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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第六章
70/226

第一次石山合戦


短いです


作者多忙のため、感想への返信が遅れております。前回いただいたものは今日中に返信します。すみません

 

 



 ーーーーーー




 結局、毱亜本人が承諾したことによって彼女を側室とすることになった。


「お茶でス」


「ありがとう」


 忙しい政務の合間を縫って関係改善を図ったことで、普通に接することができるようになった。毱亜は日中、葵を教師役にして勉強。夜は具房の許にやってきてお茶を淹れてくれる。彼女なりに努力していた。


 季節は夏が終わろうとしており、マリオがやってきてから半年ほどが経っていた。新造したガレオンによるマカオ航路が開かれ、日本人奴隷が続々と帰国してきている。


 帰国者は二つのグループに分かれる。身寄りがある者は故郷へ。ない者は北畠領内の村落へと送られている。


(しかし、ほぼ女性か……)


 ごく稀に男がいるものの、大半は女であった。これが他の大名なら、こんなに女がいても要らないよ、と持て余すところだ。しかしここは北畠家。むしろ、女性を求めていた。養蚕にしろ真珠養殖にしろ、活躍しているのは女性なのだから。働き口には困っていない。


 しばらく内政に注力していた具房だったが、夏が終わりかけているということでそろそろ戦争が近づいてきた。服部半蔵が各方面の情報を集めてきている。敵である武田の動きが気になるところだが、目についたのは石山本願寺に関する情報だった。


「武具や兵糧を運び込んでいる、か……」


「はっ。近ごろ、石山に荷駄が多く入っておりましたので調べたところ、荷は武具や兵糧の類でした」


「決起するつもりか?」


「そのようです。武田より、決起を促す書状が送られているのも確認されております」


 石山本願寺は和睦後、具房や信長に何か慶事があれば贈物をするなど、表面上は友好関係を結んでいた。もっともその下では、忍や門徒を利用した情報戦が行われていたわけだが、これは具房と信長の間でも起こっていることなので不思議ではない。


 しかし近年では、少しおいたが過ぎた。というのも、本願寺は義理の兄弟である武田家や毛利家、三好家と反織田同盟を結んでいたからだ。もはやいつ開戦してもおかしくない状況だったのである。


「義兄殿(信長)にも報せておけ」


「承知いたしました」


 知っているとは思うが、こういうのは多方面から情報があった方が確度が増す。それを利用して、あえて誤報を伝えることで敵の判断を誤らせるという方法もあるのだが、ここでは考慮しない。


 具房から警報を受けた信長は、


「大儀」


 と使者に告げる。具房には家康とともに東を任せると言い、越前の柴田勝家にも北を任せると言った。そして自分は近江や畿内の兵を率いて山城などで三好軍と対峙する塙直政に合流する。


 本願寺は機先を制された格好になったが、それでも決起した。ときに元亀三年九月のことである。


「仏敵信長とその一味を討つのだ!」


 三万ほどの門徒を動員し、三好軍と連携して織田軍を挟撃しようとする。これに対して信長は、塙直政を大将とする石山包囲軍を差し向けた。


 緒戦の小競り合いでは織田軍が勝利。陸から本願寺を包囲する。直政は燃えていた。妹が信長の側室となったことで、何かと目をかけられている。現在、三方ヶ原で失態を演じた佐久間信盛は勢力を落としており、柴田勝家は越前に行って中央で活躍することはできない状況に置かれていた。つまり、信長の右腕となれる絶好の機会なのだ。ここで石山本願寺を陥落させれば、その地位は揺るぎのないものになる。


(絶対に落としてやる)


 そう意気込んでいた。とはいえ、厳しい戦いになるーーそんな直政の考えは、緒戦の勝利によって吹き飛ぶ。戦の性質としては小競り合いーー局地戦でしかないのだが、これまで文官としてやってきた直政には戦の経験が少ない。そのため、この勝利を自軍が総合的に敵を上回っていると誤認してしまった。


 これは直政の経験が不足していたというのもあるが、一番の理由は強迫観念であった。彼は妹の縁で出世している。とはいえ、これまで彼が歩んできたのは文官畑であり、出世競争に取り残される恐れがあった。それは、筆頭家老の林秀貞を見ていればわかる。佐久間信盛や柴田勝家など、武勇に秀でた家臣が実質的な地位を高めていくなか、秀貞は軍事的な活躍はなく、存在感がなくなっていた。


 林秀貞のようにはなりたくない。


 そんな思いが、無意識に直政の思考に影響していた。


 経験不足による戦況の誤認。


 武官として成果を挙げなければならないという焦燥感。


 主にこの二つの理由により、直政は坂道を転がり落ちることとなる。


「総攻撃だ」


 軍議の席で、直政はそう口火を切った。これに待ったをかけたのが、場数を踏んで副将となっている明智光秀。本願寺の軍勢は強大であり、ここは包囲して兵糧攻めにするのが上策だと主張した。


「左様ですな」


「十兵衛殿(明智光秀)の申す通り」


 荒木村重や細川藤孝も光秀の意見に賛同する。頼りにする伯父・塙安弘も反対に回り、直政の味方はひとりもいなかった。


「っ! 勝手にしろ!」


 直政は自分の策が総スカンを喰らったことに腹を立て、光秀たちには自分が思うように行動しろ、と言った。代わりに自分も好きなように行動する、と。つまりは、直政は手勢だけで攻撃をする。もし戦果を挙げたとしても、反対したお前たちには功績はやらないということだった。


(……どうします?)


