具房の手動のこぎり
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具房には二つの顔がある。ひとつは普通の人間としての顔だ。
「江も進丸も元気だな」
産まれたばかりの子どもをーージタバタと暴れているがーー具房は見事にあやす。子どもが多いので、さすがに慣れていた。侍女たちも安心して見ている。
「子どもたちが元気で何よりです」
葵は具房の横でニコニコしている。自分をあまり表に出さない彼女だが、それは気持ちを隠しているだけ。本心では具房に甘えたいのだ。今回は出かけっぱなしであったため、その反動がきていた。それでも横に侍っているだけで満足するのだから、具房としてはありがたい。家族が増えると、どうしてもひとりあたりの接する時間が減ってしまう。何かと忙しい身であり、捻出できる時間にも限界があった。
「そうね」
一方、浮かない顔をしているのがお市だ。いつもより口数が少ない。彼女が積極的に話しかけてくるのだが、今日はまったく声をかけてこなかった。気になったので、夜に訊いてみる。
「どうした? 元気がないようだったけど」
実は体調が悪いけど我慢しているのでは? と具房は心配だった。出産は命がけであり、この時代の医療レベルだと助かるものも助からないことはざらにある。早期に発見できれば助かるかもしれない。だから、嫌がられてもしつこく訊くつもりだった。お市が素直に話してくれたことで、それは杞憂に終わる。
「また女の子だったから」
どうやら、子どもが三連続で女の子だったことを気に病んでいるようだ。この時代の通念上、子どもは男子の方が喜ばれる。家の後継ぎだからだ。女の子も婚姻に使えるので必要ではあるのだが、ある程度の男子がいることが前提となる。
お市は鶴松丸しか産んでいないから、少し苦しい。もし具房が粛清した木造具政など前時代的な人間がいれば、これだから織田ごとき卑しい血の人間は……と陰口を叩いたことだろう。もちろん、具房はそんなことしない。
「何を言ってるんだ。もう産めないというわけでもないのに」
次がある、と具房。しかし、お市の気持ちは沈んだままだ。
「でも、私はもう年増だし、旦那様には毱亜や久我家のご令嬢(敦子)みたいな若い子もいるし……」
自分の出番はないのでは? と思い詰めていたらしい。そんなことはない、と具房は即座に否定した。なるほど、彼女の年齢はこの時代の物差しからすると年増といえる。だが、具房の中身は現代日本人。二十代は「若者」だ。
しかも、お市は若く見える。現代人のように化粧でメタモルフォーゼしているわけでもないのに、シワひとつ見られない。見た目は結婚当初からほとんど変わっていなかった。具房の具房は問題なく元気になる。
(お市のような美人妻をみすみす逃してたまるか!)
具房は言葉を尽くしてお市を元気づける。動機は最低だが、とにかく熱意だけは伝わってきた。その熱意は、お市に自分が必要とされている、と認識させるには十分だった。
尚も一抹の不安は残るも、それを払拭する手段を二人は知っている。
有言実行。
言うからにはやって見せろ、という単純明快な証明方法だ。久々の逢瀬ということもあり、二人は熱い夜を過ごした。翌朝には、お市の懸念もすっかり払拭されるのだった。
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お市が不安に駆られる一方で、葵は泰然としていた。ある程度、人間ができている年齢で付き合い始めると、その人の本質を見極めるのにかなりの時間が必要となる。お市も具房が優しいということは重々承知しているが、やはりどこかで不安を抱えていた。
しかし、幼少期の人間は極端にいうとサルも同然。本能の赴くままに行動する。この時代では、まだ人間の発達段階は理論化されていないが、誰もが経験則として知っていた。ゆえに、葵には具房がどんな人物かがよくわかっている。彼は、自分(あるいは家族全員)を本当に大切にしてくれている、と。だから彼女は具房に全幅の信頼を寄せ、妻や子どもたちのサポートに回れるのだ。
そして、サポートする対象は具房も当然、含まれる。葵が任されているのは工部奉行。平たくいえば技術開発だ。具房が現代知識を用いて技術革新を行っているため、最重要機密を多数、扱っている。これを任せられているのは、信頼の裏返しといえた。葵もまた、それに応えようと尽力している。
「佐之助。何とかならないの?」
「そう言われても……」
葵は幼馴染のひとりである佐之助を問い詰めていた。理由は資金の獲得だ。
技術開発にはとにかく金が要る。北畠家では具房の代になってから、租税の徴収は金銭で行われていた。ある程度の固定歳入が見込めるため、予算が編成されて運用されている。その一切を取り仕切っているのが大蔵奉行の佐之助であった。葵は彼に直談判し、金をもぎ取ろうとしているのだ。
彼女がそんな行動をとるのは、資金不足が見込まれるためだ。現在、大和や紀伊での部隊の新設や度重なる戦闘による消耗した物資を補充すべく、各種の装備品の生産が行われている。昼夜ぶっ通しのフル生産だ。それによって予想以上に資材を使い、備蓄に手を出さなければならないような状況に陥りつつある。予備費も吐き出して万策つき、佐之助に追加の資金を出すように要求したのだ。
しかし、佐之助は立場的に受け入れることはできない。予算編成にあたって組織が出す概算要求と実際に支給される額は大きく食い違っている。他の組織だって予算は欲しい。だが、限られた歳入で予算を組まなければならない以上、どうしても圧縮しなければならないのだ。それをわかっているからこそ、大蔵奉行所の決定に異議はほとんど出ない。
もしここで佐之助が葵に資金を出せばどうなるのか? 他が黙っていないのは、子どもが考えてもわかることだ。だからこそ、佐之助は頷くわけにはいかなかった。
葵もそれはわかっている。だが、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。具房をサポートするために必要なことなのだから。彼のためなら手段を厭わない。昔のように荒っぽい口調になっているのは、その気概の現れである。
『手段を厭わない』といっても実力行使に出るのではなく、きちんとした対策を用意していた。
ーーバン!
