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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第五章
59/226

東海転戦

 



 ーーーーーー




 敗報は一乗谷の義景にも伝わった。自軍の不甲斐なさに、彼は憤慨する。


「おのれ、誰も彼も余を虚仮にしおって!」


 先日の戦で大敗を喫したことにより、朝倉家は求心力を失った。今や、動員をかけても兵は集まらない。それどころか数少ない兵士も逃亡し、日々その数を減らしている。


 家臣たちからも完全に舐められていた。義景は兵を率いて参集するように命じたのだが、応じた者はほとんどいない。断った理由も『度重なる出兵で疲れている』という適当なものだった。普段なら、そんな行動をとれば討伐されてしまう。しかし、今の朝倉家にそんな力はない。もはや滅亡は秒読みに入っていた。


 追い詰められた義景は現実逃避を始めた。館へ引き籠もり、自らが溺愛する側室・小少将と昼夜を共にするという退廃的な生活を送る。これによって益々求心力を失うのだが、義景にはそれに気づけるだけの理性は残っていなかった。


(朝倉はもうダメだな)


 そんな彼の姿を見て、これまで朝倉家との友誼を重んじてきた久政さえも見限った。しかし、今さら織田には降れない。金ヶ崎で裏切った自分を信長が許すとはとても思えなかった。そこで、久政は越前から加賀に向かう。今度は一向宗と組むことにしたのだ。


「どうかご協力をお願いしたい」


「仏敵(信長)を倒すため、喜んで協力いたしましょう」


 加賀一向一揆の指導者である七里頼周は快く応じた。越前が織田家の手に落ちれば加賀も危なくなる。頼周は最低でも越前の一部は確保しておきたかった。そんな狙いもあり、一向宗は越前への侵攻を始める。これに相対したのは、朝倉一門の朝倉景健だった。


「火事場泥棒とはけしからん!」


 景健は数百の兵で数万の一向宗に立ち向かう。その勇気は称賛に値するが、あまりにも無謀だった。戦意は高けれども数の差はどうにもならず、景健は一向宗に捕らえられてしまう。


「殺せ!」


 生き恥は曝さん! さっさと殺せ! と叫ぶ景健。和睦はしていたが、一向宗と朝倉家には色々と因縁がある。頼周も殺そうと考えていたのだが、それに久政が待ったをかけた。


「孫三郎殿(景健)」


「何だ?」


「貴殿はこのまま死んでいいのかな?」


「もちろんだ。さっさと殺せと言っている」


 景健は真っ直ぐ久政を見た。意見は変えない、という意思がよく伝わる。だが、久政はそれは犬死だと笑った。これでプライドを傷つけられた景健は怒りを露わにする。


「犬死だと!?」


「はい。今の朝倉家を知っているでしょう? 孫次郎殿(朝倉義景)はお家が滅びそうだというのに酒色に耽っている。家臣は主命に従わない。越前には、朝倉家には、今こそ強い主が必要なのです。孫八郎殿(朝倉景鏡)亡き今、強い主となれるのは孫三郎殿しかいない。なのにここで死ぬのは犬死だ、と申しているのです」


「むむっ」


 景健は反論の言葉が見つけられず、口籠った。たしかに、かつての「強い朝倉」を復活させるには、義景が当主のままでは不可能。では他に適任者はいるのか? いる。自分だ。自分が朝倉家の当主となって、宗滴が生きていたときのような「強い朝倉」を復活させる。しかし、そのためには一向宗の協力が必須だった。


「一向宗の助力が必要だな」


「某が交渉いたしましょう」


 久政は頼周に朝倉家の失地回復への協力を要請した。最初は難色を示したものの、本願寺は義景の娘を教如の婚約者とすることで和睦している。過去のことは水に流すべきだ、と正論を言われて折れることとなった。朝倉一族がいれば、越前を攻める大義名分ができるという理由もある。結局、義景の首で決着をつけることとなった。利用価値がなければ簡単に殺されるのが戦国時代である。


 そんなことが起きているとは知らない具房たちは、一乗谷を包囲していた。燃やしてしまえ、という意見もあったのだが、文化的な都市であることから可能な限り残そうということになった。


「守兵はほとんどいないらしい」


 具房の配下である忍が、義景の退廃的な生活を見聞きした朝倉家臣たちが逃散したとの情報をキャッチ。奇妙丸は間髪入れずに攻めかかることとした。


 さしたる抵抗もなく一乗谷は陥落。義景とその妻子は館で捕縛された。彼らは広間に連れてこられ、織田軍の諸将と対面する。


「……」


 義景は何も話さなかった。沈黙して沙汰を待っている。その顔は疲れ切っていた。なお、越前での行動については信長から奇妙丸に対して指示されていることはない。好きにやれ、ということだ。


