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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第七章
89/226

衝撃と畏怖

 



 ーーーーーー




 時は少し遡る。長篠合戦から約一週間が経ったある日。武田水軍が停泊している港に、四隻のフリゲートが近寄っていた。


「ん……?」


 見張りに立っていた水兵がこれを視認する。見慣れない船型に疑問符を浮かべていた見張りだったが、マストに掲げられた笹竜胆の旗を見て、それが北畠軍だと気づく。


「て、敵襲! 敵襲ーッ!」


 反射的に警報を発する。情報はすぐさま共有され、武田水軍は慌てて準備を整え、出航した。


「野郎ども! 奴らにこの海での戦い方を教えてやれ!」


 間宮信高が部下たちを鼓舞する。海戦においては潮の流れなども重要な要素だ。地元の水軍は経験からこれを熟知しており、優位であった。『この海での戦い方を教えてやれ』というのは、それらを利用した戦い方を見せる、という意味がある。


 武田水軍は定石通り、横陣を組んで突撃した。対する北畠軍は舷側を見せた単縦陣で航行を続ける。船は舷側の面積が広く、縦(船首)から攻撃するよりも横(舷側)から攻撃した方が当たりやすい。一見すると愚策だ。だが、北畠軍の戦い方は武田水軍のそれとは根本的に異なっていた。


「撃て!」


 船長の命令を受け、フリゲートが砲門を開く。片舷に十八門の大砲を備えており、それらが一斉に放たれた。そう。舷側を見せていたのは、そこに備わった砲を撃つためだった。フリゲートや戦列艦の場合、最大の攻撃力を発揮するのが舷側を見せたときとなる。なので、舷側を見せる北畠軍の行動は何ら間違っていない。


 大砲の命中精度はお世辞にもよくないが、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。四隻、七十二門の大砲から放たれた砲弾は、数隻の敵船に命中。船底まで届く風穴を開け、大浸水を引き起こした。旗艦の安宅船も数発の命中弾を浴びる。ただ、さすがは大型船。一撃で沈むことはなかった。


「やるじゃねえか」


 信高は猛獣のような笑みを浮かべる。だが、このままでは一方的にやられるだけだ。弓矢と大砲では、武器の射程距離が違う。速力を上げて接近するように言った。火矢を放って敵船を炎上させるとともに、接舷して斬り込みを行うのだ。大砲の再装填には時間がかかる、との目論見からだ。


 しかし、想定外にも接近は困難を極めた。大砲は散発的に撃つのみだが、厄介なのが鉄砲だ。北畠軍が装備するそれはミニエー弾を使っており、射程は通常の火縄銃より長い。おかげで弾幕を浴びる時間が延び、戦闘員が消耗する。


 信高は欠員を補うため、漕ぎ手を戦闘員にすることにした。すると、今度は漕ぎ手の減少で機動力が落ちる。彼我の距離が詰まる速度が緩やかになった。そのとき、フリゲートの船尾に水飛沫が上がる。


「……樽?」


 見張りが呟く。プカプカと水面を漂うそれは、なるほどどこからどう見ても樽である。それが複数。


「積荷を捨てたか?」


「あり得るな。我らの猛追を見て逃げ出したのかもしれん」


 樽=積荷説はただのデマでしかなかったが、さも真実のように語られた。そうなると、気になるのは中身だ。酒であれば万々歳。金銀でも大儲けである。欲に目が眩んだ者が引き上げようとした。そのとき、


 ーードカン!


 と樽が爆発した。中に詰まっていた石や金属片が四散する。これで多くの者が傷つき、爆発に巻き込まれた船の一部は大きな破口が生じ、沈没した。お宝に見えた樽は、悪質なブービートラップであった。


「くっ、卑怯な」


 思わぬ攻撃に混乱する武田水軍。しかも、樽は縄で繋がれており、縄に触れれば複数の樽が船体に絡みつくという仕組みになっていた。一隻が触れると樽が集まり、複数隻に被害を及ぼすなど、武田水軍は大打撃を受ける。


「よ、寄るな!」


「あっち行け!」


 近くにいる味方を追い払う、あるいは味方から距離をとるという方法で被害を免れようとする。だが、それによる無茶な運動により隊列が乱れ、ついには衝突する、という事例も生じた。


