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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第六章
73/226

そして誰もいなくなった

 



 ーーーーーー




 浜松城で武田軍対策会議が開かれているとき、二俣城でも軍議が開かれていた。冒頭、本隊に合流した秋山虎繁が謝罪する。


「申し訳ありません、お屋形様(信玄)。奥三河を攻略すること、叶いませんでした」


「よい。かの地の防備が固くなっていたことはわかっておった。むしろ、よく無理攻めをしなかったな」


 信玄は逆に虎繁を褒めた。奥三河の守りが固められていることは知っている。それでも攻撃させたのは、落とせればラッキーという軽い気持ちからだ。結果は失敗。だがダメ元なので、問題にはしなかった。むしろ、一度攻略しているため、虎繁がムキになって城攻めにこだわるのではないかと危惧していたほどだ。


「お屋形様。これからいかがされますか?」


 虎繁が信玄の前から下がったタイミングで、春日昌信が切り出した。彼らが取り得る行動は二つ。西ーー浜松城を攻めるのか、東ーー高天神城を攻めるのか。


 前者は急戦となる。浜松城に迫れば、徳川軍は迎撃に出ざるを得ない。主力同士が激突する決戦となるわけだ。これに勝利すれば三河までの攻略が容易くなる反面、負ければ三河侵攻はおろか、遠江や駿河の防衛が難しくなる。乾坤一擲の策といえた。


 後者の場合は、じっくりと着実に攻略していくことになる。何年もかけたものになるだろう。初めは甲斐や信濃の兵しか使えず、活動期間は冬場に限定される。しかし時が経つにつれて駿河や遠江の領国化が進み、年中活動が可能になるはずだ。今回のように、奥三河が要塞化されているーーなんてこともなくなるだろう。問題は、時間をかければかけるほど徳川家もまた成長していくということか。北畠、織田によるバックアップは徳川家を確実に難敵に成長させる。


 どちらも一長一短があり、最適解はわからない。なおかつ難しい決断だ。そしてその決断は信玄に委ねられていた。家臣たちに決定権はない。しかし、求められたら意見を述べる。それが武田家の軍議だった。


「……四郎(武田勝頼)」


 おもむろに信玄が勝頼の名を呼んだ。自分の意見を言えというサインである。勝頼は姿勢を正し、答えた。


「西へ向かうべきです。今度こそ徳川の息の根を止めてやりましょう」


「弾正(春日昌信)は?」


「東へ向かうべきかと」


 次に問われた昌信は勝頼とは逆の進言を行った。西進するにしても、奥三河の防衛が強化されている以上は遠江を抜いて東海道を進むか、美濃を攻めるしかない。後者は山岳地帯にあり、大規模な兵の運用は困難。実質的に、東海道を進むという選択肢しかなかった。


 しかし、浜松城には前回の戦で少なくない打撃を受けた北畠軍がいる。彼らは前回同様、浜名湖の北岸に陣取り、強固な陣地を構築していた。浜松城にかかりきりとなれば、北畠軍に攻撃されるかもしれない。この脅威を防ぐためには、それなりの兵力を割く必要があった。もちろん高天神城にも抑えの兵を置かねばならない。そうすると浜松城を攻める兵は少なくなり、浜松城の攻略さえ覚束なくなるというのだ。ただでさえ武田軍は数的に不利。ここは可能な限り兵力を集中させる必要がある。だから昌信は先に高天神城を攻略するよう進言した。


 信玄は重臣に対して同様の質問を行う。結果は東進と西進で半々。悩ましい割合だ。結局、決断は信玄に委ねられることとなる。


「西へ向かうぞ」


 彼の決断は西進であった。信玄としては、遠江の攻略に時間をかけたくない。勝頼は私怨が見え隠れしていたが、それでも西進策には概ね賛成できた。


 信玄の決断により、武田軍は浜松城攻略に向けて行動を開始する。高天神城に対する抑えの兵を置き、二俣城を出た。


「ゴホッ、ゴホッ!」


「お屋形様、大丈夫ですか?」


「ああ。大事ない」


 行軍中、信玄は時折激しく咳き込んだ。側仕えの家臣が心配するが、信玄は問題ないと答える。しかし、彼は以前から体調が思わしくない。急戦を志向したのもさっさと徳川家を降し、帰国するためだった。


