金策と宝くじ
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京でのあれこれを終え、伊勢に帰ることができた具房。だが、いつまでも休んではいられない。少し休むと、すぐに仕事にとりかかった。まず足を運んだのは、城下にある研究所。そこで兵器の開発状況を直接確認する。
「まだできていないか……」
「申し訳ありません」
「いや、責めているわけではない」
開発担当者が頭を下げる。ボルトアクション式の小銃は、プロトタイプといえる竜舌号から停滞していた。小型化には成功しているものの、安定した量産が難しい。流れ作業で効率化するにしても、職人の育成などにかかる時間がまだまだ必要だった。
対武田決戦兵器として開発していたこともあり、残念ではある。それでも手榴弾や擲弾があるのだから、贅沢はいえない。具房はこれからも頑張ってくれ、と激励して研究所を後にした。
次に向かったのは町の外れにある軍の駐屯地。門に『津駐屯地』と書かれたそこでは、具房の近衛部隊である三旗衆(約五千)の将兵たちが生活していた。
「ようこそいらっしゃいました」
駐屯地に馬に乗ってやってきた具房を、六角義治が出迎えた。彼は雪部隊の指揮官だが、上役の猪三が書類仕事を苦手にしているため、部隊の事務仕事も引き受けていた。猪三は訓練か書類にサインするためにしか駐屯地を訪れないので、彼が部隊の実質的な司令官である。
「新入りはどうだ?」
北畠軍は冬に新兵が各駐屯地に入る。去年の武田戦で消耗したので、例年より多くの兵を募っていた。これにあわせて精鋭の三旗衆にも補充の兵がかなり入っていた。今は新入りと古参の息を合わせる訓練が重点的に行われている。具房はその仕上がり具合を訊ねたのだ。
「連携はかなりとれるようになってきました。これなら使いものになるでしょう」
義治は仕上がりは上々だと自信を覗かせた。精強で知られる武田軍を打ち負かしてやる、といわんばかりだ。前回、彼は伊勢で留守番だった。武士として、強敵と戦いたいというところなのだろう。具房は内心で、この戦闘狂め……と毒づいた。楽に勝てて悪いことはなく、戦わないことに越したことはないのだ。
「兵たちも張り切っており、訓練にも熱が入っております」
ただ……と急に口籠もる義治。何か問題でもあるのかと心配する具房だが、それは問題といえるほどの問題ではなかった。端的にいえば、訓練に熱が入りすぎて備品の消耗が激しいのだ。怪我の手当てで使う医薬品や銃とは違って撃ち放題の弓矢を中心に、普段の倍ほど損耗していた。その結果、今月の経費が高くなるとのことだ。
「熱心なのはいいが、ほどほどにな」
何事もやり過ぎはよくない。訓練に打ち込むのはいいが、オーバーワークになると大怪我を負い、その努力は無駄になるかもしれないのだ。具房は注意するように言っておく。
(佐之助……いや、薫の方がいいな)
大蔵奉行所から役人を出して会計監査をさせることにした。訓練をすることは問題ないが、無駄に金を使うことは許されない。すべて民から預かったものなのだから、一銭も無駄にはできないのだ。ちなみに薫を選んだのは、佐之助だと軍人に凄まれて逃げ帰ってきそうなイメージがあったからである。薫も実家(今井家)に不正な利益供与をしないか心配なので、補佐に三井を入れて監視させることにした。
その後も具房は領内のあちこちを回った。伊勢では日夜フル稼働する造船所や伊勢兵団が駐屯する長島駐屯地。志摩では真珠の養殖場。伊賀では軍馬を飼っている牧場。大和では支配拠点として改築の進む多聞山城。紀伊では猛訓練を積む海軍などなど。それらを通して痛感したことが、
「金がない」
ということだった。
兵士には給料が発生する。ひとりひとりは安くとも、それが数万ともなればかなりの額だ。加えて、前回の戦いで戦死傷した将兵への慰問金の支払いもある。
馬を飼うのにも金が必要だ。飼料は自弁できるが、繁殖は他所から新しい馬を連れてこなければならない。牧場内だけでは血が濃くなるからだ。
