一家団欒 そうだ京都、行こう
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北畠軍は徳川家の態勢が整うまで、駿河に駐留し続けた。もちろん、全軍が居座ったわけではない。多大な費用がかかるため、必要最低限の戦力を残して帰国させている。今、具房の許に残っているのは三旗衆と伊勢兵団。志摩兵団と伊賀兵団はそれぞれ半数が残っていた。
その間、具房が直接指導するという形で徳川家の改革は進んだ。何よりも優先されたのは軍の創設である。徴兵は不可能なので、国人たちから武士を差し出させた他、領民(主に貧困層)から志願兵を募った。
「凄い数ですな」
「ええ」
予想以上に集まり、定員を余裕で満たした。家康はとても驚いている。しかし、具房は予想の範囲内であったため、反応は淡白だ。
(飯が食えるし賃金ももらえる。集まらないはずがないんだよな)
この時代、領民は食うに困っていることが多い。合戦に参加するのは、戦後の乱取りによる収入を期待してのことが多かった。こうして集まった兵士は士気が低い(弱い)のだが、それを鍛えて強くする。担当は、後方に下がって休息をとっている北畠軍だ。
「それでは」
一応の軍備が整ったのを見て、具房は伊勢へと撤退する。駿河では家康と本多正信、遠江では酒井忠次、三河では信康と徳姫夫妻の見送りを受けた。さらに途中、滝川一益を訪ねたりしつつ、津へと帰還する。
「お帰りなさいませ」
城では家族が揃って出迎えてくれる。しばらくは溜まっていた政務を処理するため忙しくしていたが、それらが捌けると余裕が生まれ、家族との時間がとれるようになった。
家族の時間は色々だ。鶴松丸たち(年長の男の子)とは剣の稽古、光たち(年長の女の子)とはゲーム、年少の子どもたちには絵本(具房作)を読み聞かせる。妻たちとはお茶会だ。その席でお市が何気なく口にした。
「旦那様。そういえば、京で新しい子を娶ったのよね?」
「ああ、敦子っていうんだ」
「へえ。どんな子なの、蒔?」
このなかで唯一、敦子と顔を合わせたことのある蒔に話が行った。彼女はお茶菓子のカステラ(ひと口サイズ)を食べていたところで、それを嚥下してから話し始める。
「……いい子。年は十三で、御所様に子作りを禁止されている。今は芸事を修めてるみたい」
訊ねられた相手の情報をすらすらと言えるのは、さすがくノ一といったところだ。
「綺麗な方ですか?」
「……将来、美人になる」
葵の問いには太鼓判が押される。
「お茶を淹れるのは上手ですカ?」
毱亜も質問する。具房に提供するお茶を淹れる仕事は、今や彼女が独占していた。これが自分の仕事だ、といわんばかりに積極的に取り組み、誰よりも上手くなっている。その座を奪われるのではないかと危惧しての質問だった。
「……特別上手、というわけではない」
だから大丈夫だと。毱亜はホッと胸を撫で下ろす。
女性陣の話は続く。中心は京の敦子について。それを具房は黙って聞いていた。
「……」
とても居心地が悪い。
(おかしい。何も疚しいことはないはずなのに)
現代であれば不倫だ何だと叩かれるような事案だ。しかし、今は戦国の世。一夫一妻制など存在しない。責められる謂れわないはず。なのに、具房は責められているような感じがして、肩身の狭い思いをしていた。妻たちの話が盛り上がる一方で、具房のテンションはただ下がりである。
「旦那様」
話がひと段落したところで、お市に呼ばれた。
「はい」
具房はどこか力ない声で返事をする。今の心境は、腹ぺこの肉食獣の前に四肢を縛られた状態で突き出された哀れな草食動物のそれだった。
「敦子さんに会いたいな」
何とかならない? というのがお市の要求であった。非難の言葉ではなかったため、具房は冷静になり、ふむ、と検討を始める。
学校が始まり、かなりの時が経った。伊勢の領民の教育水準は他の大名家は無論、北畠領内でもトップクラスだ。高い学力は、優秀な官僚を輩出する基盤でもある。集英館の卒業生は、ほぼすべてが各奉行所に就職。官僚として働いていた。
一部は他家(織田、徳川、浅井の同盟相手)に仕官していた。卒業生たちはそこでも優秀さを見せる。信長や長政に近侍して領国経営に尽力したり、本多正信の下で改革の先頭に立ったりと、重役を任されていた。