「ひっ!」
厚みのある紙束が佐之助の机に投げ出される。気の小さい彼は、葵が怒ったのではないかと思い、怯えた。しかし、それは誤解だ。紙束は兵部奉行(権兵衛)と工部奉行(葵)の連名での意見書であった。佐之助はそれを手に取って読む。
内容としては、兵部奉行所に割り当てられる予定の資金の一部を工部奉行所へと渡して欲しいというものだった。
「追加分ですか」
「ええ」
追加分とは、予算編成時に計算に入っていなかった歳入のことだ。出兵のお礼として、相手から金品が贈られる。具房はそれを歳入としてカウントしていた。こういう臨時収入があったとき、各奉行所が等分して追加予算を得ることになっている。
先日、援軍を派兵していた徳川家から、西遠江を回復したお礼に金品が贈られてきていた。半国の対価ということもあり、その額は膨大。各奉行所で山分けにしても、予算の一割程度になる。ありがたい臨時収入だった。この配分を弄ってくれというのだ。
両者で納得しているのであれば、佐之助に反対する理由はない。葵の要求は無事に承認されたのであった。
「そんなことがあったのか」
話を聞かされた具房は頷きつつ、言ってくれれば口利きしたのに、と言った。だが、葵はそれはダメだと拒否。具房も納得した。口利きはできるが、それは悪しき前例を創ることになる。やりたくないのが本音なので、具房としてはありがたい。
「ところで、なぜ権兵衛はこの話に乗ったんだ?」
普通、予算が減ることは喜ばれない。どんなマジックを使ったのか、具房は興味本位で訊いてみた。すると、葵はニコニコと笑う。そして、
「竜舌号の小型化に成功しました」
と、ボルトアクション式小銃の開発に成功したという報告がなされた。
「本当か!?」
「はい」
確認にしっかり頷く葵。具房もまたニッコリする。そして、兵部奉行所が提案に応じた理由を理解した。この資金は、新型銃の製造のために必要なもので、竜舌号の戦績を知る現場としては、取り回しのよい小口径で軽量の銃を求めるのは当然といえた。
「最初は、各一個大隊(約五百)に配備することになっていましたが、お金を流してもらう代わりに雪兵団と月兵団へ二個大隊分を回し、他は一個中隊に減らすこととしました」
「そういうことか」
権兵衛が率いる部隊に最新式の装備を多めに回すことの見返りに、資金提供に同意したというわけだ。兵部奉行としてそれでいいのかと思ったが、彼は同時に三旗衆の指揮官でもある。己の部隊の戦力を上げたい、というのも人情であった。
ともあれ、このタイミングでボルトアクション式小銃が完成したことは、喜ぶべきことだ。これから本格的に武田家と対峙していくが、騎馬隊への有用な対抗手段となる。具房はよくやった、と葵を褒めまくった。彼女もまた、具房を喜ばせることができて満足している。
「見てみたいな」
「準備させています」
この後、特に予定がなかった具房は早速、新型銃を見たいと要望する。彼のスケジュールは葵も知っており、準備は整えてさせていた。二人は郊外の演習場に向かう。
演習場の林に入り、少し進んだところにある機密区画に入る。新兵器ということで、その存在はまだ公にはされない。
具房は件の新型銃を手にとる。長さは竜舌号より短く、重さも比較にならないほと軽い。スペックは、
全長:120cm
重量:3.7kg
口径:7.7mm
作動方式:ボルトアクション式
装弾数:五発
といったもの。口径を除けば、三八式歩兵銃にそっくりだった。一応、銃剣も付けられるようにはなっている。「一応」というのは、鎧を着た相手にはほとんど通用しないからだ。鎧の隙間でも狙わなければ、刃が通らない。足軽はまともな防具を着けていないことがほとんどだからいいが、武将はそうもいかなかった。それに、足軽も槍を装備しており、リーチの関係から銃剣は不利である。よって、遠距離では銃器を使い、接近戦では刀剣を使うことに変わりはなかった。
(それでも、この連射性能は脅威だ)
自動小銃には及ばないものの、この時代としては化け物としか言いようがない。多数の銃火器を装備した部隊が籠もる、堅固に要塞化された陣地に突撃する敵は哀れであった。そんなことをすればどうなるのかは、既に長島で一向宗が見せている。
心配なのは、弾薬を十分に供給できるかということ。この一点に尽きる。出来る限り機械化を行なっているものの、未だ手工業の域を出ない。この小銃が普及したとしても、弾薬の消費量が増大した結果、備蓄が底をつくようであれば本末転倒。そんなことになれば、前装式銃を復活させ、ボルトアクション式小銃は一部の精鋭部隊に配備するという形式をとるつもりだ。
