徳川信康
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浜松からの帰り道、具房は岡崎に立ち寄った。それは家康に誘われたからだ。三河の武田領を接収するために家康も岡崎へ一時的に帰還する。そこでもてなしをしたい、と申し出たのだ。一年後には間違いなく武田家と戦うことになる。その対策など話し合うべきことはたくさんある。普段、東海方面にはあまり顔を出さない具房はいい機会だとこれを受け入れた。
「まず武田をどうにかしなければ」
家康の一番の悩みはそれだった。三方ヶ原で犠牲になった家臣のため、そしてお家の発展のためにも武田家は倒さなければならない。しかし、勝てるビジョンがまったく浮かばなかった。そこで、奇襲とはいえ信玄に一泡吹かせた具房に相談したのだ。
「まず、今回の敗因を分析しましょう」
具房の言葉で反省会が始まる。合理的な彼は三方ヶ原における敗因を炙り出し、そこから対策を立てるというオーソドックスなやり方を選択した。反省会では遠慮なしに問題点を指摘し、その解決や改善につなげていく。北畠家では戦だけでなく、政策でも同様の手法が採られている。
これで判明した問題点は、
・武田家が三河と遠江に同時侵攻したことで、徳川軍は全力を発揮できなかった
・武田軍の状態を上手く掴めなかった
・戦いを挑む時期を間違えた
の三点であった。家康は武田軍の同時侵攻が自軍の全力を発揮できなかった原因だと認めたが、他については否認した。
「十分な斥候を出し、動きを把握することに努めていたぞ」
「ですが、武田軍の動きを掴めなかった。三方ヶ原では敵の背後を強襲するはずが、結果的に正面に突っ込むことになりました」
情報通信手段が発達していないこの時代で、タイムロスなく情報を伝えることは難しい。だが、敵に近づいている状況なら、進軍途中に報告を受けられるはずだ。そうすれば三方ヶ原で決戦を挑むことはなく、惨敗を喫することもなかったはずである。
「……」
そう言われると、家康は何も言えなくなった。無謀な突撃を敢行したのは事実だからだ。
「しかし、あのまま武田軍の進軍を許せば三河がーー」
「浜松城の兵が健在であれば、武田を十分に牽制できたはずです」
理由を何とか見つけて反論を試みる家康だったが、具房にピシャリと言われて再び黙り込む。
これは『戦いを挑む時期』にも絡むのだが、武田軍は三河へ向けて進軍していた。そこには、釘づけにされている三河の徳川兵がいる。その両者を糾合すれば、全力を発揮できたはずだ。
「では、どうすればいいのですか?」
家康は困り顔で訊ねる。具房の答えはシンプルだった。
「単純で手っ取り早いのが、軍を強化することでしょうね」
「それは某もやっていますが……」
家康は落胆を滲ませる。彼が求めていたのはそんな平易な回答ではなく、目から鱗な方策だ。それが子どもにも思いつくようなものなのだから、落胆するのも無理はない。
しかし具房にしてみれば、そんなことをポンポンと思いつくなら技術革新を起こしたりと苦労はしていない。できないから発想を技術ないし物量でカバーしようとしているのだ。それに、具房が言う『軍の強化』とは人事を見直したり訓練を厳しくしたりというような小手先のものではない。もっと根本的な変革であった。
「まず、今回の敗因の大元は、情報面が弱いことでしょう」
信玄が諜報を重視したのに対して、家康は少し軽視している印象を受ける。その理由のひとつに具房が服部一族を引き抜いたというのもあるのだが、そこは気づかない振りをした。
「忍を雇うにも金が必要ですな」
何をするにも金が要る。だが肝心の金はない。八方塞がりであった。しかし具房はちゃんと考えていた。
「人はお貸ししましょう」
もちろん有償で。タダなどあり得ない。
「よろしいので?」
「ええ。といっても数人ですがね」
広範囲で諜報活動を行なっている北畠家の諜報部隊は大忙し。常に人員は不足している。出せる人数はそこまで多くなかった。しかし、家康はこれに不安を覚える。数人では諜報などままならないからだ。
ではどうするのか。具房は数人の諜報員を教官として、徳川家独自の諜報機関を設立しようとしていた。長期的な視点で、徳川家の諜報能力を向上させようと考えていたのである。
また、具房と家康とでは「諜報」に対するイメージが異なっていた。家康は現代でいうところの『スパイ大作戦』のように、敵の中枢に潜り込んで情報を得ることを「諜報」と捉えていた。それは決して間違いではないのだが、この方法はハイリスク・ハイリターン。成功よりも失敗の方が多く、人員の消耗も激しいことから、具房はあまり用いなかった。彼が主に用いるのは「ヒューミント」「イミント」「シギント」と呼ばれる手法だ。