城の築城にも、人夫への手当てなどで金が飛んでいく。北畠家の経済規模は領土のわりに大きく、織田家とそう変わらない。いや、織田家を筆頭に友好的な大名に武器などを大量に売っているので、むしろ財政的な規模は大きいかもしれなかった。だが、その潤沢な資金力を以ってしても金が足りない。
「財政が赤字になりそうです」
大蔵奉行である佐之助は、より客観的な証拠(書類)を持ってきて、財政が火の車であることを示した。
金が必要だ。具房はどう金策したものかと頭を悩ませる。脳内のマリーが『お金がないなら、借りちゃえばいいじゃない』などとほざいているが、借金はダメだ。それは本当に万策尽きたときの最終手段。未来の世代のためにも、借金はしてはいけない。借金、ダメ、絶対。
ということで借金以外の方法を考え、思いついた手段はギャンブルだった。IR法案で依存症などが取り沙汰され、現代日本では敬遠されているギャンブル。だが、日本語訳すれば「博打」「投機」であり、そのなかには日本人が受け入れているものもあった。
例えば宝くじ。一口数百円で応募し、ゼロか一等何億円という大金を手にするか。そのスリル(ドキドキ感)を味わうものだ。これは立派なギャンブルであろう。しかし、日本人はこれに忌避感を抱くことなく、むしろ『〜ジャンボだ!』と夢を求めてチャンスセンターに並んでいる。
株取引もギャンブルに相当する。日々、変動する株価を先読みし、株を売買。そのときの差額で儲ける。運悪く不況にぶち当たれば、何千万、何億という金を損失するだろう。これをギャンブルと言わずして何と言うのか。
「佐之助、金を稼ぐぞ」
「?」
どうやって? と首をかしげる佐之助。具房は何も言わず、旅の準備をするように命じた。
そしてやってきたのは興福寺。古都・奈良のなかでも特に有力な寺社だ。具房のお供は佐之助と大和支配を任されている叔父・具親。
「急にどうしたのだ?」
何も聞かされず、突然お呼びがかかって困惑していた。しかし具房は答えず、逆に質問する。
「お願いしたものは用意していただけましたか?」
「ん? あ、ああ。用意してあるぞ」
具房は事前に、大きな木箱と数字(1〜9)が書かれた木札を六組、そして大量の紙を用意するように言っていた。具親は何に使うのかさっぱりわからないものの、用意はしてあった。
「よしよし」
頷く具房。彼はすぐに、活版印刷機を使って六桁の数字を紙に印字するよう命じた。紙の両端に数字を印字し、中央に印を押す。紙は半分に割いて勘合のようにした。
「何をするのですか?」
「くじだ」
佐之助が質問すると、具房はようやく狙いを口にした。そう。具房がやろうとしていたのは宝くじだ。現代の宝くじの寺銭(配当に充てられない金)は約五割。競馬が二割五分、パチンコが一割五分なので、宝くじがいかに美味しい商売かわかるというものだ。
具房は領内にある寺社で宝くじを行わせることにした。『〜様で運試し!』と銘打ち、くじを売る。一口十文(120円)。一等は百貫文、二等は十貫文……と告知して、人々の金銭欲を煽った。庶民はもちろん、参詣した公家も買っていく。
「おいらは十口だ!」
「なら、二十!」
「三十くれ!」
庶民は競うように注文し、寺の小僧が休む間もなくせっせとくじを運んでいた。
大口の客はやはり公家で、
「三百ほどいただきまひょ」
「千もらいます」
「五千くださいな」
と百から千単位で注文してくれた。半家が百口買えば、名家や羽林家はそれ以上を買う。こんな調子で購入するから大臣家、清華家、摂家と家格が上がるほど購入量は増えていった。寺社詣の途中なので、公家は団体でやってくる。その結果、下の家柄の家よりも多く買うのだ、という競争が生まれていた。家名だとか家格だとか、彼らには色々と守るべきものがあるのだ。
(狙い通り)
