初陣! 奇妙丸
ーーーーーー
紀伊で色々と指示を飛ばしていた具房。彼は軍を陸路で返した一方、自分は海路(紀伊半島回り)で帰ることとする。そんなことをしたのは、少し寄り道をしたいからだ。その目的地は白浜温泉(戦国時代では牟婁の湯と呼ばれている)だった。
「はぁ〜。生き返る……」
湯船に浸かり、長々と息を吐く。なぜか自然と出るやつだ。これをしない奴は、日本人失格であるーーと具房は思っている。
「「「はぁ〜」」」
よって、ちゃんと声を上げた家臣たちは全員日本人である(意味不明)。
「どうしても行きたいところ、っていうのは温泉だったんだな」
「ああ。日本書紀にも記述がある、由緒ある名湯だからな」
「殿は風呂が好きですからね」
「それもある」
今回同行しているのは、警備の猪三と温泉近郊の田辺を治めることになった九鬼澄隆だ。具房は忙しいのでたまにしか来れないが、澄隆はかなりの頻度で来ることができる。具房は彼を羨んだ。
こんな調子だが、別に温泉に浸かりにきただけではない。もちろんそういう目的もあるが、一番の理由は保養所の建設であった。日ごろ激務に追われている人々に癒しを提供するーーそのためのリゾートをここに建設するのだ。
(ま、別荘も造る気だけどな)
一等地を押さえている。独自にお湯も引いていた。平和になったら隠居して、ここで温泉に浸かりながら余生を過ごすのもありかも、などと考える。他にも公家などの別荘地、観光客の誘致なども考えられた。
この地にどのような別荘や保養施設を造るのかを指示し、たっぷり温泉を堪能すると津に戻る。だらだらと過ごしていたようだが、陸路を行く軍よりも早く帰ることができた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
お市に出迎えられる。葵は仕事、蒔は妊婦ということで奥にいた。子どもたちは勉強や習いごとだ。だからここにはいない。
「すぐに出るの?」
「いや。しばらくは伊勢でゆっくりできるぞ」
蒔の出産に居合わせられるーーそう思っていた。だが、世の中そんなに甘くない。数日後、京にいる信長に呼ばれた。
(何でまた……)
具房はすっかり一家団欒気分だったので、気分が乗らない。気分としては、休暇中に呼び出されたサラリーマンだ。
京の織田屋敷にやってくると、そこには信長と奇妙丸がいた。この二人がいるということは、元服のことについてか? と具房は推測する。それは半分正解で半分外れだった。正解は、奇妙丸関係であること。外れは、元服のことではないことだ。
「わざわざ申し訳ない。まずは河内と和泉の件、無事に収めてくれて感謝する」
「いえ。こちらこそ大和に滝川殿を送っていただいて助かりました」
「何を言うか。ほとんどやることがなかったと申しておったぞ」
信長は上機嫌だ。織田家のような成長途中の組織は、概して優秀な存在は歓迎される。逆に、北畠家のような名門は組織が円熟しており、優秀でも新参者は敬遠されがちだ。実際、猪三たちを召抱えるときは反発も大きかった。具房は信長のところは居心地がいいと感じていた。悪い意味での仲間意識がないからだ。だからこそ、織田家には優秀な人材が集まるのだろう。
このまま雑談をしていてもいいのだが、具房としては蒔の出産に居合わせたい。だからさっさと本題を聞いて、なるべく早く終わらせて帰る。それが彼の構想であった。
「ところで、本日の用件は?」
「おっと。忘れるところであった」
信長は、義弟殿(具房)と話しているとつい時間を忘れてしまう、と苦笑する。それだけ心を許してくれているという証であり、具房は嬉しい。だが、やはり蒔の出産の方が今は大事なのだ。営業スマイルで流しておく。
そして本題が語られた。
「奇妙の初陣についてだ」
