鷹狩
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具房が源氏長者になったことは、当然、鞆の義昭にも伝わった。
「おのれ、北畠め……っ!」
狙っていた源氏長者の地位を奪われ、義昭が怒り狂ったことはいうまでもない。彼は信長と具房を蹴落とすため、毛利家の上洛をますます強く求めるようになる。
「公方様も困った方だ」
これに呆れたのが毛利家の知恵袋、小早川隆景であった。現在の毛利家は山中鹿之介などの尼子氏の残党狩りで忙しい。さらに播磨、美作、備中の三国に勢力を持つ服属領主・浦上氏とその家臣・宇喜多直家との対立が顕在化しつつあり、こちらも頭の痛い問題であった。
こんな状況で畿内の織田家と対決するなど言語道断。そう考える隆景は、義昭の要求を無視するように家中に働きかけていた。
(今は本願寺や武田に相手をさせておけばいい)
浦上氏の問題が解決すれば、織田家と緊張関係になることは必至。だが、それは「いずれ」であって「今」ではない。わざわざ自分から墓穴を掘ることはないのだ。
しかし、それでも将軍の権威に負けて織田家との手切れを主張する家臣は一定数、存在した。これに若い当主・輝元が流されて賛同したりして、隆景は苦悩することとなる。
そんな毛利家のごたごたを尻目に、畿内の具房たちは平穏を楽しんでいた。いつもは政務に忙殺されているのだが、それではいつか限界が訪れる。たまには息抜きが必要だ、ということで具房たちは集まって遊びに興じることがあった。
「遊び」の内容は様々である。お茶会や相撲大会など、文武問わず色々なことーー各人の趣味ともいうーーをしていた。今日は信長が大好きな鷹狩である。
「行け!」
馬乗りに惹かれたキジが姿を現す。その瞬間、信長は鷹を放った。鷹は見事にキジを捕らえる。
「見事!」
参加者のひとりである近衛前久が、その手並みを称えた。彼がここにいるのは、具房の差し金である。信長の趣味が鷹狩であることは周知のことだが、実は前久も鷹狩が趣味だった。そこで、両者の仲を深めるべく、鷹狩に誘ったのだ。
「さすが義兄殿(信長)」
具房もパチパチと拍手をする。ぶっちゃけ、鷹狩に興味はない。社交辞令というやつだ。それでも楽しむべく、別のことを考えている。
(あのキジ、料理に使えるな)
頭のなかでキジ料理を考える。醤油や砂糖があるのですき焼きにしてもいいが、キジそばも悪くない。シンプルに焼鳥でもいいだろう。悩みどころだ。
そんなことを考えている間にも、鷹狩は進行する。信長のように自ら鷹を駆るのではなく、鷹匠に任せるのが具房や前久のスタイルであった。
「よしっ! いいぞ、流星号!」
前久の鷹(流星号)がウサギを捕まえた。ほぼ同時に、具房の鷹(彩雲号)もキジを捕らえている。
「ここまで順調とは、なかなかないぞ」
「そうなのですか? なら、義兄殿のおかげかもしれません。一緒に鷹狩をすると、獲物がよく獲れるのです」
「そうなのか」
獲物が多く獲れることを喜んでいた前久。あまり鷹狩をしない具房はその感覚がわからなかったが、いつも信長と一緒に鷹狩をしているので、そこに理由があるのではないかと考えた。なぜなら、信長の鷹狩は通常の鷹狩(具房が習ったもの)と違っていたからだ。
通常の鷹狩は、
①獲物を見つける。このとき勢子と呼ばれる人が追い立てたり、鷹匠が自ら探したり、犬などに探させたりする。
②姿を現した獲物に鷹匠が鷹を嗾ける。
③鷹が獲物を捕えたら、食べる前に回収(鷹には事前に用意した別の餌を与える)
という構成になっている。ところが信長が行う鷹狩は、
①獲物を見つける。このとき、「鳥見の衆」という人間が捜索。発見すると、ひとりをその場に残して別の人間が位置を報告する。
②「弓三張」「槍三本」という近衛と共に現場へ向かう。そして「馬乗り」が獲物の注意を引く。
③獲物が近づいたとき、信長が鷹を嗾ける。農夫に扮した「向かい待ち」が、鷹から獲物を回収する。
