貿易の闇
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具房は帰っていくマリオを見送りに来ていた。双方ともに、実にいい笑顔を浮かべている。具房は南蛮人との直接的な交易路が開けたことを喜び、マリオはこれから得られるであろう莫大な富に喜んでいるからだ。
「近いうちに人を送りますので」
「承知した。無事の航海を祈っている」
二人が挨拶を交わす後ろでは、船員たちが出港前の最終確認を行なっていた。前夜にかけて、マリオのガレオンには大量の物資が運び込まれている。その多くが絹や真珠といった交易品だが、他にも具房の厚意で提供された生鮮食品もあった。長い航海で生鮮食品は不足しがちであり、マリオや船員は大喜びである。
マリオからすれば、具房は今後、自分に多大な利益をもたらしてくれる存在。対応にも気を遣う。生鮮食品のお礼に、マリオはあるものを準備させていた。別れ際、それを渡す。
「コーモンサマ。コレヲ」
マリオが片言の日本語で差し出したのは、少女だった。血色はいいものの、貫頭衣のようなものを着ている。何より生気というものを感じられなかった。それを見た瞬間、具房の表情が変わる。
「……これは?」
その声はとても低かった。しかしマリオは気にすることなく話を続けた(また通訳を介した会話に戻る)。
「奴隷です。マカオで買ったもので、なかなかの上玉でしょう? 言葉(日本語)も話せます」
「……」
具房は言葉を失う。そして、己の迂闊さを呪った。考えてみれば、どんな人間も上位者に対して阿るのは当然だ。具房は自分が会ったところで、その本性を見極めるのは難しいのだと今さらながらに気づく。
「気持ちはありがたいが、受け取ることはできない。彼女は生鮮食品などの代金として受け取ろう」
それから、と具房は言葉を付け加える。今後、各地で日本人奴隷を見かけたときは、なるべく連れ帰ってほしいというものだった。具房としては、奴隷貿易を看過することはできない。世界最大の奴隷貿易が行われているアフリカの奴隷貿易に介入はできないが、手の届く範囲では何とかしたいところだ。止めろとは言えない(権限がない)ため、このような手段をとるしかなかった。
「わ、わかりました」
マリオは頷く。言葉はわからなかったが、具房の剣幕に呑まれて半ば無意識で頷いたのだ。奴隷を連れてくれば金品と交換できるのだから、彼としては美味しい話ではある。否はなかった。
かくして具房に引き取られることになった少女。とりあえず屋敷に連れ帰ることとなる。出迎えたお市たちが驚いていたが、事情を説明すると納得してくれた。
「俺だと怖がらせてしまうかもしれない。それとなく事情を聞いておいてくれないか?」
「任せて」
屋敷に連れ帰る際、少女は怯えている様子だった。考えてみると、男ばかりの船に閉じ込められていたのだ。奴隷という身分からして、酷い扱いを受けていたのだろう。であるならば、男がいるのは好ましくない。ここはとりあえず、お市たち女性陣に任せることとした。
お市たちも快諾し、少女を甲斐甲斐しく世話しつつ色々な情報を聞き出してくれた。少女の名前はないーーというか、覚えていないそうだ。記憶があるのは、周りに子どもたちがたくさんいる場所に自分がいたということだけ。ある日突然、船に乗せられて伊勢にやってきたのだという。
話からして、牢屋のような場所に閉じ込められていたのだろう。記憶がないのは、幼いころに拉致されたか、それとも外国で産まれたのかーーそのどちらかだろうと具房は考えた。そして、彼は後者だと思っている。少女の髪や瞳を見れば一目瞭然だった。
金髪碧眼。
顔立ちこそ日本人(アジア系)であるが、髪は(くすんでいるものの)金。瞳は碧。およそ日本人にはあり得ない特徴だ。なぜ彼女にそんな特徴があるのか。それは、片親が日本人ではないからだろう。