「初陣? 元服ではなく?」
「そうだ。畿内はかなり落ち着いたとはいえ、何が起こるかわからん。元服はこの戦が終わってからだ」
「なるほど」
たしかに、畿内を制覇した大々名・織田家の嫡男の元服ともなれば、それなりの規模でやらないと示しがつかない。だが、戦時中にそんなことをやっていると敵から攻められる恐れがあった。ならば、落ち着いたタイミングでやればいい。
だが、初陣は極論、戦えばいい。なら、初陣のために戦争を起こすより、今起こっている戦争に便乗して済ませてしまえばいい。問題は、初陣なら勝たなければならないという点だ。織田家が直面している敵は一筋縄ではいかない相手である。
「それで、どちらで?」
「奇妙には、朝倉攻めの総大将を任せる」
(マジか……)
具房は奇妙丸に同情した。初陣で大名を滅ぼしてこい、とはなかなか無茶な話である。もっとも信長は至って真面目だ。それに、朝倉討伐は難易度が低い。もう一方の敵は阿波三好家だが、こちらは信長の担当で、形勢は互角。ここで戦の経験がない者に任せると、下手をしたら戦線が崩壊しかねない。ただでさえ山城まで食い込まれているのだ。信長としては、不確定要素をなるべく作りたくなかった。それを考えると朝倉討伐は妥当な選択といえる。
また、具房の『マジか』は内容の厳しさだけでなく、要請そのものにも向けられていた。ここで奇妙丸の初陣の話をしたということは、具房も後見人としてついて行くこととなる。信長との関係上、この要請を断れるはずもない。つまり、具房はまたしても子どもが生まれる瞬間に立ち会えないことが確定したのだ。悲しきかな、大名人生。
「義弟殿には奇妙に加勢してほしいのだ」
ついでに戦の心構えを指導してほしい、と言う。
「……わかりました」
具房は援軍と指導の件を承諾した。そもそも断るという選択肢はないし、烏帽子親を務めることからサポート役になることも納得できる。
(朝倉攻めをするなら、丹羽長秀や浅井長政もついてくる。二人に任せればいいか)
そんな風に考えていた。
「おお! 引き受けてくれるか!」
具房の頭のなかなど信長は知る由もなく、快諾してくれたことを素直に喜ぶ。奇妙丸も顔を綻ばせ、
「よろしくお願いいたします」
と挨拶した。任されよ、と具房。思い通りにならないことが続いた結果、彼はある意味吹っ切れていた。
(こうなったらとことんやってやる!)
そう意気込む。とはいえ、北畠軍は紀伊平定にあたってかなりの損害を負っている。歴戦の伊勢兵団や伊賀兵団は出せない。動員できるのは新たに編成された大和兵団と紀伊兵団(約二万)だ。そのことは信長にもきっちり説明する。
「問題ない。元々、こちらの都合で出兵してもらうのだ。贅沢は言わん」
その口ぶりから、本当にサポートとしか考えていないようだった。具房も新兵たちのいい訓練になる、とプラス思考で考えることにした。
ーーーーーー
そんなわけで、奇妙丸を総大将とする朝倉討伐軍が発足した。編成は、
先鋒 丹羽長秀(五千)
次鋒 浅井長政(五千)
中軍 織田奇妙丸(三万)、北畠具房(二万)
後軍 織田信興(二千)
という内容である。六万の軍が朝倉領に侵攻する。そこへ挨拶にやってきたのが、朝倉家臣の富田長繁、前波吉継だった。二人は信長の調略によって寝返っており、敦賀から先の道案内を申し出た。
「どうすべきか?」
奇妙丸は突然のことに困惑し、具房に助言を求めた。具房はいきなり裏切り者の処遇を考えさせるとか信長はスパルタだな、なんてことを考えつつ、
「受け入れましょう」
と彼らの提案を呑むように勧めた。信長が何の注意もしなかったことから、彼らに裏切りの心配はないと考えたためだ。念のため監視はつけているが、不要だと具房は考えている。
