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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第七章
83/226

長篠合戦 壱

 



 ーーーーーー




 天正二年(1574年)になった。相変わらず北陸(加賀)では柴田勝家と一向宗とが泥沼の戦いを繰り広げている。百年近く一向宗が統治していただけあって、猛烈な抵抗があるようだ。ちなみに、本来の司令官である浅井長政は家の再建と統治に忙しく、戦場は亮親に任せていた。


 そして二月、武田勝頼が動いた。標的になったのは東美濃にある明知城。ここを信濃から電撃的に侵攻した勝頼が攻略してしまう。信長も急いで援軍に向かったが、城に武田軍に内応する者が現れ、落城した。明知城は三河と境を接し、またしても三河への侵攻路が開かれたことになる。


 この動きに乗じて、駿河の山県昌景が高天神城の近くーー牧之原に城(諏訪原城)を築いた。城将には岡部元信が入っている。高天神城の近くに敵の拠点ができたことで、徳川家に緊張が走った。


 だが、武田軍は攻撃をせずに撤退した。田植えがあるからだ。その慌てぶりからこの出兵自体、かなり無理をしていたことが察せられた。これを受けて、未だ領民兵主体の徳川軍も動員を解除。農作業に戻っている。


 信長は具房や家康に声をかけて城の奪還を画策していたのだが、実行には移せなかった。田植えが終わるとすぐにまた戻ってきたからだ。武田軍は奥三河へと侵攻し、長篠城を包囲している。


 これに対して、家康は具房と信長に援軍を求めた。元より家康をサポートするように依頼されている具房はもちろん、畿内情勢が落ち着いている信長も、自身が援軍を率いて出陣した。


 北畠軍は伊勢、紀伊の二ヶ国で動員令を発令。これに三旗衆を加えた二万五千の兵を揃える。志摩、伊賀、大和にも動員令が出されており、万が一のときは援軍として動けるように待機していた。


 織田軍は信長自身が率いる馬廻り衆に加えて、房信率いる美濃・尾張衆も参加している。総勢三万。


 そして、徳川軍は八千。少ないのは、遠江方面の守備があるからだ。武田軍の主力は長篠に来ているが、それが全てではない。他所をガラ空きにすることはできなかった。


 連合軍はとりあえず、岡崎城に集まった。そこで軍議が開かれる。まず、家康から戦況の説明がなされた。


「長篠城は一万五千余の武田軍に包囲されています。鳶ヶ巣、姥ヶ懐、君ヶ伏床、中山、久間山に付城を築いている他、有明(村)にも部隊を入れている模様」


 家康が偵察の結果を報告する。彼は武田軍の動向を、多くの斥候を出して調べていた。情報は何よりも大切だ、という具房の教えが活かされている。


「さて、どう攻めるか……。義弟殿(具房)はどう考える?」


「城の様子を知ることができれば適切な行動を決められるのですが、今はわからないので最悪に備えた動きをすべきです」


「最悪というのは?」


「落城寸前の状況にある、ということです」


「待ってくれ。長篠は大納言様(具房)の助言に従って堅城になっている。それが落ちると言われるのか?」


「長篠が堅城であることは確かですが、落ちない城というものはありません。南蛮では、コンスタンティノープルという難攻不落の城が落ちたといいます。何事も絶対にない、とは言い切れませんから」


 だからこそ、最悪に備えた行動をとるべきだ、と具房は主張する。


 史実からは一年早いが、これは長篠の戦いだ。戦国史でも有名な戦いであり、具房もこれがどのように展開したのかは知っている。しかし、具房の介入によって、長篠城は史実よりも堅固な城になっているし、守将も伏見城で玉砕するまで戦った鳥居元忠に変わっていた。これが合戦に大きな変化を及ぼすかもしれない。楽観的にはなれなかった。


「勘九郎(房信)はどうだ?」


 ここで信長は息子・房信に話を振る。突然の指名に、彼は慌てることなく応じた。


「義叔父上(具房)の仰る通りだと思います。城を囲むは精強と名高い武田兵。堅城とはいえ、いつまでも耐えられるわけではないでしょう」


 籠城は、ただ城に籠もっているわけではない。人間は食べなければ生きていられず、物を食べれば出るものもある。食糧の備蓄や衛生管理など、注意を払わなければならないことは多い。


