一家団欒 白浜リゾート
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在京三日目。具房はお市と敦子の確執に頭を悩ませていた。対立は深刻なものではない。単に張り合っているだけだ。
例えば、子どもの話。お市は自分は四人産んだ。これは妻のなかで最も多く、一番の寵愛を受けている証拠だと主張する。敦子は黙るしかない。子どもがいないどころか、まだ生娘である。対抗のしようがない。
そんな彼女が持ち出すのは年齢。『まだこれからです』と開き直るのだ。間接的にお市を年増と罵っているわけで、口論が絶えない。
正直、子ども(敦子、十四歳)に大人(お市、二十七歳)が張り合うなと言いたいが、それをすると二人を怒らせるだけなので、具房は黙っている。
「太郎様、何とかなりませんか?」
葵たちは当初、積極的に仲裁に入っていた。だが、その場は収められても根本的な対立関係は残っている。これを何とかしてくれ、と上位者である具房に訴えているのだ。
具房も二人をこのままにしておくわけにはいかない、と思っていた。今はただの喧嘩でも、何かの拍子に拗れてしまわないとも限らない。早々に打ち解けさせるべきだろう。そのために骨を折るのは夫の務めである。
その日の夜。具房は二人を呼び出した。
「二人を呼んだのは他でもない。喧嘩が絶えないことについてだ。葵たちも心配しているぞ?」
とりあえず、穏便に解決できればと考えて葵たちの名前を出す。局外中立である彼女たちの名前を出すことで、二人が止まればと思ってのことだ。しかし、その程度で治るならば、葵たちの仲裁で対立は解消されている。当然、反発された。
「「それは敦子(お市)さんが!」」
固有名詞以外はハモるという奇跡。君たち仲いいね、と皮肉のひとつでも言いたくなる具房であった。張り合うべく、敦子はお市の呼称を「奥方様」から「お市さん」に変えている。「奥方様」と呼べば、下手に出てしまう。だから、公の場以外では使わないようだ。
「まあ落ち着け」
もちろん本音は言わない。言えば角が立つからだ。
二人を呼んだのは無論、彼女たちの対立を解消するためだ。ぶっちゃけて言えば、具房は彼女たちの争いに興味はない。正室、側室といった妻としての格付けはたしかにされている。だがそれは世間に向けたポーズに過ぎない。具房はそのようなものに拘泥せず、全員を等しく愛する。完璧にできているとはいわない。多少の差異はあるだろう。しかし、そのように努力するだけでも違うのだ。
そのことは妻たちに散々、言い含めていたはずだ。特にお市は二番目に具房と出会っている。なのに未だ序列にこだわっていることは、具房を少し失望させた。それと同時に、スタンスの徹底が不十分だったかと具房も自戒する。
「いいか、二人とも。俺は妻に序列をつけるつもりはない。正室だから偉いわけではないのだ。かく言いつつ正室、側室と言っておるのは、他所に対する便宜上のものでしかない」
お前たちは等しく「妻」であり、身分は関係ない。下らない争いなどせずに、互いを認めろと具房は言う。だが、そう言われたからといって素直に従えるのなら最初から喧嘩などしない。案の定、二人は難色を示した。
「お市さんが、あなた様に一番愛されているのは自分だ、って言ってきたんです」
「それなら敦子さんだって、わたくしには将来がありますわ、って言ってたでしょ! あんなの、私を年増って言ってるようなものじゃない!」
「はて、なんのことでしょう」
敦子がすっとぼけると、お市がヒートアップする。二人が喧嘩したときの典型的なパターンだ。相変わらずの二人に具房はため息をひとつ。喉元まで出ていた文句の数々はお茶で飲み下した。
こうなれば、抽象的な話ではなく具体的な事例を挙げて説得するしかない。そう考えた具房は、別の角度から攻めることにした。
「ところで敦子。白浜の件はどうなっている?」
唐突な話題転換。敦子は少し困惑したが、問われたことには答える。
「え、ええ。順調です」