奇妙丸はその助言に従い、両名の裏切りを認めた。丹羽長秀ならば万が一のときにも上手く対応してくれるだろう、という信頼もあった。
敦賀を通り、いよいよ朝倉領へと雪崩れ込むーーと思いきや、そこには朝倉軍が待っていた。織田軍が攻めてきていると知って、防備を整えていたらしい。
(いや、それにしても早すぎる……)
具房は言葉にならない違和感を覚えた。だが、現実に敵はいる。あれこれ考えるより、まずは目の前の敵を倒すことにした。
喊声を上げて突っ込んでくる朝倉軍。その先頭にいたのは、姉川の戦いで討死した真柄兄弟の一族(直隆の子)である隆基だ。
「バカか、あいつ」
そんな彼を狙っていたのは、叔父を討った張本人である孫一だった。竜舌号を隆基へ向けて構え、撃つ。そして起こるスプラッタ。孫一以外のスナイパーも大活躍で、兜首を次々と挙げた。戦国時代の戦いでは、大将(部隊長)が後方に下がっていることは許されない。陣頭指揮が求められるため、狙撃のいい的になった。
織田軍は鶴翼の陣を敷いた。左翼を丹羽長秀、右翼を浅井長政が担う。中央は二段に分かれており、一段目に奇妙丸、二段目に具房が入った。
北畠軍は今回、予備戦力という扱いだ。それは練度の不足、装備の充足率の低さが理由である。大和、紀伊の両兵団は編成されて数ヶ月しか経っていない新部隊。まともな訓練は受けていない。加えて、火器も定数を割り込んでおり、特に擲弾筒と野砲は定数の三割程度だった。これでは本来の戦力を発揮できない。予備戦力となるのも仕方がなかった。
「撃て!」
奇妙丸率いる織田軍本隊から鉄砲が撃ち込まれる。ただ、パンパンと発砲は散発的で、間隔も長かった。これは火薬を惜しんでのことだ。貴重品なのだ。湯水のごとく使う北畠軍がおかしい。
とはいえ、チビチビと撃っているために弾幕を張るには至らず、朝倉軍は接近してきた。ある程度近づくと発砲は止み、白兵戦が始まる。
北畠軍は定数割れしている鉄砲隊を織田軍本隊の左右に展開。援護射撃を行う。先ほどの織田軍のように弾を節約しよう、などとは考えていない。二交代制で余裕をもって規則的に射撃をしていた。統制された射撃は濃密な弾幕を作り、また十字砲火になるように工夫していたこともあって、朝倉軍を次々と倒す。だが、それでも朝倉軍は進みを止めない。
「チッ。乱戦になりやがった」
ターゲットを物色していた孫一は舌打ちした。スコープ越しに敵味方の旗指物が入り乱れているのが見え、乱戦になったことがわかる。これでは狙撃は難しい。このときを待っていたのが、越前に居候している浅井久政派の武将たちだ。
(止んだか?)
(そのようだ)
(行くぞ!)
断続的に続いていた狙撃がなくなったことを確認した海北綱親、赤尾清綱、雨森清貞の三人が率いる浅井軍が織田軍本隊へ突進した。
「行け行け! 織田の御曹司を討つのだ!」
そう言って兵たちを激励する三人。彼らは長政と袂を分かっているが、あくまでも方針の違いであり、殺してやるとまで思ってはいない。だから長政に弓引くことは憚られた。しかし、朝倉家に援助を受けるためには功績を挙げなければならない。そこで目をつけたのが、奇妙丸だった。彼を討てば長政に弓引くことなく、手柄を挙げられる。
「どうしよう?」
困ったのは奇妙丸だ。見た感じで味方が劣勢なのはわかったが、どう対処していいのかわからない。増援を送るべきか、静観すべきか。そこで、やはり具房に助言を求める。
「お任せを」
具房は奇妙丸を安心させるように笑う。そして少しの間、織田軍の指揮を引き受ける。まず、本陣を少しだけ下げた。その代わりに北畠軍を前に進め、分厚い壁を作る。信長が姉川の戦いで敷いた多段の防衛陣だ。今回は五段構え。
「新九郎殿(浅井長政)と五郎佐殿(丹羽長秀)に伝令。『前進し、敵軍の後背へ回れ。背後は引き受ける』ーー以上だ」
