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白猫タロウさんとタラの芽の天ぷら

飯テロをしたくなりました。

 屋根からの雨音が響く中、志保は目を覚ました。


 寒くもなく暑くもない気温が、雨音を優しくさせる。


 仕事着からパーカーとジャージに着替えた後、そのまま布団に倒れ込んで眠っていた。


 先月まで住んでいた実家の屋根と違い、祖父の家のトタン屋根は雨音をよく通す。

 まだ耳慣れない音に、志保はうっすらと目を開ける。


 毛布をたぐり寄せ、もう一度眠ろうと体を丸める志保の頭に、白いものがのしかかる。


「寝るな。起きろ。」


 その白いものが志保に声を掛ける。


「タロウさん、もう少し。」


 志保は目を開けないまま、声に答える。


「日も暮れてる。今、寝るな。あと、夕飯食え。」

「タロウさん、作って。」


「頭を爪で引っかかれるのと、首筋を噛まれるのとどっちがいい?」

「デンジャラス過ぎる!起きます!」


 志保は勢いよく布団から体を起こした。その頭の上から布団にするりと白いものが移動する。

 それを志保がぎゅっと抱きしめる。


「タロウさん、火を使うから、離れててね。」

「志保じゃあるまいし。」


 ふん、と鼻で笑うのは、金の瞳を持つ白い猫。

 真っ白な毛並みに少し老いを感じさせる。


 タロウさんと志保に呼ばれ、答えていたのはこの白い老猫だった。






 タロウさんは、志保の祖父である耕造の飼い猫だった。


 ひと月ほど前に、耕造は亡くなった。


 葬式の後に喪服のまま、志保はタロウさんに餌をあげようと、ひとりで耕造の家に来た。


 しかし、畳の上で寝ているタロウさんは、ぴくりとも動かなかった。


 志保は、慌ててその体に触るが、すでに死後硬直が始まり、丸まって寝ている姿のまま固くなっていた。


「タロウさん…!」

 大好きな祖父が亡くなった上に、その忘れ形見のタロウさんまでが、逝ってしまった。


 志保は、ぼろぼろと涙を流した。

 固い体の上の柔らかい毛並みを何度も何度も撫でた。


 先ほどまで、祖父の告別式で泣き通しだった目元は、痛々しいほど赤く腫れていた。そこから壊れた蛇口のように、ぼろぼろと涙がこぼれ続けた。


 ぽとぽとと、白猫の顔の上に落ちる。


 その涙がタロウさんの閉じた目に、口に次々と流れ込み、止まらない涙はそのまま畳へ吸い込まれていった。


「…タロウさん…」


 志保が呟いた時、タロウさんの髭がもぞりと動いた。


 髭が動くと、次は口元をもごもごと動かし、そして最後には目をぱっちりと開いた。


 金色の瞳が志保を眺める。


「志保…?」


 突然、誰もいない部屋で名前を呼ばれ、志保は目元をぬぐい、周りを見回す。


 やはり、誰もいない。


「志保?」


 また、名前を呼ばれた。


 声のした方に視線を向けると、タロウさんが金色の瞳を大きく開けて、志保を見ていた。


「た、タロウさん?」

 鼻声で志保は答える。


(いや、タロウさん、猫だよね?にゃーんじゃない声で呼ばれた?)


