若殿伊勢漫遊記
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天文二十三年(1554年)、鶴松丸は七歳にして従五位下・侍従に任じられた。戦国時代での生活に慣れ、着物で暮らすのも普通になっていた。しかし、叙任の際の束帯は慣れておらず、激しく戸惑った。とにかく動きにくいのだ。
また、併せて具教も従三位権中納言に叙されている。これにより鶴松丸は『若様』呼びに加えて『拾遺』、具教は『黄門』と呼ばれるようになった。肩書きの上では鶴松丸も立派な貴族だ。
「今後、そなたは左少将、左中将を経て宰相(参議)に列せられる。余が隠居するのも近いかもしれんな」
「なにを仰るのですか、父上。先年、お爺様より家督を譲られたばかりだというのに」
いよいよ鶴松丸の出番が近づいてきた。とはいえ、まずは元服を迎えなければ話にならない。
また、病気も怖い。日々の運動と規則正しい生活が幸いしてか、鶴松丸は大きな病気になることもなく過ごしてきた。しかし、これからどうなるかはわからない。具房だとすれば、特に問題はないはずだが……。
色々と不安を抱きつつ、鶴松丸は次期当主としての実感が湧いてきた。そこでふと疑問に思ったのが、側近について。家臣でも、いわゆる幼なじみのように育った者がいる。信長であれば、池田恒興のような。しかし、鶴松丸にはそのような家臣がいない。不思議に思って訊いてみると、具教は渋い顔をした。
「むむっ。それは……」
言葉に詰まる具教。まさか鶴松丸が極度の肥満であったため、化け物の子と敬遠されていたなどと言えるはずがなかった。痩せた途端に希望者が殺到したが、そんなことで掌を返すような輩は要らない。鶴松丸に側近がいないのには、このような理由があった。
答えに窮した具教は、思い浮かんだアイデアを口にする。
「そなたに選ばせようと思ってな」
それを聞き、鶴松丸の目が光る。側近を自分が選んでいいと言われたのだ。普通は押しつけられるものなので、やる気も出る。だが、鶴松丸は慎重だった。さらに言質をとりにかかる。
「父上。側近は誰を選んでもよいのですね?」
「うむ。好きに選ぶがよい」
具教は特に考えず頷いた。北畠の名を使えば南伊勢で通用しないことはない。無茶はできた。
「承知いたしました」
そのノリで鶴松丸は外出許可もとりつける。呼びつければいいではないかと言う具教に、自らの目で見て確かめたいから、と答えた鶴松丸。わざわざ三国志の劉備(三顧の礼)を援用し、この機会は逃さない、という気迫が現れている。
結局、具教が折れた。条件として塚原卜伝を連れて行くように言われたが、鶴松丸としてはむしろ望むところである。護衛としては申し分なく、人材発掘にも使えるからだ。
(秀吉みたいに上手くいけばいいけど……)
百姓から天下人まで出世した、サクセスストーリーの代名詞のような人物・豊臣秀吉。彼の家臣に幼いころから養育していた石田三成、大谷吉継、加藤清正、福島正則がいたことはよく知られている。彼らのような存在を、鶴松丸も見つけようというのだ。
そんな野望を秘めた鶴松丸は、塚原卜伝をお供に領内を散策する。ただし、偉い人だと思われないように、普段は着ないような襤褸を纏っていた。
「本当によいのか?」
「大丈夫。父上に話は通してあるから」
身分を偽るため、鶴松丸は卜伝の小姓として振る舞うことになっていた。その破天荒な提案に困惑した卜伝は、こうして最終確認をとっているのだ。願わくば、前言を翻してくれと。しかし、鶴松丸の考えは変わらない。むしろ卜伝に、流離の剣豪って格好よくない? と言う始末である。
卜伝は、(見かけ上とはいえ)貴人の座を捨てることに躊躇いのない鶴松丸を宇宙人を見るような目で見ていた。水戸黄門や暴れん坊将軍など、身分を偽って悪事を成敗する時代劇は多い。しかし、このような考えは戦国の人間からすると理解できない。よって理解できないことを考える鶴松丸も、理解不能な不思議クリーチャーというわけだ。
(仕方ない、か……)
