南蛮人
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具房が武田軍との対決に向けて奔走していると、津に今井宗久からの使いがやってきた。面会を求められ、城で会談する。
「お忙しいなか、お時間をとっていただきありがとうございます」
使者は慇懃に頭を下げる。それは純粋な感謝ではなく、お前の動きは掴んでいるからなというアピールでもあった。マウントをとりにきているわけだが、具房に自分の動向を秘密にした覚えはない。それがどうした? というのが正直なところだ。
「今日はどういう用向きかな?」
津にある納屋の支店から使いがやってくることはよくある。しかし、今回は堺の本店から来ていた。そういう場合はだいたい宗久自身が来て商談をするのだが、対面しているのはただの使者である。もちろん、納屋の偉い人である可能性はあるわけだが、
(そういう人間の顔は、だいたい覚えたはずなんだけど……)
具房に見覚えはなかった。可能性としては彼が忘れている、あるいは新顔であることが考えられる。前者はともかくとして、後者なら宗久が連れてきて紹介するはずだ。だからあり得ない。
用件がさっぱりわからず、ならばと素直に訊ねたのだ。故人曰く、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。少し大袈裟かもしれないが。
「南蛮人を紹介するという件なのですが、先日、先方が到着しました」
曰く、宗久自ら津まで案内している。そのため、自分が代わりに来たのだという。
「っ! そうか」
いよいよやってきたーーまず具房はそう思った。勝負のときだ。
彼が南蛮人を津に招待するのにはいくつかの理由がある。第一に、堺商人を介さない交易路の構築だ。火薬を織田家に供給しているが、あまり大量に供給すると、出所が怪しまれる。信長だって馬鹿ではない。堺から北畠家が購入する硝石の量を調べているはずだ。そこから疑問に思われ、硝石を北畠家が独自に製造していることがバレる危険があった。堺商人を介さないことで、それを秘匿することができる。そんなリスクヘッジという理由がひとつ。
第二に、南蛮人に対する純粋な興味だ。江戸時代に南蛮貿易が途絶えたのは、イエズス会による日本植民地化計画が露見したから云々……という説がある。植民地化計画は事実だが、それが貿易停止の直接的な原因かどうかは疑問だ。
それはさておき、具房は南蛮人と直接会い、評価をつけようとしていた。今後、南蛮人と付き合うべきか。それとも距離を置くべきか。グローバル化が叫ばれる現代でさえ、大なり小なり人種差別が存在する。具房は仕方がないことだと諦めてはいるが、それを甘受すべきか否かはまた別問題。あまりにも酷いようなら、少し距離をとることも考える必要があった。
「船でやってくるので断言はできませんが、あと数日で到着いたします」
「承知した。こちらも準備しておこう」
具房は面会を終えると、すぐに準備にとりかかった。南蛮人には数日間、津に滞在してもらう。そのため、城に設けられた迎賓館の用意をさせたり、食事のメニューを考えたりと。やることは意外に多いそうこうしているうちに、先触れの船が入港した。
「南蛮人か。興味あるわね」
「どんな方なのでしょう?」
出迎えのため、具房は城を出る。そんな彼を見送りに来ていたお市や葵は、南蛮人に興味を持っているようだ。とはいえ、彼女たちが接することはまずない。部署違いであるし、そもそも男尊女卑が強い時代だ。国内であれば具房の権威・権力が通用するが、外国人にはそんなものは関係ない。相手の心象を悪くしないよう、今回は接触させないことにした。
ただ、例外はいる。護衛の蒔だ。彼女は女中に扮して具房に近侍することになっている。万一、彼に害が及ぶようなときには護衛として対処するのだ。
「……御所様はわたしが守ります」
「お願いね」
やる気の蒔に、お市が念押しする。具房も剣術の達人(塚原卜伝も公認)なわけだが、大将が戦うのは最終手段だ。蒔の存在はとても重要なのである。
「じゃあ、行ってくる」
