【閑話】志摩兵団のリクルート活動 この世の地獄編
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源太だ。俺は今、地獄を味わっている。
「走れ! 寝転がっている暇などないぞ!」
訓練が始まって七日が経った。その間に俺たちは訓練の基礎的な動きを学んだ。敬礼や行進、体操に筋力鍛錬(筋トレ)など。常に教官に監視され、間違っているところを指摘される。細かいくせに、声だけはでかい。
苦しかったのは入営初日。同じ形をした背嚢を五十人分山積みにして、そこから時間内に自分の物を取るということをさせられた。簡単だと思っていても、意外とできない。結局その日は、寝られなかった。翌日は近年稀に見る快眠。まあ、寝てないのだから当たり前といえば当たり前だが。
訓練はとても厳しい。毎日、体力の限界以上に身体を酷使している。慣れてくると上手く休もうとするのだが、教官たちはそれを許してくれない。どういう理由で限界を把握しているのかは不明だが、とにかく限界を少し超えたことを要求されるのだ。
例えば、今やっている持久走。演壇の上に置かれている砂時計の砂が落ち切る(二十五分)までに運動場を十周しなくてはならない。三度以上達成できないと脱落と見なされて鉱山送りになる。既にひとり、犠牲になっていた。
「ふう……」
俺は時間内に走りきることができた。でも、まだ走っている奴もいる。そんな彼らを、先に走り終わった連中が揶揄う。
「おいおい、まだ走り終わらないのか?」
「ほらほら、頑張れ頑張れ〜」
挑発的なことを言って、心ない声援を送る。正直、気分のいいものではない。だが、そんな彼らに罰が与えられる。
「ほう。無駄口を叩くとは、随分と余裕だな」
「「「きょ、教官……」」」
彼らの背後に、般若のごとき面相の教官が立っていた。腕をパキポキ鳴らしている。
「ち、違いますよ教官。これはあれがあれでして……」
「お、応援してただけじゃないですか!」
と、必死に弁解するが、教官は聞く耳を持たない。
「そんなに余裕があるならば、貴様らには追加の鍛錬をやらせよう。嬉しいよな?」
「「「は、はい……」」」
「返事は『はい』だと教えただろうが! まだ身につかんのか、貴様らは!? ああ!?」
「「「はい!」」」
その後、揶揄っていた連中は、他が走り終わるまで筋力鍛錬をさせられた。内容は腕立て、腹筋、背筋、脚筋、飛筋を各二十回。これを何周も延々と繰り返す。
これで彼らは貴重な休憩時間を無駄にしたわけだ。いい気味だ、と思っていると、
「余裕そうだな。貴様も筋力鍛錬をやるといい」
教官に目をつけられ、俺まで筋力鍛錬をやらされる羽目になった。
敬礼や行進、体操に筋力鍛錬、持久走といった訓練は十四日経っても続いた。それ以外、何もやっていない。刀も槍もまったく振っていないのだ。
また、食事も辛い。とにかく不味いのだ、ここの食事は。初日は極楽かと思えるような献立(白米に味噌汁、焼き魚に漬物)で、おかわりも自由というもの。こんな生活が続くなら兵士をやってもいいかな、と思った翌日に出てきたのが兵糧丸。一気にやる気が失せた。その後、教官たちが極楽献立を食べる横で、俺たちは兵糧丸や糒、芋茎縄なんかを食べている。
俺たちはこの単調で辛い生活に疑問を覚えていた。なぜこんなことをしているのか。意味はあるのか、と。
「こんな訓練が続くなら、もう坑夫でもいい……」
そんなことを言う奴まで現れた。
「待て。きっともうすぐ刀や槍を使った訓練ができるようになるって。だから頑張れ。な?」
仲間が絶望した仲間を宥める、という光景が散見された。しかし次の日も、その次の日も訓練内容は変わらない。ついに我慢の限界に達して脱落する者が現れた。十数日とはいえ、一緒に過ごした仲間だ。なので脱落しそうな者に声援を送るなどして支えた。そして入営から一ヶ月が経とうとしたある日の朝、教官から待望の言葉がかけられる。
「本日は組討術(格闘術)の訓練を行う」
その言葉を聞いたとき、俺たちは互いを見合った。言葉にはしないが、俺たちは歓喜していた。ようやくあの辛い訓練から抜け出せる、と。