(ヨーロッパは人的な交流が多く、混血も進んでいる。金髪碧眼の親ではなくても、先祖返り的にその特質が出てもおかしくはない)
具房はそのように考えていた。奴隷として連れ去られた母親が、マカオなどでヨーロッパ人との間に子どもを産んだ。奴隷が産んだ子もまた奴隷であり、奴隷商に売られたのだろう。痛ましいことである。
(そういえば……)
具房は前世、ポルトガルの史料を読んでいたときに奴隷についての記述があったことを思い出す。リスボンの奴隷市場では黒人のみならず、日本人や中国人も売られていたという。また、マカオなど東アジア地域で活動するポルトガル人は奴隷(日本人や中国人、マレー人など)を現地妻にしていたとも。
こんなことがあってはならない。手の届く範囲でこのようなことは止めさせるべく、具房は運動を始めた。相手は朝廷。天皇の威光を以って、日本における奴隷貿易の中心地・九州での奴隷売買を止めさせるのだ。効果のほどは不明だが、やらないよりはマシである。具房は即日、伊勢を発ち拝謁を願い出た。
驚いたのは朝廷の側である。抜身の刀のような凄い剣幕でやってきた具房に、公家たちはたじろぐ。その気迫に圧されたか、すぐに場が整えられた。
「伊勢中納言。いかがいたした?」
「はっ。本日は火急の用件があり、参上いたしました。先日、南蛮人と会見したのですが、彼らは日の本の民を生口(奴隷)としていると聞き及びました」
「なんと……」
「国外にも売られておるのか」
居並ぶ公卿たちは驚く。戦に濫妨(略奪)はつきものである。そこで攫われた女子どもは奴隷として売られたり、労働力となっていた。国内でそのようなマーケットがあることは周知の事実だが、国外まで広がっているとは予想外である。
「そこで主上に勅を賜りたく」
具房は濫妨や奴隷売買を禁止する勅書を発給してほしいと要請した。奴隷として人を酷使するよりも、仕事を与えて普通の民のように生活させた方が得である、と。伊勢の発展を引き合いに出して、説得に当たった。京でも伊勢の発展ぶりはよく知られている。公家のなかには伊勢参り、熊野詣などで立ち寄ったことがある者もおり、説得力はあった。それは、公家たちから話を聞いている天皇も同じである。
「たしかに、民が売買されるのは朕も許せぬ。中納言の言を容れよう」
「ありがとうございます」
正親町天皇は具房の要請を受け、諸大名に対して濫妨と奴隷売買を止めるようにとの勅を出した。
さらに、九州には奴隷貿易を禁止するようにとも伝えられている。彼らは戦での乱取りで拐ってきた領民を南蛮人に売り、その代金で硝石を買うなどしていた。彼らとしてはなぜバレたのかと困惑したが、朝廷(天皇)から言われた以上、無視するわけにはいかない。撲滅はできなかったものの、隠蔽の必要などから貿易はかなり下火となった。
ところで、なぜ九州だけに奴隷貿易を禁止する勅を出させたのか。それはもうひとつの南蛮貿易の中心地・堺ではそのような行為は行われていないとの確認をとっていたからだ。
会合衆筆頭の宗久に対して、具房は強硬な態度で問いただした。曰く、堺では奴隷貿易を行っているのかいないのか。嘘を吐けば真珠などを金輪際、卸さないーーと。そんなことになれば、彼らは買いつけに来た南蛮人から吊し上げられてしまう。やっていなかったこともあり、宗久はないと回答。その上で、堺商人も日本人奴隷の解放に助力すると約束した。そこには真珠の類を卸す量を増やしてほしいという下心はあったが、資金力という面では心強い。
さらに具房は信長に対しても協力を要請した。
「そんなことがあるのか……」
「ご協力いただけませんか?」
「義弟殿の頼みだからな。もちろんだ」
織田家は硝石の供給をほぼ北畠家に頼っていたこともあり、要請を受け入れた。堺から売るルートはないものの、念のために織田領内での人身売買を禁止するお触れが出された。
具房のこのような働きは、畿内を中心に人身を対象にした濫妨を減らしたと後世で高い評価を得ることになる。
