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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第五章
55/226

仏教王国・紀伊

 



 ーーーーーー




 紀伊には寺院が多い。現代で「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産となっている高野山や熊野大社(神社であるが仏教色がとても強い)など、主要な施設は紀伊にあった。


 この他、鉄砲を大量に運用する傭兵集団・根来衆を擁する根来寺。粉河寺などもある。そんな土地ゆえに、統治にあたってはこのような寺社の協力が不可欠である。室町時代に守護を担っていた畠山氏も、彼らとの協調なくしては統治が不可能だった。紀伊はまさしく「仏教王国」ともいえる場所なのである。


 具房の命令で紀伊に攻め入った権兵衛。彼は最初にエンカウントした熊野三山に、「仏教王国」紀伊の洗礼を浴びていた。


 熊野は平安時代末期(院政期)、上皇が盛んに行幸した地だ。この地域は霊場であるとともに神域とされ、人々の崇敬を集めている。そんな神聖な場所は、一転して地獄の戦場と化していた。


「凄い数だ」


「長島の一向宗よりも多いかもしれませんな」


 権兵衛は眼前にひしめく熊野軍を見て戦慄する。パッと見ても十万は下らない。それがすべて敵なのだ。長島で一向宗と対峙したときは、城に籠もっていたために恐怖はあまりなかった。しかし今は野戦ーー守るものがないため、少なからず恐怖を覚える。


 熊野軍に北畠軍は苦戦を強いられていた。理由はいくつかある。


 ひとつ目は敵の多さ。熊野三山は周辺住民に、神敵である北畠軍へ一致団結して抵抗しよう、と呼びかけていた。そのため上は国人から下は農民や漁民に至るまで、武装して熊野軍に合流している。結果、十万を超える大軍ができた。烏合の衆であるが、数は力というのもまた真理である。


 二つ目は地形の険しさ。山地ゆえにアップダウンが激しく、道も悪い。これで兵士の体力が消耗した。また敵の方が地理に詳しく、思わぬ方向から奇襲を受けることもあった。その心理的なプレッシャーも兵士たちの消耗を加速させた。


 三つ目は季節。梅雨の時期は雨が多く降り、ただでさえ悪い道が泥濘むなどしてさらに悪くなる。また、雨では北畠軍の主力兵器である鉄砲が使えない。火薬は湿気対策として油紙に包んでいるものの、火蓋が切れないため射撃ができないのだ。


 せめてもの救いは、擲弾筒が使えたことだろう。これも雨水の侵入を防ぐために水平撃ちに限定しての使用だが、素人集団である熊野軍には、敵を吹き飛ばす擲弾は大きな動揺を与えることができた。


 しかし、戦況は厳しい。梅雨が明ければ有利になるだろうが、そこまで保つかは怪しいところだ。鉄砲が使えない以上は白兵戦を行うしかなく、素人と玄人が戦うとはいえ、数が多いと玄人側にも損害が出る。そんな状況が続けば、熊野軍に押し切られる恐れがあった。


「徐々に敵も乱れてはいる」


 権兵衛はここが我慢のし所だと己を鼓舞する。攻撃を続けるなかで、熊野軍は大きな損害を出していた。数としては下っ端の兵士が多いが、指導者である熊野三山の人間もかなりの数が含まれている。これはスナイパーたちによる戦果だ。彼らが運用する竜舌号は銃用雷管(リムファイア式)を使っており、雨の影響を受けない。これで指導者を狙い撃ちしていた。熊野軍は竹束で防ごうとしたのだが、対物ライフルに相当する威力を持つ竜舌号の前では役に立たない。これによって熊野軍は指揮官が不足し、指揮統制が低下している。


