河内、和泉救援戦
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具房は軍を河内・高屋城へと進めた。ここには畠山秋高が籠城している。畠山氏とは紀伊をめぐって微妙な関係にあるが、室町幕府を支えるという考えはだいたい同じ。阿波三好家を前にすれば両者は味方であった。
「蹴散らせ!」
北畠軍の戦法は至ってシンプル。火器をバカスカと撃ちまくり、遠距離から敵に損害を与える。それで崩れればよし。崩れなければ白兵戦に移行し、敵を倒す。子どもでも思いつくような戦法だが、それゆえに効果は高い。「優勢火力ドクトリン」ともいえるそれは、敵の数倍の火力で圧倒するというアメリカ軍のドクトリンを真似たものだ。具房は技術チートをはじめとする産業育成で実現した莫大な生産力によって、これを可能にしていた。
「「「……」」」
具房の戦いぶりを初めて目にする大和衆は言葉が出なかった。畿内は堺などの鉄砲の産地を多く持つことから、日本で最も火器の使用が盛んな地域である。しかし、火薬に使う硝石は貿易で入手するしかなく、とても高価で戦では主力兵器というよりは、虎の子の秘密兵器といった扱いがなされていた。
だが、これはどうだ。高価な火薬を湯水のように消費している。大和衆は北畠家に仕えるにあたって俸禄を支給されるようになった。だから思うのだ。この戦いで使われている硝石は、自分たちの俸禄の何倍なのだろう? と。
あまりにインパクトが大きいため、初見では火薬の使用量に注目が行ってしまう。しかし、北畠軍が強いのは火薬を大量に使用するからだけではない。銃にはライフリングを施し、ミニエー弾を使用するなど、細やかな工夫がなされている。この点も見逃してはならなかった。
「何なのだ、これは……」
高屋城を包囲していた三好咲岩(康長)は、北畠軍の馬鹿げた軍事力に呆然となった。目の前で為す術もなくバタバタと倒れる兵士たち。咲岩は長慶の時代から一門として戦ってきた、実戦経験豊富な武将である。彼に言わせれば、こんなものはもはや戦ではなかった。
咲岩が手をこまねいているうちに、事態は悪化していく。北畠軍から騎兵隊が飛び出した。彼らは馬上で鉄砲を撃ちながら突撃する。あっさりと陣を食い破られ、後方に回り込まれてしまう。
「しまった!」
慌てて後続を断とうと伝令を飛ばす咲岩だったが、時すでに遅し。騎兵が開けた穴には歩兵が侵入し、押し広げていた。この歩兵は、白兵戦担当の大和兵団であった。
「大和武士の強さを見せてやれ!」
「宝蔵院流の力を見よ!」
「柳生も負けてないぞ!」
島左近、宝蔵院胤栄、柳生宗厳などの武闘派が部下を鼓舞し、敵を斬り伏せる。これによって分断は決定的となった。高屋城を包囲していた三好軍は、城を背に三方を囲まれる部隊を出してしまう。咲岩にとっての悲劇は、包囲された部隊にいたことだ。
包囲されなかった部隊は指揮官不在のために戦力が大幅にダウン。特に集中して射撃が加えられると、あっという間に潰走した。邪魔者が消えたところで、北畠軍は包囲の輪を縮める。
「……無念」
衆寡敵せず、咲岩は北畠軍に敗北。捕らえられた。河内は織田家の担当なので、身柄は一益に預けられる。
戦後処理を行う具房の許に、高屋城に籠城していた畠山秋高がやってきた。内心、複雑なのだろう。敵対者に助けられたのだ。それでも彼は助けられたのだから、と頭を下げる。
「援軍、感謝いたす」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ」
具房は物腰柔らかく対応する。それは余裕の現れであった。この場ではどちらが上位者なのかが確定しているからこそ、あえて自分の優位性を示す必要はないのだ。
そして秋高は、ますます自分の立場を下げねばならなかった。
「黄門様(具房)。お願い申し上げます。岸和田の松浦肥前守(信輝)をお助けください」
秋高は協調関係にあった和泉国人のボス的な立場にいる松浦信輝の救援要請を行った。畠山家の重臣である遊佐信教と対立していた。そのため家中が荒れており、頼れるのは和泉国人しかいなかったのだ。だから、彼らの救出は秋高の至上命題である。さもなくば、自分の命が危ない。
「わかりました。早く片づけてしまいましょう」
その後は紀伊に向かいますか、とわざとらしく言う具房。紀伊は畠山家が統治を行うことにはなっているが、もはや彼らに実権はない。具房は釘を刺したのだ。お前には何の力もないのだから、紀伊のことには口を出すな、と。
秋高は悔しそうに顔を歪めたが、現実問題、彼は家の掌握さえままならない状態だ。何かを言える立場ではなかった。
これだけ見ると具房が嫌な奴のように感じられるが、こんな態度をとるのには理由がある。それは、勘違いを起こさせないためだ。下手に出ると自分の方が力がある、と相手を勘違いさせる。ある程度の線引きは必要だった。
具房は秋高を伴って岸和田城を救援するために和泉へと侵攻した。城を囲んでいたのは、篠原長房率いる阿波三好軍。彼らは咲岩と同じ目に遭った。圧倒的な火力に押し潰され、まともな抵抗も許されない。
「何なのだ……」
堅実な性格の長房は大成功を収めることはないのと同時に、大失敗もしない男だ。そんな彼が、未だかつて経験したことのない大敗を喫しつつあった。北畠軍という規格外の軍隊を前に、長房は気が遠くなる。
「何なのだ……」
そしてまたひとり、呆然とする男がいた。おまけでついてきた畠山秋高である。彼は景気よく火器を使う北畠軍に戦慄した。北畠軍が盛大に火薬を使う姿は高屋城から見ている。恐ろしいのは、戦後処理をしている間に続々と荷駄隊が到着し、たちまち弾薬が山と積まれたことだった。
『こ、これはどれだけの量が?』
『う〜ん。ざっと二、三回分くらいですかね』
秋高の質問に、具房はそう答えた。後方(大和)にはこの何十倍もの玉薬が備蓄されているともつけ加える。これが本当なら、それだけの弾薬を揃えるのにも莫大な金が必要になることは想像に難くない。
(堺との結びつきが強いとは知っていたが、これほどか……?)