「「行ってらっしゃい(ませ)」」
妻二人に見送られ、具房は港へと向かう。
津の港には、ガレオンが何隻か停泊している。その多くが蝦夷地(北海道)から帰ってきた船だ。北畠家の産業を支える重要な航路である。北条家と敵対したことで存続が危ぶまれたが、里見氏が頑張ってくれていた。彼らも、貴重な品々をもたらすルートを失いたくはないようだ。
ガレオンには大勢の人夫によって貨物が積み込まれていく。長距離を航海した船員には一ヶ月余りの休暇が与えられるが、船は重大な損傷がない限りすぐさま船員を交代させて海へ出るのだ。
そこへ、一隻のガレオンと和船が入港してきた。
「あれか」
具房はすぐに、それが南蛮人が乗った船だと断定した。当てずっぽうではなく、ちゃんと理由がある。
慢性的に不足しているガレオンは、長距離航路(蝦夷地便)にしか未だに就航していない。また、武田や北条など、北畠家と敵対する勢力が支配する地域を通るため、襲撃の危険がある。そこで船団を組むようにしていた。四隻が最小単位であり、決して一隻で航海することはない。
さらに、ガレオンと和船というちぐはぐな組み合わせも、北畠海軍ではあり得ない。だから、あれが南蛮人の乗る船だとわかったのだ。
入港した船は着岸し、人を降ろす。先に降りてきたのは今井宗久。
「お久しぶりでございます」
「うむ。息災そうで何よりだ」
「お約束通り、南蛮人を招待いたしました」
「感謝する」
具房は謝辞を述べる。挨拶をしている間に、ガレオンから人が降りてきた。一般にイメージする西洋人は金髪碧眼だが、現れた南蛮人は黒髪に茶色い目であった。ストッキングを穿いてひだ襟をつけている。服装は、典型的な中世ヨーロッパ人だ。
「%¥#」
「はじめまして、と申しております」
通訳がポルトガル語を日本語に直してくれる。具房が喋れば、逆に日本語をポルトガル語化するのであろう。しかし具房は答えなかった。どうしたんだろう? という空気が流れる。
具房はそんな空気を気にすることなく、懐から一枚の紙を取り出した。それを南蛮人の前で広げると、驚かれる。なぜならその紙に、
『ようこそ伊勢へ。歓迎する』
とラテン語で書かれていたからだ。
なぜ具房がラテン語を書くことができるのか。それは、前世の彼が大学院にいたときに学んだからだ。
論文をなかなか認めないことから「撃墜王」との異名をとっていた指導教授。彼のおかげで博士号をなかなか得られずにいた具房は、研究に役立つかもしれないとスペインやポルトガル、オランダの史料を読んでいた。中世の史料にはほぼラテン語が使われている。ゆえに、読み解くにはラテン語の習得は必須だったのだ。
開幕の一撃が猛烈なインパクトを与えたため、それからしばらく、一行の話はなぜ具房がラテン語を使えるのかに絞られた。まさか前世で学びましたとは言えないので、聖書を手に入れて読んだのだと答える。もちろん出鱈目だ。だが実際にラテン語で書かれた聖書は持っているので、怪しまれるようならそれを見せれば解決する。もっとも宗久たちはその話を信じており、異国の言葉をも会得するとは……と感心していたが。
その話が落ち着いた段階で自己紹介が行われた。南蛮人の名前はマリオ・カルロス・リスボアというらしい。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人は互いに握手をした。ここまで話したところで本題に入る。具房は交易船を津まで派遣してもらうことを要請した。商ってもらう商品(生糸や陶磁器など)のサンプルを見せてプレゼンする。
「どれも明のものと遜色ない。喜んで買いましょう」
商品を吟味していたマリオは大きく頷き、交易船の派遣に前向きな姿勢を見せる。この時代、航海はとても危険だ。そのことを考えると、中国よりもさらに遠い日本と(中国と同じ商品で)交易するのは難しい。だが、生糸や陶磁器はヨーロッパで法外な値段で売れる。もちろん、一番のブランドは中国製品だ。しかしマリオは、目の前の品物がそれに劣るとは思えなかった。最初は利益が少ないかもしれないが、後々、大きな商売になるはず。ならば、多少の損失は甘受すべきだ。
