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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第七章
77/226

近衛前久

 



 ーーーーーー




 天正元年(1573年)六月。畿内は再び平穏を取り戻していた。織田領国も、北陸を除いて平和な日々が続いている。しかし、この平和はあくまでも仮初のもの。次なる戦いの準備期間にすぎない。誰もがそれを理解している。


 具房は自分のため、家族のため、領民のため、その対策に余念がない。それは信長も同じだった。協調関係にある二人は、何度も会談を重ねて歩調を合わせる。


 まず決めるべきは、義昭のいない政権運営のあり方だ。今までは朝廷(天皇)の権威を利用していた。これはコントロール不可能なあんぽんたん・義昭に対抗するためだ。将軍の権威を利用する相手に、権威で対抗していただけである。


 しかし、義昭が追放となったことで方針を見直す必要が出てきた。彼は未だに将軍職に就いたままなので、対抗する上でも引き続き朝廷権威を利用しなければならない。とはいえ、それは外部に対してのこと。これとは別に、内部の統制をとらねばならない。換言すれば、武家の統率が必要なのだ。


 どういうことかというと、今までは曲がりなりにも将軍・義昭を主君と仰ぎ、その幕臣として具房たちは活動してきた。ところが、義昭の追放によって武家をまとめる存在が不在となってしまったのである。代わってリーダーとなるのは最大勢力の信長。他に適任者はいない。そして、それを制度的に裏づけようというのが今回の会談の趣旨である。


 だが、これが難問だ。武家の統率を行うのは将軍の仕事である。ところがその職は義昭が握っているために、別の手段を採らねばならない。


(まったく、どこまで迷惑をかければ気が済むんだ)


 居なくなって清々したと思いきや、まだ足を引っ張る。今度会ったら一発くらい殴りたいーーそんな心境だった。


 それはさておき、具房には将軍に代わる武家の統率システムが思い浮かばなかった。真っ先に思い浮かんだのは豊臣秀吉による武家関白制だが、そんなことをすれば朝廷が敵に回りかねない。なので却下した。


 具房が頭を悩ませる一方で、信長は手段を思いついていたらしい。会談で彼はとある提案をしてきた。それは、織田・北畠二頭政治である。


「武家を我が、公家を義弟殿(具房)が統べる。それでどうだ?」


 曰く、単純に力で押さえ込める武家を統率することは織田家でもできる。しかし、朝廷との関係でいえば北畠家が深い。お互いの長所を活かして統治をしようというのだ。ここで浅井家や徳川家が表に出ていないのは、具房たちが面倒を見なければ潰れてしまうーー天下を差配するほどの力がないーーからである。


「う〜ん」


 信長の提案は、北畠家がかなりの権力を握れることからとても魅力的であった。家の生き残りを目指して戦っているわけだが、できることなら大きな権力を握った状態で生き残りたい。権力者なりの苦労もあるが、吹けば飛ぶような零細大名よりマシである。


 だが、具房は抵抗感があった。古代ローマの三頭政治を見れば明らかなように、共通の敵(義昭や敵対する大名)がいるうちはいいが、いなくなった途端に内部対立が発生。それが体制崩壊のきっかけとなるのだ。


 そうなると仮定した場合、対立は北畠家と織田家の間に生じる。このときに影響するのは武力であり、織田家が有利だ。質はともかく数で勝るーーというより、勝負にならない。となれば、北畠家を存続させるという具房の目的が果たせなくなる。


 しかし、対案がない。反対するのは容易だ。ただ、反対するだけではそこで議論が止まってしまう。相手からしても、あいつは反対ばっかで……と心象を悪くする。建設的ではない。どうすべきか、具房は頭を悩ませる。


「反対か?」


「いえ、そういうわけでは。ですが、将来的に両家の対立を招きかねませんか?」


 隠しても仕方がないので、具房は懸念を正直に話した。なるほど、と信長。自分たちの世代はともかく、曽孫なんかの世代になると怪しくなってくる。摂関家の争い(なんなら現在進行形で勃発中)などを見ていると明らかだ。彼はそのことをすっかり失念していたらしい。ちょっと考えればわかりそうなものだが、たまに初歩的なところでミスを犯すのが信長クオリティ。まあ、完璧な人間は世の中いないというわけだ。


「その恐れはあるか……」


 それから色々と考えたが、いい案は思い浮かばなかった。なので、このことは要検討課題として保留。暫定的に信長案で行くことになった。


 当面の目標は、官位を上げることだ。公家社会の頂点に立つには太政大臣か左大臣になる必要がある。具房の祖先は(系統は異なるものの)大臣職に就いた例があり、家格的な問題はない。久我家がバックにいることから、反対も少ないだろう。


