襲撃
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丹波国黒井城にいる近衛前久の許を訪ねた具房。潜在的な敵ながら、赤井直正から手厚いもてなしを受けた。そして直正と前久に強く勧められ、城に泊まることとなる。具房は部屋で旅程について考えていた。
丹波と京(山城)はそれほど距離があるというわけではない。馬なら一日もあれば移動できる。しかしながら、勅使という立場上、それなりの体裁を整えなければならない。無駄に人員がいるおかけで歩みは遅かった。昼夜を問わなければ一日で動けるのだが、街灯のないこの時代、夜間の移動は危険である。よって、途中で宿をとらなければならなかった。
「面倒だな」
具房は呟く。途中で泊まると他人に気を遣わなければならない。旅をするだけでも疲れるのに、(気持ち的に)まったく休めないというのは辛かった。これが行軍ならば、野営でパーソナルスペースを確保できるのでいいのだが。
京に戻れば、形ばかりの報告をすることになる。前久を赦免することはほぼ決まっており、それ自体にほとんど意味はない。ただ、赦免を伝える勅使にはならないと決めた。堅苦しい行列が好きではないからだ。
「蒔もそう思うだろ?」
護衛の蒔に同意を求める具房だが、彼女はフルフルと首を横に振る。
「……御所様と長く一緒に居られるから好き」
「……そういうものかね?」
思っていた答えとは違っていたが、なかなかに可愛らしい答えであった。具房は照れ隠しの意味も込めて、蒔の頭を優しく撫でる。彼女は気持ちいいのか目を細めた。
蒔が独占欲を発揮したのは、敦子の嫁入りにある。これまで京に行くときは、具房と彼女の二人旅行であった。つまり、独占していたのである。これは具房が信長と共に勢力を拡大していく過程で、京に滞在する期間が延びていくだけ、二人でいる時間も増えていった。お市や葵にはない、ちょっとした特権だったのである。
ところが、これは敦子の嫁入りによってなくなった。彼女が京の北畠屋敷に住むことになったからだ。そのことを密かに不満に思っていたところに、今回の丹波行きである。二人でいられる時間が再びできたことを、蒔はとても喜んでいた。
「……明日は雨」
「それは困るな」
雨が降るなかを移動するのは遠慮したい。となればもう一泊せざるを得ないわけだが、早く帰りたい具房からすれば、雨など降ってほしくない。蒔の雨宣言(嘘)には、反対の意思を明確に表明した。
一緒に居たくないのか? という抗議の目が具房をジッと見つめる。それとこれとは話が別だ。そんな目をされても、サボタージュはしない。具房は固い意志を持つ。テコでも動かない。
すると、蒔の目が変わった。今度はウルウルと瞳を潤ませる。あっさりと具房の意思が揺らいだ。女の涙は男を動かす。これは真理だ。
「まあ、たまには出かけるか。二人きりで」
「……うん」
具房が言うと、蒔は途端に笑顔になる。こういうとき、先ほどまでの涙はいったいどこへ行ったのか? と具房は訊きたくなる。もちろん、思うだけで実行はしない。それは野暮というものだ。
甘えてくる蒔の相手をしつつ、具房は家族サービスについて考える。
(お市や葵とも、最近あまり会えていないな)
二人は伊勢にいるため、あちこち動き回っている具房と過ごす時間は短くなっている。時間がとれるときに、蒔が言ったように二人でどこかへ出かけるのがいいだろう。ーーそんなことを考えていると、蒔に腕を抓られた。
「……他の人のことを考えないで」
「わ、わかった……」
女性はときにエスパーとなる。男が何かよからぬこと(例えば他の女のこと)を考えていると、それを敏感に察知して制裁を加えるのだ。男は抗弁してはいけない。
そんな調子で二人は甘い時間を過ごしていた。だが、その深夜。そろそろ寝ようかとしていたところで、
「……人の気配がする」
蒔が異変に気づく。こういうときでも護衛として気は抜かない。小太刀を構え、襲撃に備える。
