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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第一章
6/226

後継者

 






 ーーーーーー




 鶴松丸は五歳になった。相変わらず和歌のセンスは皆無だが、剣の腕はメキメキと上がっている。前世の運動神経は悪かったので、ここは父親(具教)の影響なんだな、と思っていた。


 剣を教えていた師匠たちは、多くが国元に帰っている。柳生宗厳は父親からお叱りが出て、慌てて舞い戻っていった。そのとき、また来るからな! と言い残していった。鶴松丸は彼の豪快な性格が好きなので、再会できるのならしたいところだ。楽しみにしている。


 上泉信綱も上野へと帰っていった。諸侯の動きが怪しいらしい。長野家は南に北条、西に武田、北に上杉がいる。最終兵器である信綱を遊ばせておく理由はない。いや、そんな状況にもかかわらず一年近くも遠出ができたことに鶴松丸は驚いている。


 そして、最後に残ったのが塚原卜伝である。彼は意外にも伊勢に残った。故郷に帰らなくていいのかと鶴松丸が訊いたところ、将来性のある弟子の姿を見てみたい、と返された。鶴松丸としては、未来に語り継がれる剣豪にそう言われると面映かった。


 ということで、柳生宗厳と上泉信綱が帰った後も塚原卜伝による稽古は続けられた。長野家(とその周辺に割拠する土豪)との戦がひと段落すると、具教も朝の稽古に参加するようになった。一緒に稽古をしつつ、会話をするのが二人の日常である。


「ふう……」


 季節は夏。朝とはいえ、運動しているとかなり体温が上がる。そこで稽古の後には身体を冷やすため、冷たい井戸水で汗を拭うのが習慣になっていた。意識せずとも声が漏れる。


「やはり気持ちいいな、これは」


 具教や卜伝もお気に入りである。鶴松丸たちはそうしている間に、卜伝から稽古の総評を聞く。どこそこはよかった。あそこの動きはよくない。こう直せーーといったことを丁寧に指導してくれる。


(部活の先生とは大違いだな)


 心のなかで鶴松丸は呟く。前世において、鶴松丸は最初から運動が嫌いというわけではない。しかし中学時代の部活の顧問が露骨な依怙贔屓をし、鶴松丸には辛く当たったことから運動は嫌いになった。もし卜伝のような監督ならば、鶴松丸の前世は研究者ではなかったであろう。


「鶴松丸」


 そんなことを考えていると、不意に具教から名前を呼ばれた。


「はい、何でしょうか父上?」


「今日は朝餉の後、評定がある。そなたも出席せよ」


「は、はい」


 まさかのお達しであった。評定への出席が許されるということは、次の当主として認められたに等しい。それだけ重大な意味があった。鶴松丸は声を硬くする。それはまったくの無意識であった。


「そなたであれば何も問題はない」


 具教は柔らかく微笑み、鶴松丸の頭を撫でる。見た目は優男の手だが、触れられると剣だこができていて肌触りは悪かった。


 そして昼前。評定が行われる場所では家臣たちが待機していた。下座から小物、上座へ向けて大物になっていくのはどこも同じである。当主に最も近いのは一門衆と家老格。正確にはそうだった。目敏い者は気づいている。当主の座席の横に、新たな座が設けられていることに。


 一門衆のなかでも重鎮である木造具政の内心は穏やかではない。


(父上が参加されるのだろうか?)


 自らの父親である晴具が評定に参加するのかと思ったが、そんなはずはないと頭を振る。なぜなら、晴具は最近病気がちであったからだ。今も病に伏せっており、具政自身、見舞いに行ったばかりだった。となると、そこに座るのは別の人物となる。該当する人物は、もはやひとりしかいなかった。


 その確信が間違っていなかったことは、すぐさま証明される。具教の後ろからちょこちょこと子どもーー鶴松丸が現れたからだ。平伏する直前、具政はその姿を確認する。


(なぜあの者が……)


 具政としては、鶴松丸たちに従う気はまったくなかった。今は何らかの方法によって痩せたようだが、かつては子どもとは思えないほどの肥満体であり、とても武家の次期当主とは思えない。公家としての雅さもない。鶴松丸の父親にして具政の実兄である具教にしても、ただの剣術バカである。そんな親子よりも自分の方が武家と公家、両方の顔を持つ北畠家の当主に相応しいと考えていた。


 そんな具政からすれば、鶴松丸が具教の次の当主になるなど看過できない。しかし、こうして評定へと連れられてきたということは、内定が出たということと同義であった。その裏には現当主、晴具の意向があるということも理解している。


「皆、これより評定を始める。……が、その前に余からひとつ伝えることがある」


 具教はそう切り出すと、ひとつ間をおいてから宣言した。


「これより我が嫡男、鶴松丸を伊勢国司北畠家の次期当主とする」


「「「ははっ!」」」


 家臣たちに(内心ではどう思っていても)否はない。この場で異議を唱えれば、袋叩きにされることは間違いないからだ。


 その上、最近の鶴松丸の評判は悪くない。以前は『太り御所』などとバカにされていたが、ダイエットの成功で細マッチョ化した。さらに塚原卜伝に師事して剣を、大御所・晴具に師事して文芸を修め、なかなかの人物だと評価は好転している。


「鶴松丸。次期当主として何か言うことはないか?」


 急に話を振られ、少し慌てる鶴松丸。ではひと言ーーと返しつつ居住まいを正す。気持ちゆっくり目で行うことによって時間を稼いだ。これは前世でもよくやった、無茶振りの対処法である。その間に話す内容をまとめるのだ。