奴隷貿易撲滅のため、各所に働きかけた具房。とりあえずやれることはやった、と伊勢へと帰ってきた。しかし、それで満足はしていない。帰国早々、具房は造船計画に大幅な変更を加えた。それは、ガレオンの建造数を増やすというものだ。新造されたガレオンはマカオへ向かい、日本人奴隷を直接買いつけることにした。その不足分を追加建造するのだ。
「船渠の数も増やしましょう」
「そうだな」
鳥羽成忠の言葉に具房は頷く。成忠は家督を息子・宗忠に譲り、自身は具房の許で相談役をしていた。海軍関係の軍事顧問だ。ちなみに陸軍の顧問は武田信虎である。
そんなことをやっているため、当然だが仕事量は増える。ただでさえ多い仕事がさらに増えた結果、私生活を圧迫してしまった。いつもは日中に仕事を終わらせ、夜は子どもたちの相手をしたりと一家団欒の時間をとる具房。しかし、今は夜も仕事に忙殺され、食事以外ではほとんど家族と接することができていなかった。
「はあ……」
最近、家族に会えていない……と具房はため息を吐く。順調にストレスが溜まっていた。とはいえ、彼には領主としての責任があり、仕事を放棄するわけにはいかない。今は黙々と筆を動かす。
そんな具房が作業するのとは別の机に湯飲みが置かれた。誰かが置いて行ったようだ。気配は感じていたが、悪意はないので無視している。しかし、お礼も言わないというのはいくら何でも無礼だ。
「ありがとう」
とお礼を言う。すると、
「どういたしましテ」
といった具合に、イントネーションのおかしな声が返ってきた。具房はさすがにおかしいと思い、湯呑みを置いた人間を見る。そして目を丸くした。湯呑みを持ってきたのは保護した少女だったのだ。まともにコミュニケーションもとれない状態だったのに、世話をしようというのだから驚くのも無理はない。
思わず具房は少女をまじまじと見る。少女は直接観られるのにはまだ抵抗があるらしく、スススッと逃げて行った。逃亡先は、心配で見守っていたらしい葵の後ろ。……横にはお市や蒔もいるのだが、あくまでも葵の後ろ。ついでにいえば、蒔の方に近い。お市もまた避けられていた。
これは後で聞いた話だが、少女のお世話をした女性陣のうち、お市には最後まで懐かなかったそうだ。内心、思うこともあっただろう。しかし、お市は忍耐強く変わらない態度で接し続けたらしい。それを聞いた具房は、彼女を慰めておいた。気にしてないもん、と言いつつ甘えてきたので、かなり溜まっていたんだなぁ、というのが正直な感想だった。
閑話休題。
逃げた少女に妻たちは苦笑。葵と蒔がなだめている間に、お市が近寄ってきた。
「どうしたんだ?」
「あの子が、お世話になったお返しがしたいって志願したの」
「なるほど」
そういうことか、と納得した。任務の達成度合いはあまり高くはないのだが、それを言ってはいけない。こういうのは気持ちが大事なのだ。
「しかし、名前がないのは不便だな」
「っ!」
葵の後ろで少女は肩を震わせる。自分のことを言っているとわかったからだ。『不便』というのはマイナスな言葉であり、奴隷が主人を不快にさせれば罰を受ける。それが少女にとっての当たり前だった。
「そんなに驚かなくてもいい。別に君が悪いって言っているわけじゃないから」
具房は努めて優しい言葉を選び、話しかける。優しくして警戒心を解いてもらう作戦だ。その効果はあったらしく、少女は葵の後ろから身を半分ほど出していた。イケメンの笑顔はすべてを解決する。イケメンでよかったと思える瞬間だ。
「いいわね、それ」
「……名案」
具房の名前をつけよう作戦にお市や蒔も乗っかる。そして葵は、
「どうします?」
と少女に訊いた。
「お願いしまス」
控え目に頷く少女。奴隷根性が染みついているというか、あまり出しゃばらない性格らしい。猪三の妻・海のようなタイプだ。お市を筆頭に具房の周りの女性は自己主張が激しいタイプが多いため、新鮮だった。