(そうか。これを見越して敦子が嫁いできたのか)


 具房は、敦子の嫁入りには信長の意向もあったのだと察した。源氏長者をめぐる村上源氏の危機意識を上手く利用した格好だ。信長からすれば自らが思い描く織田・北畠連合政権の確立につながるし、具教からすれば北畠家の家格を上げる(復古する)ことにつながる。互いにWin-Winというわけだ。


 これで方針は暫定でも決まったわけだが、問題は残っている。それは、具房や信長が官位を上げることを快く思わない煩さ方を黙らせることだ。この「煩さ方」とは、主に二条家とその縁者である。


 二条家は義昭と協調関係にあり、義昭を排除した具房たちは敵というわけだ。そんな相手が出世することは許せないわけで、妨害が予想される。力で抑え込めないこともないが、暴力は根本的な解決にはならない。何より、各方面から顰蹙を買う。そこで二条家を抑えるだけの協力者が必要となる。しかし、相手は摂関家。数は限られていた。


 具房たちが目をつけたのは近衛家。彼らは二条家と争っており、義昭の上洛後は当主・近衛前久が京から追放されていた。その後、前久は義昭を蹴落とすべく、石山本願寺をはじめとした反信長勢力と結託している。


 しかし、今は義昭が逆に追放されている。なので、前久が信長に反抗する理由はなくなった。また、政敵の二条晴良も義昭がいなくなったことで立場が弱くなっており、倒すことは容易だ。前久を帰洛させ、その恩を返すために具房たちの昇進に助力を求めるーーそんな計画が持ち上がった。


「我は朝廷と交渉する。義弟殿は前関白(前久)との交渉を任せたい」


「わかりました」


 この役割分担には理由がある。実は、近衛前久の生母は(養女ながら)久我家の娘、正室も同じく久我家の娘なのだ。このように近衛家と久我家はとても関係が深い。新たに久我家の一員となった具房が前久と交渉するのは自然なことだった。


「……前関白様は現在、丹波の赤井氏の許に身を寄せておられるようです」


 前久の居場所を調査していた蒔が報告してきた。


「ありがとう」


 具房は彼女を労る。だが、赤井氏のところにいるというのは厄介な話だった。織田家と赤井氏の間では紛争が起きていたからだ。きっかけは、赤井氏を攻めた山名祐豊が敗れ、逆に竹田城を占領されたこと。これで祐豊は信長に援軍を求め、なし崩し的に戦闘状態に突入した。以後、義昭が書状を送るなどして、赤井氏を徐々に反信長勢力に仕立て上げていった。


(マジで要らんことばかりするな……)


 もはや殴るだけでは気が済まない。蝦夷地へ連れて行って、晴れの日は穴を掘っては埋め、雨の日は丸太の年輪を数えさせてやりたかった。


 そんな生活を送って苦しむ義昭の姿を想像しつつ、具房はどうにか前久と面会できないかと考える。そこへ敦子がやってきた。公家の令嬢として育った彼女には、京の北畠屋敷で生活してもらうことになっている。これは具房が決めたことではなく、具教が久我家と合意したことだ。世間的には側室でも、実際は現地正妻のように扱うーーそういうカラクリだった。領地での正妻がお市、京での正妻が敦子ーーという具合に分けたのである。


 具房は上手いこと考えるな、と感心する一方、お市たちに隠れて愛人を作ったようで罪悪感を感じていた。もちろんちゃんと報告はしている。これは単に気持ち的な問題だ。


 閑話休題。


「何かお悩みですか?」


「ああ。実はなーー」


 生粋の公家である敦子ならば何かいい案が浮かぶかもしれないーーそう考えた具房は、かくかくしかじかと事情を話す。敦子はふむふむ、と頷いた後、首を傾げて言った。


「普通に会いに行けばよろしいのでは?」


「だが、敵だぞ?」


 以前、敵である武田信玄と会談したことはある。だが、あれは陣中だからできたこと。今回は敵の本拠地に乗り込むのだ。何をされるかわからない。


「ですが、赤井某とあなた様は直接干戈を交えたわけではないのでしょう? なら、敵として扱うのはおかしいと思いますわ」


「まあ、たしかに……」


 詭弁にも等しいが、そういう解釈は可能だ。しかし、やはり不安であった。具房は割と小心者である。そこで敦子は別の方法を提案した。それは、勅使として前久に謁見するというものである。