「消耗戦だな……」


「ですが、このままでは我々の方が先に押し潰されてしまいます」


 参謀のひとりが忠告する。実際その通りで、消耗戦となれば数の差から北畠軍が先に音を上げるのは明らかだ。ゆえに権兵衛は起死回生の策を考えなければならなかった。


 真っ先に思い浮かんだのは野戦における決戦。しかし、火器が使えない状況ではただの自殺行為だ。


「この地は防御に向いていますが……」


「攻撃しなければ意味がないだろう」


「いっそ、山ごと燃やそうぜ」


 焦れたのか、孫一がそんな過激なことを言う。権兵衛たちは、さすがにそれは……と躊躇を見せた。熊野全域を焼き払うことはできないし、やったとしたら日本中から白い目で見られることになる。それは権兵衛としては本意ではない。


「今は木本(現在の熊野市)。新宮までは七里御浜を進むわけだが、近いようで遠いな……」


 権兵衛は嘆くが、任務の遂行が至上命題である彼らはやるしかない。それはわかっているものの、打開策が見当たらないというのが現実だった。


 大軍を相手にしているために神経をすり減らすわけだが、他にも心を砕くことがあった。それは補給である。大和にいる具房よりも、環境としては恵まれていた。補給に海路が使えるからだ。長島や津、鳥羽から出荷され、海路で沿岸に運搬。荷揚げを行う。権兵衛たちが拠点としている木本には三ヶ月分の兵糧と弾薬が備蓄されていた。


 熊野軍もこれを察知したらしく、木本へと盛んに攻撃をしかけてきている。最近は防戦一方になっていた。これが、どうにかしなければならないという権兵衛の焦りを生む。だが、彼はまだ冷静だった。焦燥に駆られながらも、考えることを止めなかった。そして、


「新宮だ」


 との結論を導いた。


「「「え?」」」


 唐突に発せられたその言葉に、ポカンとなる幕僚たち。しかし、権兵衛はそんな反応に構わず、志摩へと伝令を飛ばした。それは、予備戦力として温存されていた志摩兵団への出動命令。行先は新宮だ。


「木本へと敵を引きつけている間に新宮を落とし、そこから木本へ向けて進軍。熊野軍を挟撃する」


 それは防御がしやすいというこの地域の特性を活かした逆転の発想だった。権兵衛はその特性を逆手にとって、一万ほどの寡兵で十万もの大軍を包囲しようという計画である。


「待てよ。木本が潰れたら一巻の終わりじゃねえか!」


 その計画に孫一が反対する。他の諸将も危険だと反対した。しかし、権兵衛は譲らない。最終的に、


「ここにはボクが残る」


 と命を以て責任をとるという形で押し切った。権兵衛は志摩兵団(二千)だけでは足りないとして、手元の伊勢兵団の半数(四千)を割いている。孫一たちも船に乗り、新宮を目指した。これほどの動きを見せれば熊野軍も気づく。


「敵が減った……?」


「これは好機だ!」


 北畠軍を追い出せ! と木本に押し寄せ、熾烈な攻勢に出る熊野軍。権兵衛は前線に立ち、一歩間違えれば崩壊する戦線を支えた。


「方陣を組め! 槍兵は中央に固まれ! 弓兵は槍兵を囲め!」


 権兵衛がとったのは槍兵を弓兵が取り巻くという特異な方陣。それを隘路に展開し、道を塞ぐ。それは十六世紀初頭にスペインで考案された防御偏重陣形ーーテルシオに酷似していた。雨のため銃兵は弓兵で代替されているが、射撃速度は向上している。本家よりも防御力は高かった。


 道の突破を試みる敵に対しては、まず弓兵から矢が浴びせられる。それを潜り抜ければ長槍に道を阻まれた。


「何をぐずぐずしている!?」


「しかし、敵の陣は強固でーー」


「言い訳はいい! 早く神敵を討つのだ!」


 怒鳴り散らす神官だったが、そんなことをしても敵陣が破れるはずがない。テルシオを攻略できたのは十六世紀末、オランダにマウリッツが登場してからのこと。それまではスペインの躍進を支え続けた。だが、熊野軍にマウリッツのような戦術の天才はいなかった。