 しかし、諸将の注意は義景にほとんど向けられなかった。彼らの目は義景の側室ーー小少将に向けられている。艶やかな髪とプルンとした唇。姿勢のよさからは気品が、髪をかき上げたりするちょっとした動作はゆったりしており、艶かしさを感じた。端的にいえばエロい。戦いで昂った男には、こんな美女の存在は目の毒だろう。


(よく襲われなかったな)


 彼女は幸運だと思う具房。ちなみに彼は小少将を何とも思っていない。お市たちの方が美人だと思うからだ。妻帯者でいえば長政も平然としている。他には、そもそも女性を知らない奇妙丸も平気そうだ。


「それで、いかがしますか?」


 具房は咳払いをして場の空気を整えた上で話を進める。


「左衛門督(朝倉義景)は打首が適当であろう」


 奇妙丸から判決が下される。審理が省略された即決裁判だ。諸将から反対は出ない。信長に徹底的に反抗した義景を助命する理由はなかった。具房にも異論はない。


 問題は子どもたちをどうするか、ということだ。小少将や娘たちは寺に押し込めばいい。だが、男子である愛王丸は違う。義景の後継者として擁立される恐れがあるため、処刑されるのが普通だ。


「愛王丸だけは助けてくれぬか?」


 ここで義景が初めて声を上げた。


「う〜む」


 義景の処刑を即断した奇妙丸だが、愛王丸の処遇には悩んでいるようだ。気持ち的には助けたいのだろう。具房にもその気持ちはわかった。なので、助け船を出す。


「愛王を助けてやるのはどうか?」


「それはなぜ?」


「今回の戦で越前は押さえられた。しかし、家臣たちは反抗するだろう。それを事前に抑えるために、生かしておくのだ」


 つまり、愛王丸を朝倉家の当主として擁立しようというのだ。味方をした朝倉一族はいない。適任者は愛王丸しかいなかった。また、他国へ逃げた朝倉一族が攻めてきても、愛王丸という本家筋の子がいれば、そちらに正当性がある。そういう名目的な意味でも、愛王丸は生かしておくべきだと具房は主張した。


「なるほど」


「それは妙案ですな」


 長秀や長政も賛成してくれる。これでトップ層の意思統一は図れた。後は奇妙丸がどう判断するか。


「……そうだな。そうしよう」


 奇妙丸は悩んだ末に、愛王丸の助命を認めた。こうして義景は処刑。女性たちは一乗谷にある寺に入れる。愛王丸は、今後入ってくる越前領主に任されることとなった。


 こうして朝倉義景たちの処遇が決まったころ、具房たちの許に急報が届けられる。それも二つ。


 ひとつは加賀の一向宗が越境して越前に侵攻してきたという話。もうひとつは、武田信玄が軍を遠江、三河、美濃へと進めたという話だ。


「「「何っ!?」」」


 後者の情報をもたらしたのは具房配下の忍。知らせを受けた具房たちは揃って立ち上がった。武田軍の来襲はまったくの予想外である。


「岩村城は武田方の手に落ちております」


「早いな……」


 岩村城は東美濃の要衝である。その地を治める岩村遠山氏には、養子として入った信長の子(五男)御坊丸と叔母・おつやの方がいた。このことからも、岩村の重要性がわかる。


「御坊と叔母上はどうなった?」


「おつやの方様が敵将・秋山某と婚姻することで和睦。御坊様は甲斐に送られました」


「何たることだ……」


 弟が敵の手に落ちたということで、奇妙丸は頭を抱える。そんな彼を他所に、具房は問いを重ねた。


「武田は三河と遠江にも侵攻したようだが、そちらはどうなっている?」


「はっ。信玄率いる武田軍本隊が遠江へ出陣。天方、一宮、飯田、挌和、向笠、只深の城を陥落させ、二俣城に迫っております。さらに、三河へと山県源四郎(昌景)に率いられた別働隊が侵攻。菅沼、奥平などを服属させ、本隊へ合流する動きを見せております」


「さすがは信玄。鮮やかな手並みだ」


 具房はその速さに感心する。『風林火山』を掲げているのは伊達ではない。敵を褒めてどうすると言われそうだが、それとこれとは話が別だ。敵であっても凄いと思ったところは認める。そういう姿勢が大事だと、具房は思っていた。


「しかし、武田は上杉や北条と敵対していたのでは?」


 そんな疑問を呈したのは長政だった。これに長秀も同調する。上杉と武田が激しく対立していたのは周知の事実だ。それが元で起こったのが川中島の戦いである。また、徳川家と共同で今川領に侵攻したことから、北条氏とも敵対していた。北と東に敵を抱えた状態で、さらに南と西に敵を増やすなど正気の沙汰ではない。長政の問いは、そこから発せられていた。


