【閑話】志摩兵団のリクルート活動 入営編
またしてもシリーズ物です。予想外に長くなりまして……。
途中から一人称に変わっています。
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戦いは終わったが、大名の仕事は戦うことだけではない。行政もまた、重要な仕事だ。駿遠両国で起きた一連の戦いで生じた敗残兵は故郷を目指す。だが、なかにはたどり着けない者もいた。野垂れ死ぬならば、と盗賊に身をやつす者も少なくない。そんなわけで、戦争の後には治安が悪くなる。これを回復するのも、大事な仕事だ。
「何から何まで申し訳ない」
「いえいえ。こちらにも利益があることですから」
二ヶ国の平定は事実上、北畠軍の力で達成したもので、徳川軍はそのおまけでしかない。そのことを重々承知している家康は、治安回復まで北畠軍にやってもらうことに対して抵抗を覚えていた。しかし、具房は率先して引き受ける。治安回復任務には別の側面もあるからだ。それはリクルートーー新兵募集である。
北畠軍は職業軍人(志願兵を含む)を除くと、領民から徴兵して訓練を施した兵士で組織されている。だが、一部は特殊な編制になっていた。それが三旗衆と志摩兵団、伊賀兵団である。
三旗衆は、軍全体から選抜された精鋭集団であり、主任務は具房の護衛。最新装備を運用する、北畠軍最強の部隊だ。
志摩兵団はアメリカ海兵隊のような殴り込み部隊。その訓練は過酷であり、徴兵された兵士ではなく、志願兵で編制されていた(志摩国で徴兵された兵士は伊勢兵団に編入されている)。こちらも精鋭として名高い。
伊賀兵団は山岳戦を得意とする。その中核になっているのが伊賀武士だ。彼らは忍者の訓練も取り入れており、北畠軍で最も過酷な訓練を積んでいることで知られている。彼らもすべて志願兵で編制されていた(伊賀国で徴兵された兵士は大和兵団に編入される)。
さて、この三者のなかで絶えず人材不足に喘いでいる部隊がいる。志摩兵団と伊賀兵団だ。厳しい訓練に耐えられず、人員は常に定数ギリギリである。
そんな彼らにとって、この盗賊狩りは団員を補充する絶好の機会だ。盗賊をやっていたということで、刑罰を科す代わりに訓練場へと放り込む。軍役が懲役となっているのだ。非人道的と思われるかもしれないが、ちゃんと人は選んでいる。郷里に帰れず仕方なく盗賊をやっていた、という場合には普通に刑期をこなせば帰れるよう支援した。
だが、戦争を経験すると、戦いが忘れられないという者が一定数出てくる。そういった者の受け皿になるのが二つの兵団だった。多少、人格に問題があっても構わない。訓練で徹底的に矯正するから。
その盗賊狩りであるが、やはり危険が伴う。だが、北畠軍は暴徒鎮圧の訓練を受けている。時代劇で見るように「御用」と書いた提灯をぶら下げた武士たちが大挙して捕まえに行くーーなんてことはしない。もっとスマートにやる。
第一段階は、盗賊のアジトを見つけることだ。これは花部隊が中心となって捜索している。また、懸賞金を出して民衆からも情報を募っていた。
「あそこです」
近くの村人(案内役)が、廃屋を指し示した。曰く、ここは戦によって廃村になったところで、盗賊が拠点にしたのだという。志摩兵団の兵士たち(一個分隊)は周囲を念入りに偵察し、盗賊の配置などを確認。その上で襲撃計画を立てた。
「よし、夜明けまで待機だ」
全員が作戦を頭に叩き込んだところで待機し、払暁に行動を開始する。
「むぐっ!?」
まずは見張りの排除。背後から足音を立てずに忍び寄り、口を押さえるとナイフで首をグサリ。沈黙させる。殺さないのが理想だが、見張りを静かに排除するには殺すしかなかった。盗賊の場合、こういう役目は下っ端の仕事だ。実力が盗賊の身分を決めるので、下っ端を殺しても優秀な人材を失うことにはならない。だから躊躇はしなかった。その辺りはドライである。
(問題ないか?)
