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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第六章
67/226

競馬と軍事、そしてお市

 



 ーーーーーー




 具房が考え出した金儲けの手段は宝くじだけではない。競馬もそのひとつだ。


 競馬


 世の中のおじさんが日々、歓喜したり絶叫したりする代表的な賭博である。ちなみに喜の要素を一とすれば、悲の要素は百くらいだろう。そんな競馬を具房は金策の手段、そして何より娯楽として導入した。


「鈴鹿に?」


「うむ。そこに競馬場を造るのだ」


 具房は鈴鹿に競馬場を造るように命じた。なぜそこかというと、現代日本でサーキットがあるからだ。サーキットでは車かバイクが走るが、この時代において、馬はそれらの代わりといえる。だから鈴鹿に競馬場を造らせるのだ。


 とはいえ、重機などないため建設にはかなりの時間が必要だ。そこで、まずは競馬とはどのようなものか理解し親しんでもらうべく、津近郊に臨時の競馬場を設けた。


「軍の演習場ですか?」


「三旗衆の騎兵隊のため、用地を押さえていたのだ。普段は騎兵が使い、大きめの演習を行うときは他の隊も使うのだ」


 具房は演習場を流用した。騎馬隊が使う予定だったので、馬が駆け回るだけの十分な広さがある。


 競馬は本来、競走馬にプロのジョッキーが乗って走るのだが、そんなことができるわけなかった。ではどうするのかというと、軍馬に軍人(騎兵)が乗って走るのだ。


 そもそも日本において、競馬と軍事は切っても切れない縁がある。日露戦争で欧米の軍隊と実際に戦った結果として、軍馬の質が劣っていることを痛感した。専門の部署を設けるなど、良質な軍馬を得るために対策を講じている。つまり、競馬は軍備増強の一環として始まったのである。


 しかし、問題なのは何を以って『優秀な軍馬』とするのか、ということだった。客観的な証拠がないのである。色々と考えた結果、勝負させて速い方が優秀! ということになる。具房が度々用いている競争原理だ。


 とはいえ、ことはそう単純ではない。馬の飼育には金が必要だからだ。飼料はもちろん、外国から優秀な種馬を買うためにも金が要る。ところが、日露戦争後の日本は借金塗れ。金がかかることはそうそうできない。そこで賭博という手段が考えられた。賭博をして資金を自弁しようというのである。


 具房もその方法に従うことにした。北畠家の財政は借金塗れというわけではない。だが、常識で考えて借金をしていいはずがなかった。


 競馬を開催するという告知は、津城下で高札を立てて告知した。また、出走する騎兵科の兵士からも今度、こんなことがあるんだ、という口コミで伝わっている。そのためか、集客はなかなかのものだった。


「なかなかの人出ね」


 一緒に来ていたお市が人の多さに驚く。信長が武芸の鍛錬で乗馬をしている姿を見ていた彼女。そのとき馬と触れあい、馬が好きになったらしい。だから競馬の話を聞くと、同行を熱烈に希望した。


「そうだな。だが、鈴鹿に造る競馬場はもっと大きいぞ」


 賭け事は規模が大きければ大きいほど利益が大きい。鈴鹿の競馬場は、スタジアムのように客席が階段場になっている。しかし、今回は臨時の設備なので、収入には期待していない。本当に、今回は競馬のシステムを周知させることが目的だった。


「楽しみにしてるわ」


「おう」


 さり気なく鈴鹿にも連れて行け、と言うお市。具房はそれだけ好きなら、と了承した。


 二人は陣幕で区切られたVIP席に陣取り、競馬を見る。折角だから具房たちも賭けることにした。


「一番の馬を当てるのよね?」


「ああ」


 お市の質問に頷く具房。現代日本における競馬には三連単に三連複、馬連などなど、様々な種類の馬券がある。しかし、複雑で初心者にはさっぱりわからない。何よりも親しんでもらうことが大事なので、馬券は一等を当てるものに統一していた。


馬見パドックのことでの様子を見て、どの馬がいいかを決めるんだ」


 区画ごとに人員が配置されており、レース開始までに観客から馬券の注文を受ける。スタッフの子どもたちが小さな身体を活かして、ちょこちょこ慌ただしく動き回っていた。もっとも具房たちのところは忙しくなく、まだかなといわんばかりに女の子が注文待ちをしている。


「飴はいるか?」


「ありがとうございます!」


 具房はそれほど真面目にやる気がない。適当に一番と決めており、さっさと注文している。お市はさすが信長の妹で、やるからには勝ちたいらしい。パドックを歩く馬を見て、あーでもないこーでもないとぶつぶつ独り言を言っていた。


 これは長くなるぞ、と具房は思った。一度戻ってもらおうかとも考えたが、彼女も仕事をしているのだ。それは失礼である。とはいえ子どもには辛かろうと気を紛らわせることとした。それが飴である。子どもたちのために、常にいくつか持っているのだ。