 熊野軍はテルシオもどきを攻略しようと躍起になり、後方から前線へと戦力をつぎ込む。しかし道が狭いため、大きな戦力を保有していても、一度に戦える人間は限られているため、あまり意味はなかった。いや、むしろ北畠軍を利する結果となる。前線の兵力が増えるということは、後方のそれが減るということだからだ。


 テルシオもどきにもたついている間に「時間切れ」となる。新宮に上陸した北畠軍が七里御浜と紀伊山地との間に部隊を展開したからだ。


「逃げ道を塞げ!」


 志摩兵団を率いる九鬼澄隆によって、熊野軍の逃げ道が塞がれる。これで熊野軍は袋の鼠となった。七里御浜は長い海岸線で、遮蔽物はない。海からは丸見えであり、沖合を遊弋する北畠海軍の戦闘艦隊が海岸を容赦なく砲撃した。隠れる場所がなく、反撃の手段はない。一方的にやられるだけだった。


「上手くいったな」


「ええ」


 権兵衛と孫一は再会を祝う。二人はがっしりと腕を組んだ。権兵衛は兵を再編成し、アリ一匹逃がさない包囲網を構築する。


 解囲のために足掻く熊野軍だったが、隘路では投入できる戦力が限られるため、なかなか突破できない。人数が多いために食料は日々大量に消費され、あっという間に不足した。糊口を凌ぐため、食べられるものは何でも食べた。魚、貝、昆虫や雑草まで。しかし海岸一帯で獲れる食料などたかが知れており、十万の胃袋を満たすには足りない。次第に空腹に耐えられずに離脱する者が現れた。


「ほら、飯だ」


「ありがてえ」


「魚まで焼いてくれたぞ!」


 投降してきた者には潤沢な物資が放出され、食事が腹一杯になるまで出された。余裕を見せるため、海軍が近海で獲ってきたイワシも提供されている。しかも、それを未だに頑張る熊野軍に見えるように行っていた。これを見て離脱する者が相次ぎ、十万の大軍はついに万を割った。


「そろそろかな?」


 権兵衛は熊野軍の数が自軍と同等レベルに減ったことから、殲滅に移行する。念のために降伏を呼びかける使者を送ったものの、


「神敵に与するなどあり得ん!」


 と断られた。ならば遠慮はしない、と権兵衛は掃討命令を下す。これに従って包囲の輪は狭められ、熊野軍の残党は粛々と討ち取られていった。この殲滅劇を見ていた熊野三山は抵抗する心をポックリと折られ、降伏した。反乱を起こした周辺住民に対しては、その熊野三山に対して北畠家の支配に服するという旨の起請文を出させている。


 素人とプロの軍人では練度に差がある。しかし無傷というわけにはいかず、死傷者が全体の三割に上った。それでも権兵衛は進軍を止めず、紀伊半島の沿岸を進撃。熊野水軍の拠点である田辺を陥落させている。


「梅雨が明けたから楽になったな」


 孫一の機嫌はすこぶるいい。梅雨が明けたため、雨が降ることが少なくなり、火器を使用することができるようになった。おかげで敵の殲滅が楽になっている。熊野軍と展開した泥沼の地獄のような戦闘と比べれば天国のようなものだ。


「次は高野山だ」


 田辺で補給と休養をとった後、権兵衛は次なる目標へ向けての進軍を命じた。







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― 新着の感想 ―
熊野どころか大和一国総動員ですら10万の兵を集めるのは無理では、、、
[気になる点] 熊野界隈のどこにパッと見10万人できる開けたあったのかなと(この時代にはあったとしたら、地誌を調べておらずすいません)作者はどこを想定したのでしょう。また10万人の宿営地をどこに設定し…
[気になる点] 「君」「僕」は江戸末期の長州藩の武士階級で流行った 一人称で戦国時代には無い言葉ですよ 気になったので少し
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