報告を求める具房に、敦子は頭に入っている知識で簡易的な報告をする。ついていけないのはお市だ。
「何の話?」
「お市も俺たちが公家に神社仏閣をめぐる旅を斡旋しているのは知っているだろう?」
その問いに頷くお市。北畠家は畿内が平穏になったこと、自領に歴史ある神社仏閣が多く存在することから、それらをめぐるツアーを企画している。ツアーの主なターゲットは公家。これは好評で、多くの公家が参加している。
「敦子には、公家に対する営業の指揮を任せているんだ」
「そうなの?」
お市の問いに敦子は首肯した。
「だが最近、問題が起きてな」
問題とは、信長がこの事業に参入する動きを見せていることだった。具房が観光事業で利益を上げていると知った信長が、自分も公家に向けた商売をしようとしているのだ。こうなると必然、顧客の奪い合いとなる。
「質では負けているつもりはないのだが、人間、目新しいものに興味を引かれる。このままでは、客の減少は免れないだろう」
ツアーが上手くいっているからといつまでも内容が同じでは、やがて飽きられてしまう。そこで、具房は新たな目玉を創出することにした。それが白浜温泉。疲れという、仕事をやっている人間には逃れ得ないものに着目。湯治で日ごろの疲れを癒しませんか? というわけだ。これを具房はひとり『白浜リゾート計画』と呼んでいたりする。
そんな事業計画を背景に、白浜温泉では大規模な開発が行われていた。別荘地をはじめ、武家・公家用の宿、庶民用の宿、商店街などなど、様々な施設が建設されている。
「敦子には、この計画の一部を任せている」
具房が総指揮をとるものの、細かいことは担当者に任せている。そのひとりが敦子だ。彼女には公家に向けた別荘や宿の間取りを監修させている。既に公家から何件か購入希望があり、彼らの要望を聞いて現場に反映させるのも彼女の仕事だった。
「では、これから仕事ぶりを見に行くとするか」
「「え?」」
理解が追いついていない二人に、具房は一方的に目的地を告げる。
「白浜へ行くぞ」
と。
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京に一週間ほど滞在した具房たち。その間、具房とお市、敦子の正妻、準正妻夫妻は暇をしていたわけではない。お市を伴って在京していた信長を、敦子を伴って久我本家当主・敦通を訪ねた。お市も敦子も、自身の序列について実家の後押しを得ようとしたが、どちらもはぐらかされている。
(当たり前なんだよなぁ)
織田家と久我家を含む公家の立場は非常に微妙だ。織田家は畿内を支配する、数いる大名でも一番の実力者。しかし家柄は低い。一方の公家は実力はないものの、家柄に由来する権威は高い。この、どちらが強いともいえない力関係が、そっくりそのまま具房の家庭に反映されていた。本人(具房)からすれば迷惑極まりないが。
結局、実家の支援を得て正妻争奪戦を有利にする、という二人の目論見は潰えることとなった。挨拶から帰ってきた二人はどこか不機嫌である。もっとも、それを表に出すほど子どもではない。付き合いの長い人間にしかわからない、小さな差異だった。
そんな二人を尻目に、他の妻たちは京の街を存分に散策した。由緒ある寺院を巡ったり、商店で買い物をしたり。前者は女人禁制に阻まれることも多かったが、後者は北畠軍の日ごろの行いもあり、様々なサービス付きの充実したものとなった。
多くの妻が京を楽しむ傍ら、具房は付き合いのある公家たちのところを回るなど、仕事をしていた。他家への挨拶ーー特に自分よりも家柄が高い相手へのものーーは細かいことに注意しなければならず、精神的に疲れる。そんな疲労を溜めたまま、具房は妻たちと白浜を目指す。
旅の行程は京を出発して大和を通過、紀伊に入って白浜に向かうルートをとる。なお、帰りは船で津まで行き、そこでお市たち伊勢に滞在する妻たちを下ろす。具房は敦子を京まで送り届けてから帰る予定だ。
道中はほぼ領内ということで、領民から往路以上の熱烈な歓迎を受ける。例によって、初見の敦子が目を丸くしていた。
