対武田戦略
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京で義昭が起こした騒ぎを収め、ようやく伊勢で休めると思っていた具房。しかし、それは信長が許さない。三好とまたもや和睦した信長は、あれこれと理由をつけて具房を京に留め置く。
(帰りたいんだけど……)
そんな内心をひた隠し、具房は信長と会談した。内容は、今後の動きについて。
「加賀は新九郎殿(浅井長政)たちに任せるとして、問題は武田だ」
加賀の一向宗との戦いは長政たちに丸投げし、信長は武田家の動きについて訊ねた。
「和睦は守ると思います。春から秋にかけては信濃や上野が狙われますから」
越後の上杉謙信や反北条連合を組んでいる関東の豪族や大名が活発に動く。しかし、冬が近づくと越後が雪で閉ざされるため、上杉軍は撤退。すると上杉の助けがなければ何もできない反北条連合は大人しくなる。
「なるほど。では秋口までの時間は確保されているわけか」
「上杉や、反北条連合の有力者・佐竹家などと結ぶべきでしょう」
「うむ」
敵の敵は味方である。特に上杉とは、加賀を牽制するという意味でも誼を結ぶべきだ。信長も同意した。だが、両者と同盟したところで信玄が動くことに変わりはない。
「義弟殿には三河守(家康)への助勢をお願いしたい」
「わかりました」
そうなるとは思っていた。どの道、徳川家は他者からの援助がなければ武田に呑まれる。では誰が援助するのかといえば、敵もなく手持ち無沙汰な具房しかいなかった。
「ところで、義弟殿は三河守に何か策を授けたそうだな。書状では我に策あり、といった感じでな」
「まあ策といっても上策というより、下策も下策ですが」
「いいから聞かせてくれ」
興味津々な信長。彼を失望させるようで悪いが、謙遜でも何でもなく、本当に最低の作戦なのだ。具房が家康に授けた策とは勝つためのものではない。負けないための策だ。具房は家康と会談した内容を伝えた。
「まずは、奥三河の防備を強化することですね」
和睦によって武田家の支援を得られなくなった山家三方衆。そのため彼らは再び徳川家に従うことになった。
しかし、ここで問題が発生する。家康からすると彼らは裏切りの前科持ち。三河と信濃の国境を任せていては、また裏切られるかもしれない。そこで腹心の鳥居元忠に奥三河を任せようとした。これに三方衆が反発する。
だが、それこそが家康の狙いだった。命令に従わないことを大義名分として軍を差し向ける。具房も三方ヶ原に間に合わず、活躍の場がなかった砲兵隊を随伴させた。武田家の支援も得られず、籠城したものの防御機構を大砲で破られ、城はあっさりと落ちた。
戦後、家康は長篠城を鳥居元忠に任せた。作手の奥平氏は娘を家康の重臣・本多広孝の次男に嫁入りさせることで許される。引き続き作手を治め、元忠の与力として武田侵攻に備えた。一方、長篠と田峯の菅沼氏は服属を拒否。このため所領は没収され、身柄は同族の野田菅沼氏に預けられた。
「長篠を中心に作手、田峯の城は大改修が行われています」
「しかし、それでいいのか?」
信長の懸念は、いくら防備を固めてもまた落とされてしまうかもしれない、というものだった。これについて具房は問題ないと考えている。
「大切なのは、二俣城を失った遠江の防衛です。そのためには、戦力をそこへ注ぎ込まなければなりません」
当然、三河も例外ではない。しかし、動員のネックが奥三河が抜かれるのではないかという不安だった。そこで奥三河を落とされないように守りを固める。武田軍は二俣城の攻略に時間をかけていたことから、城攻めは苦手としている印象だ。であるならば、堅城を築くことで時間を稼げるはず。その時間があれば、三河を攻められたとしても伊勢から北畠軍が駆けつけられる。これなら心置きなく戦力を遠江へ集中させられるーーというわけだ。
「なるほど」
信長はよくできたシステムだと感心した。だが同時に疑問を覚える。それは、はたして勝てるのかということだ。聞けば守りに関することばかりで、攻める要素はひとつもない。心配になって具房に訊いてみたところ、
「無理です」
と即答された。
「おいおい……」
それでいいのか、と信長。彼としては、勝つことを目的としない策略など考えられないからだ。しかし、具房は元現代人なだけあって目のつけどころが違った。
「要は負けなければいいんですよ」
具房はなぜそんな消極的な考えをしたのか説明する。
「武田は徳川領へと侵攻してきますが、それは冬のみです。しかも、夏場は上杉と関東や信濃で戦をしており、軍は常に消耗している状態です。やがて限界がくるでしょう」
そのタイミングを待って攻め込むのだ。標的は駿河。ここは支配してから日が浅く、比較的攻略がしやすい。さらに甲斐や信濃は貧しく、駿河を失えば経済が干上がるはずだ。一方、徳川家は背後に控える北畠家や織田家が支えられる。武田家にも北条家がいるが、北畠・織田連合よりその力は弱い。
さらに、徳川家は三方ヶ原で大敗したため、他領に攻め込むだけの余裕がない。その回復を考えると攻められるのを待って敵を消耗させるのが正解だ。
「時期を待つわけだな」
「はい。土地を失うも人を保ったならば、土地はまた奪い返せます。しかし、土地も人も失ったなら、それは叶いません」
信長は具房の狙いを理解した。相手が消耗しきったところを攻めれば倒しやすいのは道理だ。理に適っている。具房も毛沢東の言葉を引用しつつ、肯定した。