(ありません)
(よし、前進だ)
ハンドサインでコミュニケーションをとる。隊員たちは静かに廃屋を囲んだ。そして扉の横にいる兵士が壺を取り出す。一見すると手榴弾のようだが、これは煙幕弾である。これで燻して盗賊を外に出して制圧するのだ。
アイコンタクトでタイミングを確認。火縄から導火線に火を点け、着火しているかを確認。わずかに開けられた扉からポイッと放り込んだ。直後、モクモクと煙が立ち込める。
「な、何だ!?」
突然のことに盗賊たちはびっくり。慌てて外に出る。が、そこには志摩兵団が待ち構えていた。武器も持たずに出てきた者がほとんどなので、ロクな抵抗も許されずに鎮圧されていく。武装していた者も、複数人で危なげなく鎮圧された。
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俺は源太。駿河国人の分家の人間だ。主家である今川家が滅んだため、駿河の新たな支配者となった武田家に仕えている。それから江尻城代の山県様の下で遠江や美濃での戦に参加していたんだが、長篠の戦いで武田軍は大敗北を喫した。俺は命からがら戦場から逃げ出すことに成功したものの、兵として連れてきた領民たちとはぐれてしまう。
それだけならよかった。郷里にはひとりで帰れるからだ。だが、問題は周りに俺と同じように命からがら逃げてきた連中がいたってことだ。
「おっ母、大丈夫かな……?」
「子どもたちは元気でやれているか?」
兵たちからそんな声が上がる。誰も彼もが、郷里で暮らす家族のことを想っていた。しかし、彼らは帰郷できない。甲斐や信濃の国境は、北畠軍や徳川軍に封鎖されてしまっている。
「国境近くの村に住んでいるんだ。任せろ」
そう言った奴は数人の兵士を連れて突破を図ったが、帰ってこなかった。成功すれば迎えを寄越すことになっていたので、それが来ないということは失敗したのだろう。裏切ったとも考えられなくはないが、なぜかそうは思えなかった。思いたくなかっただけかもしれないが。
「ここにもいるのか……」
知らないなりに回り道を探したものの、素人が見つけられるような抜け道は全て封鎖されていた。相模や尾張に入って大きく迂回するという道も選べなくはないが、彼らは敗残兵。どこかしら傷つき、体力気力ともに限界に達している。なかには、体力が尽きて死んでしまった者もいた。俺はまだ大丈夫。だから、その気になれば郷里に帰れる。でも、それはしなかった。彼らを見捨てることができなかったからだ。
そこで、俺は盗賊になった。廃村の家屋を拠点にして、道行く人間を襲う。生活のために必要なものを買うためには金が要る。手っ取り早く手に入れられる方法が盗みだった。幸い、俺たちには武器がある。それを使って脅し、金を得た。奪うのは半分だけ。時間がかかるが、傷ついた者が身体を癒やすための時間になる。だから、むしろ丁度いい。
だが、人生上手くいかないものだ。盗賊生活は呆気なく終わった。北畠軍に見つかり、捕らえられたからだ。このまま死刑になるのか? と戦々恐々とする。望めば故郷に返してやると言われたが、家のことを知られれば、俺を人質にして帰順を求められるかもしれない。だから、何も言わなかった。
そんな俺は、同じ盗賊仲間と一緒に江尻で船に乗せられた。絶海の孤島に流刑にされるのか? と不安に思うこと数日。船はどこかに着き、俺たちは下船させられた。そして、船着場から歩かされる。逃げ出そうかと思ったが、ここがどこかわからない。周りには武装した兵士がいて、逃げられるとはとても思えなかった。
「ここは……?」
少し歩くと、大きな看板があった。そこにはこう書かれてあった。
『北畠軍志摩駐屯地』
と。何のことだ? と疑問に想っていると、先導してくれている兵士が歩きながら説明してくれた。
曰く、ここは志摩兵団の拠点である。その移動は基本的に船で行うので、付近に港湾が整備されている(俺たちが上陸したのもそこだ)。港と駐屯地は一本道を行けばすぐに着くようになっている。駐屯地は志摩兵団の団員たちが生活する場であり、訓練場も兼ねている。
そこで俺たちも今日から暮らすらしい。まず、入所点検なるものが行われた。
「机の前に立て」
黒い肌(日焼け)をした筋骨隆々の男が現れ、そう指示する。俺はすぐに従った。怖いから。丸太のような腕をしている相手に逆らう気は起きなかった。腕に覚えはあるが、そんなことをすれば……俺は生きていられないだろう。