この命令を受けて、二人は部隊を前進させて朝倉軍の後方を脅かす。こうすると本隊との間に距離が生まれるのだが、具房は半ば遊兵と化していた本隊の両翼を前進させ、これを埋めている。結果、縦長の「V」字を作ることになった。そこへ浅井軍が突っ込んでくる。
ここから繊細な作業になる。ひと言でいうなら、負けていないのに負けているように振る舞うことだ。「V」字の陣形は先が細くなっており、投入できる戦力が限られる。ゆえに防御側はとても楽なのだが、浅井軍の圧力に押されたかのように、具房は中央の部隊をわざと後退させた。このとき、左翼はそのままで、右翼だけを中央と一緒に下げる。そうすると「V」字の陣形の右側に隙間が生まれた。
「今だ!」
ここで具房は虎の子の騎兵隊を投入する。山の多い紀伊では活躍できないため、伊勢に残されていた部隊だ。彼らは紀伊で戦えなかった分をここで取り戻す、と気合十分だ。騎兵隊は具房が巧妙に「作った」陣形の隙間を通り、浅井軍の横腹を突く。それは姉川の戦いの再現であった。敵は馬蹄に踏まれ、蹴散らされる。騎兵は楔形の隊列をとっており、中央には空きがあった。それを道にして歩兵部隊が侵入。穴を歩兵によって固め、敵を閉じ込める。
「よし、成功だ」
「す、凄い……」
具房は作戦の成功に喜び、奇妙丸はその鮮やかな手並みに慄く。鮮やかーーそのひと言に尽きた。兵を手足のように操るとはこのことをいうのだ、と奇妙丸は思った。
「謀られたか!」
一方、退路が絶たれた浅井軍からすれば堪ったものではない。包囲され、四方八方から攻撃を受けるのだ。全滅は時間の問題だった。
「前へ進め! 囲まれたならば、突破すればいいだけだ!」
「そうだ!」
「続けぇッ!」
三将は兵を鼓舞し、包囲の突破を試みる。しかし、正面は最も防備が分厚い場所。いくら戦意を高揚させても無駄だった。精神力は物理に劣る。それは「大和魂」が敗北した太平洋戦争によって証明されていた。
結局、浅井軍は包囲を破れなかった。長政の家臣ということで降伏も呼びかけられたが、三将は応じず、悉く討死している。
また、包囲劇は朝倉軍にも起こっていた。具房は浅井隊、丹羽隊に朝倉軍を包囲せよ、といって前進を命じていたが、あくまでも浅井軍を殲滅するための命令だった。つまり、まったく期待していない。だが、優秀な二人は見事に包囲を達成していたのである。朝倉軍の総大将だった朝倉景鏡は討死。兵も討たれるか降伏している。
「見事だった」
報告に現れた長秀と長政に、奇妙丸は惜しみない称賛を送る。しかし、二人は首を振った。
「いえ。我らはやれることをやっただけ。そのお言葉は黄門様(具房)に」
「包囲の機会を見逃さなかった義兄殿のお手柄です」
そう言われた具房は、
「いやいや。お二人の卓越した指揮があってこそですよ」
と逆に二人を持ち上げる。朝倉軍まで包囲できるとは考えていませんでしたーーとは言えない。
だが、二人は納得いかないらしく、具房が凄いと言う。具房は少し後ろ暗いので、二人が凄いと言う。堂々巡りであった。
「奇妙殿。今回の戦勝、おめでとうございます」
埒があかないと思った具房は、奇妙丸に話を向ける。誰が凄いとか色々言ったが、大事なのは奇妙丸の初陣が勝利で終わったということだった。
「ありがとう。義叔父上たち(具房、長政)と五郎佐のおかげだ」
「そんなことはありません。ご立派でしたぞ、若殿」
長秀が褒め、具房たちもうんうんと頷いた。ここからまたしても謙遜合戦が始まり、最終的にみんな凄かった、という無難な結論に落ち着く。
戦後処理は後方支援を担っている信興に任せることとし、具房たちは休息をとる。一日休んで鋭気を養うと、一乗谷を目指して進軍を開始した。