 悲しみの後の大きな驚きで、志保はしばらくタロウさんと見つめ合って動くことが出来なかった。






「いやぁー、タロウさん、話せるならご飯くらい作れるんじゃないかとか、期待しちゃうよね〜」


 あはは、と笑いながら志保は灯りをつけて、夕飯の支度のために台所へ入る。


 今夜のメニューはもう決まっている。


 隣の家の正吉じいちゃんがくれたタラの芽を天ぷらにするのだ。


 先月までニートで引きこもっていた志保は、とにかくお金が無い。


 祖父の家の維持のために住むと宣言してから、勢いでハローワークへ行き、あれよあれよという間に働く事になった。それも今月からなので、まだお給料を貰っていない。


 だから、出来る限り節約をしたい。


 そんな志保にとって、隣の正吉じいちゃんからの差し入れはいつでもウェルカムで、即日消費なのだ。


「タロウさん、おじいちゃんもタラの芽の天ぷら好きだったよねぇ。」


 志保は天ぷら鍋にサラダ油をとぷとぷと注ぐ。


 山菜なら、新しい油でさっとあげるのが美味しい。


 ガスコンロに鍋を乗せ、ぱぱぱという音と共に、青い火が円を描く。


 油を加熱している間に、卵をボウルに割り入れ、適当に水を足して混ぜる。


 だいたい混ざったら、また、そこに適当に小麦粉を入れる。


 とろりと、混ざり切ったら、あらかじめ水洗いしておいたタラの芽をキッチンペーパーで念のため、拭く。


「志保、耕造ならヨモギの天ぷら食べてたぞ。」


 コンロから離れた居間のガラス戸の隙間から、タロウさんが声を掛ける。

 隙間から覗くタロウさんは、可愛らしいなぁと志保は目を細める。


「え、ヨモギ?あったっけ?」

「庭の日当たりのいいところに生えてる。」


「あー、あの辺ね。わかった。採ってくる。」

「足元気を付けろよ。」


 一度鍋の火を止める。


 志保は玄関でサンダルを履いて外に出ると、空を仰いだ。

 

 サンダルから出た(かかと)と爪先に雨に濡れた葉が触れる。


 雨が土の匂いを引き出している。


 しっとりと春の匂い。


 星は見えないが、雨は止んだようだ。


 サンダル履きの素足が濡れるのも気にせず、緑が増えてきた庭へ向かう。

 