 その間もフリゲートからの砲撃は続いている。彼らは武田水軍に対して、常に舷側を見せるように運動していた。最後尾の艦は、海流の上手かみてにくると、艦尾から樽を投下。武田水軍に樽攻撃を加える。


「撤退だ!」


 信高は敗北を認め、撤退を決断する。だが、北畠軍はそれを許さない。混乱して団子状態になっている武田水軍の周りをグルグル回り、砲撃しつつ樽を投下する。逃走を試みても、攻撃手段の乏しい艦首を向けなければならず、一方的に撃破されてしまう。かといって動かないままでいると、砲弾や樽の餌食となった。


 結局、武田水軍は旗艦の安宅船を含む四十以上の船を撃沈破されてしまい、壊滅した。このことは、フリゲートを指揮していた九鬼澄隆から、艦隊を率いる鳥羽宗忠に報告される。


「ほう。弥五郎(澄隆)もやるではないか」


 宗忠は戦闘経過を聞き、澄隆の手腕を称えた。父、成忠から兵部副奉行の地位を継いだ宗忠だが、その次に副奉行となると目されているのが澄隆だ。九鬼家は具房の体制下では外様ながら重臣扱いを受けている。通常、成忠の後任は澄隆が務めるが、彼はまだ幼少のため、年長である宗忠が副奉行に任命された、という経緯があった。


(これなら安心して後を任せられる)


 地位の世襲を認めない、という具房の姿勢を宗忠は察していた。それは、法部奉行を退いた鳥屋尾満栄の後任に子の右近(定恒)がなるかと思えば、彼は兵部の人間で法部には関係ない、という理由で却下。山室教兼を後任としたことからも明らかだ。そんなわけで、鳥羽氏による職の独占は(具房が当主である以上)あり得ないし、それを目指しても嫌われるだけだと知った。だからこそ、後任と目される澄隆が有能であることは彼にとっても喜ばしいことだ。まだ引退する気はないが。


「よし、では第二段階に移行する。決行は払暁だ。柳生殿(家厳)に準備するように伝えろ」


 宗忠は作戦の進行を命じた。その夜。彼が乗る戦列艦から舟が下され、江尻の町に近づく。上陸前の偵察を行っているのだ。かの地は駿河一の商都であり、支配の拠点となっている江尻城の目と鼻の先でもある。ここに上陸すれば、敵の動揺を誘えた。


 懸念材料はこの地を拠点とする武田水軍だが、それは先行した澄隆のフリゲート艦隊によって排除されている。斥候を出したのは、防備が固められていないかを確認するためだ。敵が待ち構えているなら、その規模次第では別の場所に上陸することもあり得る。


「斥候より報告。『敵影なし』」


「柳生様より、『準備は整った』とのことです」


「よし! では手筈通りに作戦を進める。空砲を放て」


 宗忠の命で、旗艦から空砲が放たれる。それは作戦開始を告げる合図だ。


「合図だ。行け!」


「進発!」


 家厳が命じ、上陸第一波である志摩兵団(約三千)を乗せた上陸用舟艇が発進した。彼らは現代でいうところの海兵隊であり、今回のような強襲上陸は、彼らの専売特許である。ゆえに手慣れており、江尻の港に舟艇が接岸すると、躊躇いなく飛び出していった。


「第三大隊は敵船を捕獲しろ! 第二大隊は町を確保! 第一大隊は(江尻)城を攻める!」


 素早く兵士たちは動く。揚陸作業の邪魔をされないよう、武田水軍の船は捕獲する。また、橋頭堡となる町の確保も急務だ。江尻城を攻撃するのは、邪魔をされないためだ。


 江尻の町は、たちまち大混乱に陥る。この時代、強襲上陸という戦法は認知されていない。そのため、完全な奇襲攻撃となった。あらゆる船が拿捕され、町屋は分隊に分かれた部隊が一軒一軒、制圧していく。一時間とかからずに水軍の無力化、町の制圧という初期目標を達成した。