「軽いな。威力もイマイチだ」
「そりゃ、竜舌号に比べれば雲泥の差だろう」
目の前では、孫一がパンパンと新型銃を発砲している。標的である鎧には、弾痕が次々とついていった。竜舌号で撃ったときのように、真っ二つになるようなことはない。大口径銃である竜舌号に慣れている彼からすれば、物足りなさを感じるのは当然であった。具房からすれば、7.7mm弾に12.7mm弾レベルの威力を求めるな、と突っ込みたいところではある。
ぶつくさと文句を言いつつも、目標を一度も外さない孫一。射撃に関しては天才的であった。竜舌号を与えたことで大口径銃主義者となっているようだが、きっちり仕事をしてくれているので言うことはない。
(いっそ、もっと大きな銃を作るか?)
具房の脳裏に浮かんだのは、冬戦争(第一次ソ芬戦争)で実戦投入された、ラハティL-39対戦車銃であった。20×138mm弾という、銃器としては最大級の口径を誇り、T-34やKV-1といった戦車をも撃破している。
戦国時代で想定されるハードターゲット(装甲目標)は鎧を身に着けた武士だ。これに対しては、既存の竜舌号で対応できる。それよりも大口径の銃を開発しようと考えたのは、孫一の欲求を満足させるためではなく、対物ライフルとしての役割を期待してのものだ。
現在、北畠海軍は商用のガレオンを除くと、戦列艦とフリゲートを運用している。戦闘に際しては火砲を斉射して敵に損害を与えることになっているが、揺れる船上では正確な照準は不可能だ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる理論を採用しようにも、艦砲の装填には時間がかかるため現実的ではない。相手が安宅船のような大型船ならまだしも、機動力に優れる小型の小早ならまず当たらないだろう。
それに対処する方法として、大口径銃を使うことが思い浮かんだ。ボルトアクション式ならば、動揺する船上での装填も容易にできる。連射性能も高く、弾薬の費用も安い。現代でも、小型のボートで接近する海賊への対応は、対物ライフルでの射撃だ。
(問題は素材の強度と生産、補給効率だな)
大質量の弾丸を飛ばすためには、大きなエネルギーが必要だ。すると銃身にかかる負荷も大きくなり、十分な強度がなければ暴発する恐れがある。
さらに、生産と補給効率の問題もあった。現在、北畠軍では二種類の弾丸が使用されている。火縄銃用のミニエー弾と竜舌号用の弾だ。ここに新型小銃の弾丸が加わるわけだが、さらに大口径銃の弾丸を生産しようとすると、生産へ回す工業力が分散して非効率になってしまう。
補給においても、適当に物資を送りつければいいというわけではない。どの部隊がどんな武器を持っていて、それに使う弾薬は……と煩雑な作業が要求される。物資の種類が増えるということは、それだけ作業効率を低下させることを意味した。ある程度は仕方がないとはいえ、その辺りも考慮しなければならない。突然の思いつきで増やすわけにはいかないのだ。
あれこれ悩んだ末、開発するだけしてみよう、ということになった。研究開発は常に行われている。具房の現代知識を元に、技術者たちは研究に忙殺されていた。今さらひとつ研究するものが増えたところで、なんてことはない。
『小型化は難しいですが、大型化なら楽なもんですよ』
とは技術者の談。たしかに、大きくなれば工作もしやすくなるだろう。小さくするより簡単だという話も頷ける。具房は、素材の強度にはくれぐれも気をつけるように、とだけ言って丸投げするのだった。
【与太話】タイトルについて
(注意:この後書きは読まなくても問題ありません。ただのトリビアです)
今回のタイトル『具房の手動のこぎり』。元ネタをご存知の方は少ないのではないかと思います。これは第二次世界大戦でドイツが使用したグロスフスMG42という汎用機関銃に連合軍の将兵がつけたあだ名ーー『ヒトラーの電動のこぎり』からきています。1200〜1500発/分という発射速度を誇り、連合軍を苦しめました(連合軍の機関銃は最大で600発/分)。ボルトアクション式小銃は、火縄銃と比較にならないほどの発射速度があるので、この名前を拝借することとしました。人名はともかく、電動が手動になっているのは、発射速度がMG42と比較にならないからです。さすがに名乗れません。