卜伝は人間、諦めが肝心であると学んだ。ということで、渋々ながらその提案を受け入れた。卜伝は馬に乗り、鶴松丸が手綱を握る。城を出るとき、家臣たちが凄い目で見ていた。事情を知らない人間からすれば、何やってんの状態だ。卜伝の胃に凄まじいダメージが入る。何とかならないのかと鶴松丸に言っても、どこで誰が見ているのかわからない。市民の情報網は侮れない、と言われて渋々従った。この散策の間だけ、と自分に言い聞かせて乗り切る。
色々と問題のある城を出て道を歩きつつ、二人は今後の予定について打ち合わせる。卜伝には、鶴松丸から仕事が追加されていた。
「……それで、儂はそなたの護衛以外に見所のある若者を見つければよいのじゃな?」
「はい。できれば同年代がいいです」
「そうは言うがの……」
言うは易く、行うは難しーー鶴松丸の要求(自分レベルの才能を持つ子どもを見つけてほしい)は、その典型例であった。そもそも鶴松丸レベルの才能の持ち主がゴロゴロいるはずがないのである。自分がいかに特殊な存在なのかという認識が、彼には欠けていた。
だが、それも無理からぬことといえる。鶴松丸からすれば、いくら剣豪の子どもに生まれたとはいえ、現代日本でぬくぬくと育ってきた自分の才能は大したことない、と本気で思っている。だからこそこのような要求をしたのだ。
結局、卜伝は村ごとに何人か見どころのある若者を選んでいく。それを聞くと、鶴松丸は適当に辺りを見回す。やがて路地裏へと通じる道をじっと睨むと、
「出てこい。そこにいるんだろ」
と声をかけた。側から見れば厨二病を発症した痛い人だが、卜伝はほう、と感心した。
「……お気づきでしたかい」
決まりが悪そうに男が出てくる。彼は具教に雇われた忍びだった。密かに鶴松丸を護衛するように言われていたのである。それがバレたとあっては、なんとも恥ずかしい。そんな忍びを見て、鶴松丸は誇るでもなく言う。
「師匠がいいんでな」
「いやいや。いくら師匠がよくても、そう簡単に出来ることではないぞ。そなたも、気を落とすでない。隠形はよくできていた」
卜伝が忍びを慰める。口を寄せ、鶴松丸は紛れもない天才で、気にしても仕方がないと耳打ちした。もちろん、鶴松丸には聞こえていない。世の中、知らない方が幸せなこともある。卜伝の慰め(?)もあって、忍びは気を持ち直した。
「それで、何かご用ですかい、若様?」
「私を監視していたのなら、見ていただろう? 仕事は、卜伝が言った子どもを洗うことだ」
「洗濯ですかい?」
そりゃ専門外だ、といった様子で肩をすくめる忍び。鶴松丸はうっかり前世の警察用語を使ってしまったことに気づき、バツが悪そうに訂正した。
「……身元調査のことだ。子どもが他国の密偵ではないかなどを調査してくれ」
「承知しました」
忍びは人員にいくらか余裕があったため、その依頼を受けた。承諾すると、自然にその場からいなくなる。腕がいい、と鶴松丸は心のなかで評価した。
鶴松丸の旅は進む。村には基本的に数時間しか滞在しない。休憩に立ち寄った、という体だからだ。ただ、宿泊の必要があるときは適当に見繕う。ときには例の忍びが、仲間のやっている店を紹介してくれたが、その数は少ない。こうした拠点を増やす必要を感じていた。
また、レアなケースでは野宿を強いられることもあった。普通、育ちのいいお坊ちゃんなら文句のひとつや二つは出る。しかし鶴松丸は文句を言うどころか、明らかに楽しんでいた。これに卜伝は驚く。
「若様は野宿は気にならないのか?」
「ああ。むしろ楽しいぞ」
普段は大人びているのに、このときばかりは年相応の子どもに思えた。卜伝からすれば、なんとも不思議な子どもである。
そして街へとたどり着けば鶴松丸の出番だ。彼は店などを回って丁稚奉公をする子どもを観察する。特に番頭の帳簿などに興味を示している子は要チェックした。卜伝が武官を探しているのに対して、鶴松丸は文官を探している。観察するだけでは細かな能力は見れないが、とにかく数字に強くて義理堅ければ問題なしとした。
街には人が多く、数日滞在することも珍しくなかった。特に宇治・山田はこの地方でもかなり発展した場所で、一週間近く念入りに調査している。鶴松丸は大胆にも北畠領を飛び出し、敵対勢力が割拠する北伊勢にまで入って人材を探した。さすがの卜伝も反対したが、鶴松丸は聞く耳を持たない。見た目が大名の子どもには見えなかったため、刺客に狙われることはなかった。