卒業生に人気なのは浅井家。というのも、かの家はお家再建中であり、家臣が圧倒的に足りない。そのため、内政官はほぼ伊勢から雇い入れている、といっても過言ではない状態だ。しかも、頭角を現せば永代の武士として登用される。貧農の子は一旗揚げようと勉学に励み、仕官していく。
逆に不人気なのが柴田家であった。柴田勝家が越前を拝領したとき、縁があって柴田家に仕官した者がいた。これは集英館で学ぶ者たちに注目される。新たな就職口となるからだ。しかし、意気揚々と仕官した卒業生に待っていたのは地獄だった。具房に隔意を抱く勝家は、伊勢出身の卒業生に辛く当たったのだ。当主の姿勢は同調圧力となって柴田家全体に伝播。壮絶な虐めに発展した。その卒業生は耐えかねて自殺したという。柴田家には朝倉の旧臣がいるため新たな官僚は必要なかったのかもしれないが、あまりにも惨い。具房は内心でかなり怒っていた。織田家の重臣ということで黙ってはいるが、何かあれば徹底的に締め上げるつもりである。
閑話休題。
初期から続けていた教育事業の成果として、純粋な官僚集団が形成された。かつてのように、武官と文官を兼ねる者はほぼ消滅している。
武官も、かつては国人などが大半を占めた。しかし、軍学校の卒業者が士官となり、比率は逆転している。これが何を意味するのかというと、もし元国人の武官が反乱を企てたとしても、行動できないということだ。反乱したところで、兵士がついてこない。
要するに、具房が一家を連れて伊勢を離れたとしても、容易に統治は揺るがないというわけだ。
「よし、行くか」
「どちらへ?」
唐突に発せられた具房の言葉に、葵がその真意を訊ねる。具房はニヤリと悪戯小僧のように笑うと、目的地を告げた。
「京へ」
瞬間、お市が喝采を上げたのはいうまでもない。
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ーーガラガラ
津から京へ伸びる街道を馬車が進む。馬車は四頭立て四輪で、キャリッジと呼ばれる。これが二台使用されていた。基本的には具房たち全員が乗るが、たまに具房は騎乗している。どっちかにしろと言われそうだが、これくらいの趣味は許してほしい、というのが具房の言い分だった。もっとも、日ごろから節制しているため、誰も何も言わなかったが。
そして、馬車を取り囲むように三旗衆が護衛している。具房ひとりだと雪月花のうち一部隊だけだったりするのだが、今回は一族ほぼ全員が移動するため、裏方(忍)の人間を除くフルメンバーで護衛している。
伊勢の統治は佐之助に任せてきた。奉行格であるお市と葵がいなくなるため、政務へ支障をきたす恐れはある。彼もそのことを懸念していた。
『そんな!? お二方に抜けられると政務が……』
『ひと月ほどで帰る。任せたぞ、佐之助。薫も補佐してやってくれ』
『承りましたわ』
『よろしくね、薫』
『はい。昨年はお休み(産休)をいただきましたし、お方様にはお世話になりました。少しでも恩返しできれば幸いですわ。ーーお前様も、いつまでもぐだぐだ言わず、やることをやりますよ』
『う、うん……』
尻に敷かれている佐之助は、薫に言われると逆らえない。何か言いたそうではあったが、言えなかった。なかなか白々しい会話であったが、これは具房が事前に薫に協力を依頼していたためである。タダほど怖いものはないので、予定している事業へ納屋を参入させることを条件に協力させていた。
ともあれ、これで具房たちは一家揃って上洛することとなった。街道は各地への出兵で何度となく通った道であり、慣れたものだ。さらに北畠軍は統制がとれ、乱暴狼藉を働く者もほとんどいない。そのため、周辺の領民もとても好意的であった。
「北畠の殿様。水さ持ってきた」
「猪肉もあるだ。今朝、獲ってきたばっかのもんだ」
「魚もあるべ」
北畠軍が野営をすると、周辺の住民がわらわらとやってきて、色々なものを持ち寄る。兵糧は持ち運んでいるが、生鮮食品や水は現地で調達するしかない。積極的に持ち寄ってくれるのはありがたいことだ。それは十数年間、具房が築き上げてきた信頼の賜物である。