(敵の方が数が多い。野戦を挑んでくるはず)


 信玄はこのように相手の動きを予測していた。敵がいると領内が荒らされる。だから敵には早々に立ち去ってほしいのが本音だ。敵よりも多くの軍を抱えていれば戦闘を挑むのは当然といえる。戦場は前回と同じく三方ヶ原だと想定していた。


 だが、具房の戦略は信玄の予想を上回っていた。彼は武田軍ーーというより敵の侵攻を天災のようなものと定義。それによって被害を受けた人々にはテントの設営や食糧支援などの災害支援を行うこととしたのだ。必要な物資は北畠領や織田領から提供される。


 これにより、徳川軍は数的有利にもかかわらず籠城を選択した。信玄の目論見が外れた形だ。さらに浜松城の西ーー浜名湖北岸には、北畠軍が陣を張り、横腹を虎視眈々と狙っている。


「……これでは手が出せぬわ」


 信玄は攻撃を中止させた。浜松城を攻めながら北畠軍を相手するだけの余力はない。攻撃を完全に諦めたわけではないが、何らかの策がなければ攻められなかった。


「攻撃すべきです!」


 これが不満な勝頼は信玄の許に現れて攻撃を強く主張した。自らの与党である若手家臣団を引き連れている。


「どうするというのだ? 闇雲に攻めるだけならば赤子でもできるぞ」


「策ならあります」


 勝頼が提案したのは、第四次川中島の戦いで武田軍がとった「啄木鳥戦法」であった。浜名湖北岸に布陣する北畠軍をかつての上杉軍に見立て、三方ヶ原へと追い落とそうというのだ。


 万単位の軍勢が動くことは難しいが、千単位なら隠密行動は比較的容易だ。信玄も川中島では失敗したとはいえ、その発案者は信頼を置いていた軍師・山本勘助である。ゆえに提案には心動かされるものがあった。


「ならばやってみるがいい」


 信玄は消極的な承認を与え、勝頼による「啄木鳥戦法」が実行されることとなった。信玄が本隊を、勝頼は別働隊を率いる。作戦としては、本隊が浜松城を攻撃。それに敵の注目が集まっている隙に、別働隊が北畠軍の背後をとる。そこで夜を待ち、夜明け前に襲いかかるのだ。驚いた北畠軍が三方ヶ原に追い落とされ、そこで待ち構えている武田軍本隊と追いかけてくる別働隊とで挟撃。殲滅する。浜松城から救援がやってくるかもしれないが、そこは春日昌信らが抑えるとした。


(上手くいけばいいが……)


 準備が進められる様を見ながら、信玄は一抹の不安を覚えていた。上杉軍との戦いで判明している通り、この作戦は別働隊の隠密性が鍵である。何らかの手段で動きが漏れれば、逆手にとられてこちらが窮地に陥る可能性があった。そして、前回の北畠軍との戦いでは見事に虚を突かれている。信玄は防諜にあたる忍を増やして対抗した。


 しかし、信玄の懸念は残念ながら的中してしまう。忍の数を増やしたとはいえ、武田家の忍はお世辞にも統制はとれていない。そのため防諜網にもムラがあった。それを幸運にも潜り抜けたのが徳川信康。


「やけに慌ただしいな」


 浜名湖北岸に布陣する具房のところへ見舞いの品(海産物などの生鮮食品)を届けた帰り、数人のお供を連れて武田軍を偵察していたのだ。情報はとても大事、と具房に言われたからだ。


『なるほど。「彼を知り己を知れば百戦殆からず」ですね』


『そうだ』


『孫子』から引用した彼の言葉を受け、信康は豪胆にも自ら偵察を行なっていた。しかも武田軍の本陣近くに。……別に具房は自分でやれ、とは言っていないのだが。


「三郎様(信康)。危険です。もうそろそろ……」


「っ! ……ああ、わかった」


 お供の家臣が信康に撤退を促す。俺に意見するな! と反射的に言いかけた信康。だがすぐに冷静になった。具房から家臣の忠告は素直に聞くように言われていたからだ。たまに忘れて怒鳴ってしまうこともあったが、今回は冷静になれた。


