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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第八章
94/226

家康からの依頼

 



 ーーーーーー




 駿河統治の方針が決定された日の夜。具房は例によって護衛をしている蒔とまったりしていた。羊羹(戦闘糧食)をお供に茶を飲む。


「……お疲れ」


 ーーモミモミ


「ああ〜っ」


 その合間、蒔に肩を揉んでもらう。戦っている間、政務が溜まっており、これを(他家に見られても問題ないものだけ)片づけていた。思いの外時間がかかり、具房は疲労が蓄積する。首を回していると、蒔が気を利かせて肩揉みを申し出てくれたのだ。


(最高だ)


 仕事は大変だが、美人の嫁に癒してもらえる。具房は権力者の旨味を味わっていた。


(ダメだダメだ。慢心はいかん)


 驕れる者久しからず。だが、少しくらいはいいよな、と具房は開き直った。


「……んっ。ダメ」


「よいではないか、よいではないか」


 具房は蒔にセクハラを仕掛けた。悪代官のような台詞を吐きながら着物の隙間に手を入れ、その柔肌に触れる。蒔は口では拒否しつつも、手を払おうとするようなことはしない。遠回しなオッケーサインだ。久々なので今夜はじっくり……と思ったのだが、


「御所様」


 と呼びかけられた。


(ちっ)


 内心で舌打ちする具房。プライベートの時間を邪魔され、不機嫌になる。蒔もタイミングが悪い、とばかりに顔を顰めていた。その気になっていたのだから、不愉快だろう。具房も同じだ。


「誰だ?」


「三河守様(家康)です」


「すぐに行く」


 家臣であれば明日にさせようと思っていたが、さすがに家康が来たのでは断れない。具房は身形を整えると、家康が待っている部屋に入った。


「夜分、先触れも出さずに申し訳ない」


「いやいや、お気になさらず」


(マジでふざけんなよ、狸親父)


 内心で悪態を吐く具房。お楽しみを邪魔された恨みは深い。


「それで、どのような用件で?」


 さっさと終わらせてお楽しみに戻ろう、と具房は話を急かす。家康も何か感じるところがあったのか、素直に応じた。


「お恥ずかしがら、家臣のなかには大納言様(具房)の軍を領内に留めることに反対するものが多くおりまして……」


「そうでしょうね」


 一時的な援軍ならともかく、恒常的に駐屯するとなると、抵抗して当然だ。この時代、自存自衛が基本。家臣たちの意見は当たり前といえる。むしろ、すんなりと受け入れた家康がおかしい。


 これを聞いた具房は、家康がどう対応すべきかを聞きに来たのだと考えた。しかし、その推測は間違いだった。家康は既に解決策を考えていて、具房に打診に来たのである。


「我らの間には商いのつながりしかありませぬ。そこで、婚姻によって関係を深めたいと考えているのですが」


「なるほど」


 たしかに北畠と徳川は同盟を結んでいるが、それは紙での話。具房は書面での同盟といえど国際条約にも等しい拘束力を持つと考えているが、家康は違う。この時代、書面での同盟など、紙切れ以下の価値しかない。だから世の大名は「婚姻」や「養子」などの建前で人質を送るのだ。家康の言う「関係を深める」とは、人質を送って信頼度を高めよう、ということだった。


(遂にきたか……)


 具房が恐れていた大名のお仕事である。手塩にかけて育てた子を、他所へとやらなければならない。


「……」


 断るべきか具房は迷い、沈黙した。それが家康のミスリードを招く。家康は具房の沈黙を話の続きを促されている、と受けとった。話の続きとはつまり、条件である。


「亀は井伊虎松に娶せているので、新たに娘が生まれれば、これを大納言様のご子息に嫁がせます。なので今は於義を養子に迎えていただきたい」


 それは上下関係がはっきりした、屈辱的ともいえる同盟だった。家臣たちの反対は避けられないだろう。家康もわかっていた。だが、敢えてこの条件にした。具房を徹底的に持ち上げて、断られないようにするために。ここまでして同盟を結びたがるのは、徳川家が極めて微妙な立場にいるからだ。


 長篠の戦いで勝利した徳川軍は、余勢を駆って東海道の武田領国を陥れた。これ自体は喜ばしいことだが、問題は実力を超えた領国を保有してしまったことだ。すべての領国で敵と境を接しており、国境は横に長い。防衛に要する兵力は莫大なものになる。徳川家単独での防衛は不可能であった。


 そこで必然、同盟を結んで共同防衛という発想が生まれる。これは従来、武田との戦いでやっていたことだ。パートナーである織田、北畠両家との同盟関係は維持されている。ここでも彼らの力を借りることになるだろう。


 だが、問題があった。パートナーの一員である織田家は美濃で武田と領国を接している。ゆえに戦力は畿内から持ってくる必要があった。それが駿河に着くにはかなりの時間が必要だ。援軍が間に合うかはかなり怪しい。加えて織田家には畿内近郊には敵が多く、長篠のときのように主力を派遣してもらうには畿内が平穏であるという条件がつく。これらの条件を考えると、織田家はちょっと頼りない。


