一家団欒 和解
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夜に盛大な大人の宴を開いた具房。なかなかハードな夜だったため、全員が起き出してきたのは昼前のことであった。これがいつもなら大問題だが、今は長期休暇中。何も問題はない。
「ちょっと気持ち悪いわね……」
起きてすぐにお市たちは顔を顰める。寝ているうちに色々なものが乾いてカピカピしていた。それがとにかく不快である。
「風呂に入ろう」
普段なら、濡らした手拭で身体を拭う程度である。しかし、温泉地ならばいつでもお湯に浸かり放題。さあ行こう、と具房は妻たちを急かした。
「……御所様はダメ」
が、蒔に入浴中は出禁とされた。曰く、また自制が利かなくなるからと。具房は一瞬、言葉に詰まる。そうならない自信はなかったからだ。慌てて否定するが、言葉に詰まった時点でアウトである。桶一杯の温泉水を恵まれただけであった。具房はそれで汚れと涙を一緒に流した。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。別れ際、お市が耳許で微かに呟いたのだ。
「夜ならいいわよ」
と。女神はここにいた、と思う具房であった。
風呂に入ってさっぱりした大人組は昼食も兼ねた朝食を食べる。そこへ先に起きていた毱亜、敦子がやってきた。
「おはようございまス?」
毱亜が疑問符つきの挨拶をした。この時間は挨拶の言葉を「おはよう」にしようか「こんにちは」にしようか悩むところだ。なので、具房は特に突っ込まなかった。
「昨日はお楽しみでしたね」
敦子はムスッとした顔で具房を見る。昨晩、見学と称して宴にちゃっかり混ざろうとしたのだが、具房に阻まれたのだ。見るくらいいいではないですか、と抗弁していたのだが、敦子の場合はちゃっかり混ざりそうな気がしてならない。だから拒否した。
起きたばかりということもあり、具房たちにはおにぎりと味噌汁という軽い食事が出された。敦子たちはチキン南蛮だ。
食事が終わると、具房は妻たちを伴って街に出る。白浜には革新的な技術が多く使われていた。そのひとつが鉄道馬車である。
津の港を守るために設置された砲台群、長島城を守る砲台にはレール式の駐退機が使われている。これらを整備したことで、北畠家はレールを製造・敷設する技術を蓄積した。将来的に路面電車やライトレールのようなものを都市に走らせることが目標だ。その運用試験なども兼ねて、白浜〜鉛山間にレールを敷設した。
鉄道馬車は別荘地から源泉への旅客輸送に加え、鉛山鉱山から採掘される鉱石を運ぶ貨物輸送も担うことになっている。採掘された鉱石は白良浜に隣接する小さな港で小船に載せられると田辺に運ばれ、大船に積み替えられると津に向かう。精錬などはそこで行われ、銃弾に加工されていた。
製鉄や武器製造など、津はこの時代としては稀に見る工業都市として発展している。だが、集中しすぎると土地や環境の問題が発生してしまう。ゆえに、産業を他所へ展開させることが求められた。選ばれたのが大和と紀伊。前者は平城京を中心に軽工業(繊維産業)を行う工場を、後者は田辺を中心に重工業(弾薬工場)を行う工場を造ることになっていた。
なお、和歌山ではなく田辺に産業の拠点を置くのは、河内や和泉との国境が近いからだ。和歌山が攻められれば、工場は操業停止を余儀なくされる。それは北畠軍への銃砲弾供給量の不安定化を意味しており、避けなければならない。鉛山鉱山も近いことから、田辺が新たな弾薬工場の建設地となっていた。手が空き次第、工場が建設される。
「近くに工場ができれば、休日に温泉に来る者も現れて、町がより活気づくかもしれないな」
工場の建設に言及しつつ、具房は白浜の町の将来を語る。浜辺付近はあらゆる人々が利用する空間に、別荘地は一部の人間が利用する空間に分ける、と。
「不思議な感覚ですね」
「……コトコト揺れるのが心地いい」
鉄道馬車に乗った葵はその感覚に戸惑う。対して、蒔はレールの継ぎ目を通ったときに車体が揺れる感覚を楽しんでいた。このように、鉄道馬車に対する妻たちの反応は違っている。
そんななか、不意に疑問を投げかけたのはお市だった。
「これって必要なの?」
曰く、馬が引くなら馬車でもいいじゃないか、ということだった。たしかに馬車と鉄道馬車の違いは、道を走るかレールの上を走るかという点だけだ。であれば、レールを敷くだけ手間のかかる鉄道馬車は不要ではないか、というのがお市の主張だ。
「まあ、そうだな」
この指摘を具房は認めた。なら、鉄道馬車は単なるロマンなのか。それは違う。鉄道馬車には鉄道馬車のメリットがあった。
「だが、例えば雨が降ったとき、馬車は泥濘ができると車輪がはまって移動が難しくなる。鉄道馬車はレールの上を走っているから、そんな心配はない」
