる人間を置いていくから。この先、ずっと先生が困らないにしてあげるからね」


「ユースタス、わたしは大人よ? 嘘は良くないけれど全部をユースタスにやって欲しいなんて思わないわ。家族なんだから、助け合っていきましょう?」


「やっぱり、先生には敵わないや。ねぇ、もう一回キスして良い?」

「良いわよ。あ、でも長いのは駄目よ。もう少ししたら歯を磨いて寝ましょうね」

「うん。先生ってやっぱり保護者感が抜けないよなぁ。でも、そう言うところも好き」


 ユースタスとキスとしてから並んで歯を磨いた。その後客室に彼を送って、ベッドに横になる彼の頭を撫でた。ユースタスは猫のように目を細めて気持ちよさそうにしていた。


 小さい頃は良くこうして寝かしつけていた。8歳年下の大人しい男の子がこんなふうに大人になってから甘えてくるとは思わなかったけれど、やっぱり嬉しかった。


 ユースタスがだんだん甘えてこなくなったのが実はちょっとだけ寂しかったのだ。彼と一緒にいると穏やかでとても安心した。幼い頃のようにこのまま眠ってしまいたかったけれど、さすがにそれはやめて自室に戻った。


 ユースタスに恋してるかと言われれば難しいけれど、彼といると嬉しいし幸せな気持ちになる。家族としても人としても好きだと思う。ユースタスと結婚したらきっと幸せになれるだろう。行き遅れのわたしには勿体ない人だ。でも、身分差のことがどうしても頭の片隅から離れなかった。


 次の日、とても豪華な細工がされた馬車が孤児院へとやってきた。引いている馬も、それを操る馭者も洗練されていた。


 子どもたちが興味津々で見つめる中、馬車の中から燃えるような赤毛をした長身の男性が降りてきた。それから彼が手を引いてひとりの女性が優雅に姿を表した。


 年齢はわたしと同じくらいで、黄金きんの巻き毛に濃い紫の瞳をしていた。彼女は口角を上げて微笑んだ。赤い口紅がとても似合う美しい女性だった。


「はじめまして、わたくしはベアトリス・ルイーズ・イングラムと申します。どうぞ、気軽にベアトリスとお呼びくださいね」

「あの、ベアトリス様」


「うふふ、どうぞベアトリスとお呼びになって。とりあえず、そちらにお邪魔してもよろしいかしら?」

「イングラム侯爵、お久しぶりです。僕が案内いたしますね。こちらへどうぞ。」


 ユースタスが綺麗なお辞儀をしてからにっとりと微笑み、彼女に近付いていった。


「こ、侯爵様……?」

「ええ、最近わたくしが当主になりましたの。まあ、我が子が成人するまでの繋ぎではありますけれど。ねぇ、ドロシー様、お側に行っても宜しいかしら?」


「あ、あの侯爵様、どうかドロシーと呼び捨てにして下さい。侯爵様に様付けで呼んでいただくなんて畏れ多いです」

「あら、まあ。とりあえず、座ってお話しましょうか?」


 ユースタスがベアトリス様を応接室まで案内して一番上等な椅子を勧めた。そして、その隣に赤毛の男性を座らせた。


「それでは本題から入りますわね。ドロシー、あなたは血縁上わたくしの姉になりますの。27年前にわたくしたちは双子としてこの世に生を受けました。そして、母は双子は縁起が悪いからと先に生まれたあなたを孤児院の前に捨てたそうです。父も同じ意見だったらしくそのままにしたそうですわ。わたくしはその事実を知らされないまま育ちましたが、死ぬ間際に父がそのことをぽつりと漏らしたのです。わたくしはあなたのことを探しましたが疎開先がどうしても特定できずにいました。そして、元々妹の婚約者になる予定だったユースタスと話しているうちにわたくしの姉があなたじゃないのかと思ったのです」