だが、具房にはもうひとつの狙いもあった。それは信玄の死である。彼が死ぬのは元亀四年の春。今は元亀三年。あと一度、侵攻を防げれば脅威は下がる。次代の勝頼も難敵だが、信玄と比べればマシといえた。
(爆弾を抱えることになるし)
勝頼は諏訪家の血を引いており、甲斐に拠点がある生え抜きの武田家臣からすれば、すんなり当主として認められなかった。史実ではこれで穴山信君などの重臣が裏切っており、信玄の下で結束していた時代からすると攻略の難易度は下がっている。
「相わかった。我からは滝川を出そう」
三家で同盟を結んでいるため、北畠家が援軍を出しているのに織田家が出さないのでは体面が悪い。そこでわずかながら援軍を出すことになるのだが、その大将は滝川一益になった。長年付き合って気心が知れた相手だというのが大きい。前回、援軍を務めた佐久間信盛は外されることとなる。
「では我も動くとしよう」
具房は武田と戦うために戦力の回復と増強に努め、信長は武田を牽制するために、上杉家へ盛んに使者を送って友好関係の構築に取りかかることになった。しかし、そう宣言したときにちらちらと具房を見てくる。わざとらしく上杉と交渉しなくては、と言い出したところでその意図をようやく理解した。
「後で上杉殿への贈り物を届けさせます。よろしくお伝えください」
「うむ。承知した」
相手の心象をよくするためのエサ(贈り物)を求めていたらしかった。京でも大流行しているので、贈り物に相応しい。具房は最高級品を手配し、信長に託した。
後日、上杉謙信から贈り物に対するお礼の書状が送られてきた。そこには武田を牽制する役割は任せてほしい、ということが書かれており、目的は達せられる。だがそれよりも、かの上杉謙信からの書状ということで、歴史ファンの具房は感動するのだった。
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信長との会談が終わると、具房は出発の準備を始める。伊勢に帰れるとウキウキであった。そんな彼の許を訪ねてきた人物がいた。明智光秀と長岡(細川)藤孝である。
「ようこそ」
具房は歓迎し、お茶と甘味を出した。二人は具房にとって少し歳の離れた気の置けない友人となっている。最初は歌の勉強から始まった関係。これは今でも嫌だが、その集まり自体は嫌いではない。歌のみならず、仕事の話などもするようになっていた。
「お帰りになられると聞いたので」
「与一郎殿(長岡藤孝)は中納言様のところで出される甘味を楽しみにしているのですよ」
「それは十兵衛殿(明智光秀)も同じでしょう」
横で甘味として出された饅頭を頬張っていた藤孝が、行儀よく嚥下した後に反論した。いやあ、と照れたように笑う光秀。図星のようだ。
「そういえば本日、織田様とお会いになられていた様子」
「ええ。武田との戦が始まりましたので」
和睦はしたが、冬にはまた攻めてくる。その対策を話し合っていたのだと具房は明かした。別に秘密でも何でもないし、二人の人脈を駆使すれば概要を掴むことは容易い。なら隠さず話してしまえ、という考えだ。
「公方様(足利義昭)の差し金ですか?」
「ええ。お諫めしたのですが、聞き入れられず。もはや付き合いきれません」
藤孝は義昭が反信長の兵を挙げたとき、信長に鞍替えしていた。本人が言ったように、付き合いきれなくなったらしい。今は山城国長岡に領地を与えられ、名字も細川から長岡に変えている。
光秀は藤孝より少し早く鞍替えしており、今は坂本周辺を領地として与えられている。信長の本拠地である尾張や美濃と京を結ぶ要地だ。それだけ信長は光秀の才覚を買っている証拠だった。
ちなみに、具房は光秀が城を造るということで人を出していた。それが松永久秀であり、築城の指導にあたっている。彼は和歌山城の築城指導もやっているが、ここで仕事が追加された。彼を暇にしておくと何をするかわからないので、積極的に仕事を与えている。
「与一郎殿や十兵衛殿は三好ですか。わたしは武田ですよ」
具房は二人が楽で羨ましい、という意味を込めて言った。しかし、藤孝はそうでもありません、と否定する。
「何か情報が?」
「ええ。公方様は本願寺にも文を盛んに送っており、冬にも武田と呼応して攻め込まんとしております」
義昭の側近として仕えていたからこその生々しい情報だ。
「となると、三好も動くわけですか……」
光秀は言葉にこそしなかったが、面倒だと思っていることがよくわかった。三好はそれほど問題にならない。厄介なのは本願寺だ。彼らは一向宗という宗教団体であり、号令ひとつで一揆という名の暴動を起こす。領主として色々気を遣っていても、反乱を起こされるのだ。為政者からすればたまったものではない。しかも、普段は領民として普通に暮らしている。事前に排除することもできない。
加えて、加賀のように軍勢として反抗するならいいのだが、なかには小集団で一揆を起こす。彼らがやるのは後方撹乱。世界大戦で各国が展開した通商破壊のようなものだ。これによる損害がじわじわとボディーブローのように効いてくる。この手の集団は見つけるのにも苦労するし、鎮圧しても再燃する恐れがあった。モグラ叩きのようなもので、終わりの見えない泥沼の戦いとなる。想像するだけで嫌になった。それなら、まだ敵が明確にわかる武田を相手にする方がいいかもしれない。
「お互いに大変ですが、頑張りましょう」
「そうですね」
結局、光秀がいい感じにまとめた。その後は愚痴の言い合いから冬の戦いに向けた決起集会のようになった。酒は出ないお茶と甘味での会だったが、とても楽しく、これから頑張ろうと思わせてくれた。