「まあ」
「旦那様は凄いでしょ?」
「ええ。惚れ直しましたわ」
お市の言葉に頷く敦子。このやりとりだけを切り取れば仲はよさそうなものだが、すぐに正室がどうのこうのと言って口論に突入する。それを側にいる誰かが止める、というのが典型的な流れになっていた。
そんな好ましくないテンプレが定着しつつあるなか、一行の旅は続く。途中、盗賊に襲われたが、三旗衆が難なく撃退。若山の地から海を見てしばらく走れば白浜に到着する。
「「「え……?」」」
それが具房を除く一行の感想であった。ど田舎に、見事な街が出現したのだから当然ともいえる。
温泉地としてリゾート化計画が進行している白浜。そこには、白良浜に沿って街道が走り、沿道に多数の商店、旅館が立ち並んでいた。何本かの道が街道から枝分かれしており、そこを辿ると山を切り拓いて造られた別荘地にたどり着く。なお、そのなかでも一際大きなものが北畠家のものだ。開発者特権である。
日本書紀や万葉集にある「牟婁の湯」は、現代の鉛山地区で湧出している温泉だ。温泉街が形成されたのは、それよりも白良浜に近い地域で源泉を掘り当てた大正時代以後である。そのため、普通は鉛山に温泉を置く。
だが、具房は景観が悪い上、鉛山鉱山の採掘の邪魔になると一蹴。南国のビーチに勝るとも劣らない白い砂浜と青い海を持つ白良浜に温泉街を置くべく、お湯を鉛山の源泉から配管(鋳鉄管)を通して引いてくる、という強硬手段を用いて、白良浜の側に温泉街を造っていた。
「どうだ? 凄いだろう」
「う、うん。想像以上だわ……」
「こんなことになっているなんて……」
お市は純粋にその規模に驚いていた。片田舎であり、温泉以外はそれほど期待していなかった。ところが、実際は美しい街ができている。いい意味で期待を裏切られた。
だが、より衝撃が大きいのは敦子だ。白浜の開発に携わっていたが、彼女は現場を知らない。己が関わっていた仕事がこんなにも大規模なものだったと知り、彼女は震えた。その正体は満足感。大仕事をなしたやりがいを敦子は感じたのだ。
他の妻たちも、それぞれ驚いている。そんな彼女たちを具房が先導して、別荘に向かった。縁側からは白良浜が一望できる。白と青のコントラストは見る者に感動を与えた。塀で仕切られた先に温泉があり、こちらからも浜を見ることができる。
「温泉に入るぞ」
具房は風呂場に直行した。入浴の前に身体を洗うなど、マナーを教えつつ入る。
「まあ、綺麗」
敦子が感嘆の声を上げる。彼女が目にしたのは、宝石のようにキラキラと輝くものだった。具房はそれは石鹸だと教える。すると、お市が驚く。
「え? これが石鹸!?」
「そうだぞ」
具房はこれ見よがしに泡だてて見せる。それが石鹸たる何よりの証明だった。
糠袋に不満を覚えた具房は、畜産が軌道に乗ったことから石鹸を開発していた。固形石鹸の他、軍隊には紙石鹸を支給している。具房も香料入りの石鹸を屋敷に置いていた。だが、それはいい香りがする、という以外は白い固形物でしかない。
しかし、敦子が目にしているのは見慣れた石鹸ではなかった。石鹸はピンクサファイアのような赤色やアクアマリンのような青色をしている。美しい見た目で、石鹸とはとても思えない。これは材料にも拘っていて、ベースとなる油脂は牛脂ではなく、椿油を使っている。その分だけ苦労もあったが、妻たちの驚く様を見れた具房はご満悦だった(なお本人はほぼ何もしていない)。
この石鹸は、グリセリンソープといわれるものだ。石鹸素地にグリセリンやエタノールを混ぜ込み、透明石鹸に加工。それを再び溶かし、色素を入れれば鮮やかな石鹸が出来上がるのだ。今後、宝石石鹸として白浜リゾートの目玉商品になる予定である。妻たちの反応から、受けること間違いなし。
ちなみに、これができたのは工部奉行である葵のおかげだ。具房は材料こそ知っていても、配合率などは知らない。試行錯誤は葵が指導する工部奉行所の研究員たちが行なっている。
「……いい香り」