「イングラム侯爵の瞳が先生とあまりにも似ていたので聞いてみたのです。そして、2人が姉妹なら、僕は先生と結婚出来ると思ったんです」


「ユースタスがどうしてもあなたと結婚をしたいから家に戻して欲しいと頼まれました。わたくしは元々そのつもりでしたし、姉妹のうち誰かと縁を結べば良いと思っていたので丁度良かったのですわ。今、あなたにはわたし以外に2人の妹と義弟と甥と姪がおりますの。今わたくしの隣にいるのがあなたの義弟ですわ。他の家族にも今度、是非紹介させてくださいね。侯爵家で過ごしていただいても宜しかったのですがユースタスがどうしてもあなたを早く妻にして一緒にいたいと言うものだからわたくしも無理を通しました。あなたさえ望めば今すぐにでもユースタスと結婚することが出来ましてよ? わたくしとしては侯爵家の人間と大戦の英雄として叙爵される方の結婚ですから大きな式を挙げたかったのだけれど、あなたには少し荷が重いかもしれませんので身内だけで挙げる方が宜しいかと思っておりますわ」


「その方が、助かります。わたし、マナーとかあまり、いや全然わからないので……」

「先生、そのあたりは僕がフォローしますよ。大丈夫です。僕も全然出来ませんから」


 わたしはベアトリス様の前では僕と言ってきちんとした言葉遣いをするユースタスがなんだか知らない人のようですこし面白いなと思った。


「それでは結婚式はなるべく早く日程を合わせて行いましょうね。ドレスや宝石はユースタスが用意しますが侯爵家の女性が結婚式で付けるティアラはお貸ししますわ。次はきっと妹がつけてその後はわたくしの娘が結婚する時につける予定ですわ。とても綺麗で素敵ですのよ」

「ありがとうございます。良くしていただいて畏れ多いです」


「ふふふ、わたくしはあなたの妹なんですから今はまだ難しいかと思いますが、もう少し砕けた態度で接していだだきたいわ。これからよろしくお願いしますわね、ドロシー」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

「それじゃあ、話も終わりましたしわたくしは失礼しますわね。ジョージ、帰りますわよ」


 そう言って彼女は赤毛の彼、ジョージ様を連れて帰っていった。最後に綺麗なお辞儀をしたけれど、それがとても美しかった。わたしと彼女の姿は髪の色以外は確かに似ているけれど、気品が全く違った。生粋の貴族というのはああいう人のことを言うのだろう。


「なんだか、圧倒されちゃったな」

「先生、カチコチに緊張してたね。おれ、笑いを堪えるの大変だった。大丈夫だよ。イングラム侯爵は身内にはとても甘い人だから。でも、2人が並ぶとやっぱり似てるね。双子ってあまり見ないから面白いなって思っちゃった。もし、先生が孤児院に来てなかったらおれたち出会えてなかったから、つらいことかもしれないけど良かったなって考えたよ。でも、もしかしたら侯爵令嬢の先生と婚約者になってたかもしれないね」


「わたしは義父に拾われてここで過ごせて幸せだと思っているわ。血が繋がってなくてもたくさんの家族に囲まれていたから。そりゃあ大変な時もあったけど、でもこの生き方で良かったって思っているの」


「うん。おれもそう思う。自分が戦争で英雄になるなんて思ってなくて、先生と結婚出来ないかもって思った時目の前が真っ暗になったけど、イングラム侯爵に会って何とかなるかもってわかったときすごくホッとしたんだよね。自分が何かを成したことで先生と離れなきゃいけないなんて絶対に嫌だった」


「ずっと気になっていたんだけど、ユースタスはどうしてそんなにわたしにこだわるの?」

「先生はおれの家族で姉みたいな存在だったけどいつからかひとりの女性として好きになったんだ。先生は全然気付いてなかったけどおれはずっと先生のことが好きで結婚したかったよ。だから、早く大人になりたかったんだ。先生に相応しい大人になりたかった。もう何年も前からおれには先生だけなんだよ。他の家族のことも職場の人も好きだけど、何よりも優先したいのは先生なんだ。だから、ずっとおれのそばにいてよ。お願いだよ」