 メンタル面にも影響がある。戦いの日々に兵士の心は荒む。自由に行動できないため、ストレスを発散することもできず溜め込んでしまうのだ。巨大な城で多数の兵が籠もっているのなら対策のしようもあるが、長篠城でそれは不可能。ゆえに、早期の救援が必要だ。


「で、あるか。ならば救援に向かうとしよう」


 信長はすぐさま長篠城の後詰めに向かうこととした。連合軍は城の近くにある設楽原へと布陣し、城を囲む武田軍を牽制する。設楽原は丘陵地帯であり、またいくつもの小川・沢があった。


「ふむ……」


 ここに着いたとき、信長は具房を呼び寄せて相談した。


「この地は守るに易い地形だな」


「そうですね」


 具房は頷く。丘の上に陣取ることができれば、そこを登ってくる敵を上から叩くことができる。あちこちにある小川や沢を堀として利用すれば、さらに効果的な防御ができるだろう。


「さらに、我らは畿内で勢力を広げている。権六(柴田勝家)が加賀の、我らが石山の一揆を潰せば、山陰や山陽、四国への進出も可能になる。武田からすれば、それ以前に叩きたいだろう」


「武田は北に上杉、東に北条、西と南にわたしたちと囲まれていますしね」


 強大な上杉や北条への拡張は難しい。だから最近では信長(と友好勢力)の排除を目論む将軍・義昭と組んで、それを口実に比較的弱い徳川領に攻め込んでいるのだ。まあ、その度に具房が邪魔をしているわけだが。


「戦を仕掛けてくるか?」


「仕掛けざるを得ないでしょう」


 拡張が頭打ちの武田家と、青天井の織田家。時間は織田家の味方だ。時間が経てば立つほど彼我の国力の差は大きくなる。今のうちに戦わなければ、勝利しなければ、武田家に未来はない。


「宣教師の話では、いたりー(イタリア)でこのような地で、鉄砲を用いて戦った例があるらしい」


「チェリニョーラの戦いですね」


 チェリニョーラの戦いとは、イタリア戦争で起こった戦いだ。騎兵突撃を敢行したフランス軍を、スペイン軍が塹壕に籠もった銃兵で破った。精強な騎兵を有する武田軍をフランス軍とするなら、多数の火縄銃を保有する連合軍はスペイン軍といえる。


「そんな名であったかな? ともかく、それが参考になると思うのだ。義弟殿が知っているのなら話は早い。普請(陣地構築)を任せたいのだ」


「全力を尽くしましょう」


 具房は快諾した。野戦陣地の構築は北畠軍にとってお手のものである。今回は織田、徳川軍を指揮して、設楽原全体を陣地化(要塞化)していく。


 作業は大きく分けて三つ。塹壕を掘る係とそのときに出た土で土塁を作る係、馬防柵を作る係である。これらの作業に連合軍の兵士を適当に割り振り、北畠軍が指導していく。


「今回は退避壕(砲撃を避けるための場所)は省略していい」


 具房は作業が始まる前に部隊長を集め、内容について細かい指示をした。たかが塹壕といえど、この時代では先進的な軍事技術。漏洩は最小限に留めなければならない。砲撃による塹壕突破戦術への対抗策(退避壕)の構築は省略され、鉄条網も構築しない。


 今回は、徹底した遠距離戦術を採用することが決まっている。火力で武田軍を圧倒するのだ。そのために、陣地の配置にも気を遣っている。各所で十字砲火が形成されるよう工夫され、後方からは砲兵が支援を行うようになっていた。


 また、信長から大量の火薬の注文が入った。具房は『備蓄も放出します』と言って恩を売りつけている。輸送のための船が足りず、織田水軍も動員されていた。船団は長島から三河湾に入り、豊川付近に揚陸。小舟に積み替えられ、豊川を遡上して戦場の近くに運んだ。


「これで、一体幾らになるんだ……?」


 九鬼嘉隆は、弾薬をピストン輸送する船上で呟いた。船には火薬が入った箱が大量に積まれている。船員の移動の邪魔にならない限界ギリギリまで。これだけの量の火薬、金にすれば幾らになるのか。嘉隆は少し考えて止めた。そういうものだと考えた方がいいーー彼の本能がそう叫んでいたからだ。


 ちなみに、北畠家から織田家などの同盟相手に物品を売る場合は「お友達価格」になる。今回は大量受注したため、その分の値引きも適用された。なので、嘉隆が想像したような莫大な金額にはなっていない。