 女の子は嬉しそうに飴を口の中で転がす。他の子には秘密だぞ、と念を押す。特別扱いではない。


「う〜ん。三番の松浪もいいけど、七番の梢も速そうね……」


 メガホンで馬の特徴が紹介されていた。曰く、松波は走るのが抜群に速いが、体力に難がある。梢は走るのはそれほど速くないが、体力は抜群なのだという。


「松波が突っ切るかもしれないし、梢が後ろから抜くかも。悩むわ」


 お市、ガチで当てにかかっている。具房はちょっと引いた。彼にできたのは、話を振られないように女の子の相手をすることだけだった。


「決めた!」


 悩み抜いた末に、お市は松波の馬券を買う。彼女曰く、一番になるなら最初から最後まで一番じゃないとダメらしい。何とも彼女らしい理由だ。


 そして始まったレース。序盤から抜け出したのは、前評判の通り松波だった。馬体ひとつほど開けて先行する。その後ろの集団に梢がいた。


 具房が何となく馬券を買った一番の馬は、最下位争いをしている。


(あ、ダメみたいですね)


 早々に諦める具房。スタート直後に諦めるのは早いというかもしれないが、先頭集団と距離が離れすぎている。さすがにここからの挽回は無理だった。


 順位はスタートからほとんど動かず、レースは最終盤にさしかかる。最終コーナーを回って直線に入ったのだ。


「行け! 走れ! 逃げ切れえッ!」


「頼むぞ、松波!」


 観客の声援が盛り上がる。金が増えて返ってくるか、なくなるかの瀬戸際だ。突然、熱くなる。


 その声援に応えるかのように、騎手は一斉に馬に鞭を打つ! 彼らも着順によって出る賞金を狙い、必死なのだ。お金のために努力を惜しまない人間たちの姿がそこにはあった。


「行けーッ! 頑張れーッ! 松波ーッ!」


 お市も興奮し、横で叫んでいる。


 しかし、ここで事件発生。各馬一斉にラストスパートに入ったのだが、松波がガクンと速度を落としたのだ。瞬く間に縮まる距離。そして、


「「あ……」」


 二番手につけていた梢が集団から抜け出し松波に肉薄ーーしたかと思えば一気に抜いてゴール。あっという間の逆転だった。


「「「ああ〜」」」


 会場では落胆した声が多数上がる。賭けていた人々の心からの声であった。一方、


「「やったーッ!」」


「よくやったぞ、梢〜ッ!」


 このように歓喜の声も上がっていた。松波よりもやや少ないことから、一番人気が松波、二番が梢だったようだ。


「負けたわ」


 お市は馬券の木札をポイッと投げ捨てた。やさぐれている。負けて悔しいのはわかるが、いい大人なんだからと具房は思ってしまう。それを口にしないだけの分別はあるが。


「ま、まあお市。今日はこれだけではないからーー」


 元気出せ、と言い終えるまもなくお市が詰め寄ってきた。


「もう一回あるの!?」


(あ、これ勝つまで帰らないパターンだ)


 具房は察した。教えたのは失敗だったかと思ったが、急いで帰らせてもすぐにバレてしまう。それで機嫌を悪くされるより、最初から白状していた方がマシだ。


「よーし。もう一回、やるわよ!」


 今度こそ当ててみせる! とやる気になるお市。具房は早く帰れるように祈ったが、願い虚しく午前に行われたレースすべてに参加する羽目になる。しかも、お市が見込んだ馬はことごとく二位や三位で終わり、勝つことはできなかった。


「む〜っ」


 お市、お怒りである。もう一回やろう、と顔に書いてあった。実際、午後にもレースはある。だが、今回は視察であって、プライベートで競馬に参加しているわけではない。予定もかなり狂っており、さすがに軌道修正しなければならなかった。


「もう昼だ。まずは腹ごしらえをしよう」


 腹が減っては戦はできぬと言うからな、と具房はお市を説得する。それもそうね、と彼女も納得した。


「絶対に勝つ!」


 そんなお市は昼に猪肉のカツ丼を注文した。「カツ」と「勝つ」と解釈する験担ぎを教えたのは具房である。こんなことになるとは想像しておらず、具房は失敗したと内心思っていた。


「なあ……」


「どうしたの?」


「次は別のところに行かないか?」


 具房は少し躊躇ったが、思い切って言ってみた。視察の予定が狂いまくっており(本来、視察は午前で終わるはずだった)、さっさと視察を終わらせたいのだと。お市はえー、とブーイング。競馬で負け続けたのがよほど悔しいらしい。


 しかし、具房も無策で提案したわけではない。代替手段を用意していた。それはばんえい競馬である。


「何それ?」


輓馬ばんばが大きな荷駄ソリを曳く競馬だから『ばんえい(輓曳)競馬』だ」


 北畠家では馬は軍馬と役馬の二種類に分類されている。軍馬は馬のなかでも選ばれた個体のみがなることができ、騎馬として利用されていた。午前中に走っていたのはこの軍馬である。


 一方、役馬とは農作や物資の運搬に使われる馬のこと。個人で飼育している者もいるが、主流なのは国営の牧場で育てられた馬をレンタルするスタイルだ。ちなみに、牧場は伊賀にある。日本馬は粗食(草など)でも生きていけるため、飼育頭数はかなり多い。