「ヒューミント(Human intelligence)」とは、人間を介した情報収集のこと。協力者から情報を横流ししてもらうのである。そのため、各地に活動拠点が不可欠なのだが、伊賀衆の地方拠点や本願寺高田派の寺院を利用していた。最近では紀伊の寺社の末寺も利用できるようになり、施設は充実している。
「イミント(Imagery intelligence)」とは、画像を分析して行なう情報収集のことだ。こちらも人員が各地を巡り、地形を地図にしている。伊能忠敬が行った厳密な測量はできないが、それでも「地の利」を潰す程度には具房に情報が集められていた。
「シギント(Signals intelligence)」とは、通信から情報を得ることである。この時代、書状は(内容にもよるが)複数枚発給された。途中で野盗に襲われ、殺されるということがしばしば起こったためである。つまりは、ひとり使者がいなくなっても問題はない、ということだ。そこで具房は使者を襲い、書状を強奪。どのようなことが書かれているかを調べさせていた。なお、この技能を応用すれば敵の通信を遮断することもできる。
この他に「オシント(Open source intelligence)」という方法もある。メディアをチェックして情報を得るというもので、現代の諜報機関が最も力を注いでいる分野だ。しかし、この時代は分析対象であるメディアが発達していないため、主要な方法ではなかった。
具房はこのような活動を行う諜報機関を徳川家内にも設置してもらうつもりだ。そして北畠家のそれと連携し、体制を盤石にする。最初は北畠側がおんぶに抱っこすることになるだろうが、やがて心強いパートナーになってくれるはずだ。
構想を家康にプレゼンする。北畠家が驚異的なまでの情報収集能力を持っていることは周知の事実であり、その制度を直輸入できるのだから、家康に異論はなかった。
その後、二人は主に諜報分野について語り合う。話が逸れているようたが、根本は武田家との戦いで有利になるためにどうすればいいのか、ということだ。そのなかでふと家康が疑問を投げかけた。
「それにしても、中納言様(具房)の兵は皆、屈強ですな」
それは兵士の体格について。北畠軍は他の軍と比べて体格がよかった。選抜した部隊だからという理由ではない。選抜の有無にかかわらず、全体的に北畠軍の兵士の体格はよかった。ひと回りほど体格が違う。
理由はある。常備軍なので日ごろの厳しい訓練の結果、筋肉がついて身体が大きくなったからだ。兵舎での基本的な食事は提供される。栄養バランスに配慮したもので、カロリーも十分。人々は慢性的な栄養不足に陥っている時代のなか、そんな食事をしていれば差が出るのも当然だった。
「訓練と食事ですね」
具房は隠すことなく明かした。それは徳川家には真似できないからだ。国人たちを掌握できておらず、常備軍を導入したりといった強権発動は難しい。諜報機関は孤児などが使えるから実現できるのだ。それは家康もわかっている。だから彼も難しいな、と苦笑した。
「失礼します」
そんな声とともに、ひとりの少年が入室してきた。
「おお、来たか」
家康の反応から、彼が呼んだのであろうと理解した具房。少年は返事をすると、家康の横に座った。その位置から、具房は家康と近しい人間なのだと悟る。
(まさか……?)
具房は少年の正体に心当たりがあった。若くして家康の隣に座ることができる人間。それはーー
「中納言様、紹介します。これは倅の三郎です」
「徳川家の嫡男、岡崎三郎です。よろしくお願いします」
家康の嫡男である。次郎三郎と名乗ったこの少年の名は徳川信康。史実では(理由ははっきりとしないが)家康に切腹させられた人物である。
「北畠中納言です。これから関わることも多くなるだろうが、仲よくできると嬉しい」
「はっ。……ところで、中納言様はかの土佐守様(塚原卜伝)から剣を学んだと伺っております。一手、御指南願えませんか?」
「これ三郎、無礼であろう!」
「いや、いいだろう」
家康は止めさせようとするが、具房は受けた。普段とは違う相手と戦うことも大事だ。二人は庭で稽古をすることになった。
「申し訳ない」
すまなさそうにする家康。具房は、当事者同士が合意したなら問題はないと答えた。相手はまだ十二歳だが元服を済ませており、形式的には大人だ。親とはいえあまり干渉すべきことではない。
「やあッ!」
ーーカン!