「陛下の勅使であれば、無碍に扱うこともできません。それに、帰洛を許されるにしても、まずは本人にお話を伺わなければなりませんわ」


「それだ!」


 ナイスアイデアだ。勅使に万が一のことがあれば、叛逆の意思アリとして大々的に討伐がされる。味方などまずいない。ゆえに、その扱いは慎重になる。殺害など論外。むしろ守る。「大名」ではなく「勅使」として乗り込めばいいのだ。


「ありがとう!」


 具房は敦子の手を取り感謝を示す。そんなことで……と敦子は困惑していたが、一緒に暮らして自分の夫はどこか他人とは違うとわかっていた。なので、素直に感謝を受ける。


「わたくしからも、父や兄に一筆書いていただくようお願いしておきます」


「頼んだ。俺は義兄殿(信長)のところへ行ってくる」


 具房は織田屋敷へ向かい、事情を話した。普通に会いに行ったのではたしかに危険だと信長も納得。具教などにも声をかけ、具房を勅使にするよう働きかけが行われた。中納言ということで反対はなく、具房は勅使の身分を得て丹波へと向かった。


 赤井氏の居城である黒井城。そこで具房は近衛前久と対面した。勅使としての仕事は適当にこなすと、すぐさまプライベートな会談に移る。前久の関心事は、やはり自身の処遇についてだった。


「ワシは京に戻れるのか?」


「はい。そのように取り計らっております」


 二条家が妨害しているが、義昭という後ろ盾を失ったために声は小さい。関白の地位すらも怪しい今、そんなことをしている暇があるのかと言いたいくらいだ。具房はその辺りをかい摘んで説明し、前久が帰洛することの意義を強調する。


 前久は帰洛の要請に前向きな姿勢を示す。彼も伏魔殿ともいわれる朝廷にいた人物であり、具房たちの狙いなど看破していた。それでも受けたのは、やはり京にいなければ始まらないからだ。公家ーーそれも摂関家の人間であれば、京にいて天皇を補佐し、天下を陰から日向から操る。それこそが真の公家の姿だ。


「わかった。帰洛が叶った暁には、貴殿らに協力しよう」


「ありがとうございます」


 こうして具房は前久の協力をとりつけることに成功した。


 仕事は終わったわけだが、もう日が暮れていた。その日は黒井城に泊まることになる。敵(仮)の本拠地に宿泊することに具房は抵抗を覚えたが、城主・赤井直正や前久が勧めてくるので断れなかった。


 赤井直正の通称は悪右衛門。異名は丹波の赤鬼。どちらもなかなかインパクトのある名前だ。さてどんな人間なのかーー具房はガチムチの熱血脳筋オヤジだと思っていた。たしかに見た目は脳筋オヤジだ。しかし、接してみると意外と穏やかな性格らしいことがわかる。


「田舎で大したおもてなしもできず、申し訳ない」


 このように敵の味方である具房に対しても、最大限の気遣いを見せていた。


「そんなことはありません。お心遣い、感謝いたします」


「そう言って頂けるとありがたい。おもてなしはできませんが、寛いでいただけるよう努めます。ここをご自分の家だと思い、何なりとご用命ください」


「そのお言葉だけで十分ですよ」


 具房は直正のおもてなしに感謝する。あれこれと世話を焼いてくれたおかげで、快適に過ごせそうだった。








【余談】「悪」の意味


 余談なので、読み飛ばしていただいても構いません。ただのトリビアです。


 鎌倉末期に活躍した武将・楠木正成。彼は「悪党」の出身ともいわれています(他に御家人説、土豪説があります)。正成は後醍醐天皇に協力して鎌倉幕府の打倒を成し遂げました。


 ところで、皆さんは「悪党」という言葉を聞いてどのようなイメージを持ちましたか? 多くの方は、ルパン三世や怪盗キッドのような悪人をイメージしたことでしょう。しかし、それは間違いです。「悪」という漢字は今日でこそ「悪い"bad"」という意味だけを持ちますが、実は「強い"strong"」という意味があります。つまり、「悪党」の正確な解釈は「悪い奴ら」ではなく「強い者」なのです。


 今回登場した赤井直正も悪右衛門という通称があります。彼の場合、外叔父(荻野秋清)を殺して黒井城を奪ったことから悪右衛門とされたと伝わっています(こちらも諸説あります)が、丹波の赤鬼といわれるほどの武人ですから、強い右衛門ということで悪右衛門とつけられたのかもしれません。


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― 新着の感想 ―
[一言] あの近衛前久と具房が出会いましたか。 でもまだ問題は山積み、さてさて・・・。
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