逆に馬車はレールを敷かれていない場所にも走らせることができる。鉄道馬車にそれはできない。いずれも一長一短があり、だからこそ両者の使い分けが重要なのだと具房は言う。
「なるほどね」
お市は頷く。さらに具房は、このような鉄道馬車を領内各地の城下に設けたいという己の構想を語った。
「葵さんが頑張らないといけないわね」
「そうですね」
鉄道の敷設は工部奉行所の管轄だ。鉄道建設にあたっては、彼女が仕切る工部奉行所が忙しく動くことになる。敷設した鉄道馬車が、ゆくゆくは路面電車やライトレールになり、スリムな都市が形成される一助になればと具房は考えていた。いわば、超未来を見据えた先行投資である。
(信長が日本を統一したら、全国の都市に走らせよう)
鉄道は将来的に大きな利益をもたらす。路線を押さえることは領地でない限りは難しいかもしれないが、車両製造の技術などは別だ。鉄道敷設より車両導入の方が受け入れられやすく、ビジネスチャンスも大きい。具房が生きている限りは実現しないが、子孫には絶対に役立つ。その幸せのためにも、葵には頑張ってほしい。
(蒸気機関の開発も進めないとな)
生きているうちに基礎技術程度は確立したいところだ。暗中模索になるよりは、技術加速が進むだろう。
鉄道馬車に乗っていると、車窓から流れる街並みが見える。敦子は立ち並ぶ商店に目を向けた。
「色々なお店があるのですね」
店(屋台)の横にのぼりが立っている。海浜部ということもあり、イカ焼きや磯焼きといった海鮮を使う屋台が見られた。焼き煎餅などの屋台もある。そのなかでも目を引くのが「甘味」と書かれた店。
「あそこは何を売っているのですか?」
「羊羹や饅頭だな」
いずれも砂糖を使った高級品だ。これらは公家などの上流階層向けの商品で、頼めば別荘地に届けてくれる。庶民に対しては、ベビーカステラに蜂蜜をかけた甘味が用意されていた。砂糖の代わりに、蜂蜜で甘さを出しているのだ。
「……よろしいのですか?」
「ああ」
具房はベビーカステラを買ってきて敦子に渡した。一応、ご飯が食べられる程度に抑えるよう注意する。もっとも、それを破るような者はこの場にはいないが。
「ん! 優しい甘さです」
ひと口食べた敦子は瞬間的に頬を押さえる。落ちてしまうと錯覚しての行為だ。それくらい、彼女にとって新鮮な体験だった。蜂蜜がベビーカステラに染み込んで、噛めばじゅわりと溢れ出る。最高だ。
「ん!」
毱亜も幸せそうな表情。そしてすぐに水筒を取り出してくぴくぴと飲み始める。中身は紅茶だ。具房の紅茶が飲みたい、という突然の思いつきで中国から茶葉を密輸して作らせた。
北畠家では緑茶に加えて紅茶、烏龍茶、麦茶、コーヒーもどき(コーヒーノキは手に入らなかったので大豆で代用)と、世界の主要な飲料が揃っている。具房に出されるソフトドリンクの一切を任されているのが毱亜。彼女はドリンクマスターだ。そんな彼女の直感が、ベビーカステラは紅茶に合うと告げていた。それは大正解で、やや過剰なベビーカステラの甘味を、紅茶の微かな苦味が中和する。コーヒーでは苦味が強すぎて、そのコントラストを感じることはできなかっただろう。毱亜の直感は正しかった。
「美味しそうですね」
「どうゾ」
敦子が美味しそう、と言うや毱亜はすかさず用意してあった別の水筒を差し出す。こちらにも紅茶が入っていた。口にすると、なるほど美味しい。
「これは何というのですか?」
「紅茶でス」
「緑茶もいいですが、これもいいですね」
紅茶に敦子も目覚めたようだ。具房はさすが貴族、と感想を抱く(偏見)。
鉛山の鉱山や源泉を見て回った帰りに、一行は白良浜に立ち寄った。日が傾いているが、お市たちはそんなことが気にならないくらい浜に魅入られている。
「綺麗……」
「さすがは白良浜ですわ」
「歌に詠まれるだけありますね」
妻たちは口々に感想を漏らす。知的なのは敦子と葵。白良浜の白さは歌枕や形容となっている。二人の感想は、それを受けてのものだ。互いの教養の高さに気づいた二人はしばらく話し込む。
他の妻たちはこれには加わらず、海を見てはしゃいでいる。お市は昔の血が騒いだのか、とんでもないことを言い出した。
「遊びたいわね。……制服なら大丈夫かしら?」
なんと、制服を着て海遊びをしようというのだ。具房はその発想に震える。たしかに着物では海遊びは難しい。ゆえにその選択は正しいが、現代人的な感覚からするとちぐはぐ感は否めなかった。
(十年遅いな、うん)
それを言うことは憚られるため、具房は口を噤んだ。しかし、これに食いついた人物がいる。敦子だ。
「まあ、はしたない」
それは嘲りである。いい歳したおばさんがはしゃぐなんて、という。その意図は正確に伝わった。
「何よ」
「何ですか?」
二人の間でバチバチと火花が散る。街めぐりでは鳴りを潜めていたのに……と具房は嘆く。