しかし、それはそれでまた別の問題が発生する。街道を歩いているとき、わらわらと身なりの悪い男たちが現れた。ヒゲモジャで、鶴松丸以上の襤褸を纏っている。身につけている防具もボロボロで、パーツが揃っていない。見るからに落ち武者ーー盗賊行為を働いているので盗賊であった。
「おい、命が惜しけりゃ有り金全部置いていけ」
(台詞まで盗賊っぽい……)
鶴松丸はテンプレを外さない盗賊に微妙な顔をしている。ついでに面倒だ。刀は持っているが、この世界はゲームではない。使えば手入れが必要だし、ドラマのように何人もスパスパ斬ることはできないのだ。
「お頭。ジジイとガキしかいやせん。やっちまいましょう」
「……それもそうだな」
ジ◯イアンをよいしょする◯ネ夫のような台詞を吐く男に唆され、お頭は刀を抜く。五人ほどの手下も同様だ。そしてやれ、という号令一下、手下たちが一斉に襲いかかる。
「愚か者が。しかし、ちと面倒じゃの」
「すぐに終わらせればいいんですよ」
鶴松丸と卜伝は刀を抜き、盗賊を迎撃した。二人が剣術の達人なのに対して、盗賊たちは足軽崩れの素人。また人数にもあまり開きはなかったため、盗賊たちは呆気なく返り討ちに遭う。卜伝が三人、鶴松丸は二人を斬り伏せた。無論、一撃だ。
人を斬ることに、鶴松丸は躊躇いを覚えなかった。前世は人命は大切だと教えられていたが、自分の命よりも優先されるものはないと思っている。生きるためには手段を選ばない。
「な、なんだこいつら!?」
「ひ、ひいっ!」
残ったお頭とス◯夫が背を向けて逃げる。鶴松丸は追おうとしたが、体格差で大人には追いつけない。歯がゆい思いをしていると、横を卜伝が凄い勢いで駆け抜けていく。
「殺すなよ!」
鶴松丸に言えたのはそれだけだった。その言葉が卜伝に聞こえていたのかはわからない。ただ、盗賊たちは卜伝によって昏倒させられ、殺されはしなかった。
「安心せい。峰打ちじゃ」
納刀しつつ、卜伝が呟く。カッコいい、と鶴松丸は自然に拍手していた。
「それで、これからどうするつもりじゃ?」
こんな荷物、さっさと(殺)処分してしまおうと言う卜伝。身分を隠しているため、領主に突き出すのは難しい。だから鶴松丸も気持ちはわかる。ただ、二人にはまだ使い道があった。処分は、それを終えてからでも遅くはない。
「まあまあ」
そんなわけで、物騒な考えをしている卜伝をなだめる。すると、こちらの味方だと思ったのかお頭たちが鶴松丸を囃し立てた。
「さすが坊主だ! 話がわかる!」
「いいぞ、ガキ!」
「黙れ」
調子に乗る二人を威圧で黙らせる鶴松丸。途端に二人は大人しくなった。それを確認すると、鶴松丸は要求を口にした。
「根城まで案内しろ。どうせ、いくらか稼ぎがあるんだろ?」
お頭はともかくとして、◯ネ夫のような組織内でナンバー2が生まれる盗賊が、一日二日でできるはずがない。それなりの期間、盗賊家業を働いているはずだと鶴松丸は考えていた。
「さ、さあ。何のことかな?」
惚けるお頭に対して、鶴松丸は居合の要領で抜刀。次の瞬間、お頭の前髪が数本、ハラリと舞った。
「次は額を斬る」
そう脅され、お頭は根城の場所を素直に吐いた。根城にはこれまで奪った財貨と、近くの村から攫ってきた子どもがいるという。それを聞いた瞬間、鶴松丸は盗賊たちの尻を蹴飛ばして案内させた。
「ここだよ」
盗賊たちの根城には、たしかに若干の金銭と五人の子どもたちがいた。彼らは床に倒れている。鶴松丸は慌てて駆け寄った。
「うぅ……」
女の子が、わずかに呻き声を上げる。他の子も息はしていた。ぐったりとしているが、命に別状はないらしい。安堵する鶴松丸。そんな彼に、卜伝が声をかけた。
「それで、これからどうするのじゃ?」
「近くの村に宿を求める。この子たちの回復を待って、元いた村に届けよう」
「盗賊は?」
「連れて行く。どこで捕まえたのかがわかれば、子どもが自分の村がわからなくても手掛かりにはなるはずだ」
「わかった」
卜伝は大名家の若殿がするようなことじゃないな、と思いつつ指示に従う。賢いが、妙にズレているのが鶴松丸だと諦めていた。