木刀がぶつかり、乾いた音がする。信康の剣の腕前はなかなかのものだった。大人とも互角にやり合えるだろう。
「見事な太刀筋だ」
具房はお世辞抜きで褒める。しかし、信康は悔しそうだ。
「当たらない……」
「年の功ですね」
訓練をサボっているわけではないし、実戦も潜り抜けている。具房の剣は経験に裏打ちされた強さだ。信康が敵わないのも無理はない。
「ありがとうございました」
稽古は具房の一方的な勝利で終わった。終わりを告げられると、信康はお礼を言う。だが、その表情はとても悔しそうだ。今の彼は、天狗になった鼻を叩き折られたようなもの。そうなるのも無理はない。
「才能はある。これからも励まれよ」
だから具房はそうフォローした。
「しかし、結局一本も取れませんでした」
「はははっ。そう簡単に取られはしませんよ。でも、三郎殿が『当たらない』と呟いたとき、強くなると思いました。凡人なら当たらないとムキになって無茶に振り回します。しかし、貴殿は違いました。何とか当てようと工夫していたでしょう? それこそ、非凡の証です」
後は弛まぬ鍛錬と少々の実戦。この二つをこなせば彼の剣術は完成するーーそう具房は結んだ。
「頑張ります!」
その励ましを受け、信康は元気を取り戻すのだった。
「……」
これを見ていた家康はもしかしたら、と具房にとある依頼をした。それは、信康を更生させてほしいというものだ。
「何か問題でも?」
ちょっとしたことで落ち込んだり元気になったり、年相応の反応をする信康。何も問題があるように見えなかった。しかし、彼には重大な欠点がある、と家康は言う。
「三郎は武芸以外に興味がないようなのです」
曰く、勉学を怠り専ら武芸ばかり磨いていると。しかも、家康や家臣がいくら言っても聞かないらしい。さすがにそれは問題だ。具房は頷き、夕食の席でその話をした。
「三郎殿は勉学をあまりしないとか」
「武士には必要ありません」
信康はまたその話か、とばかりに憮然とした表情だ。いつの時代も親は子に勉強してほしく、子どもは勉強をしたくないらしい。具房は苦笑しつつ、
「なるほど。では、それでいいではないですか」
と言った。信康は意外そうに、家康は話が違うといった様子で具房を見る。しかし、話はそれで終わらない。
「ですが、それなら大名を辞めるべきです」
「え?」
信康は何を言われたのかわからないのか、目を点にした。だから具房は重ねて言う。大名になるのをーーすなわち大名の後継者でいることを辞めるべきだと。
「な、なぜです?」
「三郎殿の考えは『武士』の考え方。その立場に相応しい。しかし、それは『大名』の考え方ではありません。貴殿は『武士』であると同時に『大名』の後継者でもある。その考えを改めないと仰るなら、今すぐその立場を捨てられるといい」
具房はピシャリと言い放つ。武士なら行動の結果は自分とその家族が被ることになる。しかし、大名や重臣といった身分であれば、ことは自分の一族だけでは済まない。領地に住む領民や家臣の生活がかかっている。身勝手は許されない。
家康には信康以外に男子はいない。しかし亀姫がおり、彼女に適当な家から婿養子をとれば後継者問題は解決する。信康が後継者でなくなっても問題はない。
「わたしは武芸はもちろん、勉学も励んでいましたよ」
前世の知識があるからそれほど難しくはなかった、というのは秘密である。そして具房が言いたいのは、勉学を必要ないと言う信康は、勉学と武芸の二足の草鞋を履いた自分に負けたんだぞ、ということだ。つまりは、武芸にだけ打ち込まなくても強くなれるということ。だから勉学に励めというのだ。
「二兎追うものは一兎も得ず、といいます。物事で大成するのは難しいということですが、それを達成したときに集める尊敬は今より大きいと思いますよ」
だから武芸だけでなく勉学にも打ち込みませんか? と勧めた。具房が思うに、信康は承認欲求が強いのだ。承認を得る手っ取り早い手段は何らかの分野で成功することである。そして、たまたま成功したのが武芸であり、それに打ち込んでいるのだ。だから、武芸については承認を得るという目的が達成されていることをまず示す。そして、他の分野に手を出す背中を押してやるのだ。
信康に必要なのはきっかけである。彼は真面目だ。そうでなければ、武芸に打ち込むことはできない。派手な印象を持つが、鍛錬は恐ろしく地味で、根気がなければできないからだ。だから具房は、勉学を打ち込むことに対する動機づけを行った。その結果、
「やってみます」
という前向きな回答を得ることに成功する。夕食後、具房は家康に満足してもらえたかと訊ねたが、彼に異存などあるはずがなかった。
この後、信康は勉学にも打ち込むようになる。元より軍事的な才能はあり、さらに勉強までしたのだから鬼に金棒。文武両道の名将として、後世まで語られることになるのであった。