 こりゃダメだ、と光秀。今の直政には何を言っても無駄だと悟った。そしてどうするべきかと周りに訊ねる。しかし、諸将は直政との交流がほとんどなく、その気質も知らないためにどうすべきかさっぱりわからない。そのときフォローに入ったのが安弘だった。


(某が何とかしますので、皆様は付け城の構築をお願いいたす)


(承知した)


 暴走している直政への対応は安弘に任せることになった。要するに、敗戦による損害などは塙家が負うから、光秀たちは付け城を築くなど包囲を強化してほしい、ということだ。無駄な被害を出さなくて済みそうだと内心で安堵する。


 そして光秀たちが石山周辺に付け城(砦)を築いていく傍らで、直政率いる塙軍は木津方面から攻撃を開始した。しかし、一向宗は直政が考えたほど弱くはない。「領主のため」という曖昧な理由で駆り出された織田軍より、「信仰のため」というわかりやすい理由で駆り出された一向宗の方が士気が高かった。


 さらに、一向宗は有り余る財力を使って数千丁の鉄砲を導入していた。鉄砲は極論、引き金さえ引くことができれば生まれたての赤ん坊でも人を殺せる。訓練された兵士を揃える必要もなく、ただの農民が鉄砲を装備するだけで殺人マシーンと化す。これが塙軍を苦しめた。


 塙軍にも鉄砲はある。しかしながら、宗教組織の財力と小身の領主の財力を比べるのは馬鹿らしい。経済力は軍事力。その鉄則は、無慈悲なまでに現実を提示していた。


 銃撃によって次々と倒れていく塙軍の兵士たち。連射性能は高くないので敵に接近することはできる。だが、一向宗は寺に立て籠もっており、塙軍は堀を渡るなり壁をよじ登らなければならない。そのために渋滞を起こしているところを狙われ、犠牲者を増やしていた。命中率に難があるとはいえ、密集していれば当たりやすくなるのは誰が考えてもわかることである。


「これはどうにもならんぞ……」


 安弘は先鋒を任され指揮していた。何とか突破を試みるものの、堀や壁に阻まれてどうにもならなかった。撤退を進言する安弘。しかし、直政は聞き入れない。仕方なく攻撃は続けていたが、突破口は見えず。逆に損害は増える一方である。


(兵ばかり死地に送り込むのは申し訳が立たん)


 そんな申し訳なさに駆られて安弘は最前線に出た。兵たちと同じように、危険な場所に立とうというのだ。本人は口にこそしないが、そこにはある意図があった。


 それは死。


 兵士の多くを殺しておいて塙一族に犠牲がないのでは、周りに示しがつかない。そしてその人柱となるべきは先鋒である自分だと。


(これで最後だ)


 安弘は直政に使者を送り、撤退を進言した。石山は頑強であり、ちょっとやそっとでは落ちない。なのでここは持久戦に持ち込むべきだと。しかし、功を焦る直政はこれを拒否。安弘には重ねて、石山を陥落させるための突破口を開くように命じた。


「ーーとのことです」


 使者が申し訳なさそうに報告する。何度も意見が拒否されており、それを自分の力不足だと思っているらしい。安弘はそんなことはない、という意味を込めて肩を叩く。


「ならば攻撃だ。行くぞ!」


 刀を抜き、安弘は兵士たちの先頭に立つ。そして遮二無二、突撃を行った。


 結果、彼率いる塙軍の先鋒はわずかな兵を残して壊滅。死者のなかには当然、安弘も含まれていた。


 彼の死は、二つの大きな役割を果たす。


「伯父上が!?」


 ひとつは直政の意識を変えたことだ。生臭坊主と信者が寄り集まっただけの烏合の衆ではなく、宗教を核に結集する難敵へと。一向宗への認識を百八十度転換させた。そして光秀らの意見に従い、包囲戦術に切り替えた。


 もうひとつは、直政への処罰を信長に思い留まらせたことだ。石山を強攻で攻め落とそうとし、敗北を喫したのは問題ではある。しかしながら、失った兵はほぼ塙軍。しかも一門が死んでいるのだから、死者に鞭打つようなことはできない。


『次からは十分に気をつけて石山攻略にあたれ』


 信長はこのような指示を出すに留めた。かくして安弘の死により、直政の栄達の野望は首の皮一枚つながった。







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― 新着の感想 ―
[一言] 石山本願寺との戦争、史実でも信長は十年をも年月を費やして倒した強敵。 具房はどう対抗するのだろう・・・。
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