子どもたちには悪いが、しばらく馬の背に乗せて運ぶ。他に運搬手段がないのだ。ただ、一頭に三人しか乗せられなかった。残りの二人は、腰縄をつけた盗賊たちに運ばせ、卜伝に監視させた。鶴松丸は馬を引く。こうして一行は近くの村へと向かった。
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子どもたちが目覚めたのは、その日の夜だった。介抱していた村長の妻からその報せを受け、鶴松丸は子どもたちが寝ている家へと向かった。
「だ、誰だ!?」
部屋に入ったときの第一声は、詰問調の誰何だった。見ると、体格の大きな少年が他の子どもたちを守るように立っている。
(まあ、盗賊に拐われたんだし無理はないか)
そう納得している鶴松丸だが、納得しない者もいる。護衛の卜伝だった。
「坊主。貴様、誰に向かってーー」
剣豪が凄むと迫力がある。少年は思わず震え上がった。しかし、すぐに鶴松丸が仲裁に入る。
「落ち着け。盗賊に拐われているんだ。見知らぬ人間を警戒するのは当たり前だろう。許してやれ」
そう言われ、仕方ないと追及を諦める。
「俺は太郎。師匠と旅をしていたら盗賊に襲われてな。返り討ちにして生き残りに根城へ案内させると、お前たちがいて保護した。だから敵じゃない。安心しろ」
「そ、そんなこと信じられるわけないだろ!」
猜疑心、ここに極まれりといった様子だ。事情は話した。さてどう信じてもらおうかと鶴松丸が思案していると、少年の後ろからひとりの子どもが出てくる。助けた子どものなかで唯一の少女だ。
「待って。その人の言ってること、嘘じゃないよ」
少女は鶴松丸を庇う。そういえば、保護したときに彼女だけわずかに意識があったな、などと鶴松丸は考えていた。
「なんだよ、葵! お前はコイツの肩を持つのかよ!?」
「そうだった、ってだけの話でしょう!?」
そのまま二人は喧嘩に突入する。子どもたちはオロオロ、卜伝たちはやれやれとその様子を見守った。鶴松丸もここで介入すると少年の反発を避けられない、と静観を決め込む。村長の妻に囲炉裏の場所を聞き、そこで料理を始めた。
二人の喧嘩が終わったのは、仲良くお腹が鳴ったときのことだった。遠くから漂う料理の匂いが、空腹感を刺激したのだ。タイミングよく、鶴松丸がやってくる。
「腹が減っただろう。飯にするといい」
子どもたちは問答無用で連れて行かれ、粥を食べさせられる。子どもたちが倒れていたこと、また異様なまでに痩せていることから栄養失調と判断したのだ。原因は当然、欠食である。そのため胃の機能が弱っていることも考えられ、なるべく消化のいいもの(粥)を用意したのだ。
子どもたちはそれを貪るように食べている。少年も貧相な食事だな、と言いつつバクバク食べておかわりを連発していた。こんな調子で食べるため、鍋いっぱいにあった粥がなくなってしまう。
「美味かったか?」
「美味しかった」
葵と呼ばれた少女が笑顔で答える。他の子どもたちも続いた。少年も、不服そうにしつつも美味かった、と答える。そうか、と言いつつ鶴松丸は葵の頬についていた米粒を取って口に運ぶ。すると、葵は顔を赤くした。
食べ物の力で子どもたちの懐柔に成功した鶴松丸は、改めて事情を訊ねる。食べ物パワーにより、子どもたちは素直に答えてくれた。
「それで、お前たちはこれからどうしたい?」
故郷に帰るのか、と訊くと五人とも首を振った。全員、間引きに遭ったらしい。現代では作物の育ちをよくするために実の数を減らす意味で使われるが、元は口減らしのために子どもを殺すことをいう。彼らは幸いにも村を放逐されただけで済んだのだが、早々に盗賊たちに捕まったということだった。
「つまり、帰るあてはないわけだ」
「うん……」
葵が悲しそうに首肯する。やはり故郷に帰れないのは寂しいようだ。鶴松丸にもその気持ちはわかる。彼も現代日本に帰れないのは悲しい。そこで鶴松丸は軽く言う。
「なら、家に来るか?」
「「「「「「えっ?」」」」」」
子どもたち+卜伝の呆気に取られた声が重なる。鶴松丸のこの何気ない言葉が、少年少女の運命を大きく変えるのだった。