 芽吹きの季節だ。そろそろ草むしりとの戦いが始まる。


 だいたいの場所は分かっているので、スマホのライトを照らして確認する。照らしながら、空いた方の手で採れるだけのヨモギを摘むと、すぐに家の中へ戻る。


 ヨモギもさっと水洗いし、ザルに入れて軽く振る。それから、キッチンペーパーでぽんぽんと挟み、水気をとる。


 手が濡れていないことを確かめてから、コンロに再び火を点ける。油の温度を確認するため、菜箸で天ぷらの衣の液を鍋に垂らす。


 底まで沈む前に、ふわりと油の中に浮き上がり、しゅわしゅわと音がする。


「ふむ。良かろう。」


 志保はタロウさんの真似をして、にししと笑う。


 タロウさんはトイレのために、志保と入れ違いで外に出ている。玄関はちょっと開けたままだから、後で閉めなければ。


 志保は、タラの芽に薄く衣をつけて、天ぷら鍋の中へ静かに入れる。

 薄い衣は、タラの芽を広げて、しゅわしゅわと泳ぐ。


 天ぷら鍋一面に泡が満ちるくらいに、タラの芽を追加する。


 換気扇を回す。


 それでも油とタラの芽の匂いは台所に満ちあふれる。

 山菜はのんびり待ってはいけない。

 ささっと、揚げるのだ。


 口元に唾が溜まってくるのを志保はこらえながら、ゆっくりと菜箸でタラの芽を油からあげると、数秒油の上にかざして、余計な油分を飛ばす。


 これが大事だ。


 そっと、壊れ物を扱うような優しさで、牛乳パックを開いた白い面の方へ乗せる。


 それを繰り返し、タラの芽を全て揚げると、ヨモギの天ぷらを揚げる前に、一度火を止め、志保は台所から出た。


 向かう先は、祖父の遺影と骨壷の前に置いてある御供物の大量の缶ビール。


「常温だけど、我慢できない…。おじいちゃん、一本いただきます!」


 志保は正座をし、手を合わせて朗らかに笑う遺影の耕造に断ってから、そっと缶ビールを一本持って、台所へ戻った。

 再びコンロの火を点け、少し待つ間に、


 ぷしゅっ


 缶ビールを開ける。


 空いている手で塩をつまむと、先に揚げたタラの芽の上にぱらぱらと降り落とす。油にじわりと塩がなじむ。

 塩のついた指先で、タラの芽の天ぷらを摘むと、上に向けて開けた口にぱくり。


 しゃく。


 熱々の衣から出る油に絡まる塩気とタラの芽の香り。


 青くさい山菜の中にある甘味が口の中に広がる。


「ふぉ〜」

 奇声をあげながら、志保は咀嚼をする。


 はくはく、はくはく。


 まんべんなく衣と油と塩気と山菜の味が混ざり合う。


 口の中に油の感触だけが残った後、それを流すように、缶ビールをあおる。


 くっ、くっ、ごくっ、ごくっ。


 常温とはいえ、それなりに喉を通るときは冷たく感じる。

 ビールの香りと苦味が天ぷらで満たされた口の中をしゅわしゅわとリセットしてくれる。


「……ふー。」

「働き始めて、ビール飲んだの、今日が初めてだな。」


 タロウさんが相変わらずの位置から話しかける。


 志保は左手でビールを飲みながら、右手でヨモギの天ぷらをささっと揚げる。


 一度缶ビールを置いて、またタラの芽の天ぷらをひとつ摘む。そして、食べる。


 しゃくしゃく。


    ごくっ。しゅわしゅわ。


 本当にヨモギはただの葉っぱ一枚なので、焦げないように素早く取り出す。


 しゅわしゅわと天ぷらが鍋の中で舞う。


 それを志保はしゅわしゅわとしたビールを味わいながら眺めている。


 コンロの火を止め、小皿に醤油を垂らすと、菜箸のまま志保は天ぷらを食べ始めた。


 タロウさんが、てすてすと志保の方へ近付く。


「無言で食べてるな。美味いか?」

「美味い。」


 すでに、ビールで頬をほんのり染めながら志保は答える。


「タロウさんに言われて、気が付いたよ。そういえば、全然飲んでなかった。」

「酒好きなのになぁ。」


「うーん。御供物にもお酒がまだまだあるんだけど。なかなか。」


 亡くなった祖父の耕造は、酒が好きだったので、自然と御供物にアルコールの品が多い。


 志保も好きな方だが、祖父の家にタロウさんと暮らし出して、まったく飲もうという気にならなかった。


「緊張がまだあるからかなぁ。」


 はくはくとまだ熱いタラの芽の天ぷらを食べながら志保は考える。


 しゃくっと前歯で噛む。


「早く耕造にもお供えして、オレにも食べさせろ。」


 タロウさんは、食べ続ける志保に癇癪を起こして、ジャージの足元にぐりぐりと白い頭を擦り付けた。


 「え〜、もうちょっと。」


 タロウさんがごすっごすっと力強く志保の向こう脛に頭を当てる。


 志保は悲鳴をあげて、菜箸を手放した。






「はい。おじいちゃん、正吉じいちゃんから貰ったタラの芽と、おじいちゃんの好きなヨモギの天ぷらです。」


 志保は耕造の遺影と、骨壷の置かれた棚の隙間に、天ぷらをこんもりと盛った皿と耕造が生前愛用していた漆のぐい呑みを置いた。


 志保は棚の横にある、お供え物の日本酒の瓶をきゅぽんと音を立てて開けると、少しだけぐい呑みに注いだ。


「どうぞ召し上がれ。」


 両手を合わせて、目を瞑る。


 しばらくそのままでいると、タロウさんが志保の太ももを前脚でふにふにと刺激する。


「もういいだろ。食べさせろ。腹減った。」

「はーい。」


 志保は目を開けると、天ぷら皿とぐい呑みをそっと畳の上におろした。


 それをタロウさんが待ちきれないとばかりに、食べ始める。

 タロウさんは、猫の皮を被った()()だ。


 