「何がいいかしら?」
任せなさい、と答えたお市だったが、腹案はなかったらしい。困り顔で具房を見る。
「ひとつ考えがあるんだがーー」
そう言いつつ取り出したのは聖書。
「これにはひとりの女性の名前が載っているんだ」
その名はマリア。キリストの生母とされる女性である。具房はその名前に漢字を当て、少女を「毱亜」と名づけることを提案した。
「毱亜か。なら毱ちゃんね」
「……いい名前」
「そうですね」
お市、蒔、葵ともに賛成のようだ。少女の容姿は日本人のそれではない。下手に日本人っぽい名前をつけるより、外国人のような名前にすることで『日本で暮らす外国人』として受け入れてもらおうーー具房はそんな意図があって毱亜という名前にした。
「どうだ?」
少女に訊ねる。妻たちには好評だが、やはり本人の意思が大事だ。赤子ならいざ知らず、少女は十分に好き嫌いを言える年齢。ダメならダメで、また考えればいいだけだ。
「どうーー」
ですか? と葵が具房の言葉を繰り返そうとする。しかしそれを待たずして、少女は小さく、だがはっきりと頷いた。女性陣を介さず意思疎通に成功したのだ。やはり名づけが効いたのだろうか? よくわからないが、ともあれ大きな前進である。
そんなひと幕もありつつ、具房は仕事を続けた。毱亜は頑張ったものの、眠気に負けて眠ってしまった。なので、仕事が終わった時点で残っているのは妻たちだけだ。
「ふう。終わった〜」
うーん、と手を伸ばして伸びをする具房。風呂に入って寝よう、と部屋を出ようとした。しかし、お市たちに行く手を阻まれてしまう。
「動けないんだけど……」
そこ退いて、と具房は言うが、お市たちは不気味なほどの笑顔でその要請を黙殺する。
具房は一歩退いた。お市たちは一歩詰めた。形容し難いプレッシャーが放たれる。
「旦那様。お話があります」
「……何でしょう?」
「毱ちゃんのことよ」
お市は毱亜を引き取ったのはいいものの、これからどうするのかと訊ねてきた。言われてみれば、考えていなかった。葵は、
「太郎様以外の殿方は怖がっていますし、太郎様が面倒を見るしかないと思います」
「それってーー」
「……毱亜も御所様の側室にする」
蒔がすっぱり言ってしまった。あ、やっぱり……と具房。この時代、女性がひとりで生きていくことはまずない。男性の庇護が必要なのだ。しかし、毱亜は具房以外の男とまともに接することができない。時間があれば話は変わるかもしれないが、彼女は結婚適齢期と思われる。猶予はなかった。
「いや、しかしだな……」
「……諦める」
「諦めましょう」
「諦めなさい」
妻たちから言われるも、具房は諦め悪く本人の意思に任せるとした。ところが、本人がそれを望んだのだから受け入れるしかない。かくして毱亜が新たな側室に加わることとなった。
【解説】南蛮貿易
皆さんは南蛮貿易に対してどのような印象をお持ちでしょうか? 歴史の教科書などを見てみると、ヨーロッパ人との初めての接触であり、西洋の文物がもたらされたーーと、いい面ばかり書かれています。しかしながら、実態はそんないいものではありません。記録では、島津氏が硝石を得るために乱取りで捕らえた若い女性を売り払っていました。
現代と当時の常識は違うため、歴史を語る上ではその点を考慮する必要があります。いうなれば、冷酷なまでの客観性を持つことですね。とはいえ、物事は多角的に見る必要があります。教科書に書いてあることを鵜呑みにせず、自分なりに調べた上での歴史観を持っていただきたいと思います。本作で戦国史の暗い側面を出しているのは、そのきっかけになればいいなと考えているからです。
コロナが流行って外出はできませんが、ネットを使った調べ物はできます。Wikipediaではなく、国立国会図書館のHPなどを使って歴史学的なアプローチで気になる歴史的事件を調べてみてください。意外な事実がわかるかもしれませんよ?