 対して、北畠家は総兵力こそ織田家に劣るものの、その質は上回っている。さらに、彼らが支える戦線は西部(紀伊、大和)に限定されていた。そのため、浮いている戦力は多い。北畠家の本拠である伊勢から駿河までは海路でつながっている。それを運ぶための船も十分あり、援軍の迅速な派遣が期待できた。


 このような両家の状況を見たとき、どちらを頼りにすべきかはいうまでもない。


 家康にとって、北畠家の支援が得られないことは、肥大した両国の維持は不可能になることと同じだ。なので、何としても味方に引き入れておかなければならない。より強固な関係を築くために、形振り構わなかった。その意識が、婚姻同盟に養子の差し出しという条件を考え出させたのだ。


 なお、婚姻にあたって養女ではなく家康の実娘としたのは、格式の問題だ。徳川家は藤原氏を名乗っているが、それは家系図を弄った結果だ。元はどこにでもいる国人である。しかし、北畠家は由緒正しい名門。これに娘を嫁がせるのだから、それなりの誠意が求められる。実娘は最低限の条件といえた。


(空手形である婚姻を伏せて家臣に説明することもできるか)


 二枚舌を使うわけだが、二度に分けることで反対を少なくするというのは悪くない手だ。方法論について具房は納得した。正直、子どもを使わなくて助かったという気持ちが強い。他人の子どもならいいのかといわれそうだが、自分の子が優先されるのは当たり前だ。


「待ってほしい。於義丸といえば、弥生に生まれたばかりの乳飲み子だろう?」


 そんな子を引き離すのは気が引ける。せめてもう少し大きくなってからにしてほしい、というのが具房の意見だった。だが、家康は養子入りを強く要望する。両者の間で押し問答となった。


 だが、反対しつつも具房はラッキーとも思っていた。於義丸は家康の次男。史実で結城秀康となる彼は、九州征伐などで功績を挙げた優秀な武将だ。そんな人物が加わるのだから、喜ぶのは当然だった。


 とはいえ、せめて物心つくまでは親許でというのが具房の考えだ。何度も言うのだが、家康は譲らない。


「身内の恥を晒すようですが、実は於義丸のことを御前(築山殿)は快く思っていないようなのです」


「誰がそのようなことを?」


「三郎(信康)が」


 具房も家康と築山殿が別居状態にあることは知っていた。浜松に家康が転居しても、正室である築山殿は岡崎に残っている。これは今に始まったことではなく、築山殿が三河に戻ってからのことだ。そのときも彼女は岡崎城ではなく、近くの寺に入った。以来、別居状態。現代ならば離婚は必至である。


 そんな築山殿は、一方で信康のことを大事にしていた。家康が浜松に移り、信康が岡崎城を任されると寺から出て城に入り、領内の統治に口出しするなどしている。最近では信康は自立して政務をしていたが、今度は徳姫(信康の正室)が子を産まないことを問題視し始めた。


『母上が部屋子を側室に迎えるよう申しているのです』


 と信康からタレコミがあったと家康は言う。最近は特にしつこくなってきているらしい。その原因を、家康は於義丸にあると分析する。要は、徳姫が石女であった場合、家督が信康ではなく於義丸の家系にシフトするのではないかと、築山殿は危惧しているのだ。


「つまり、於義丸を養子に出すのは、子の身を守る狙いもあるわけですか……」


 具房の言葉に、家康は真剣な顔で頷く。史実の於義丸は、三歳になるまで家康と面会できなかった。彼が築山殿との関係に配慮した結果だ。


「築山殿はよいのですか?」


 試すような質問に、家康は苦笑した。


「三郎にも同じことを言われました。同じ子であるのに、顔さえ見ないのはいかがなものか、と」


 そのとき信康は具房のことを引き合いに出したという。具房は忍が産んだ子でもきっちり育てている、と。そう言われるのは具房としては心外だが、今は関係ないのでスルーした。


「あなたの考えは理解しました」


「では?」


「於義丸を養子に迎えましょう」


 結局、その熱意に負けるような形で具房が折れた。家康はよかったよかった、と満足そうに帰っていった。


「……御所様」


 家康が退室してすぐに蒔が現れた。


「どうした?」


 具房は彼女の様子がおかしいことに気づく。蒔は表情の変化に乏しいが、今はいつにも増して能面のような無表情だ。どことなく元気がない。さっきまで元気だったのにーーと思ったところで気づく。さっきの家康の物言いが理由だと。


「三河守はあんなことを言っていたけど、俺にとって蒔は大切な妻のひとりだ。だから、お前も自信を持て。他人の言うことなんて気にするな」


「……うん」


 そう言葉をかけると、彼女は小さく笑みを浮かべた。具房はとりあえずこれでよし、と満足する。


 だが、その後またそういう雰囲気となり、慰めと愛情表現を込めて二人は明け方まで熱い夜を過ごした。







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