 目を開けて、話し出してからのタロウさんは、キャットフードを食べなくなった。




 その代わり、耕造に供えられた物から選んで食べるようになった。


「猫が食べちゃいけないもの、入ってるけどいいの?」


 心配になった志保は、タロウさんに聞いた。しかし、タロウさんは可愛らしく顔をかたむけると、


「猫のタロウさんは死んだからなぁ。でも、この体を維持するには、食べ物も必要だし。」


 と、答えた。


 志保は訳が分からず、タロウさんと同じ方向に首をかたむけた。


「…タロウさん、魔法使い?」

「お、そういう設定でいくか?」

「いや、あたしに聞かないで。」


 そのまま、訳の分からないまま、とりあえず様子をみようと、志保は考えるのを止めた。


 考えて何かが分かって、タロウさんがいなくなってしまったら、志保はもう暮らせない。


 どれほど、おじいちゃんの家を守ると言っても、ひとりきりでは暮らせないのだ。



 ーーータロウさんが話す猫になったからあたしが面倒をみないといけない。



 そう思いながら、本当は志保がタロウさんの居ないおじいちゃんの家には住めないことに、志保はすぐに気が付いた。


 先月までは、親と一緒で、しかもニート生活をしていた志保に、今の生活はかなり頑張っていると言っていい。


 むしろ、「どうした⁈」と言いたいくらいだ。

 そんな無茶な生活が出来るのも、タロウさんがいるからだ。


 毎朝、タロウさんの前脚で頭を踏まれて目を覚まし、タロウさんと話をして朝ごはんを食べる。


 朝の「いってらっしゃい」と、夜の「おかえり」があるから、仕事にも行ける。


 そして、面倒だ、ごはん作ってよとかいいながら、タロウさんが言葉を返してくれるから夕飯もちゃんと食べている。


 お風呂に入れ、歯を磨けと、タロウさんが言ってくれるから、志保は動ける。




 ひとりだったら、立ち止まって、動けなくなる。




挿絵(By みてみん)





 ぐい呑みに頭を突っ込み、ざりざりの舌を当てながら、日本酒を舐めるタロウさんを見ながら、志保は缶ビールを傾けて、言ってみた。


「ねえ、タロウさん。ご飯作って食べて、仕事にも行って帰って、週末お休みの生活なのに、なんか辛いって思うの、変かな。」


 タロウさんは最後の一滴まで残さずに舐めきると、口の周りを赤い舌でぺろぺろとした後、


「変じゃないだろ。」

 

 と言った。


「ニートだなんだと言ってた時だって、辛いって言ってただろ。それとは違う生活なんだから、別の辛さがあるだろ。辛いって思ったら、それは辛いんだよ。」


 タロウさんは猫なのに、懐が広い。


「おじいちゃんみたいだね。」


 志保は、思わず口にする。


「まあ、長い間一緒だったからな。」


 タロウさんはくわぁっと、あくびをして、口の中を見せる。


 九十歳まで生きたおじいちゃんと、二十歳まで生きたタロウさんはとても気が合ったのだろう。


 一週間も間を置かず、後を追ったくらいだ。


 不意に志保は涙が出そうになった。


 誤魔化すために、タロウさんの前にあったヨモギの天ぷらを口に運ぶ。


 ひと口、噛みしめる。


 口に広がるヨモギの香り。


「ぬお!」


 女子にあるまじき声が出た。


「どうした?」


「うわ、ヨモギって、初めて食べたけど、草!」


「え、笑い?」

「違う!ネット用語じゃない!むしろなんでタロウさん知ってるの?」


「まあ、色々。」

「えー、気になる。って、口の中がヨモギの匂いで凄い!」


「美味いと思うけどなぁ。」

「添え物のパセリを草と思ったけど、これ、ヨモギは本当に草食べてる感じがする!」


「まあ、草だからな。」


 タロウさんは、「食べた分をここに足しなさい」と、前足で志保の太腿を押して催促をしてきたので、志保はヨモギの天ぷらだけを山盛りにして、返した。


 雨音はもう聴こえてこない。


 静かな休日前の夜は、ひとりと一匹で更けていく。


 ほんのりと、日本酒と天ぷら油の匂いを部屋に満たしながら。







挿絵:秋の桜子様(https://27861.mitemin.net/)

天ぷらとビールだけでは胃に良くないので、志保は醤油多めで混ぜた納豆を木綿豆腐にのせたものと、手で千切った春キャベツに塩昆布と胡麻油を混ぜたものをこの後用意しました。

タロウさんは、納豆のせ木綿豆腐は拒否しました。

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i556162 秋の桜子様より頂戴しました。 (ぽちっとすると、飯テロ作品『目には青葉 山ほととぎす』に飛びますよ。)
― 新着の感想 ―
[一言] 飯テロキターーー!!!!(大歓喜) そのうえ喋る猫、だと……!?(ガタッ) 猫大好きな私には、ドストライクなお話でございました( ˘ω˘ ) 私もタロウさんと暮らしたい( ˘ω˘ )
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