 家臣の話はもっともなものだったので受け入れてその場を離れる。浜松城へと戻った信康は、家康に偵察結果を知らせた。


「何をやっているのだ、そなたは!?」


 とお叱りを食らったものの、情報自体には感謝された。徳川軍は臨戦態勢を敷き、北畠軍にも警報が届く。


「情報提供に感謝する」


 具房は使者を労うと忍を統括する服部半蔵を呼び、武田軍の動向を注視するよう命じた。なお、蒔の仕事は基本的に具房の護衛のみとなっている。特に今は戦場におり、いつどこから攻撃されるかわかったものではない。彼女が(護衛以外の)忍の任務に就くのは、本当に手が足りない非常事態のみである。


 ともあれ、信康のおかげで警戒が強化された結果、武田軍の行動が露見する。夜中に行動しているとはいえ、何の訓練も受けていない数千人もの素人集団が、隠密行動のエキスパートである忍の目を欺けるはずがない。


「いかがいたしますか?」


 報告に現れた半蔵が指示を仰ぐ。数の関係から忍たち単独で襲うのは荷が重い。これは報告であり、援軍の要請でもあった。


「そうだな……」


 具房は援軍を出すべきか考える。敵が進んでいるのは森林。夜間の戦闘は何が起こるかわからないので、普通の部隊の投入は避けたいところだ。


(迎撃できればいいか)


 というわけで、森から出てすぐのところに兵たちは置くこととした。森での対処は忍たちに任されたわけである。これには半蔵も困り顔。迎撃しようにも数が足りないのだからしょうがない。練度の差を考慮しても、数に押しつぶされるだろう。


 だが、具房は何も死ねと言っているわけではない。ちゃんと作戦を考えていた。名づけて、「そして誰もいなくなった」作戦である。ごにょごにょ、と作戦を授ける具房。


「わ、わかりました……」


 半蔵はその迂遠なやり方に呆れつつも、主命であると了承した。




 ーーーーーー




 勝頼率いる武田軍は、浜名湖北岸に広がる森を南下していた。目的は無論、北畠軍に奇襲をしかけることだ。


 武田軍は秘密裏に行動するために様々な手段を講じていた。鎧の可動部にボロ布を当て、馬には板を噛ませ、藁沓を履かせるなど。さらに、


「音を立てるなよ」


 足軽大将などが静かにするよう盛んに注意喚起する。もはや神経質といえるレベルだ。しかし、それも無理からぬこと。なにせ隠密行動であるため、松明などの明かりを使うことはできない。夜の森は不気味なまでの闇が広がっており、自然と恐怖心が湧き上がる。執拗な注意喚起は、それを紛らわせるためでもあった。しかし、完全に拭い去ることはできない。


「だ、大丈夫ずら?」


「わからん」


 このように、兵士たちはヒソヒソ話しながらおっかなびっくりで進んでいた。足軽大将たちも兵たちを黙らせるより、不安を拭うために注意している。声が大きすぎない限りは黙認していた。


 そんな調子で進軍していたのだが、気付かぬ間に異変が起きる。現場は軍勢の後ろ。最後尾を走っていたグループだ。


「ん?」


「おまん、はんで走れ」


 速度を落とした同僚を注意する。しかし、反応は鈍い。それを不審に思い、理由を訊ねた。


「弥兵衛がおらん」


「見間違いずら?」


「そんなわけ……」


 ないとは言いたいが見間違いかもしれない……。自信が持てず、黙り込んだ。そして、たまたま見つからなかったのかも? と自分を納得させる。


 だが、同じようなことはあちこちで起こっていた。行軍中はバラバラなので話は広まらなかった。ところが、開けた場所で襲撃まで待機となった瞬間、爆発する。


「おまんもか?」


「小平太も言っちょっとー」


 瞬く間に噂が広まり、場は騒めきで満たされた。


「静かにしろし!」


 鋭い声で注意されると一時は収まるものの、またすぐに騒ぎになる。もはや収拾がつかない状況になっていた。そして、再び事件が起きる。


「ちょっと小便」


「はんでしろし」


 そう言って送り出した同僚が戻ってこないという事件が起きたのだ。最初は逃げたのか? と疑われたが、二人三人と失踪する事態となり、何かが起こっているのではないか? という話になった。また、同時にある噂が流れる。


『この森には物の怪が棲んでいる』


 という噂だ。陣から離れた者が帰ってこないのは、物の怪が攫って食べているのだと。


 まだ教育が行き渡っておらず、迷信が信じられているような時代である。現代で考えればあり得ないといえることでも、さも真実であるかのように伝わった。その噂が広がるとともに、恐怖も伝播する。