それからは極楽のような日々だった。組討術は組手をするので地面に叩きつけられるなどの痛い思いをすることもあったが、単調な訓練と比べるとそんなことはどうでもいい。とにかく、何をするにも楽しかったことは覚えている。楽しみは剣術や槍術の訓練が始まったことで最高潮に達した。
そして、それからひと月余りの時間が経った。その日、俺たちは室内に待機させられていた。いつもは朝からみっちり訓練をやるのに珍しい。話の内容は専らそれだった。そこへ教官たちがやってくる。俺たちは黙った。訓練の成果が出ているな。
だが、内心で俺たちは驚いていた。教官たちが持っているものーーそれは銃だ。高額で、滅多に買えない代物である。それが全員分。金にすればいくらになるのか。
「知っている者も多いだろうが、一応、説明しておく。これは銃だ。金属の弾を火薬の力で発射し、敵を倒す武器だな。これが全員分ある。受け取れ」
俺は緊張しながら銃を受け取った。なかにはその価値を知らないのか振り回している奴もいたが、仲間から値段を聞くと顔を青ざめさせ、大事そうに抱える。ところが、教官は衝撃の事実を口にした。
「別に慎重に扱う必要はないぞ。所詮、それは旧式だからな。代えはある」
そんな馬鹿な。下手をすると、この場にある銃だけでも大名が持つ銃の総数になるんだぞ!? それが余るほどあるなんて、とても信じられない。
しかし、驚きはそれだけではない。銃を渡された俺たちは『射撃場』というところに行った。そこで、衝撃の言葉が告げられる。
「好きなだけ撃て」
と。配られた弾薬を使い切るまで撃てと言われる。ついでに、成績がよかった者は特別な食事(極楽献立)が食べられるという。これはやるしかない。俺は頑張った。他の奴には負けない、と極限の集中力を発揮する。
ーーバン! バン! バン!
銃声が絶え間なく響く。五十丁近い銃が一斉に発砲しているのだから、その音はかなりのものだ。耳が痛くなる。だが、それだけ。長篠でこれより多い発砲音を聞いた俺たちにとって、五十丁程度の発砲音は大したことなかった。
なお、射撃の結果は、普通。残念ながら、極楽献立にはありつけなかった。
その日は極楽献立を食べる奴を羨みながらの食事となる。だが翌日、俺たちは嬉しい情報を得た。これからあらゆる訓練で成績がよかった者は、極楽献立が食べられるようになるという。
「不味い飯とはおさらばだ!」
「負けねえからな!」
俺たちは対抗心を剥き出しにして訓練に熱中した。俺は他の訓練は競合する者が多いから、と射撃に傾注する。そして翌日に早速、極楽献立にありつくことができた。しかし、持久走で極楽献立を得た奴の食事を見て驚く。
「おいそれ、刺身じゃないか?」
「ああ。お前は焼き魚みたいだな」
哀れみを含んだ目で見てくる。ふん! 焼き魚がいいんだよ、俺は。……でも、刺身も食べたい。明日からは持久走も頑張ってみるか。
極楽献立の導入から数日が経ち、判明したことがある。それは訓練ごとに固有の極楽献立があり、変更されないということだ。いくら美味かろうと、同じ食事だと飽きる。かといって、兵糧丸や芋茎縄なんて食べたくない。結果、違う極楽献立を得るために俺たちは不得意な分野でも頑張って成績を上げるしかなかった。
「教官! 自分に追加の訓練をやらせてください!」
ただ、いつもの訓練を頑張ったところで元々あった差は埋められない。埋めるには、他人よりも努力をしなければならなかった。だから、俺は居残りを教官に直訴した。
「うむ。いいだろう」
教官は快諾してくれた。正規の訓練だけでも辛いのに、さらに追加したのだからかなり疲れる。こういうとき、初期の訓練をサボらずにいてよかったと思う。あれのおかげで体力がついたから。
追加訓練の甲斐あって、俺は苦手な分野もこなせるようになり、特別献立全種を制覇した。あのときの達成感は忘れられない。ただ、急に成績がよくなったことを訝しまれて、追加訓練ができることを教える羽目になったのは痛かった。あれで周りも上達して、競争が激化してしまったからだ。
ともあれ、俺は努力の結果、訓練が終了した日には全体のなかでも上位の成績を修めるようになっていた。