(日本人なら謙遜したいところだけど、今は封建制社会。なら、舐められないように少し高圧的にいくか)


 戦国乱世は下剋上の世の中。そのきっかけは概ね主君の弱体化だ。実際どうなのかは関係ない。どう見えるのか、という形式が大切なのだ。


「今は戦国の世。先年は中国の大々名、大内氏が陶なる者に滅ぼされた。かの地方では近隣の大友、尼子、毛利が壮絶な合戦を繰り広げている。民は塗炭の苦しみを味わっていることだろう。それを、この伊勢でも繰り返すわけにはいかぬ。私は帝より国司を拝命したこの伊勢の地を、そしてやがては日ノ本全土に安寧をもたらしたいと考えている。そなたたちには心をひとつにして、伊勢国司家に仕えてもらいたい」


「「「はっ!」」」


 家臣たちは大小様々な声で応じた。最も大きかったのは、最有力家臣である鳥屋尾満栄。小さかったのは具政だ。


 これで鶴松丸の出番は終わった。後は評定の成り行きをぼーっと見守るだけだ。終わると、具教の後を追って一番に退室する。社長気分が味わえて、鶴松丸的には楽しかった。


 別室に引き揚げると、具教が話を振ってくる。もちろん話題は、評定での挨拶だった。小姓がお茶を用意しており、長話する気満々のようだ。


(気を利かせなくていいのに……)


 ちょっと小姓を恨む鶴松丸。もちろん顔には出さないが。


「それにしても、抱負は天下か。大きく出たな」


「あ、いえ……その方が、家臣たちもやる気が出るかと思いまして」


「はっはっは。面白いな、そなたは。普通の子は、そこまで考えぬというのに」


 ひとしきり笑うと、具教は目を真剣なものに変える。その変化は鶴松丸も感じとっていた。


「……して鶴松丸。そなたは本気で伊勢、そして日ノ本を統一するつもりか?」


「はい」


 鶴松丸にとって、そこは絶対に譲れない。もうすぐ、織田信長というバスが出発する。ナチスドイツのような、虚構のバスではない。間違いなく統一少し前まで行くバスであり、北畠家にとっては最終バスだ。これに乗り遅れれば、そのバスに轢き殺される。鶴松丸の意思は固い。


「どうするのだ? 言っておくが、六角はならぬぞ」


 今度は具体的な道筋が問われる。近隣の有力大名である六角家の力は借りられないと言われたが、鶴松丸もそんな気はさらさらない。六角家はバスに轢かれるからだ。その上、彼らは浅井と三好との抗争に忙しく、伊勢にまでは出張ることはできない。


「いえ、そのつもりはありません」


 だからキッパリと否定する。


(それに、同格の家から援助を受ければ色々と困る)


 鶴松丸としては、北畠家を史実の徳川家と同じポジションに持っていくつもりだ。援助を与えたり受けたりするのである。今のところ、互いに国をひとつ支配できていない。領土的には同格。家の歴史、官位といった面では北畠が優位。つまり、将来的には逆転されるにしても、今のところは北畠が優位に立った同盟が結べるということだ。六角との同盟は、北畠が劣位となるため考えられない。


「それではどこと同盟するのだ? まさか、単独で統一するつもりか?」


「いえ、単独ではさすがに厳しいかと。そこで尾張の織田と協力したく……」


「織田? 尾張守護は斯波だぞ?」


「……父上。今や尾張は守護代の織田が実権を握っております。斯波と提携しても、こちらが損をするばかりです」


 斯波は見捨てるべきだ、と鶴松丸は言外に主張する。具教は決断できないようだったので、織田と同盟するときの条件に斯波家を存続させることを明記すればいい、とフォローした。それを聞き、うむと頷く具教。


「して、織田とはどちらの織田だ? 大和守家か? それとも伊勢守家か?」


(だよな……)


 予想通りの展開に、鶴松丸は内心で嘆息する。この時期、織田といえばこの二つの家がまず挙がる。信長の弾正忠家は尾張で最も強大な軍事力を持つ家、というような扱いで、支配者とは見られない。


 だが、鶴松丸が提携先に選んでいるのはその弾正忠家である。現状では笑い話にもならないが、バスに乗り遅れることは許されない。そこで素直に打ち明けることにした。


「弾正忠です」


「弾正忠……あのうつけか?」


 具教は驚きに目を見開く。その顔にはそんなバカな、と書いてあった。弾正忠家の信秀(信長の父)は有名だったが、その子・信長もうつけとして、父親とは逆ベクトルで有名だ。弾正忠の滅亡は近い、とまことしやかに囁かれる始末である。そんな相手と同盟しようなどとは、正気の沙汰ではない。しかし、鶴松丸はいたって真剣である。さすがに反対されるのは目に見えているので、先手を打った。


「父上、六年お待ち下さい。その間に弾正忠家が尾張を統一するでしょう」


 尾張を統一すれば、同盟相手として不足はないはずだと主張する鶴松丸。具教もそれならば、と承諾する。織田との協調関係で伊勢を統一するという方針はひとまず了承された。


「そなたの考えはわかった。今後も検討しておこう。ああ、それから北畠家の後継者としたからには官位を与えてもらわねばならぬ。再来年には、従五位下・侍従に叙爵されるだろう。そう心せよ」


「わかりました」


 こうして鶴松丸は正当な北畠家の後継者として認められることとなった。







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― 新着の感想 ―
[一言] そうなんですよね。公家を書くのが難しいのって和歌とか句会とかこのあたりなんですよね。ここらへんに囚われると話進まないし、触れないと公家感がまるで出ない。伝統に拘る人達なので平安、鎌倉の話をバ…
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