 一方、徳川家は資金面で織田家には敵わないため、火器の導入はどうしても小規模なものになってしまう。そこで、具房は旧式装備の有償供与を行なっていた。ライフリングの施されていない/ライフリングの磨耗した火縄銃は、北畠軍にとって旧式装備でしかない。そこで、鉄資源として活用するとともに、他家に安く払い下げることにした。同様の方式は浅井家に対してもとられている。


 かくして、設楽原では大規模な土木工事が行われた。マンパワーを活用し、この地を武田軍の死地へと変貌させていった。




 ーーーーーー




 そのころ、連合軍が設楽原へ布陣したことを知った武田軍では、どのように動くかという軍議が開かれていた。軍議は紛糾する。意見が割れていたからだ。


「殿! ここは撤退すべきです」


「敵は六万以上。お味方の四倍です。勝ち目はありません!」


 声を荒らげて猛烈に反対しているのは山県昌景と馬場信春。宿老のなかでも武闘派として知られている。そんな二人が撤退論の急先鋒となっていた。この他、内藤昌豊、原兄弟(昌胤、盛胤)や真田兄弟(信綱、昌輝)など、宿老たちは撤退を主張している。


『北畠と事を構えてはならぬ』


 信玄の遺言が、彼らが撤退を主張する理由だ。


 これに反対して主戦論を唱えているのは、跡部勝資や長坂光堅といった若手家臣であった。


「数がどうしたというのです。所詮は弱兵。精強な我が軍の敵ではありますまい」


「その通り。撤退など、武名を轟かせている山県様や馬場美濃様のお言葉とは思えませんな」


 と、挑発的な言葉で宿老たちを批判する。当然、なんだと!? と彼らは怒る。こうして軍議はますますヒートアップしていく。


 この場には勝頼と宿老、若手家臣団の他に武田信廉などの一門衆もいるのだが、彼らは我関せずといった態度を貫いていた。そもそも、勝頼は信玄の子とはいえ、本来は諏訪家の後継者である。たまたま兄たちがいなくなったために、後継者となったにすぎない。一門からすると、他家の人間に指図を受けるのは面白くなく、ゆえに反抗的である。


 このように、武田家中の分断は深刻であった。そして、それを治めるだけの力量が勝頼にはない。彼は武将としては優秀であるが、特定の人間のみを重用するなど、組織の長としては不適格であった。


 しかし、そんな現実を無視して、勝頼は強い大名でありたいと思っていた。念頭にあるのは父・信玄の姿。彼がひと言命じれば、家臣たちはその通りに動いていた。それゆえに、勝頼はただ命じる。


「合戦だ」


「殿!」


 昌景が咎めるように声を上げる。だが、勝頼は睨んで制した。


「時間が経てば経つほど敵との差は大きくなる。それに、敵には当主が揃っている。ここで奴らを討てれば、領国は混乱するだろう」


 そうなれば、領国を拡大する絶好の好機。一気に上洛することも夢ではない、というのが勝頼の主張だった。彼を縛るのは偉大な先代・信玄の幻影である。勝頼が何かをするときに比較されるのが信玄だ。そして、人々は言う。『(信玄よりも)大したことないな』と。


 そんな評判を払拭するために、勝頼は信玄がなし得なかったことをやろうと考えた。それが東海地方の平定であり、上洛である。敵の当主が勢揃いしている今は、兵力の不利とかそういうのを勘案しても魅力的な状況だ。勝頼が言ったように、彼らを討つことができれば領国の混乱は必至。その機に領国を拡大することもできる。信玄を超えることが目標の彼にとって、多少の博打要素があっても戦う価値があった。


(絶対に勝つ。父上の遺言が何だというのだ)


 そして証明するのだ。自分は信玄を超える武将だと。


 宿老たちはしつこく食い下がって翻意を促したが、勝頼は聞く耳を持たなかった。武田軍は一日かけて、城の包囲に残す三千の兵を除いた一万二千の兵が野営地を引き払い、設楽原へと移動。かくして両軍は睨みあった。







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― 新着の感想 ―
[一言] この状況なら武田は撤退を選ぶんじゃないかなと
[一言] この物語での長篠の戦が始まろうとしているのか。 武田は何やら意見が割れているようで・・・。 さてどうなる事やら・・・。
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