数々の高級品を生産し、金があることは知っていたが、これほどの金を儲けているとは思えない秋高である。彼の推察は正しく、具房も一般的な方法(硝石を海外から輸入する)では、これだけの火薬を使い続けることは難しい。だが、ほぼ自家製であれば話は変わる。硝石丘法と化学合成でほぼ全量を賄っていた。
しかし、そんな裏話を秋高が知る由もない。これは信長にも伏せている話なので、知られては困る。もっとも普通に考えればおかしいので、少し情報に詳しければ何となく察しはついた。信長も同様で、それとなく硝石確保の方法を訊ねられるのだが、具房は上手く躱している。今後、ボルトアクション式の鉄砲が完成すれば、黒色火薬の需要は減る。そのときに織田家への輸出を増やし、お茶を濁すつもりだ。
結局、三好軍は一方的にやられ、岸和田城の周辺から駆逐された。長房以下、将兵は這々の体で船へたどり着き、四国へと落ち延びている。周辺の残敵を掃討し、具房は河内と和泉の救援を完了した。
「さすが伊勢様。これほど迅速に三ヶ国を平定されるとは」
「お世辞はいい。それよりも、滝川殿はこれからどうされるのだ?」
具房には、このまま一益が紀伊平定まで同行してくれるのではないかという期待があった。しかし、そうは問屋が卸さない。
「これから摂津へ行き、羽林様(信長)と合流するように命令されています」
「そうか……」
残念だ、と具房。一益(客人)をもてなすという名目で信虎との接触時間を短くできたからだ。彼がいなくなると、信虎と話す時間が増える。具房の精神力がゴリゴリと削られていくのだ。あれは耐え難い。大和衆を組み込んでいるため、兵数を補うために援軍を受けるのは不自然であった。諦めるしかない。
「なら、今夜は戦勝祝いをしないか?」
「ご一緒させていただきます」
具房は堺の今井宗久から食事に誘われていた。それに一益を誘ったのである。どうせ宗久のことなので、伊勢の名産品をたくさん売ってくれと促すのだろう。その話から逃げるために、一益がいると丁度いい。具房に誘われたので、一益も断らなかった。
自分たちだけいい思いをするほど、具房の性根は腐っていない。将兵(織田軍含む)にも酒と食事を用意していた。質は劣るが、政治が絡まないだけ純粋に楽しめるはずだ。
「ようこそ」
「世話になるぞ」
堺の今井屋敷で宗久自らの出迎えを受ける。そこで伊勢産の酒類や近海で獲れた魚の刺身などが出された。その席では具房の予想通り、宴会に紛れて宗久から商談があった。
(やっぱりきたか……)
具房はそう思いつつ、また今度と躱そうとする。いつもなら心証を悪くしないように引き下がる宗久なのだが、今日は食い下がった。
「そこを何とか。悪い話ではないんですよ」
宗久は南蛮商人との会談を対価として差し出した。実は以前から、具房は南蛮商人と交流することを望んでいた。彼らは堺にやって来るものの、具房は大名としての仕事が忙しいため、なかなか堺へ行くことができない。そこで、南蛮商人を津へ招待することとした。会合衆のまとめ役である宗久には、その斡旋を依頼していたのである。もっとも手付金として、それなりの対価は要求されたが。
「ほう……」
興味を示す具房。今回は宗久の勝ちだった。成功報酬の一部を先払いし、これからもよろしくねと言っておく。宗久も報酬に期待し、必ず実現させると確約してくれた。
こうして具房にとっては実りのある会食になったが、一方でほぼ置いてけぼりだったのが一益だった。
「勝手に盛り上がって申し訳ない」
「いえいえ。いい話ができましたから」
一益も抜け目ない男だ。宗久とはあまり話せなかったが、あの場にいた他の堺商人ーー津田宗及や田中与四郎ーーと話し込み、自らの領地との商取引をまとめていた。彼も金稼ぎが強力な軍事力を保有するための必須事項だとして、商品作物などの生産を奨励している。無論、具房の影響だ。
「それはよかった」
ほっとする具房。ただ、それだけでは気が済まなかったので、迷惑料として鉄砲と弾薬を信長に合流する一益に譲った。これで存分に戦えます、と言って感謝される。そして滝川軍は意気揚々と北上していった。
「我々も行くぞ」
具房も(一応、畠山秋高などに挨拶してから)軍を紀伊へと差し向けた。