「皆、感謝する。礼物だ。受け取ってくれ。大人にはこれ、子どもたちにはこれだ」
具房は自ら感謝を伝え、大人たちには酒類を、子どもには甘味(羊羹やキャラメル)を渡す。このような見返りがあるから、領民たちは挙って北畠軍に協力するのだ。
この光景を、お市たちは馬車の中から見ていた。夫が人々に慕われている様を見て、まるで自分のことのように誇らしくなる。
「伊勢だけじゃなくて、尾張や美濃、近江の民たちにも慕われているのね」
「鼻が高いです」
「ご主人様、凄いでス」
具房にそのような意図はなかったのだが、期せずして妻たちに自らのカリスマ性を誇示することとなった。
そんな一幕がありつつ、一行は京に入る。さすがに全軍が入ると何事かと騒ぎになるため、大半は郊外に駐屯。入京するのは最も構成員の少ない花部隊となった。
北畠軍は京でも大人気だ。北畠家と織田家の資金力で、荒廃していた街が再建されているのも理由のひとつ。だが、北畠軍は織田軍よりも熱烈に歓迎されていた。
まず、北畠軍は滅多に乱暴をしないこと。織田軍は信長の本隊は常備兵で占められているものの、家臣団は領民兵を使っている。そのため規律は低い。また、全体的に軍規が守られているともいえず、乱暴を働く者は出ていた。両軍ともに、この時代からすると高い規律を誇る。だが、両者を比較したとき、より厳格なのは北畠軍であった。
さらに、商人からすれば物を買ってくれる上客だ。大店の主人は軍の規模で、中小零細でも、兵士個人が私的な買い物をして金を落としてくれる。
公家や町民たちは、北畠軍がいると京の治安がよくなることから、彼らのことを歓迎していた。京の復興事業と並行して、朝廷の機関の復活も行われている。その筆頭ともいうべき存在が検非違使であり、本来は彼らが治安維持にあたるべきだ。だが、多くは適当に仕事をこなした気になって終わる。それで金がもらえるのだ。楽をしないはずがない。おかげで京の治安はお世辞にもいいとはいえなかった。しかし、北畠軍は困った人を助けてくれる。仕事や命令ではなく善意で。これが仁義を弁えた行動だ、と京の人々に受けていた。
そんなわけで、京に入って北畠屋敷に向かう間はパレード状態だった。沿道に人々が並び、歓呼の声を上げる。具房は馬に乗り、手を挙げてその声に応えていた。兵士たちも、周囲への警戒を緩めず、歓声に応える。
「先触れ要らずだな」
具房の父・具教は苦笑しながら息子夫婦一行を出迎えた。人々が北畠と叫ぶので、先触れが到着するよりも先に接近を知ることができるのだ。
「あなた様、無事にご到着されて何よりです」
その横には敦子がいる。
「敦子も元気そうで何よりだ」
そんな言葉を交わしていると、横からお市が現れた。
「あなたが敦子さんね」
「はい。そうですが……」
敦子が具房にこの人は誰? という目を向ける。正室のお市だ、と紹介した。彼女はハッとしながらも優雅に礼をする。
「奥方様でしたか。失礼しました」
「別に気にしてないわ」
そんなことを言いあう両者。その間に火花が散っている様を具房は幻視した。お市は家格が下でも妻としての序列は自分が上だと敦子に示したいらしく、いつもより高圧的だ。
対する敦子も年増は引っ込んでろ、とでもいわんばかりに張り合っている。婚姻のときに『弁えている』と言っていた人と同一人物とは思えない。
正妻争いをするお市とは、あまり関係がよろしくなさそう。だが、葵以下の側室たち(既に顔見知りである蒔を除く)とは問題なく自己紹介を終えた。
大人の紹介が終わると、今度は子どもの紹介になる。とはいえ、全員がやってきたわけではない。母親と離すわけにはいかない若竹丸と江だけを連れてきていた。
お市は初を見せてマウントをとりにいく。
「可愛いでしょう?」
「ええ。わたくしも早くお子を授かりたいものです」
チラチラとこちらを見てくる敦子。具房は二年待て、と冷静に流す。彼女が子を作ることを望まれているのは知っているが、断固として拒否する。母体を危険に晒すわけにはいかないからだ。
お市と敦子が少しギスギスした空気になりつつ、目的であった妻たちの顔合わせは終わった。
馬車にはもちろんサスペンションがついています。