具房もすぐに寝間着を羽織り、武器をとって臨戦態勢になった。立場もあって、周りには常に護衛がいる。だが、蒔はそれとは別の気配を感じたのだ。手練れの忍である彼女が気配を間違えるとは考えられない。つまりは襲撃者がいるということだ。
「上ッ!」
言うや否や、蒔は小太刀を振るう。火花が散った。天井からの一撃を、彼女が見事に弾いたのだ。しかし、襲撃者はひとりではない。もうひとりが具房に迫る。蒔は敵がいるため動けない。なので、具房が迎撃した。
「侮るなよッ!」
以前とは比べものにならないほど忙しくしているが、今でも剣の鍛錬は欠かしていない。苦無で武装した敵を、得物のリーチの差を利用して斬った。すぐに蒔も敵を始末する。攻撃を受け流し、敵の体勢が泳いだところを攻撃。それも、急所を的確に突いた。恐らく即死だろう。
しかし、襲撃はそれだけではない。
「……怪我はーー」
そんな心配する蒔だったが、ない? と言い切る前に矢が飛んできて壁に突き刺さる。障子に映る影を使った狙撃のため、失敗したらしい。
直後、またしても天井から襲撃者がやってきた。さすがに二度目ともなると奇襲の効果はなく、蒔によって倒された。今度は余裕があったため、殺さず生け捕りにしてある。
「矢を放った奴は?」
「……逃げた?」
コテン、と可愛らしく首を傾げる蒔。普段ボーッとして無表情な彼女がこういう反応をすると、とてもらしいなと思える。知り合いに何人かオタクがいて、前世は彼らの言っていることが毫も理解できなかった。だが、今ならわかる。たしかにいい。
「殿! ご無事ですか!?」
そこへひとりの武士がやってきた。この騒ぎを見て駆けつけたのだろう。しかし、
「お前は誰だ?」
具房は警戒心剥き出しで誰何した。襲撃があったから気が立っているというのもあるが、一番の理由は具房の呼び方だった。北畠家は公家と武家の二つの顔を持つ。そのため、家臣も「殿」「御所様」などと様々な呼称で呼んでいる。なので、「殿」と呼ばれたのはおかしなことではない。だが、具房はおかしいとわかった。なぜなら、今回連れてきた家臣のなかに具房を「殿」と呼ぶ人間はいないからだ。
それに、よくよく見てみるとやってきた男に見覚えがなかった。面倒くさがりの具房も、さすがに近侍する家臣の顔と名前くらいは覚えている。該当者がいないということは部外者だ。ここは赤井氏の城なので、赤井氏の人間がいる可能性はある。しかし彼らは具房のことを「殿」とは呼ばない。以上の理由から、目の前の男は完全に不審者であった。
「くっ」
男は家臣を装うのを止め、襲いかかってきた。刀を振るうより敵が飛び込んでくる方が速い。蒔も備えてはいたが、思ったより敵が速かった。敵の刃が具房に迫る。対抗する手段はないかと思われたが、
ーーダン!
銃声が響く。出所は具房。懐に持っていた拳銃を撃ったのだ。万が一のときの護身用として、単発のものを所持している。刀で対処できない相手への対抗手段として持っていたのだ。弾丸は男の腹部に命中。その場で倒れた。
「何事ですか!?」
やがて、騒ぎを聞きつけた城の人間がやってきた。襲撃者の可能性もあるので油断なく身構える。が、直正自身がやってきたことで疑念は氷解した。
直正は部屋の惨事を見て驚いていたが、事情を説明すると納得してくれた。自分たちの警備体勢が甘かった、と謝罪される。まあ、城で使者ーーそれも勅使に対して襲撃事件が起きたのだから、一大事だ。下手をすると、叛逆の意思アリとして朝敵認定されてもおかしくない。直正が襲撃者を招き入れたという疑いを晴らすためにも、捜査には全面的に協力するという。
しかし、彼らか関与した可能性は低いと早々に判明した。というのも、蒔が護衛部隊の不手際(具房への襲撃を防げなかったこと)の原因究明を行なっていたとき、城にいた兵や家臣が殺害される光景を、護衛が見ていたからだ。
『戦っている様子から、下手人たちは邪魔者を排除しようとしていたのだと思います』
それだけでは直正の関与は否定できないものの、殺害された家臣のなかにはそれなりの地位にいる人間もいたことから、可能性はかなり低いということになった。具房も直正がやるならコソコソと暗殺しなくとも、城兵で囲んでしまえばいいだけだと思い、関与はしていないだろうと考えていた。