やはり根本的な解決が必要だと思った具房はその夜、再びお市と敦子を呼び出した。二人が来たことを確認して問いかける。
「どうだ、白浜を見て?」
「凄い場所ね。新しいものが沢山あって、回っていて面白かったわ」
「温泉に美食があり、別荘地は長閑。それでいて町には色々なものが揃っている。理想的な環境ですわね」
白浜の開発は高評価を得た。仕掛け人である具房は鼻が高い。が、今言いたいのはそういうことではないのだ。具房は重ねて問う。
「他に何か見えたことはなかったか?」
「「?」」
「白浜の町だけではなく、この旅を通して感じたこととか」
「「??」」
質問を変えてみるが、やはりピンときていないようだ。二人の頭上で疑問符が乱舞している。これ以上は時間の無駄だと具房は諦めた。そして、旅の種明かしーー本当の目的を明かす。
「今回の旅はな、敦子の仕事ぶりを見るためだけに企画したわけではない。お前たち全員の仕事ぶりを見て、互いを認めあうことが目的だ」
「『全員の仕事ぶり』ですか?」
「ああ」
具房は頷く。
「旅は快適だっただろう?」
「そうね」
「あれは誰がやったと思う?」
「あなた様ではないのですか?」
「間違いではないが、俺はあくまでも名前を貸しただけだ。本当にやったといえるのはお市と葵だよ」
北畠領内に張り巡らされた街道。それを整備したのは具房が挙げた二人だ。街道をどこに走らせるかは政部奉行所の管轄であり、その計画に従って実際に街道を造るのが工部奉行所の役割である。このように街道整備とは、お市と葵の共同作業なのだ。
「蒔や毱亜も活躍しているぞ」
蒔は情報担当として、忍が集めてきた情報を具房に伝えてくれる。毱亜は政治に噛んでいるわけではなかったが、彼女が淹れてくれるお茶なんかの飲み物は仕事で疲れた身体を癒してくれた。それは仕事の能率アップにつながる。縁の下の力持ち的な存在といえた。北畠家の日ごろの激務を思うと、その効能は馬鹿にできない。
「そして敦子。お前も大事な存在だ」
単に町を造るだけならば彼女はあまり必要ではなかっただろう。だが、富裕層(主に公家)をターゲットにした別荘地の建設となると、調べ物をするなどかなり忙しくなっただろう。インターネットなどない。調べ物には膨大な時間が必要だ。それにかかる手間と時間、人手を敦子の貢献は大きいといえる。
「皆がいてくれたからこそ、この白浜の町はできた。お前たちが『凄い』『理想的』と言った町は、いわばお前たちの協力でできたものだ。ならば、対立は無益だと思わないか?」
「「それは……」」
理屈では確かにそうだ。しかし、彼女たちのそれは感情的なものである。わかっていても、どこか納得できないでいた。
「争うな、とは言わん。人が人に喜怒哀楽の感情を持つことは当然だからな。それでも、間違えるなよ。相手は『敵』ではない。『味方』なのだから」
具房は小学生を相手にした道徳の授業のようなことを言っている気分になった。だが、現代では当たり前の意識も、陰謀や裏切りが横行する戦国の世では特異な考えになる。とはいえ、これから平和な時代を迎えるのだ。せめて自分の周りには、この思想を広げておきたかった。だから具房は仲よくしようと訴える。
さらにいえば、この問題に決着をつけるわけにはいかない。彼女たちが実家に相談しても協力が得られなかったことからわかるように、どちらも決着することを望んでいないのだ。具房にも両家から、問題を棚上げしてくれ、という趣旨の手紙が届いていた。
それもそのはずで、織田家は現在、その家格を爆上げしている。信長は一地方領主に過ぎなかったのに、今では次の除目で権大納言兼右近衛大将という、歴代足利将軍が任じられてきた高い官職に就くことになっていた。彼こそが戦国の世を体現している。
問題は、それがどこで止まるかということだ。将軍ではない天下人ーー過去の事例からすれば平清盛が想定されるーーとなるには朝廷で高い官職を得る必要がある。信長は権大納言に留まらず、大臣に進むことは間違いない。それは公家の家格でいえば大臣家か清華家のそれであり、後者に分類された場合、お市は清華家の娘という身分を得る。つまり、敦子と同格。それにケチをつけるとは何事か、と久我家が叩かれる恐れがあった。逆に大臣家に分類されると、お市を正室に留めているとは何事か、と織田家が叩かれることになる。どちらに転んでもどちらかが損をするーーならば、どちらにも転ばない。玉虫色の裁定であった。
結局、二人を説得するために政治的な話まで持ち出す羽目になった具房。だが、これで二人とも納得した。どう転んでもダメならば転んだ方に転ぶ。それが北畠、久我、織田の三家にとって一番いい選択だ。
「これからは正室や側室に拘らず、『妻』として旦那様を支えましょう」
「よろしくお願いしますわ」
ここに二人の和解は成立した。