「机の上に箱があるはずだ。そこに全ての持ち物を入れろ」
俺は大人しく従った。なかには渋る者もいたが、
「入れろと言っているのが聞こえんのか!」
と、耳が悪くなりそうな大声で、耳元で叫ばれていた。煩いと言った者は殴り飛ばされている。容赦がない。俺は絶対に逆らわないね。怖いから。
何だかんだあって、俺たちは丸裸になった。さすがに褌を外すのは抵抗があったが、大声で怒られるのは嫌だし、殴られるのも嫌だ。だから従った。
「よし。では、持ち物を改めていく。必要のないものは没収だ」
黒い男が合図をすると、男たちがぞろぞろと現れた。最初の男と同じように誰もが黒く、丸太のような腕をしている。彼らにも逆らう気にはなれなかった。
男たちは箱の中身ひとつひとつを調べていく。たまにこれは何だ? と質問を受けていた。持ち物改めがされた結果は、すべて没収というものだった。身につけていた服や褌までもすべて。なかには刀なんかの武器を没収された奴もいた。
『待ってくれ! それは親父が拝領した家宝なんだ!』
『黙れ!』
抵抗する姿勢を見せるが、男は殴って押さえ込んだ。ただ、持ち物改めの後で、男は没収した物について話した。
「没収したものは、訓練を終えれば返却する」
と。それを聞いて、抵抗していた者たちも何とか落ち着いた。
「今日からはこれを着て生活してもらう」
男は変な着物を見せてそう言った。よく見たら、男たちが着ているものと同じだ。異論はない。怖いから。大きさを調べて、丁度いいものが渡される。同時に褌も渡された。
「見ろよこれ、新品だぞ」
「本当だ」
他の人が言うように、渡された着物や褌はすべて新品だった。一部ではなく全員分が。百人は下らないというのに、俺みたいな雑兵にまで新品の着物を配るなんて、北畠家はとても金持ちらしい。
衣服の配布が終わり、俺たちがそれを着ると男が話を進めた。
「さて、諸君がここに集められたのは、我が志摩兵団の新たな団員に選ばれたからだ。他人の物を盗むほど力が有り余っているのならば、それを健全なことに向けてもらいたい。だが、我々は諸君をまだ仲間だと認めてはいない。志摩兵団には座右の銘がある。『工和』ーー協力しよう、だ。この精神を持つ者を我らは仲間と呼ぶ。諸君らには、この精神をこれからの訓練で身につけてもらう。ただし、ついて来られない者は即、摘み出す」
「へっ。なら早く追い出せってんだ」
「「「そうだそうだ!」」」
口々にやる気がないから追い出せ、という者が現れる。う〜ん。俺はそうは思わない。絶対に裏があるからだ。そして、その推測は当たっていた。
「そうか。ならばお望み通り、摘み出してやろう」
おおっ! と歓声が上がる。
「だが、お前たちの罪が消えたわけではない。軍で刑期を消化するのが嫌なのなら、仕方がない。蝦夷地で坑夫として働くといい。冬は甲斐や信濃よりも厳しく、死んでしまうがな」
その言葉を聞いた瞬間、煩かった男たちが水を打ったように静かになった。ほら、やっぱり。
「ん? どうした、急に黙り込んで? ここを出て行きたいんだろう?」
男はそう言って、追い出せと宣っていた者をジロジロと見る。彼らは必死に目を逸らしていた。甲斐や信濃より冬が厳しい場所で坑夫なんて冗談じゃない! そんなところで働くくらいなら、ここで兵士をやっていた方がマシだ!
「では、全員が志摩兵団の団員になることを希望する、ということでいいか?」
「「「はいっ!」」」
俺たちの心はひとつになった。
その後、俺たちは駐屯地を案内され、あちこちを歩き回る。案内が終わると、最初の部屋ーー宿舎に戻ってきた。
「最後に、返事は『はい』か『いいえ』だ。我々は基本的に、そう答えられる質問しかしない。それから、我々のことは教官と呼ぶように。いいな?」
「「「はい!」」」
「返事が小さい!」
「「「はいッ!」」」
「もう一度ォッ!」
「「「はいッッッ!」」」
男たちの雄叫びが宿舎に木霊する。俺は煩いと思ったけど、教官は満足そうに頷いていた。
「よし! ではこれから、ここで暮らすにあたっての基礎を叩き込む! 全員、運動場へと集合!」
そして、俺たちは知ることになる。地獄は現実に存在したのだと。
アメリカ海兵隊の標語は「常に忠実たれ」。その他にも「誇り高き少数精鋭」「一度なったら常に海兵」「海から、そして陸から」「不屈たれ」など多くの標語があります。「協力して任務遂行」もそのひとつです。これは中国語の「工和」からきており、戦国時代でも受け入れやすいかな、と思って登場させました。