「ええ。わかったわ。あなたのそばにいる。まだ、ユースタスのことを男性として好きかはわからないんだけど、それでもあなたのことがわたしはとても大切で大好きなのよ」

「うん。今はそれでも良いから、いつかおれのこと男として好きになってね。あと、おれの赤ちゃんも産んでね」


 結婚したらそういうこともあるのかと思って少し動揺したけれど、わたしとユースタスと血の繋がりのある子どもがいたら素敵だろうな、と思った。


 小さい子どもの面倒を見るのが上手なユースタスはきっと良い父親になるだろう。わたしも今までたくさんの子どもたちを育てて独り立ちさせて来たのできっとうまくやれるはずだ。生活に関することも、簡単な勉強も教えられると思う。乳児を育てたこともある。山羊の乳を温めて少しずつ飲ませてげっぷをさせていた頃のことを思い出して懐かしくなった。


 それから数日後、わたしは白いドレスを着て彼の隣に立っていた。まわりには孤児院の子どもたちとサシャ、それにベアトリスとジョージ様とその子どものアデライザとリチャードがわたしたちのことを祝福してくれた。

初めて顔を合わせる妹たちと弟は貴族らしい美しい所作で挨拶をした。わたしは出来る限り丁寧で見えるように努力したけれどまだまだ付け焼き刃だった。


「お姉様、とてもお綺麗です。これからわたくしとも仲良くしてくださいね」


 そう言ったのは末の妹のソフィーだ。元々は彼女がユースタスの婚約者になる予定だったがどうしても諦められないくらい好きな幼馴染がいたためわたしが見つかって本当に良かったと言っていた。ユースタスにもソフィーにもお互いの意に沿わない結婚にならなくてわたしも良かったなと思った。


 白い花びらが舞い続ける教会は絵のように美しく、わたしたちの未来を祝福しているようだった。ユースタスの同僚で乙の魔法使いのアンリがお祝いに駆けつけてくれたのだ。パレードの時の花びらも彼の恩恵ギフトだったらしい。


 長く伸ばした榛色の髪をゆるい三つ編みにして横から垂らして深緑のローブを着る姿はまさしく魔法使いという感じだった。にこにこと笑いながらずっとお酒を飲んでいて、彼の足元には何本も空き瓶が転がっていた。


「あいつ、ただ酒だからって飲み過ぎだろ。まだ式も始まってないのに」

「こんなに素敵な恩恵ギフトを見せて貰えるんだから安いものじゃない? それにしても綺麗ね。すごく素敵だわ」


「先生はこういうの好きでしょ? だから呼んだんだ。あいつも結構忙しいんだけどまあ仲間だから来てくれたみたい」

「ありがたいことだわ。あとでまたお礼を言わせてね」


「別に良いけどあんまり優しくしちゃ駄目だよ? あいつ惚れっぽいし先生は綺麗だから。さっきびっくりしたよ。ウエディングドレス姿の先生があまりにも綺麗だから他の人に見せたくなかった。いや、でもこんなに綺麗な人がおれのお嫁さんだって世界中に言いふらしたいって相反する気持ちがあって……。とにかくこの日を迎えられて良かった」


「ねえ、ユースタス。今日からわたしはもうあなたの先生じゃなくて妻になるのよ。だから、名前で呼んでくれない?」

「うん。ドロシー。おれの大事な家族でお嫁さん。ずっとずっと一緒にいてね」

「ええ。これからもよろしくね。ユースタス、大好きよ」


 白い花びらが舞う中、ユースタスはわたしのくちびるにキスをした。そのくちびるがなかなか離れないので最終的には肩を両腕で押して離した。それを見た神父さんは笑っていたけど、わたしたちはその日、無事に夫婦になった。


 彼は血の繋がらない家族で、戦争に行って帰ってきた英雄。でも、今日からは少しだけ甘えん坊なわたしの夫になる。わたしを見てとろけるような笑みを浮かべるユースタスのことをこの先もずっと大切にしようと、わたしは神様だけじゃなく自分自身にも誓った。

読んでくださってありがとうございます。ブックマークやポイントを入れてもらえると文字を書くやる気が出ます。

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