泡を手に取った蒔が顔を綻ばせる。彼女が手にしている石鹸はラベンダーの香りが含まれていた。精油を輸入しているため、かなり高価な代物である。
「こっちはなんだかスースーするわね」
「ハッカだな」
お市が当てたのはハッカが入った石鹸。嗅げば一発で鼻が通る清涼感と、冷感が特徴だ。こちらは日本で採取できるため、そこまで値は張らない。なお、これで身体を洗うと極地に裸で放置されたかのような寒さを感じるため、洗髪専用となっている。
「この匂い……落ち着きます」
スミレの石鹸は敦子がチョイスした。こちらはそこら辺の野原を探せば生えているものだが、花ひとつから採れる精油が少なく、地味に高かったりする。
残念ながら、女の子同士でキャッキャうふふの洗いっこ、なんてことは起こらない。北畠家レベルの大名の妻ともなれば、侍女がやってくれる。大名一家はただ洗われるだけだ。
身体を洗い、頭を洗えばいざ入浴。ほのかにフローラルな香りを漂わせる妻(全員美女、美少女)たちに囲まれての入浴は、世界の全てを支配したような優越感に浸れる。ひと言でいえば至福の時間だ。これだけは具房が譲らなかった。彼の奇行は今に始まったことではないので、割とあっさり受け入れられた。
「温かいわ」
「何かが溶けていきます……」
「……これは人をダメにする」
「普通のお風呂とは違いまス」
「そうですね」
お湯に浸かった妻たちはまったりモード。具房はその中心にいたことから、左右をチラリと見る。蒔を除く全員が長髪であり、湯に浸からないよう頭の上で纏めていた。それによって見えるうなじ。エロスを感じる。
「立てば白良浜も見えるぞ」
生垣で下から見れば顔だけしか出ないから大丈夫、と具房。その言葉を信じ、妻たちは一斉に立ち上がる。彼女たちを具房は後ろから眺めた。お湯をたっぷり吸った湯着が身体に貼りつき、ボディーラインを露わにしている。さらにやや前のめりになっているため、形のいい桃尻も五つ並んでいた。やはりエロスを感じる光景だ。
その夜、昂った具房は、毱亜と敦子の二人には見せられない大人の宴を開くのだった。
【解説】石鹸と洗髪
新型コロナの流行で注目を浴びる衛生。その一環が手洗いであります。手洗いに用いるものといえば石鹸。そう。石鹸と衛生は切っても切り離せないものなのです。
石鹸が日本に伝来したのは、安土桃山時代といわれます。石田三成から神屋宗湛へシャボンの礼状が送られたことから、確認されています。しかし、国内で生産されるようになったのは江戸末期。普及したのは明治時代終盤でした。石鹸の普及は「衛生」という観念が生まれ、一般に浸透していった時期に重なります。このことからも、衛生と石鹸の密接な関係が窺えますね。
なお、本編にチラリと書かれている洗髪にも、実は歴史があります。皆さん、髪はどれくらいのペースで洗いますか? 基本的に毎日洗う、という方が多いと思います。正解です。面倒でも、毎日洗いましょう。冬場や乾燥気味という方は、二日に一回でもいいらしいですが。
それはさておき、今のように毎日髪を洗うようになった(一般化した)のは、驚くべきことに1990年代半ばであります。つ・ま・り、読者の方が三十歳未満であれば親御さんが、三十歳以上であればご自身が、毎日髪を洗わなかった世代となります。ひえ〜。ですが、驚くにはまだ早い。1950年代までは、その頻度はなんと月二回ほどだったそうな。水道やガスなどのインフラが整備されたという背景があるとはいえ、もう少し何とかならなかったものかと思わなくもありません。
このように、時代を遡ると洗髪の頻度は下がります。明治以前の上流階級(武士とか公家)の女性は、月に一回だったそうです。明治時代の美容本には、女性の髪は小便より臭い、なんて記述もあったりするほど不潔でした。なお、庶民(特に娼妓)は頻繁に洗髪していたようです。
こんな歴史を踏まえると、昔の人って……と思わなくもありません。しかし、作中では具房のおかげで(北畠家においては)洗髪の文化が普及しています。濡羽色の髪に白磁のような肌をしたザ・日本美人といった姿ですのでご安心を。