極楽献立を求めて必死に訓練をしていると、残りの期間はあっという間に過ぎていった。そして、訓練の最終日を迎えた。
「諸君、ご苦労だった! これで諸君らも我々の座右の銘『工和』がどういうものか、身を以て知ったはずだ。そう、それは団結である! 訓練初期、同じことばかりをやらされて苦しかっただろう。辛かっただろう。……しかし! 諸君らはそれを乗り越えてきた。それはなぜだ? 諸君らが優秀だからか? 違うだろう。仲間が励ましてくれたからだ。今後、諸君らはこの訓練よりも厳しい任務に赴くこともあるだろう。だが、ここで得た『工和』の精神があれば、いかなる困難も乗り越えることができる! そんな諸君らを、我々は名誉ある志摩兵団の団員として歓迎しよう」
訓練後の慰労会で教官の言葉を聞いた瞬間、これで訓練が終わったんだと思うと涙が出た。やりきったんだ、という思いが溢れる。それから慰労会は自由時間に移った。今日はキジやカモの肉も出て、いつにも増して豪華な献立だ。
「凄いな、ここは」
「ああ。長篠で武田が負けた理由がわかるぜ」
慰労会の冒頭は皆、料理を貪るように食べていた。兵糧丸や芋茎縄などの貧相な食事から解放される、と。ある程度腹が膨れると、今度は酒を楽しむようになる。出された酒が美味いのだ。大名が飲むようなものだから当然か。
そして終わりの時間が近づくと、行動は二つに分かれる。腹一杯に酒や料理を詰め込む者と、気に入った酒と肴で仲のいい仲間と歓談する者とに。俺は後者だ。仲間とこれまでの生活と、北畠軍について話していた。
俺は訓練を受けて理解した。世の大名が北畠軍に負けていく理由を。徹底した訓練によって、俺たちは戦闘するからくり人形に変えられた。命令があれば何でもできる。十分な訓練を積んだことで、自信にも満ち溢れていた。
一方で、規律を守るということも叩き込まれた。違反者には容赦のない罰が加えられ、逃亡を試みた者や、抜け出して近くで悪さをした者は(程度にもよるが)鉱山に送られている。温情など一切ない。だから、俺たちは規律を守る。守っている限り、理不尽な目には遭わないからだ。
他にも訓練への意欲を高めるために極楽献立を導入するなどの工夫がある。厳しい訓練と規律の徹底。北畠軍の強さはそこにあった。
慰労会が終わった後、片づけを終えるといよいよ寝るだけとなる。皆、思い思いの過ごし方で最後の夜を楽しんでいた。俺の宿舎の寝室に引かれた布団を見つつ、思い出に浸る。
「いや、明日は朝から退去だ。早く寝よう」
だが、すぐに思い直して横になろうとする。そのとき、扉が開かれた。
「これから呼ぶ者は教官室に来るように! 既に眠っている者も起こせ」
従兵が数人の名前を呼ぶ。まあ、悪いことしてないし俺は関係ない。寝よう、と思っていると、
「ーー最後に源太」
「っ! はい!」
名前を呼ばれたら返事をする。ここ三月余りで叩き込まれた規律だ。だから、反射的に答える。でも、教官に呼ばれるようなこと(悪いこと)はしてないんだけどなぁ……。
教官に呼ばれた原因判明。悪いことをして怒られるのに呼ばれたわけではなかった。では何のために呼ばれたのかというと、これからの進路について話すため。
「諸君は訓練期間中、優秀な成績を残した。そこで、軍学校へと推薦しようと思う」
「軍学校、ですか?」
何だそれは? というのが俺たちの疑問だった。すると教官は、そうか知らないよな、と言って軍学校とは何かを説明してくれる。曰く、軍学校とは北畠軍の侍大将(士官)を育成する学校だ、と。
「じ、自分は農家の三男ですが……」
「関係ない。武士だろうが農民だろうが、能力のある者を相応の待遇で召し抱えるーーというのが御所様(具房)のお考えだ。低い身分から重臣になることも夢ではない」
実際、御所様が引き立てて重臣となった農民もいる、とのことだった。返事は明日でいいとのことだけど、俺はもう腹を決めていた。この話を受ける、と。俺も重臣とはいわないけれど、それなりの身分になりたい。
「頑張れよ」
翌春に、俺たちは軍学校に入学した。ここでの訓練は、志摩兵団での訓練ほど厳しくない。問題は戦術だが、訓練で培った向上心を活かして乗り越えて見せる!