「環境を変えるのが一番だろう」


 勝つために種目を変えよう、と具房は諭す。


「それもそうね」


 お市も納得した。というわけで、午後はばんえい競馬をやっている場所にやってきた。そこでは大量の米俵を積んだソリを、馬が必死に引っ張っている。


「競馬とはまた違った迫力があるわね」


「だろ?」


 今はエキシビションが行われており、馬が曳くソリと同じものを人間が数人がかりで引きずっている。だが、ほとんど動いていない。これを見れば、いかに人間が非力な存在かがよくわかった。


 コースを疾走する普通の競馬もいいが、ばんえい競馬では見逃されがちな馬の力強さを体感できる。お市が言った通り、前者とは違う迫力があった。


 普通の競馬とは違って、ばんえい競馬には軍事的な意味はほとんどない。足が他の馬と比べてどれだけ速いかが重要な軍馬と違い、ばんえい競馬に使われる駄馬(役馬)では人よりも強い力があることが重要だ。足の速さは問題にならない。


「人気は武蔵号か」


「大和号も人気ね」


 ソリに繋がれる馬に対する声援を聞き、二人は人気を予測する。お市が負け続けてリベンジに燃えているわけだが、具房も似たようなものだった。


(どうでもいい、って適当に選んでたけど、いざ負けると悔しいな……)


 一度や二度は気にしないが、ずっと負け続けるのは納得いかなかった。当てにいっていないのだから仕方ないとはいえ、本気を出していないのだ。虚勢でも何でもなく。だから、本気で当てにいけば当たるのではないかーーそんな危険思考が具房のなかに芽生えていた。


「一番人気の武蔵にするわ」


「俺も」


 お市は例によって一番大好きゆえに。具房は安定と信頼の一番人気を。結果、


「負けた……」


「あと少しだったのに……」


 二人が応援していた武蔵号は、終盤に大和号に逆転されてしまった。


「次!」


 負けたことに頓着せず、二人はひたすら挑み続けた。レースの度に一番人気の馬を選ぶのだが、ことごとくダークホースに逆転されてしまう。


 そして、すっかり日が暮れ最終レースになる。


「頼む……」


「お願い……」


 馬券を握り締め、二人はただ祈る。選んだのは当然、一番人気の馬(長門号)だ。


 ジャーン! とスタートを告げる鐘が鳴るや、一斉に馬が動き出す。


 先頭に立ったのは長門号ーーではなく二番人気だった陸奥号。具房たちの脳裏にこれまでの悪夢(二番人気以下のダークホースにやられた)が浮かぶ。レースは終盤にある斜面まで動かず、その予想が現実となりつつあった。


 だが、ここで奇跡が起こる。これまで快調に先頭を走っていた陸奥号が、斜面をなかなか登れず苦戦したのだ。なんとか登りきったものの、後続集団に追いつかれてしまう。そのなかには、二人が応援する長門号もいた。


 下りはほぼ横並び。勝負は最後の直線になる。騎手が鞭を打つ。行け! 走れ! と観客も盛り上がる。具房はただ祈った。しかしお市は黙っていられず、


「長門! 漢を見せなさい!」


 とひと際大きな声で発破をかける。その声が通じたものか、ラストで長門号が首ひとつ抜け出してゴールイン! 一位は長門号となった。


「「やった!」」


 二人は一目も憚らず抱き合う。まるで万馬券を当てたかのような喜びようだが、一番人気の馬ゆえに配当は雀の涙。今日賭けた額よりも少ないため、損している。とはいえ、これまで外れまくっていただけに、喜びも一入だ。


 よかったよかった、と二人は大満足で城に帰る。だが、二人は満足していても、満足できていない者がいた。


「お帰りなさいませ」


「……お帰りなさい」


「ただい……ま?」


 出迎えた葵と蒔。その二人からただならぬオーラを感じ、具房は思わずたじろぐ。


「どうしたの二人とも。そんな怖い顔して?」


 馬券が当たったことが嬉しいのか、すっかりハイテンションになったお市が訊ねる。だがそれは、火にガソリンを注ぐ蛮行だった。


「なぜ? なぜならそれはーーこんな時間まで賭博をしているからですよ! 立場をお考えください!」


 葵が怒りを爆発させる。横では蒔もうんうんと頷いていた。


「……午後はお休みのはずだったのに」


 そう。お市に付き合った結果、午後の休みが吹き飛んだのだ。家族サービスのため、何とか捻出した貴重な時間である。それがなくなった理由がギャンブルにのめり込んでいたためなのだから、怒るのは当然だ。


「すまん」


「ごめん」


 素直に謝る。二人だけでなく、子どもたちも含めて。子どもたちは遊びの時間を増やすという条件であっさりと許してくれたが、二人の機嫌を直すのには半月ほど必要だった。


 もうギャンブルはやらない。


 具房は謝り倒しつつ、そう誓った。







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― 新着の感想 ―
[一言] 競馬をも思いつくとは考えたものだ。 でも夢中になって家族を蔑ろにするのは考え物だね。 賭け事は程々にね(笑)
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