 これに対する回答は、幸い忍が持ち合わせていた。


「先立って、武田は北条との同盟を回復しております」


 さらにいえば、上杉家の領地がある越後と武田家の領地がある信濃は、この時期から雪で国境が閉ざされる。つまり、冬季に限れば武田家の敵はいなくなるのだ。となれば、織田領や徳川領への侵攻にも納得がいく。


 この件に関しては信長へも伝えられており、すぐに彼から指令が出された。急使が飛んできて、指令を伝える。


「中納言様(具房)には急ぎ、東海方面へと向かっていただきたい、とのことです」


 加えて奇妙丸にも召還命令が出ていた。彼を岐阜に入れ、美濃と尾張を固めるのだという。


「承知した。しかし、加賀の一向宗はどうする?」


「それについては、柴田様が加勢に入るとのことです」


 ついでに空位となっている越前の領主にも就かせるという。以後、北陸方面は準一門の長政を司令官、柴田勝家をその与力とし、北近江と越前の兵力で加賀の一向宗と対決する体制が構築された。もっとも長政の根拠地は北近江にあり、冬場は越前との道が雪で塞がれることもしばしばある。そのことも考慮すると、最前線に立つのは柴田勝家だった。


(ま、戦うのが大好きだからいいだろ。政治も上手いし)


 髭面で筋骨隆々。武力にステータスが全振りされていそうな勝家だが、そのくせ政治も上手かった。完全なビジュアル詐欺である。


 それはさておき、この信長の要請に具房は応え、長政に後事を託して戦線を離脱した。奇妙丸は一向宗と戦う長政のために軍を残すこととなり、北畠軍に交じっての帰還となった。


 信長からの要請を快諾した具房だったが、脳内では猛烈な勢いで計算をしていた。内容は、援軍をどこから出すかということだ。紀伊平定、越前平定で北畠軍はすっかり消耗している。相手は戦国最強集団、武田軍。何が起こるかわからない。万全の態勢で臨みたかった。


(伊勢、志摩、伊賀の部隊は戦力が回復していない。大和、紀伊の部隊も消耗したばかりで、戦闘は難しいか……)


 具房はそう判断し、諸国で編成されている部隊単位での運用は断念した。代わりに、三旗衆のような出身地に関係ない混成部隊の設立を目論む。比較的消耗の少ない部隊を中心に兵を集めることとする。


 無理をさせる代わりに臨時のボーナスを出すなどの好条件を提示。すると、ほぼ全員が応募してきた。これを各兵団の団長が吟味し、長島へ集結した。その数、およそ五千。数は少ないが、選び抜かれた最精鋭である。また、武器弾薬なども最優先で回された。おかげで充足率は百パーセント。最大戦力を発揮できた。


『勇兵団』と名づけられたこの部隊は清洲で具房と合流する。奇妙丸とは岐阜で別れた。とりあえず頑張れ、と激励しておく。はい! と奇妙丸は元気よく応えた。色々あったせいで懐かれたように感じる。嫌われるよりはいい。まあ、しばらく関わることはないだろうが。


「疲れているだろうが、盟友の危機を救うため、力を貸してくれ」


「「「応ッ!」」」


 参集した勇兵団の面々に呼びかけると、兵士たちは威勢よく応えた。北畠軍は案内人として本多正信を加え、東海道を東へ進んだ。








【解説】武田家が信長に敵対した時期について


作中でも何度か触れているように、織田家と武田家は国境を接するようになる前後から良好な関係を築いていました。どちらかというと、信長が下手に出た形です。武田勝頼と信長養女の婚姻、信忠と松姫の婚約など、口約束に留まらない友好関係の構築がなされていました。


この関係に変化があったのは、信長が比叡山を焼き討ちにしたことです。これに対して信玄は延暦寺を再興しようとして運動を行いました。これはつまり、信長が構築しようとした近世型の社会秩序に対する挑戦です。そして、北条氏との同盟を回復したこと、足利義昭や顕如(義弟)たち反信長勢力からの勧誘などから、反信長勢力の一角に加わることとなります。年代的には、


元亀二年 北条氏との同盟を回復、顕如などからの助力要請


元亀三年 織田、徳川領に侵攻開始


となります。なお、以前は元亀二年に武田家が徳川領に侵攻した、とされていましたが、これは信玄ではなく勝頼の時代の話であった、という見解が有力となっています(根拠となる文書の年代に誤りがあったため変わりました)。


なお、本作では元亀二年に侵攻したことになっています。これは、信長の勢力拡大が史実より速いため、信玄が急いだーーとご理解ください。


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― 新着の感想 ―
[一言] 具房対信玄、どんな戦になるのか想像できません( ゜д゜) 武田にも三つ者、歩き巫女って諜報機関いるからそちらの闘いもありそうです・・・。
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