「次!」


 これを聞いた宗忠は上陸第二派を発進させる。今度は伊賀兵団(二千)。彼らは山に囲まれた伊賀に住んでいることから、山岳戦の経験が豊富だ。彼らにはその経験を活かす、ある重大任務が付与されていた。そのために与えられていたのが、大量の馬である。その数、約二千頭。ひとりにつき一頭の馬が割り当てられていることになる。数を揃えるために老馬も含まれており、戦闘には耐えない。しかし、人を乗せて運ぶことくらいはできた。今回は兵員の輸送が目的なので、何も問題はない。


「走れ! 走れ! 走れ! 何のためにこの日まで訓練してきたと思ってる!」


 上陸してすぐに、彼らは一斉に騎乗。甲斐へ続く街道を爆進する。指揮官の植田光次が先頭で兵たちを牽引した。伊賀兵団はただひたすらに駆け、国境の薩埵峠を目指す。ここに武田軍より早く到達し、陣地を構築。国境を封鎖せよ、というのが彼らに与えられた任務だった。そのために乗馬の猛訓練を積んでいた。長篠合戦に彼らが参加しなかったのも、訓練を続けるためである。


 彼らは目的を達するため、道中の城はすべて無視。物資は弾薬を限界まで持つ一方、食糧は三日分しかない。これは軽量化のためだ。その食糧は糒は無論のこと、羊羹やビスケット、乾パン(金平糖入り)とバリエーション豊富である。これが尽きれば現地調達するしかない。後続部隊による補給が頼りという、無茶な計画であった。しかし、命令を遂行するのが彼らの役目。不安はあるものの、それに従って動く。


 無茶な行軍の甲斐あって、伊賀兵団は薩埵峠を占拠。直ちに陣地構築に入った。数日後、攻め寄せてきた穴山信君隊も追い払っている。


 先に上陸していた志摩兵団も、後を上陸第三波の大和兵団に託すと東海道を東進。相模、伊豆の国境を封鎖した。彼らも援軍としてやってきた北条軍を撃退している。


 かくして駿河は事実上、孤立状態となった。その上、指揮すべき江尻城代は不在。駿河の武田家臣団は完全に統制を失っていた。そこへ、次々と有力な敵軍が現れる。


 上陸第三波の大和兵団(一万五千)。


 浜松から海上輸送された伊勢兵団(一万五千)。


 これらを指揮するのが権兵衛である。長島城防衛戦における手腕を買われ、彼は方面軍司令官として認知されていた。この他、具房は島左近や藤堂房高なども、将来的な方面軍司令官にと考えている。


 合計三万の主力軍は江尻城を陥落させると、二手に分かれた。大和兵団は西進。遠江から進行する北畠・徳川連合軍と敵を挟撃するのが狙いだ。


 伊勢兵団は長篠から連戦であるため、江尻以東をゆっくりと攻略していく。なお、伊賀兵団や志摩兵団が危うくなったときには、これを助けるという役割も担っていた。


 駿河に突如として現れた四万程の軍勢。


 遠江から攻め寄せる三万余りの北畠・徳川連合軍。


 沖合に犇く大船団(戦闘艦隊に加え、兵員や物資輸送のためにガレオンも多数動員)。


 甲斐や相模、伊豆諸国との連絡の寸断。


 わずか数日で遠江と駿河にいる武田家臣は完全に孤立し、自分より遥かに優勢な敵を相手に孤軍奮闘することとなってしまった。


 さらに、家康はある切り札を用意していた。それはかつて駿遠両国を有した名家である今川家現当主・氏真である。彼は当初、妻の実家である北条家に身を寄せていた。しかし、彼らが家を滅ぼした怨敵である武田家と同盟を結んだことから離脱。以後、家康の庇護下に置かれていた。この氏真を引き連れ、連合軍は遠江へと侵入したのである。


 孤立無援の状況で見た氏真という光明は大きな効果をもたらした。彼らは氏真を仲介役にして次々と家康に降伏。従わない者もいたが、それは北畠軍の砲撃の餌食となった。これを見た国人たちは戦意を失せさせ、ああはなるまいと降伏の動きを加速させる。


 衝撃と畏怖。


 迅速な部隊展開を行うことで開戦劈頭に圧倒的な戦力差を生じさせ、敵に「衝撃」を与える。さらにいくつかの敵を叩き潰し、その戦力差を見せつけることで、敵を「畏怖」させる。