ちなみに、護衛部隊が襲撃を防げなかった理由は、単純なキャパオーバーだった。具房を襲撃したのは四人だが、他に十数人いたらしい。防ぎきれずに漏れてしまったのだという。
「……護衛は悪くない。許してあげて」
「もちろんだ。むしろよく頑張った」
蒔にとりなされるまでもなく、具房は護衛を許すつもりだった。怠慢で漏れたのであればともかく、職務を果たした上で漏れたのなら仕方がない。これを許さないなら、ひとりで一万人の軍を全滅させろ、なんて無茶な命令も通ってしまう。これを達成できなくて、誰がその人を責めるのか。それと同じ論理だ。
「事情はわかったが、誰が差し向けたんだ?」
「……わからない。戦った印象は、甲賀者だったけど」
「自分の相手は戸隠のようでした」
「甲賀に戸隠か……」
甲賀のある近江は織田領、戸隠のある信濃は武田領。両者が共謀して具房を亡き者にしようとしたーーとは考え難い。個別なら話は変わるが、襲撃は甲賀者と戸隠者が協力して行なっていたという。別口なら居合わせた瞬間に諍いを起こすはずだ。よって、襲撃は何者か(単独犯)によって行われたと考えるのが妥当、との結論に達した。
「捕らえた忍は?」
「……ダメ。口を割らない」
拷問されようが沈黙を貫いているという。職業意識が高い。結構なことだが、情報を出させる側としては厄介だった。
しかし、首謀者の見当はついていた。それは足利義昭である。信長を蹴落とそうと、その同盟者である具房を自陣営に引き込もうとしてことごとく失敗。旧秩序の再編のために北近江や紀伊を守護家に返還させようという悪巧みも具房に妨害されている。暗殺を企ててもおかしくない。
それに、義昭ならば甲賀と戸隠がこの場にいたことへの説明がつく。戸隠は武田領にあり、彼らは義昭の下で反信長で結束している。その勢力を削ぐために具房の暗殺に協力してもおかしくない。
(勝頼も個人的に俺を嫌っていたしな)
会う度に睨まれているのだから、気持ちのいいものではない。ともあれ、具房の暗殺に武田が協力する理由はいくつかあり、戸隠者がここにいても不思議ではない。
では、織田領にいるはずの甲賀者がなぜいるのか。それは、義昭ないしその側近の伝手であろう。室町幕府は応仁の乱で勢力を減退させてから、何度か京を追われている。しばしばその逃亡先となるのが甲賀であった。理由はアレだが、とにかく将軍家と甲賀はなんだかんだで関わりがあり、一定数の支持者がいる。それが協力したのだろう。
なお、旧権力(室町幕府)支持者はどのような大名家にも存在する。武田のようなガチガチの保守系はもちろん、義昭を追放した織田家にも、北畠家にもいた。
この暗殺未遂に特に憤ったのが直正だった。まず、自身の城での狼藉。これだけでも許せないのに、襲われたのはーー仮想敵とはいえーー勅使である。面子が潰れるどころか、家が潰れてしまう。
「そのような方とは付き合えません」
直正は義昭に愛想を尽かしてしまった。将軍ならば、正々堂々と戦で敵を討てというのが彼の主張だった。普段は優しいが、怒ると脳筋になるらしい。具房は学んだ。
義昭を見限った直正は、再び信長に従うという。具房はその仲介を依頼された。
「承知しました。話は通しておきましょう」
「いや、某も一緒に」
同行を希望した直正だったが、思い留まらせた。ここには前久がいる。前関白という貴人とはいえ、主人不在の他人(正確には義弟)の家に居候するのは、さすがに気が引けるだろう、と。それに、前久の赦免はほぼ確定している。形式的な報告をしてすぐに、帰洛の許しが出るだろう。そのときに一緒に上洛してはどうか? と具房は提案した。
「それもそうですな」
彼も前久を放ってはおけないと、城に残ることにした。前久の帰洛に合わせて上洛するという。具房は信長に話を通し、上洛したときに面会できるよう取り計らうことにした。
「羽林様(信長)によろしくお伝えください」
「ワシからも頼む」
「うむ。引き受けた。では!」
具房は両名に別れを告げ、馬首を京へと向けた。
蒔の活躍回でした