という段取りになっていた。数十人で行われる、鷹狩の基準からすれば大規模なものだ。これが大戦果につながっているのだろう。
三人の鷹がそれぞれ獲物を捕えたところで、一旦休憩となる。激しい運動で疲れているからだ。鷹はもちろん、人間も疲れている。適度な休憩は必要だった。
「義弟殿(具房)が贈ってくれた彗星号は優秀だな」
「実に優れた鷹だ」
「ありがとうございます」
三人が集まったところで、信長と前久が揃って鷹ーーその贈り主である具房を褒める。具房はそれに軽く応えた。
そう。この鷹狩で使われている鷹は、具房が二人にプレゼントしたものだ。北畠領では蝦夷地や東北で捕らえた鷹を伊勢に運んで飼育している。これまでは真珠などの宝飾品がメインだったが、何らかの原因(赤潮など)で養殖業が壊滅してしまうかもしれない。そこでリスクヘッジの一環として、金策の手段を分散させたのだ。
鷹狩とは文字通り「狩り」ではあるが、猟師がやる「狩猟」とは少し違う。あくまでも金持ちの道楽。マイカーで軽四を買うか、スポーツカー(ポ◯シェやフェ◯ーリ)を買うか、というような違いだ。そんなわけで金持ちーー公家や上級武士に需要があった。
これまで、鷹の産地といえば東北や蝦夷地であった。具房もそこで鷹を捕まえさせているので大差はない。差があるのは価格である。北畠領から売られている鷹の方が安い。これは蝦夷地と伊勢を結ぶ定期便があるためだ。鷹を手に入れるためには東北から運んでくる必要がある。それは特別に便を手配しなければならないため、人件費などが高くつく。しかし、北畠家では蝦夷地と伊勢、伊勢と京にそれぞれ定期便があるため、特別な料金は発生しない。そのため、同じように東北から運んでくるのに価格で差がつくのである。
しかも鷹は生物なので、宝飾品よりも短いスパンで需要が見込めた。自然条件などにも左右されにくいので、真珠より稼ぎは少なくとも、安定した収入になるだろう。
「さて、もうひと狩りするか」
「だな」
軽食をとるなど休んだ信長と前久は、立ち上がって鷹狩を再開しようとする。具房は遠慮した。あまり好きではない(何が面白いのかわからない)からだが、それだと角が立つのでまともな言い訳を考えている。
「血抜きと解体が終わったようなので、わたしは獲物の料理をさせておきます」
ポンポン、と側にある箱を叩く具房。それはただの箱ではなく、北畠軍に導入予定の野外炊具の試作品だ。鷹狩は大人数で行うので、試験運用に丁度いいと具房が持ってきたのだ。竃と作業台があり、野営時にスペースをとらないという利点がある。その横には料理人たちがいた。先ほどまで休憩中の信長たちにお茶を提供していたが、本来の役割は昼食作りである。
これに納得したのが信長。いまいちよくわからないのが前久であった。
「そんなことは料理人に任せておけばいいだろう」
「それが、義弟殿が作らせる料理は美味いのだ。期待していていいぞ」
「そうなのか」
前久が楽しみだ、という目を具房に向ける。期待されてもなあ、と具房は苦笑。自分の好きなものを作っているだけなので、変な期待は寄せないでほしい。今日の晩ご飯は何かな
? という程度でいいのだ。変に期待されるとプレッシャーで胃に穴が開いてしまう。
もっと狩って美味い料理にありつくぞ! と具房にとって嫌なことを言う。プレッシャーをかけられると胃に穴が(以下略)
「いかがいたしますか?」
ちょっとお腹を気にする具房に、料理人が声をかけてくる。胃の具合を心配してもらえないようだ。
「よし、唐揚げにしよう」
昼にはおにぎりが用意されている。それに合わせて唐揚げにした。ピクニックといえば唐揚げ(具房の主観)。今回は濃厚な醤油唐揚げとあっさりした塩唐揚げの二つを作る。
「普通にやると硬い。膜を取り除き、筋は切っておけ」
「「「はい!」」」
具房の指示に従い、料理人たちは肉の筋膜を取り除き、筋を切っていく。さらに肉を柔らかくするため、麹に漬け込む。麹の酵素が肉のタンパク質を分解し、柔らかくしてくれるのだ。前世では玉ねぎを使っていたが、戦国時代にはまだ伝わっていなかった。なので、麹で代用する。