 恐怖心に囚われると、途端に何もかもが恐ろしくなる。木の葉の騒めき、虫や鳥が立てる音、はては森の闇も……。見るものすべてが恐ろしい。


 そして、決定的な事件が起きた。


「うわぁぁぁッ!」


 足軽のひとりが叫び声を上げながら戻ってきた。当然、怒られるわけだが気にせず凄い勢いで走り込んできて、仲間に訴える。


「弥兵衛が! 弥兵衛が!」


 ガクガクと痙攣した腕で森を指し示す。その必死な様子に何かあると思い、数人が連れ立ってその場へ向かった。


「「「っ!?」」」


 そして一堂、戦慄する。彼らが見たのは、バラバラ殺人にでも遭ったかのように、無残な姿になった武田軍の足軽の姿であった。


「……本当だったんだ」


「物の怪はいたんだ……」


 食い散らかされたようにバラバラになった仲間の姿を見て、これまで「得体の知れないもの」だった物の怪の存在を実感した。これまで少しずつ育っていた恐怖心が弾ける。


「オラ、故郷くにに帰る!」


「オラも!」


「あ、おい!」


 その場にいた足軽たちのほとんどが脱走した。一部は戻ったが、その姿を見て何かがあったと大勢の人間が察する。ここで見たことは忘れるように言われていたが、人の口に戸は立てられない。真相はすぐに広まった。これがきっかけとなり、武田軍の指揮統制は崩壊。足軽たちのほとんどが脱走し、残ったのは勝頼たち武将と、彼らが辛うじて掌握した足軽のみだった。


「なぜ報告しなかった!?」


「も、申し訳ありません!」


 勝頼は自軍で何が起こっていたのかを知らなかった。途中で家臣たちが話を握り潰していたためである。だが、兵たちの多くが離脱したことで隠せなくなった。家臣たちは平謝りである。勝頼は彼らに苛立ちをぶつけつつ、悲嘆に暮れた。


「父上にどう報告すればよいのだ……」


「「「……」」」


 家臣たちは何も言えない。誰の責任かといわれれば、全体的には勝頼の監督不行届き。しかし、厳密には報告を上げなかった彼らの責任だからだ。このことが信玄に知られれば、厳罰に処されることは明らか。しかも、挽回しようにも兵の大半が逃げてしまった現状では、当初の作戦を実行することは自殺行為でしかなかった。


 どうしよう? どうする? と武田軍はまとまりがなくなり、行動を停止する。辺りは静寂に包まれた。


「うぐっ!?」


 ゆえに、その声はやけに響いた。足軽のひとりが苦悶の声を上げて倒れる。喉に矢が突き刺さった状態で。


「て、敵ーー」


 それに気づいた仲間が声を上げるも、再び飛んできた矢に貫かれ、沈黙する。その攻撃を皮切りに、武田軍に無数の矢が飛来した。矢を放っているのは、半蔵率いる忍部隊であった。


「……好機」


 足が止まった上に数が減っている。チャンスと見た半蔵は、部下に襲撃するよう命令した。集団に対しては、矢で遠距離から一方的に叩く。戦闘のどさくさに紛れて単独で逃亡する輩は、声を上げないよう手で口を塞いだ上で頸動脈を斬り、静かに殺した。


「止むを得ん。撤退だ」


 この襲撃を言い訳に、勝頼は撤退した。しかし本陣に戻ると信玄に大目玉を食らい、シンパともども二俣城の守備を任されることとなる。事実上の謹慎処分であった。


 かくして武田軍は無駄に兵力を減らし、より慎重に動かざるを得なくなる。結局、積極的な攻勢に出られないまま本格的な冬を迎えることとなった。








 甲州弁を使ってます。言語学には詳しくないので間違っているかもしれません。そこはご容赦を

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自身の欠点を自覚しそれを改善しようとしていき成果を出した信康と軍の管理を怠った勝頼の比較が分かりやすい。 [一言] 某A『諏訪の四郎殿はこの西進で結果を出せてないどころか自身の軍の統率すら…
[一言] そして誰もいなくなったって・・・。 マザー・グースのあの作品でしょう(笑) あの服部半蔵も( ゜д゜)って心境でしょうねぇ(笑)
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