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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第五章
64/226

公方の乱

 



 ーーーーーー




 武田家と和睦して東海地方は一時的な平穏を取り戻した。しかし、畿内は再び動乱へと突入しつつあった。その原因は、畿内を安定させるべき立場にある足利義昭。


「幕府を蔑ろにする織田少将(信長)を討つのだ!」


 この号令によって、荒木村重をはじめとした幕臣が背く。


「何っ!?」


 知らせを受けた信長は激怒する。このとき彼は摂津に上陸した三好軍と対峙しており、後方を遮断される格好になったからだ。


 義昭が蜂起したのにはいくつか理由がある。武田信玄が動きだしたこと。加賀の一向宗が越前へと攻め入る動きを見せていること。三好軍が摂津で織田軍主力を釘づけにしていることなどなど。だが、一番の理由は十七条の意見書だ。義昭が信長に隠れてこそこそ動いていることを咎める内容で、まさか事が露見しているのか!? と焦ったのである。


 理由は下らないが、状況は洒落にならない。突如として信長は前後を敵に挟まれる格好になったのである。しかも、相手は将軍。お飾りとはいえ武家の棟梁で、主君である。比叡山のように滅ぼすわけにはいかなかった。


「忌々しい……」


 神輿なら何もしてくれるなと信長。世間体が悪いので義昭を尊重してきたが、それも限界が近づきつつあった。それでも滅ぼすのは拙いので、信長は和睦を申し出た。三好家に集中するため、自身の子どもを人質に差し出すというものだ。しかし、


「『畿内の所領を捨て、上洛以前の状況に戻すべし』……」


 回答は信長が到底受け入れられないものだった。実質的な拒絶である。それどころか、兵を集めて近江にある城へ入れているという。


「仕方ない」


 信長は軍の一部を割き、この城を攻撃させた。義昭がギャーギャー喚いているだけならいざ知らず、兵を集められると拙いからだ。城は呆気なく陥落したが、それでも義昭は諦めず、二条城(烏丸中御門第)に兵を入れて籠城の構えを見せた。再度、信長が和睦を申し出たものの拒否。さすがに扱いに困った。


 そんな状況で具房が伊勢へ帰還したとの報告が上がる。彼も畿内の情報は得ており、出産を終えていた蒔の子ども(男子。若竹丸と名づけた)と顔を合わせただけで、すぐさま上洛してきた。信長は、助けて◯ラえもん、と泣きつく某漫画の主人公のように、具房へ対応を訊ねた。


「あ〜、どうしましょう?」


「それを訊ねているのだ。頼む義弟殿。知恵を貸してくれ」


 信長の訴えには泣きが入っていた。具房はあなたの方が賢いでしょ、と内心思う。付け焼き刃の転生チートと戦国史に燦然と輝く英雄。頭の出来は比べるまでもない。しかし、そんなことは言えるはずもなく、義昭への対応を引き受ける羽目になってしまう。


 とりあえず具房も義昭に和睦を勧める書状を認め、二条城に届けさせた。だが、回答は信長に対するものとほぼ同じ。違う点があるとすれば、逆に義昭から翻意を促されたことであろう。


「『幕府を思うのであれば即刻、逆臣(信長)を討つべし』か……」


 その文面を見て、交渉は難しいと悟る。影響を最小限にするため、実力行使も止むを得ないという判断だ。


「京のことはお任せください」


 具房は京へ戻ることを決める。滞陣を続けるように言ったが、信長はそれどころではない、と聞き入れなかった。


「さすがに我が行かぬわけにはいかん」


 ということで信長も同行することとなった。


「任せたぞ、九郎左衛門(塙直政)」


「はっ」


 留守は塙直政が代理を任されることになる。彼の妹が信長の側室であり、その縁で出世していた。佐久間信盛は三方ヶ原での惨敗で大目玉を食らっており、指揮できず。柴田勝家は越前で一向宗と戦闘中。そこで直政に白羽の矢が立ったのだ。