次に下味をつけていく。醤油唐揚げはニンニクをふんだんに使ってパンチの効いた味に。塩唐揚げは塩胡椒のみで味つけして素材本来の味を活かす。
「しばらく漬け込んで肉に味を染み込ませる」
この他、胡椒やニンニクといったスパイスによる肉の臭み消しという効果もある。しかし、野外に放置だと腐ってしまう。そこで活躍するのが冷蔵庫だ。といっても、電気で動いているわけではない。硝石を水に溶かすことで吸熱反応が生じ、周りの温度が下がる。それを密閉して冷蔵庫を再現したのだ。こんな贅沢なことができるのは、硝石に余裕があるためである。
このなんちゃって冷蔵庫は二重構造になっており、間には断熱材として羊毛が詰まっている。マカオ便の船員に現地で買いつけさせた。日本では羊の飼育は不可能なので、輸入に頼るしかない。まあ、なくても困らないのだが。
(アイスクリームを作るのもいいかもしれないな)
攪拌が大変なので、ハンドル式のミキサーを作る。そうすれば、子どもが楽しみながら作ることもできるはずだ。これから夏に入り、氷菓が恋しくなる。絶対にアイスクリームは受けるだろう。冷却に使う硝石は回収して再利用できるので、かなりの頻度で食べられそうだ。
(ま、伊勢近郊じゃないと無理だけど)
牛の飼育は主に伊賀で行われている。生乳の鮮度もあるため、近場でなければ乳製品を食べることは難しかった。これが終わったら伊勢に帰ろう。武田が動けない今、ヘルプに入る必要はなく(軍事的には)暇なはず。その間に具房は京を脱出して内政に勤しもうと考えていた。
頭ではそんなことを考えつつ、信長たちの様子を窺う。そろそろ引き揚げてきそうだ、と感じると調理を再開。漬け込んでいた肉に小麦粉、片栗粉を塗して油へ投入する。狐色になれば完成だ。
「いい匂いがするな」
「これは刺激的な……」
辺りに漂う香ばしい香りに気づく二人。信長は好意的だが、前久は戸惑っている。ここまで匂いが強い料理は少ないから仕方がない。
「一見すると同じようだが、色が違うな。二つあるのか?」
信長は唐揚げの色の違いについて質問してきた。正解です、と答えてから、違いを簡単に説明する。
そして実食。結果は二つに分かれた。
「この醤油唐揚げは美味いな!」
「塩唐揚げもいけるぞ」
醤油唐揚げを支持する信長と、塩唐揚げを支持する前久。予想通りの結果だ。そしてこれこそ、具房が二種類の唐揚げを作った理由だった。
「味の国境」
現代では曖昧になりつつあるが、日本には味の国境が存在する。だいたい伊勢〜福井のラインより東は濃い味(塩分多め)、西は薄味(塩分少なめ)だ。カップ麺も、東西で味が違うものもある。具房はそのことに配慮したのだ。
しかし、このままでは両者は永遠に醤油派と塩派である。具房は歩み寄りの一環として、アレンジを行った。
まず、前久にはレモン汁をかけた醤油唐揚げを出す。果汁をかけたことで変な顔をされたが、強く勧めるとひと口。そして、その味に驚く。
「これは何だ? 微かな酸味を感じるが、これが醤油唐揚げの濃厚さを消している。これは美味いぞ!」
と、醤油唐揚げの味に一定の理解を示した。
信長に対しては、塩唐揚げにタルタルソース(なんちゃって冷蔵庫で運んできたマヨネーズに茹で卵、ラッキョウを混ぜて作った)をかけてチキン南蛮もどきにする。
「っ! 薄く物足りなかった塩唐揚げが、この餡によって濃厚な味わいになっているな!」
チキン南蛮もお気に召したようだ。さらに互いが美味い美味いと言って食べているので興味がそそられたらしく、アレンジ料理をシェアしていた。
このような具房の機転もあり、鷹狩で信長と前久の仲を深めようという試みは見事に成功した。
【謝辞】
以前、感想で硝石の吸熱反応を利用した冷蔵庫というアイデアをいただきましたので、今話で採用させていただきました。
【補足】
信長式の鷹狩については、『信長公記』を参考にしています。