 アメリカ軍が確立した優勢火力ドクトリン。衝撃と畏怖は、現代におけるその到達点といえた。戦争の実質的な期間が極端に短くなった現代において、早期に決着をつけるためには極めて有効な戦術だ。これを具房は模倣したのである。


 両国の攻略は具房の想定以上に順調に進む。これには家康は無論のこと、立案した具房もびっくりである。だがこれは、これまで培ってきた北畠軍の実績が大きく影響していた。彼らはこれまで負けたことがない。最強軍団といえる武田軍にすら、勝ち続けているのである。そんな相手に有利な要素がひとつもない状態で戦いを挑む者がいるだろうか? 普通はいない。


 だが、人間はこの世に星の数ほどいる。梃子でも降伏しない奇特な人物もいた。それが、諏訪原城を守る岡部元信である。彼は氏真による降伏勧告も受け入れなかった。


『治部大輔様(氏真)にはかつて大恩を受けた身。されど、この身は既に武田家臣。降伏はいたしかねる』


 というのが、降伏勧告に対する元信の回答であった。


「仕方ない」


 具房は攻撃の準備を命じた。やることはいつもと同じ。しこたま砲撃した後、廃墟と化した城を制圧するだけの簡単なお仕事だ。


「大納言様(具房)。く、くれぐれも五郎兵衛(岡部元信)の命だけは……」


「生きていれば」


 氏真が助命嘆願するが、具房はそう答えるしかない。北畠軍砲兵の練度は高く、簡単な照準はつけることができる。これは他の大名家ではまずできないことだが、現代の自衛隊のように富士山を描く、というような芸当は技術水準から到底不可能だった。


 その上、元信がどこにいるのか具房たちに知る術はない。助命のために砲撃をせず攻める、なんて選択肢はない。元信と兵士たち、どちらの命が重いかは考えるまでもなかった。


「武田の援軍が来る前に片をつけるぞ!」


 具房はそう言って刀を振り下ろす。それを合図に連合軍は攻勢をかけた。北畠軍の先鋒は、側近のなかでも血の気の多い猪三と徳次郎だ。こちらも熾烈な戦功争いを繰り広げていた。徳次郎は南の大手門から、猪三は北の搦手から攻め上がる。


「そこだ!」


 徳次郎は射手に細かく指示を出す。敵の指揮官を射殺し、混乱させたところへ砲撃を叩き込み、突破するという作戦だった。紀伊兵団の特色は、元雑賀衆や根来寺の僧兵など銃の扱いに長けた人間が多く、ある程度の精密射撃ができることだ。射撃の上手い者が多い北畠軍のなかでも、彼らの腕は群を抜いている。


「片っ端から撃ってしまえ!」


 繊細な徳次郎とは対照的に、猪三の攻撃は豪快であった。怪しいと思ったところには弾を撃ち込め、という言葉が彼の基本的な戦術を物語っている。だが、間違ってはいない。発想がアメリカ的で、具房が目指すスタイルを体現していた。


 諏訪原城の城兵は決死の抵抗を見せるが、質と量の両方に勝る連合軍には敵わない。城はその日のうちに落城した。


 氏真が助命を希望していた岡部元信は、残念ながら討死していた。討ったのは紀伊兵団。徳次郎曰く、本丸を攻めていたら突撃する一団が現れた。そのなかに元信がいた、とのことだ。


「申し訳ありません」


「いや、それは仕方がない。治部大輔殿にも伝えておこう」


 具房は氏真に経緯を説明する。彼も仕方がない、と理解は示してくれたが、忠臣の死には残念そうにしていた。最後に後味の悪さを残したものの、これで遠江と駿河における一連の戦いは終結。両国は徳川家の支配下に入った。







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― 新着の感想 ―
[一言] いつも楽しみに読ませていただいてます。 岡部元信、、好きなんですよねぇ、陣営に加わって欲しかったです残念。 桶狭間で鳴海に八つ当たりして惨敗の中で勝ちを拾ったり 今川からの就職組でありなが…
[一言] ほかの方も書いておられますけど北畠軍が働きすぎて徳川家に対しての貸しが大きすぎるような。遠駿の国人たちは徳川よりも北畠に負けたとか言いそうだし有事には徳川よりも北畠を頼りにしてしまいそうです…
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