 かくして北畠軍に少数の織田軍が交じり、京の二条城を取り囲む。


「これからどうする?」


「まずは投降を呼びかけましょう」


 具房はメガホンを持って陣頭に立つ。


「お前たちは既に包囲されている! 大人しく投降しなさい!」


 そう呼びかけたのだが、投降してくる人間はいなかった。


「まあ、そうだよな……」


 呼びかけられたくらいで投降するなら最初から蜂起はしない。具房もぶっちゃけあまり期待していなかった。


「どうする?」


「外堀から埋めましょう」


 そこで本命の作戦を発動する。外堀を埋めてから攻める大坂城戦術だ。今回の場合、本丸は義昭。堀は幕臣(幕府派の公家)である。具房は親しくしている人々に書状を送った。義昭に従っていていいの? という内容だ。具体的にどう動くかということは明らかにされていなかったが、それが逆に何をしてくるのかという恐怖感を煽る。


 その結果、かなりの数の離反者が出た。細川藤孝や荒木村重などの幕臣は明確に信長たちの味方をし、公家も日和見を決め込んだ。武家昵近衆も同じ。特に親しかった日野輝資などは具房のところへ身を寄せている。


「裏切り者め!」


 これに義昭は激怒した。しかし彼にできることは何もなく、城のなかで吼えることしかできない。それでも諦めないのだから、かなりの覚悟を決めていたようだ。


「粘るな……」


 早く諦めろ、と信長。具房は、このように気が短いから「殺してしまえホトトギス」などと詠まれるのだと思った。気持ちはわかるが、こういうときは気長に行くことが重要だ。具房は信長をなだめつつ、公家と会談していた。相手は二条晴良や勧修寺晴豊など、日和見している親幕府派の公家たちだ。


(どうせ幕府との仲介を求めてくるのであろう)


 二条晴良をはじめ、具房の狙いは看破していた。北畠軍が畿内に現れた(武田軍が行動を止めた)ということは、信長包囲の輪が崩れたということになる。義昭の目論見は潰えたわけで、和睦に反対はない。だが将軍を攻められない以上は義昭たちが圧倒的に優位。幕府に有利なように仲介してやろう(幕府と具房の両方に恩を売りつつ金を得て利益を貪ろう)、と考えていた。だが、残念ながら具房もそれをわかっている。だからストレートに和睦を要請することはなかった。


「今、畿内は乱れに乱れております」


 具房の話はそんな言葉から始まった。突然何を言い出すんだ? という怪訝な目が公家たちから浴びせられる。しかし、彼は意に介さず話を続けた。


「この原因は公方様(義昭)にあると思うのです。かの方の号令によって、幕臣が蜂起したのですから」


「待て、中納言。大納言(義昭)は秩序を正そうとしておるだけじゃ」


 思わぬ方向から切り込んできた具房。晴良は表面的な反論しかできなかった。


「それは今すべきことですか? 後ではダメなのですか?」


 某議員の『二位じゃダメなんですか?』論法で攻める具房。誰が考えても畿内の安定を乱すことは間違っていた。


 それに、義昭の後ろ盾である信長が畿内から淘汰されれば、代わって畿内の覇権を握る人物によっては、晴良の立場は極めて危うくなる。なぜなら、阿波三好家には先代将軍(足利義栄)の弟・義助がいるからだ。彼らのバックには、義昭の上洛で関白の地位から追われた近衛前久がいる。義助が将軍になれば、今度は前久が嬉々として晴良を関白の座から引きずり下ろすだろう。そうして危機感を煽ったところで、具房は決定的な言葉を発した。


「畿内の動乱は、主上もさぞ御心を痛められていることでしょう」


 ああ、おいたわしやと心にもないことを言う。公家たちの主人である天皇は、畿内の動乱を望んでいないはず。なのに秩序を乱す輩(義昭)に手を貸してていいの? というわけだ。普通は何を馬鹿なと一蹴されるところだが、具房もまた殿上人。しかも、公卿の一員たる中納言である。朝廷における発言力は他の大名(信長を含む)よりも高い。同時に朝廷のスポンサーでもあり、その意向を無視するわけにはいかなかった。


 これで色を失った晴良たち。大慌てで信長と義昭の和睦を斡旋することとなった。


「主上の思し召しであれば致し方なし……」


 具房の工作で朝廷から行われた和睦の斡旋は天皇からの勅命という形で行われた。義昭は逆らえず、どちらが有利というわけでもない和睦が結ばれた。この件について信長は何も言わなかったが、義昭は諦めることなく全国の大名に書状を送りつけ、悪巧みに勤しむのであった。







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