「それで、どれほど卸していただけますか?」
「今回、来航した船の積荷を満杯にするだけの量は約束しよう」
今や伊勢産の製品は日本の市場を席巻しつつあった。この時代、贅沢品を買うような人間は限られている。だから一国の産業でも、それなりにしっかりしていれば十分に需要を満たせていた。
しかし、購買層が限られているため、生産量が増大し続ければ過剰生産に陥る可能性がある。そこで貸衣装などを始めていた。結婚式や成人式(元服、裳着)くらい、晴れやかな衣装を着てみませんか? と北畠領の他、京や堺に店をオープンさせている。絹服を着る層を、農民や町人に広めようという狙いだ。貸衣装なら恒久的な需要がある。
とはいえ、普及には時間がかかる。そこで、需要があって手っ取り早く売れるヨーロッパへ輸出しよう、となったわけだ。問題は売れるかだが、それはやってくる南蛮人次第。とはいえ暴利を貪っているわけだから、多少の損益には目を瞑るだろう、というのが具房の予測だった。競合している中国市場より、ほぼ独占できる日本市場で商品を仕入れるメリットは大きい。
だが、彼我の間に品質の差はないとしても、ブランド力の差は存在する。時間とともに解消されるだろうが、損失が出るのは確かだ。そこで具房は、損失を補填する手段を提示する。それが、江戸時代に中国向けに盛んに輸出された俵物(フカヒレ、アワビ、ナマコ)だった。
「いずれも明では高級食材として知られています。高く売れますよ」
具房の言葉の裏にあるのは、これで手を打ってほしいということだ。こちらは例によって委託販売とし、利益の一定割合を北畠家に納めることとする。ただ、逃げられる可能性がないとはいえない。そこで津に出張所を設け、品物を商うことになった。いわば担保であり、逃げた場合は差し押さえられる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
その条件で、マリオとの間で契約が結ばれた。
夜は食事会。誰か賓客が来ると食事会を開くのは、もはや恒例となりつつあった。今回は南蛮人のマリオがいるため、洋食となっている。洋食レストランを模した城の一室に案内されたマリオは、日本にこんな場所があるとは思わなかった、と驚いていた。宗久も、
「こんなところがあったのですか……」
「ええ。南蛮人が来たときのために」
日常的に使っているとは言わなかった。これから出す料理を見れば、糾弾されるかもしれないからだ。
その懸念通り、出されたコース料理を見た宗久は眉を潜める。
「牛の肉ですか……」
「南蛮人は好んで食べるそうだ。食べたくないなら、無理して食べる必要はないぞ」
「いえ。いただきます」
宗久は食べる選択をした。彼は商人。仏教が禁じる欲に忠実な人間だ。今さらだと思ったのだろう。目の前に置かれた肉料理ーー牛肉の赤ワイン煮込みを食べる。
「これは……!」
美味かった。肉の旨味が口いっぱいに広がる。これだけ美味しいなら南蛮人が好んで食べるのも納得できた。
しかし、驚いているのは宗久だけではない。南蛮人であるマリオもまた、洗練された料理に驚く。美食の国フランスはこの時代、ど田舎である。田舎に美食が生まれるはずもなく、フランス料理は未だ地球上に存在していない。ヨーロッパの人間が日本で初めてフランス料理を食べる。何とも破茶滅茶な歴史である。
その後、マリオは伊勢の領内を見学していった。堺で買いつける品物(真珠や絹)のほぼすべてが伊勢で生産された物だ。なので、彼には富の源泉を窺い知ろうという魂胆があった。それは具房も百も承知で、核心部分(真珠なら養殖風景、絹なら養蚕の現場)は見せていない。
そうこうしているうちに、滞在期限を迎えた。
「お世話になりました」
「こちらこそ」
結論からいえば、マリオを招待して正解だった。具房が想像していたよりも、この時代のヨーロッパ人は親しみやすいらしい。これなら鎖国などの防衛策を取らなくてもいいーーこのときの具房はそう考えていた。
しかし、その認識はマリオとの別れ際で一気に転換を迫られることとなる。