具房はその様子を見てほくそ笑む。公家が宝くじを大人買いすることは予測していた。公家の経済状況は以前からすれば大きく改善されている。しかし、下級の公家はその日食べる物に困るというレベルではないものの、依然として生活は苦しい。だから一発逆転を狙って宝くじを買う。上級の公家も、もっといい暮らしがしたいと宝くじを買うのだ。よりよい生活を追求するのは、人間の性である。
懸念材料は、宝くじが『低俗なもの』として敬遠されることだった。それを回避するために寺社を巻き込んだのだ。効果は覿面。人々は忌避感を抱くことなく、挙ってくじを買い求めていた。なお、場所代として寺社には売り上げの一割を寄付している。彼らも金が手に入って嬉しい。
結局、宝くじは用意していた分すべてが完売した。そして抽選の日。興福寺の境内には人間が犇いていた。公家は召使いが来ているところもあれば、本人が来ているところもある。本人が来ている場合は警備などの関係上、寺院のなかに作った待機場にいてもらった。
抽選方法は、木箱に入っている木札を槍で刺すというもの。公平性を担保するため、群衆の前で札を掲示。それを無造作に投げ入れることにしている。さらに群衆のなかから槍を突く人物を選んでいる。21人裁判のごときやらせはもちろんない。
「六等、(下ひと桁)7!」
六等の当選金額は十文。ひと口分であり、大した額でもないのであまり騒がれない。それから五等、四等……と当選番号が明らかになっていく。投資した額以上の金が返ってきた者は喜び、まだ当たっていない者は期待に胸を膨らませる。
三等や二等は高額(三等:一貫文、二等:十貫文)ということもあり、当たった人間はお祭り騒ぎとなっている。当選者は公家や武士と庶民が半々といったところ。偏りがないようで、具房は安堵した。
そして、緊張の瞬間が訪れる。一等の当選番号が発表されるのだ。一等は一本のみ。誰もが固唾を呑んで発表を待つ。
「一等、104596!」
「「「ああ〜」」」
外れた者は落胆する。大群衆の殆どが同じような声を上げ、その声は大きく聞こえた。だが、そんななかで微かに、
「やった!」
という声が上がる。当たったのは、庶民の女性。旦那に内緒で買っていたらしい。女性の地位はまだまだ低いが、いつの時代にもそんな人がいるんだなぁ、と具房。実に微笑ましい。
「当選者はこちらへ!」
当選金の引き渡しは別の場所で行われる。くじの真贋(中央の割印、印字された数字を照合する)を確かめた後、金を渡すのだ。大金を当てた人は、さらに離れた場所で引き渡しを行う。公家ならキャッシュで持ち帰れるが、庶民はそうもいかない。一等の百貫文ともなれば、防犯や重量的な観点から持ち帰るのは不可能だ。
そこで、具房は高額当選者に対して、キャッシュの他に手形という選択肢を用意した。指定された商人(金融機関)から任意に金を引き出せるというシステムーー銀行のようなものだ。手形は百文券で当選額分だけ渡される。庶民の女性はほくほく顔で帰っていった。
「念のため、周辺を警護しておけ」
具房は高額当選した庶民を花部隊の人間に監視させた。当選の発表は公平性を担保するため、衆目の下で行わなければならない。しかし、そうすると誰が当たったのかわかってしまう。この時代、地域社会は狭いもので、SNSもかくやというスピードで情報は拡散される。金は人を惑わす。当選金を盗み出そうとする人物が現れるだろうことは想像に難くなかった。
一ヶ月ほど警戒させていたところ、百件近い強盗未遂事件が発生した。予想より多いな、と思いつつ具房は泥棒に罰を下す。鉄壁の守りに、強盗は盗みを諦めた。
宝くじのシステム自体は、これを聞きつけた人間によって真似をされ、全国各地に広まる。しかしながら、高額当選者を忍に警護させるというアフターケアを行なっていなかったことから強盗事件が多発。くじが売れ残るなどすぐに下火となった。
反対に北畠家が行う宝くじは安心安全だと評判になり、売り出すとすぐに完売するという賑わいを見せる。結果、具房の手許に大金が転がり込み、彼は笑いが止まらないのであった。